8. 2017年8月31日 00:13:16 : QFkJQFxHJk : 4wGljZLCauA[1]
>>6さん、重要な事だと思うので、そのブログ内容を全文紹介します。
心遊魂歌
〜さて、何処へ行こうか〜
2016/11/17
「さっちゃんの祈り 〜7年目にしてわかること」 さっちゃんのこと
http://blue.ap.teacup.com/yajibin/827.html#comment87207
●まさに、さちこが行方不明となったその日付に、とんでもないニュースが舞い込んできた。
2010年2月に奈良県警が業務上過失致死容疑で逮捕し、桜井署で勾留中の男性医師=当時(54)=が死亡したのは取り調べ時の暴行が原因として、遺体の鑑定書を調べた岩手医大の出羽厚二教授(法医学)が、特別公務員暴行陵虐致死容疑で取り調べを担当した警官を告発することが14日、分かった。•••共同通信より
●これは自白の強要なんかじゃない。口止めだと直感した。
●山本病院事件は、患者の6割が大阪から運ばれていたらしいが、不思議なことに、その背後関係、関連はほとんど明らかにされていない。
●口止めということは、要するに喋られてはまずい事実があるということ。この件の警察のなんらかの関与の裏付けなのではなかろうか。
●そう考えると、いままでバラバラだったパズルのピースが一気につながる。
●さちこは口止めされたんだ。
奈良の山本病院事件は2009年6月から捜査が始まった。患者の6割が出所である大阪にも捜査は進んだに違いない。祥子は黒川診療所から入院施設のある病院に転院した患者さんと定期的に面会していた。そして2009年10月、殺害される一ヶ月前に、大阪市内のk病院で患者と面会を終えた折に、そこの事務長から名刺を渡された。これは"もう来るな"というメッセージであったと関係者が証言している。もちろん、われらがさっちゃん、そんな脅しに乗るはずもなく彼女は彼女のやるべきことを続けた。
●同じ頃、釜ヶ崎の特集で祥子を取材していたA新聞社の記者は精神疾患を理由に完全に口を閉ざしてしまった。
●祥子の死の直前の一週間を知るSさんは2012年に自宅にて不審な焼死をした。
●祥子の件は観察すれば観察するほど大事になってゆく。人々は、とくに祥子の生前を知る人たちは、何故そこまで口を閉ざすのか、その理由がいままでさっぱりわからなかった。
●事件発生当時、事あるごとに現場責任者として来ていたH巡査は行方がわからなくなった。どこかに転勤になったのか、そもそも生きているのか、僕らが知るところの消息はわからない。
●祥子のまわりには、ここにはあえて書かないが警察の関与を疑わせることがいくつもある。
今回の警察内で起こった殺人容疑は、きちんと捜査(内部調査)をすればとてつもない広がりを見せる可能性がある。捜査が進むうえでのさらなる犠牲者が生まれないことを切に願う。
先日の集いのなかで、2009年11月14日に、さちこの件を自殺でまとめるミーティングが行われたという話が出た。出席者と欠席理由のはいった欠席者リストが存在するらしい。
2009年11月14日とは、祥子が失踪した日とされ、家族にはその旨が伝えられず最も謎の多い空白の1日である。
口止めをされている人たち、共犯者にされてしまった人たち、すなわち、祥子の事件真相に関わってしまった人たちへ。
隠れたらやられます。逃げる場所は僕らのところにしかない。
どうかこれ以上、新たな犠牲者が出ないことを祈ります。
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spotlight
大阪府警が2000以上の事件を放置した事実を「あえて」公表した信じられない理由
Life・Society
2016.07.08
http://spotlight-media.jp/article/299480010836626059
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西成警察の悪行
http://kuwashima.jp/riot/crime-n.html
西成の暴力団
サイコロ賭博
三角公園で労働者相手に暴力団が開くサイコロ賭博は、釜ヶ崎名物(?)の一つ。
1987年の夏祭りの日、私はしかと見た。
三角形の公園の二辺に例年通り私服刑事が多数張り付いて、祭りを楽しんでいる労働者を
監視していた。 もう一辺では暴力団がいつも通りに賭場を開いていた。
刑事たちと賭場の距離は10メートルほど。暴力団員が威勢良く声をかけていた。
「張った張った!」「もうないかないか!」「勝負!」
急にシーンとなった。皆が振り返った。トランシーバーのイヤホーンを耳にした三人の
私服刑事がしらんふりして通り過ぎた。その後ろ姿に向かって暴力団の一人が声をかけた。
「ごくろうさんです」。
覚醒剤
釜ヶ崎で覚醒剤がどこの路上で売買されているかは、釜ヶ崎では知らない人はいないという。
そのうちの一カ所は西成署の前だというではないか。西成署員は知らんぷりだそうだ。
(1987年8月に聞いた話)
テント
三角公園の西側に沿った道を少し北へ行くと道の両側に常設の屋台小屋が並んでいる。
安く飲み食いできる屋台は労働者にとって貴重である。車の往来があまりないことも
あって西成警察は大目に見ているのだろう。 、、、と思ったらとんでもない。
屋台小屋は暴力団が取り仕切っているので、西成警察は手を出さないのだと。
手配師
釜ヶ崎の公共職業安定所は職業斡旋はしない。
暴力団の手配師 (1)が代行しているである。
日雇い労働者は手配師に連れられマイクロバスで人夫出し業者 (2)
の事務所へ行って、そこから工事現場に派遣される。
2〜3万人の労働者からピンハネしている暴力団はぼろい儲けである。
この狭い釜ヶ崎に暴力団事務所が20数カ所もあるという。
1990年の騒動の原因となった暴力団から西成署の刑事への賄額
は明らかになっただけでも一千万円。一人の刑事 (3)へである。
日雇い労働者から搾取した巨額な金の一部が西成署の刑事の懐に入ったのである。
(1) 人集めのため、作業現場、賃金、労働条件をよくごまかすという。
(2) 別名ピンハネ業者。
(3) 暴力団との癒着は「自分だけではない」と白状したのに他に逮捕者がいない。
参考文献:「釜ヶ崎歴史と現在」労働と生活(著者:小柳伸顕氏)