13. アートマン[3] g0GBW4Nng32Dkw 2017年10月09日 01:00:30 : 3033gc0tsY : 4S2XMUL2QJc[1]
仙人修行中の身でありますが、国家の一大事のようでありますから、ここで一言述べさせて頂きます・・・
政党を持つカルト宗教教団の国際的危険度、この原点に気付けば、民族の違い、国家の違い、言語の違いなど何の障害がありましょうか。
日本の最大の問題は・・・
信教の自由は憲法で保障されているが、その保障はその宗教教団をまるで一つの独立した国家として治外法権的な扱いをしてタブー的となり、それでいて一切の税金はタダとなり、さらに対外的な経済活動によって得られる利益も課税優遇すると言った、準国家としての機能よりもさらに過保護にした処遇なのである。
これでは第三国が日本の中に宗教という仮面をかぶせて経済活動や政治活動を行なうには便利であり、さらに分子国家として作りあげてしまえば、日本はいずれ末期ガンの様に国内で日本にありながら日本でないものに侵蝕されると言った状態も起きうる可能性がある。
又、憲法で宗教教団が政党活動をしてはいけないと規定していながら、現実には政党活動をしているといった条文の違反が堂々と行われている。
こうした現状を放置しているならば、やがて治外法権的な特権を悪用したこのような宗教教団によって国家が侵蝕され破壊されると言った現実が起きうる危険性があるのだ。
この場合の宗教教団は一つの独立した国家ではなく、日本を独裁する為の国家宗教教団なのである。それ故、憲法はこの危険性を想定して宗教教団の政治団体としての関与を禁止しているにもかかわらず、これが順守されていないところに日本の大きな問題があり、そこに目をつけたのが新・新宗教と呼ばれる宗教教団の一群なのである。
魔はどこまでも魔であって仏とはならない。仏はどこまでも仏っであって魔とはならない。知恵第一の舎利弗(釈迦の十大弟子の一人)もここを誤って無量無辺の苦海にかつて沈んでしまったのである。
魔の与える物はどこまでも魔の働きをなし仏の与える物はどこまでも仏の働きをなす。由に仏から得るものはどんな物でも、無価の価値がある。
その反面、魔物から得たものはどんな物であっても魔の産物として魔の働きを為すのである。
法華経には、魔は仏とならず、仏は魔とならずと説かれ、それがわからない為に舎利弗のような智慧第一の声聞も地獄に落ちて長く苦しんだと説かれるのです。
この言葉は妙法として大事に心に留めて下さい。心のない人は記憶に留めて下さい。この言葉一つ覚えるだけでも一切経を得るに匹敵するものなのです。(-人-)ナム
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