4. 2017年11月24日 13:09:15 : vRwUD6bHQk : 5Tjy0j2Cs18[1]
論点 「保守」とは何か
毎日新聞2017年11月24日 東京朝刊
言葉の意味は時の移ろいと共に変容する。だが、近年の日本で「保守」ほど指し示す対象が変わった言葉はそうあるまい。かつて革新陣営から「反動」と批判されたが、今や護憲派の野党政治家までもが保守を自任する。衆院選でも「保守」と「リベラル」のレッテルの貼り合いが繰り広げられた。現代の保守とは何か。
■堅気な「大衆の美学」が原像 竹内洋・関西大東京センター長
政治学者の丸山真男が、こんな面白いことを言ったことがある。
「日本に保守主義が知的および政治的伝統としてほとんど根付かなかったことが、一方進歩『イズム』(主義)の風靡(ふうび)に比して進歩勢力の弱さ、他方保守主義なき『保守』勢力の根強さという逆説を生む一因をなしている」と。
進歩主義とは、政治的には革新のこと。自民党優位の55年体制の時代、これは言い得て妙という感じがあった。保守とは革新に対する「アンチ」であって、積極的な「イズム」ではない。日本では、保守思想は育ちにくかった。
森鴎外が述べるように、日本は「普請中」で、改革ばかりしてきた。夏目漱石の言葉を借りれば、「西洋人が100年かかるところを40〜50年で達しようというのだから大変だ」ということになる。
戦後しばらく、社会主義を掲げる革新の側は、言葉本来の意味で革新的だった。保守政党が戦前に戻す復古主義のイメージなのに対して、社会党や共産党には社会を変える明確なイメージがあった。
実際、マルクスの思想はリアルだった。例えば、私が育った新潟・佐渡島では、中学生の頃まで、裕福な網元と船を持たない漁師の間には極端な貧富の差があった。
1970年ごろまでに大学に入った世代にとって、革新は文化的モダニズムの側面を持っていた。古くさい親分・子分関係が残り、自己主張もできないような社会はいけない。そんな考えも手伝って若者は圧倒的に革新を支持した。
学生時代には私もデモに出かけたが、同世代の機動隊員に対するヘイトスピーチまがいの言動には嫌気がさした。大学進学率がまだ低い頃である。大学生と機動隊員の関係はまるで階級社会ではないか、と思うと足が遠のいた。
それでも、格差の少ない平等な社会がある程度実現したのは戦後民主主義の成果だと思う。革新の背景には、ユートピアのような大きな物語が確かにあった。
今年10月の衆院選で、自民党は教育無償化を公約に掲げた。平準化を求める声を保守の側も無視できなくなったのである。戦後革新の主張が草の根に定着した証しであり、そこを私は評価したい。
しかし、今日のリベラル勢力がかつての革新と違うのは、説得力のある大きな物語を示せていないことだ。消費税の使途を見直して社会保障に充てる方針のように、自民党が野党の政策を取り込むから、野党にはさらに痛手になる。
一方、保守の原像とは、堅気という言葉が表すような、まじめさや思いやりではないか。私の父は「そんなうまい話はない」「調子に乗るものではない」とよく口にした。それは思想というより、長谷川伸や藤沢周平の小説に描かれた大衆の美学のようなものだ。
堅実で高望みしない「さとり世代」の若者も、あるいは似た気質を受け継いでいるかもしれない。
政治家は有権者を塊として見るべきではない。簡単に操作されることなどないし、バランス感覚に優れた個々の顔を持っている。今の若者にとって大切なのは、どのような政策を実行するかである。保守・リベラルの対立軸は終わりつつある。【聞き手・岸俊光】
■真偽分かつ「戦後」への評価 大原康男・国学院大名誉教授
「保守」とは何を保守するのか。突き詰めれば「国体」、すなわち日本固有の「国柄」を守るのが保守である。その中核には天皇のご存在がある。祝詞に「神集へ、神議(はか)り」とあるように、神代から一人の神がすべてを決定するのではなく、八百万(やおよろず)の神々が協議されるのがならわしだった。その伝統は明治天皇が示された「五箇条の御誓文」の「万機公論に決すべし」に受け継がれた。アジアでいち早く議会制政体が導入され、近代化の礎となったゆえんである。
「保守」を名乗るのであれば、天皇を崇敬する心は皆同じである。しかし、問われるのはその中身だ。押し付けられた日本国憲法が規定する象徴天皇制なのか、あるいは日本の伝統、歴史に基づく天皇なのかでまったく違う。それは昨年の天皇陛下の譲位(退位)をめぐる議論でも改めて痛感した。
ほとんどの日本人が抱いている、ご高齢となられた陛下にゆっくり休んでいただきたいという思いは私も共感する。しかし、「終身在位」の制度は、皇位継承に伴う戦乱など不幸な歴史を踏まえ、明治時代に「歴史の知恵」として明文化された。それを簡単に捨て去っていいのだろうか。我が国の歴史上なかった女系天皇の議論もそうだ。現憲法下の基本的人権、男女平等の視点だけで、伝統を変えてしまうことを強く懸念する。
昨年の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の専門家ヒアリングでもそうした意見を陳述した。これに対して「陛下のお言葉に無条件に従うべきだ。これが『承詔必謹(しょうしょうひっきん)』だ」と保守論者からも批判された。だが、「間違っている」と思料すれば、礼を尽くして申し上げる「諫諍(かんそう)」も忠誠の道。
他方、悲しいことも耳にする。保守を自称する人たちや、リベラルと目される識者のなかには「天皇陛下は護憲の立場である」というニュアンスで語る者もいるからである。これこそ天皇の「政治利用」でなくて何であろう。
保守の目標は、6年8カ月間の占領政策でゆがめられた日本を本来の姿に戻すことだ。具体的には自主憲法の制定であり、東京裁判史観の是正である。「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍晋三首相も同じだろう。安倍氏は「日本を、取り戻す」を掲げる。私が参加する「日本会議」も美しい日本の再建を願うものだ。
共産党独裁の中国が秦王朝の事績を持ち出すように各国指導者は栄光の時代を国の理想に掲げる。日本においては明治維新である。来年は維新150年。「昭和の日」が制定されたように、本来は明治天皇誕生日の「明治節」であった「文化の日」を「明治の日」と改める国民運動を盛り上げたい。
さて、立憲民主党の枝野幸男代表もリベラル保守を名乗る時代なのか、その中には護憲派も含まれる。かつて「保守」が侮蔑を込めて「右翼」と呼ばれたが、いまや「革新」は消えて左翼は「サヨク」に成り下がった。そして迎えたのが一億総保守の時代だが、便乗保守やエセ保守もいる。古希を迎えた日本国憲法下の「戦後」をどう評価するのか。それを軸に真と偽がふるい分けられることだろう。【聞き手・隈元浩彦】
■立憲民主を応援したわけ 小林よしのり 漫画家・評論家
10月の衆院選で、わしは枝野幸男代表の設立した立憲民主党を応援した。(小池百合子東京都知事が代表を務めた)希望の党が一部の民進党出身者を「排除」しようとした際、辻元清美さん(現立憲民主党国対委員長)から電話で今後の対応について相談を受けた。その際、「枝野氏を代表にして新党を作れ。絶対に成功するから」と助言したからだ。その後、枝野氏からの要請もあり、立憲民主党の街頭演説で応援弁士を務めた。集まった有権者はさぞ驚いたことだろう。
保守を自任するわしが、なぜ立憲民主党を応援したか。それは、枝野氏の考え方が「保守」だと思うからだ。北朝鮮のミサイル開発や尖閣諸島の危機におびえ、政府・与党は集団的自衛権の行使を限定的に容認する安全保障関連法を整備した。これに対し、枝野氏は国会で個別的自衛権を強化すべきだと主張してきた。他国からの武力攻撃に対して、米国に頼るのではなく、自国を防衛するために必要な武力を行使する。我が国を個別的自衛権でしっかり守るという枝野氏の方が、自民党よりずっと保守である。
トランプ米大統領がアジア各国を歴訪した。日本も韓国も中国も、米大統領に接待を繰り返した。気持ち悪いし、わしは恥ずかしいよ。みっともないから、訪日中のニュースはなるべく見ないようにしていた。北朝鮮に対し、外交で解決するのか、それとも軍事的圧力を強めるのかは、どうせ米国が決める。日本は米国の属国なんだから。わしから見れば、安倍政権は保守ではなく、対米追従勢力にすぎないんじゃないか。
保守とは、伝統と慣習を守るもの。評論家の西部邁氏がうまいこと説明していて、時代という綱を渡っていく時に、伝統というバランス棒がいると。左右どちらかに傾くと谷底に落ちるから、バランスを取るために棒を操り、綱を渡っていく。つまり、伝統とはバランス感覚なんだ。慣習は明文化された法ではなく、我々日本人が歴史の中で身につけているルールだ。
保守とは現状維持ではなく、因習に固執する原理主義でもない。変えるべきルールは時代に合わせて、少しずつ漸進的に変える。その時には個人の自由を重視するリベラルな感覚も必要だけれども、リベラル一辺倒では混乱を招きかねない。その意味では、保守の中にリベラルな部分が内包されているし、わしの中では保守とリベラルは同居している。
日本で「リベラル」というと、憲法9条を守るという護憲勢力だと勘違いされている。しかし、大事なことは憲法の文言を守ることではなく、憲法で権力の暴走に歯止めをかける立憲主義をどう実現するかだろう。憲法に基づき、野党が求めた国会の早期召集に政府は応じなかったし、共謀罪は思想・良心の自由を保障した憲法19条や、表現の自由を保障した憲法21条に違反している。憲法は今、死文化している。党名に「立憲」をうたった政党だからこそ、権力を縛る憲法づくりを主導すべきだし、独自の改憲案を出さないなら、共産党や社民党と同じだ。保守政党としての立憲民主党に期待している。【聞き手・中村篤志】
進歩への深い懐疑
政治イデオロギーとしての保守主義の源流は18世紀の英思想家エドマンド・バークにさかのぼる。進歩への深い懐疑に根ざし、人間理性への絶対視を批判した。日本では、保守論壇を主導した福田恆存が「主義」ではなく「態度」としての保守を論じ、その後の思潮に影響を与えた。今年に入ってから蓮舫・元民進党代表が「バリバリの保守」を自称し、枝野幸男・立憲民主党代表も「リベラル保守」を名乗るなど、保守概念の変容が指摘される。
https://mainichi.jp/articles/20171124/ddm/004/070/025000c
http://www.asyura2.com/17/senkyo236/msg/276.html#c4