1. 2018年9月12日 07:25:47 : Z7ngW91DBM : 5yKl5V_G4EY[1]
ボランティアとは、自分の意思で、そして自分から進んで、社会的な活動に無償で参加することではないのか? 前向きな「自分の意思」があってこそ、ボランティア。
周囲から「お前、オリンピックの手伝いに行ってこい!」と命じられた時点で、本来のボランティアとは異なる、メディアが茶化した場合の表現などで使うチョンチョンカッコ(“”)付きのインチキ“ボランティア”になる。
「徴兵」とは言い得て妙。
実際、頭数だけそろえてみても、やらされ“ボランティア”が増えるだけで、選手や諸外国の選手団、競技役員、そして観光客等に質問されても「僕、分かんな〜い」「わたし、分かんな〜い」ばかりで、不興を買うのは必至。
組織委側は「俺たちは一定の(ボランティアの)数をそろえた」と言い訳はできるわけで、ボランティアの質が悪ければ、「ボラティアの連中が馬鹿なだけよ」と抗弁すればいい。
社命とはいえ、やらされ“ボランティア”は馬鹿にされるだけ。