2. 2018年9月09日 15:45:56 : ldSxr2cltE : 6g0X37MOIqE[1]
恐怖を喧伝するのが「無制限嘘ツキホーダイ連合体」だ。それもまもなく完全に空中分解。見事に跡形も無くちりぢりになる。これもまた神託だ。預言だ。全員でそうなるよう、その理想と心を一つにするのだ。
「日本は災害大国」などと公的メディアを使って言いふらし、「この線で言論の包囲網を固めて、自由な言論の余地を封鎖しよう」とするばかりがワイドショーの務めだ。連中はそれ以外のことは何もしていない。それさえも果たせれば「この国は災害の線でなんでもありになる」とわかっている。それで乗り切るのみと算段するのだろうが、そこに捨てられた国民はそれで何を乗り切れるというのか。
「この線でどーよ」との指令を受けて番組制作サイドコピーの量産体制にはいる。それで経済が良くなるか。この国がよくなる、か。
我々はそれに対して
「何が大国だ?いまどこにそんな面影がある?」と切り返してやればよいだけだ。
バカらしすぎて話になら無い。
我々が望む事とはただひとつだ。「人間の住める社会の創造」だけだ。
自然を模倣したと嘯く「常時奪われる事に戦く社会」などが我々のめざす「人間の社会」ではない。
猿山のサルと人間とを比較して、
「猿はヒトと同じ構造をしている」
などとただ喜んでだけいればよいというのは、何もせぬ敗者と、何もさせようとせぬ支配者だけだ。
そんなものはただの愚劣な言い訳と脅しでしかない。
今の我々を「人間」などと謳って何も誉められないままだから自分たちを呪い、自分たちを卑下し、バカにし、そして犠牲が出るだけとなる。
それは今、我々が持てるとした知性など、最終的に物理的な暴力沙汰に封じ込められるように作られているからだろう。
ただ暴力による支配力を欲した人間たちによって、「知恵」という名にすり替えただけの「物理的な暴力」に支えられた治世が未だ続行しているだけである。そこで知性と称するもの全般、物理的暴力に回帰する。我々はそうして半ば邪推する事だけを学び、経験し、そしてそこを乗り越える事でしか身に付かない「本当の知恵」と呼べるものを未だ手にしようとせず、さらに愚劣さを通り越して、猿山以下の血も涙も無い下劣で最低な岩場にただしがみついているだけである。
知性などと呼べるものはまだ我々の社会性には取り込まれていない。
我々は人の社会を形成する為の知恵など何も持ち合わせていない。
自分を小さく見ると云うなら、そのように反省を踏まえて努力すべき力とひとつとなれ。
知恵かぶれた頭の脳の働きにしがみつくのではなく、純粋な心に見る反応の働きのみに意識の流れ源流を辿って、そこに見る光ある温かさと照らして、そこではっきりと理解する正しさのみを心がける事だ。
「力の統治力」に支えられた治世など知性あるものとは呼べない。それはただナチスが啓蒙する左回転の鍵十字に刻印された「力への信奉」である。物理的影響力など光に対してできる陰でしかない。心眼を開く時がいまだ。心に置くべきでない感情は早々に三途の川にでも流してしまった方が良い。
覚悟を持った理想の人の子らしく心の眼を曇らせることなく常にあるべきだ。
自分を信じろ。上を行きたければ一番下を行け。我々の底力に期待するだけだ。
大団円とはそのようにして迎え入れるものである。
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