2. HIMAZIN[552] SElNQVpJTg 2017年10月17日 20:13:55 : s7QCR1Z1RI : 5KoWCiqOztM[1]
>>1
今更アメリカの肩持っても無駄。
↓
仕組まれた9・11 【6】イラン革命と湾岸戦争 田中宇
https://tanakanews.com/s911_06.htm
(一部引用)
湾岸戦争のもととなったのは、1990年のイラクのクウェート侵攻だが、これも一般に報じられている筋書きとは別の現実があった。イラク軍が突然クウェートに侵攻し、イラクの侵略行為を許さないアメリカがクウェートの依頼を受けて反撃した、というのが湾岸戦争の公式な筋書きである。
ところが実際には、クウェートがイラクを挑発し、アメリカは中立的な立場を表明したため、かねてからクウェートの独立を認めていなかったイラクのサダム・フセイン大統領がクウェート侵攻を実行したのであり、フセインはアメリカとクウェートの策略にはめられた部分が大きい。
イラン・イラク戦争の期間中、クウェートはイラクに軍資金を貸していた。戦争が終わった後、クウェートは貸した金をすぐに返せとフセインに要求した。フセインは「自分はイスラム革命がクウェートなどアラブ諸国に広がらないよう、アラブを代表してイランと戦ったのであり、クウェートもそれを望んでいたはずだ」として、戦費は借りたものではなくもらったものだと反論、支払いを断った。
これに対して、クウェートはイラクとの国境地帯にあるルメイラ油田で、油井をイラク側にのばして採油を始めた。金を出さないなら石油で返してもらう、ということだった。イラクは盗掘されたとして非難し、軍をクウェート国境に結集させた。
http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/gulfw-17.html
イラクの外相はクウェート駐在のアメリカ大使と会い、イラクがクウェートに侵攻するかもしれないと伝えたところ、大使は「アメリカはアラブ諸国間の内紛には関知しない」と答えた。イラクが侵攻してもアメリカは傍観する、という意味だと受け取った。その後、交渉の中でクウェート政府代表が、フセインが私生児であることを揶揄する発言を行ったため、激怒したフセインは翌日クウェートに侵攻した。
クウェートの王室と政府の上層部は、侵攻直前に海外に避難しており、侵攻時にクウェートに残っていたのは、大半が他のアラブ諸国などからの外国人労働者たちだった。
イラク軍は侵攻前にクウェート国境に大軍を結集させたため、アメリカは事前にこれを察知できた。ロシア・・・イスラエルがイラク軍の動きをアメリカに伝えたが、米軍は何の動きも見せなかった。
イラク軍がクウェートに侵攻し、政府の情報省??のビルを占領して内部を捜索すると、1989年11月中旬にクウェートの情報省がアメリカCIAと会議をした議事録が出てきた。そこには「クウェートは、フセイン政権を転覆させるCIAの作戦に協力し、イラクに圧力をかける」という計画が書かれていた。
会議が開かれたのは、イラクがクウェートに侵攻する9カ月前で、ベルリンの壁が崩壊したまさにその月だった。考えようによっては、アメリカは冷戦が終わるとともに新たな敵としてフセインを選び、湾岸戦争を誘発したともいえる。
(引用終わり)
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/819.html#c2