1. 2018年8月26日 13:22:23 : S0goRS6OJ2 : 5rVf0g0zXCU[1]
いやはや98歳まで生きたとは!!絶句して呆れるばかり。
でもね、このままじゃ済まないよ。
特に、覚醒した若者世代の勢いはもう止められない。
(下方のブログから引用した正論)
>戦後のマスコミや教育界・出版界・学会を長らく支配してきた左翼系の人々が、
>天敵であった特高を悪しざまに言うのは当然のことだと思うのだ。
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民族の監視者 | 国家社会主義日本労働者党
11月11日
日共リンチ殺人事件と日本共産党の真実
http://nsjap.blog.jp/archives/51536058.html(長文にてごく一部を引用しますが、ぜひ全文をお読みください)
日本共産党の宮本顕治らが昭和8年12月23日から翌24日にかけて、小畑達夫・大泉兼蔵両氏に対して行った執拗且つ凄惨を極めたリンチ拷問殺人事件について、当時の新聞及び訊問調書等を用いながらその真相を炙り出す。併せて日共が喧伝する左記リンチ殺人事件に係る宮本らの釈放及び復権についても旧刑事訴訟法等の法令その他に依りその嘘を暴く。長文であるがぜひ一読願いたい。
(略)
●事件の名称
事件の名称についてであるが、日本共産党リンチ拷問殺人事件が最も正鵠を射ているであろう。●NHK・朝日新聞・毎日新聞は、日共の主張に迎合して「スパイ査問事件」と呼称しているが、これらジャーナリズムの名を語るクズどもは、スパイであれば査問という名のリンチをしてもよいと捉えられる様に意図的に事件名を改竄しているのである。中でも悪質なのはNHK(日本放送協会)である。曲がりなりにも公共放送を自称しておきながら日共の警告及び申し入れに唯々諾々と従うその媚びへつらった姿勢は、国民の知る権利に対する重大な背徳行為であることは明白である。彼奴等ほど虚言メディア(luegenpresse)という呼称が相応しいクズは居まい。
(略)
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大摩邇(おおまに)
2013年11月10日21:02
カテゴリしばやんの日々歴史&古代史
特高警察の「拷問」とはどの程度のものであったのか
しばやんの日々さんのサイトより
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/297/(●削除)
<転載開始>
前回まで3回にわたって、宮下弘氏の『特高の回想』の文章を引用しながら、ゾルゲ事件について書いてきた。
●この本を読むまでは「特高(特別高等警察)」という存在は悪いイメージしかもっていなかったのだが、その理由はおそらく、マスコミなどで「日本軍」がロクな書かれ方がされないのと同様に、「特高」も長いあいだ意図的に貶められていた点にあるのではないか。
●よくよく考えると、戦後のマスコミや教育界・出版界・学会を長らく支配してきた左翼系の人々が、天敵であった特高を悪しざまに言うのは当然のことだと思うのだ。
(略)
●このリンチを行なった中心人物は、後に日本共産党委員長となった宮本顕治である。 宮本はこのリンチ事件の2日後で捕えられたが、なぜ宮本の場合は小林多喜二のようにならなくて済んだのか。
●そもそも地下活動に入っていた小林多喜二が、仲間と待ち合わせしていた場所になぜ特高警察が待ち伏せしていたのか。いったい誰が多喜二の待ち合わせ場所を特高に洩らしたのか。特高が多喜二を拷問にかけて死に追いやったのがプロレタリア作家・江口換の記述の通りなら、仲間や家族が国を相手に訴えなかったのはなぜなのか。
●私には、この事件にはもっとドロドロとした背景があるような気がしてならない。
●ネットでは宮本顕治が怪しいと考えている人もいるようだが、なかなか興味のある視点である。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/senzennikkyoshico/hosoku_mifuneco.htm
●今まで小林多喜二が特高による拷問で死んだ話は何度も聞かされてきたのだが、その前に日本共産党員が昭和5年「川崎武装メーデー事件」で拳銃を発砲し警官やメーデー実行委員を負傷させた事件があった。昭和7年にはスパイ容疑で仲間を射殺する事件があり、10月には拳銃と実弾購入資金を得るために銀行を強盗した「赤色ギャング事件」が起こっている。
●そして昭和8年2月に小林多喜二事件があり、12月に「日本共産党スパイ査問事件」があった。
●このような事件が当時の日本共産党で相次いだことを知ったのは比較的最近のことなのだが、このような一連の事件を伝えずに小林多喜二の特高の拷問で死んだことばかりが強調されるのが公平な歴史叙述の姿勢であるとは思えないのだ。
●我々は、教科書や新聞などを読み、テレビや映画などを見ているうちに、いつの間にか「共産主義者やコミンテルンにとって都合の良い歴史」に洗脳されてしまっているのではないだろうか。
(略)
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かつて日本は美しかった
戦前は恐ろしい社会だったと教えられた戦後日本人
2010/10/25(月) 午後 4:47
https://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/26975137.html?__ysp=54m56auY6K2m5a%2Bf44Gu5oim5pmC5Lit44Gu6KiA6KuW5by%2B5Zyn44Gv44KE44KA44KS5b6X44Gq44GE
●小林よしのり著「天皇論」の中で小林氏が美容室で髪を切ってもらっているとき、美容師と世間話になり、その美容師がこんなことを述べていたと書いています。
●「北朝鮮、危ないですよね〜」「戦前の日本も同じだったんですからねえ」「天皇を神様にして戦争しちゃって」
●私自身も戦中、戦前というのは軍部独裁で庶民はないがしろになり、自由がなく、情報も思想も統制され、恐ろしい社会だったと教えられてきました。そして敗戦によってGHQが解放した、と。こういう認識を持った人がまだまだ多いのでしょう。
(略 以下に「かつてよしりんはまともだった」証拠の文章があります)
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さて、昨夜のTBS番組↓に違和感を覚えたのは私だけだろうか?
画面に出た滋野時報(?)の「ルーズベルトに学ぶべし」という投稿文タイトルを見てびっくりした。
内容の方は読めなかったが、「はぁ?奴こそ米国民を騙し、日本を陥れて第二次大戦に引きずり込んだ張本人じゃないか!グルのチャーチル、スターリンに並ぶ極悪人なのに何を言うか」と腹が立った。
特高警察を一方的に悪と決めつけてるし、危ないのは実はそっちじゃないか?と思った次第。
JCC株式会社
[特高警察による言論弾圧]
08/25 17:55 TBSテレビ 【報道特集】
https://jcc.jp/sp/jiken/15626/
(関連)
SBCスペシャル
消えた 村のしんぶん 〜滋野村青年団と特高警察〜
放送日 2018年5月2日(水)19:00〜20:00
http://sbc21.co.jp/blogwp/special/broadcast/3125
(滋野時報写真)
上田小県地域では、養蚕業の隆盛や大正デモクラシーなどの時代的潮流に後押しされて、大正時代の末から昭和の初期にかけて「時報」と呼ばれる村の新聞が相次いで創刊した。
郡内にあった33の町村では青年団が編集を担い、政治や経済、身近な話題について自由に意見を交わすなど、村の自治に大きな役割を果たした。しかし世界恐慌の波及や、アジア・太平洋戦争へと至る過程で、紙面の内容も大きく変遷し、最終的には言論統制のために一斉に廃刊を余儀なくされる。
(写真)
村の新聞はなぜ消えていったのか。メディア史が専門の大妻女子大学の里見脩(しゅう)教授は、東京大学に残されていた長野県の特高警察の資料の中に、統廃合を進めた歴史や手法が書かれていることを発見した。
番組では、戦後に旧滋野村(現在は東御市と小諸市の一部)の青年団長を務め、「滋野時報」の発行に携わった高橋隆巳さん(89)など当時を知る関係者を取材。時代を反映した「時報」の記事と貴重な特高警察の記録を突き合わせながら、民主主義社会における言論の自由の意義やメディアの役割を問い直す。
(「滋野時報」を持つ高橋隆巳さん(89)と資料の写真)
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信州FM
東信ジャーナル[Blog版]
■◆「『時報』にみる子どもたちと戦争」を発表! 上田小県近現代史研究会の事務局長の桂木惠さん(62)が研究!長野県 上田市(12-14 20:20)
http://m.shinshu.fm/MHz/22.56/489318&p=d&c=
(写真)【発刊したブックレットと桂木さん】
上田小県近現代史研究会(小平千文会長)が年1回発行するブックレットで、今年は研究会事務局長の桂木惠さん(62)の研究で「『時報』にみる子どもたちと戦争」を発表した。
今回のブックレットはNo・23、11月19日発行。
桂木さんは「今年は戦後70年。地域の子どもが戦時体制に巻き込まれ、意識しないうちに今のヘイトスピーチのような言葉を書いて自然と加害者になり、二重の被害者になったのか、地域の時報から読み取れた。この本が、二度と戦争の犠牲者にも加害者にもならないし、させないために役立ってほしい」としている。
(以下略)
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/716.html#c1