1. 2018年8月01日 12:20:23 : 1Ut0BAvAIA : 45wRCXOFwOg[1]
無無明録
2011年09月20日
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145 閔妃殺害事件の真相 (10)
カテゴリ:あの時代の風景
https://plaza.rakuten.co.jp/mumumyouroku/diary/201109200000/(全文引用)
日清戦争が終結し、下関条約を締結した1895年(明治28年)。武装した多数の日本人が李朝王宮の奥深くまで乱入し、朝鮮国の王妃だった閔妃(みんぴ、又はびんび)を惨殺した。閔妃の親露路線に強い危惧感を抱いた日本の朝鮮公使が画策し、朝鮮駐留の日本軍、日本人警官、そして在留民間邦人までもが加担して起こした国際関係上類を見ない悪辣な暴挙と、まあ、韓国では、そんなことになっているようだ。
しかし、当時の朝鮮を巡る情勢から、日本人の関与が全くなかったとも思えないが、本当に韓国の主張するとおりとも思えない。これは「明成皇后殺害事件」とも云うらしいね。余り書きたくはなかったけど、避けては通られないところだった。この出来事を知ったのはニ十数年前だったけど、日本人が行ったとする残虐極まりなく、殺すことを楽しむような殺害方法に、ワシは、違和感を覚えたんだ。これは、日本人の仕業じゃないぞとね。
(削除された閔妃の写真)
これがこう↓なるのは、かなりの想像力がいる・・。MAXだな。いや、別人でしょ、これ?・・・・頭、かゆそう。いや、付け髪と云うものか?
(豪華な装いの閔妃の絵)
これが↓こうなるのは・・・完全に無理、ワシの想像力を超えてしまった・・。
(韓流ドラマ閔妃役女優の写真)
韓流ドラマ「明成皇后」・・・ところで、「明成皇后」と云う名前は、閔妃の死後の「おくりな」なんだそうで、戒名みたいなもんだね。なぜそんなものを持ち出してきたのか・・・格をつけるためかな。朝鮮は、清の属国だから、皇帝を名乗れるのは、清王だけで、朝鮮の王は、皇帝を名乗ることは許されない。だから、閔妃も皇后じゃなかった。
さて、閔妃とは、どんな女性だったのだろう。気の毒で悲惨な事件だが、そうなるにはそれなりの理由があったようだ。1866年、15歳の時に王宮に入るが、閔妃の夫である高宗は、政治と妻に全く関心を示さず、漁色と酒の放蕩三昧。だんだんと閔妃が国事に口を挟むようになっていった。
そして、閔妃は、1873年には、高宗の父で摂政を務めていた大院君とその腹心たちを、画策して、これを追放した後に、自分の一族を据えて、国の実権を握ってしまった。閔妃は当初、積極的な開化政策を実施し、日本のような近代的な新式軍隊を創設した結果、朝鮮の旧式軍隊は、給料も食事も出ず放置されるようになってしまった。これに怒った旧式軍隊は、1882年、閔妃殺害を目論み、皇室に乱入する「壬午軍乱」と云う事件を引き起こした。また、1884年には開化派の金玉均らが、閔妃を追放するため、庚申事変を起こしているし、ワシには、国家騒乱の元凶のような女に思えるな。
「壬午軍乱」では、閔妃派の要人ばかりでなく、王宮内にいた日本人の軍事顧問やその家族も、かの国のお家芸の、実に残虐極まりない方法で殺されている。旧式軍隊が王宮に乱入してきたことを知った閔妃は、侍女を自らの身替りにして王宮に残し、自分はいち早く王宮を脱出。残された閔妃の身代わりの侍女は、死ぬまで犯された挙句、五体をバラバラに切断されて殺害されたそうだ。しかし、身代わりなんてすぐにバレるだろうけど、朝鮮の旧式軍隊の兵士たちは、楽しみながら殺すだろうから、閔妃は、それだけ逃げる時間が稼げると云う訳だな。
(報ステ・古館氏の写真「韓国反日感情の“原点”王妃殺害114年後の氷解」)
ワシが思うにこの人は、日本のマスゴミの第一人者に近いな。とんでもない放送をしたらしい。
王宮を抜け出した閔妃は、当時朝鮮に駐屯していた清のストロングマンこと、袁世凱の元へ逃げ込んだそうだ。このほかに閔妃は、自分が贅沢をするために、日本が資金を出して築いた鉄道の利権をロシアに勝手に売りさばき、それを知った日本が、さらに高値を払ってロシアから権益を買い戻すなんて云う事件もあった。閔妃は、勝手に朝鮮国内で閔妃通貨を発行し、国内の流通・金融を大混乱に陥れるなどなど、やりたい放題だったようだ。この付けは当然朝鮮民衆に回ってきただろう。
この閔妃は、呪術儀式に熱中したあまり、国庫の6倍以上と云う国費を浪費したそうだ。宮廷の役人は、民衆から搾取して、競って閔妃に賄賂を贈ったそうだが、民衆が貧しさに喘ぐような生活を送っている中、閔妃自身は毎晩遅くまで、俳優や歌手を宮中に招いて遊興し、起床はいつも午後で、そのために、宮中の空気は「混濁腐敗」していたと書いているものもある。
一方、閔妃に追放された大院君は、閔妃を「国家存続を脅かすもの」として憂慮し、苦労して政局に復帰する否や、閔妃追放運動を開始し、大院君側が権力を取り戻した。閔妃は、その都度、清をけしかけ、あるいはロシアにすがって、自分の権力の保持を図っていたが、そんな中で起こったのが、この「閔妃殺害事件」だ。
この事件については、朝鮮国王である高宗自身が、「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と証言している(1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))。また、現場にいた王子の純宗は、「国母を殺したのは、禹範善だ」と名指し(往電31号)し、後に刺客を放って、禹範善を暗殺している。さらには、この禹範善本人が、「王妃を直接殺したのは、私です」と証言しているんだけどね。(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)
韓国人の小説家、金辰明(キム・ジンミョン)と云う人が、インタビューで独島領有権を主張する日本に「独島(ドクト、日本名:竹島)問題を解こうとするなら日本社会に恥ずかしい過去の歴史に対する反省と自覚を起こさなければなりません。そのためにとても重要な事件があるのに、まだまともに調査されたことがない明成皇后(閔妃)殺害の真実から明らかにしなければなりません」と語ったそうだ。竹島と閔妃の関係がよく分からないけど、事件の真相を明らかにするのは、ワシも賛成だ。ただし、韓国側が望む結果が出てくるかどうかは分からないよ。韓流ドラマの世界が自国の歴史だと思っているのなら、ぶったおれるかもしれないぞ。
(当時の庶民の暮らしぶりを伝える写真2枚)
李朝末期のソウルだ・・・。閔妃と大院君の国民の生活を省みない権力抗争で、庶民はこんな生活を送ってたんだぞ。写真で気が付くかもしてないが、当時の朝鮮の庶民は、白い衣服しか着れなかったそうだよ。余り白くはないけどね。ところで、上の写真の左下の中年女性としたの写真の左の女性は似ているような気がするけど、違うかな・・・。
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ねずさんのひとりごと
先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。
閔妃殺害事件に関する報ステのウソ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-604.html(一部引用)
明成王妃閔妃(写真)
2日続けて、冒頭に不愉快な写真で、すみません><;;
複数の方から、テレビ朝日で放映された明成皇后暗殺事件・・・放送では、あたかも日本人が朝鮮国王の立派な皇后陛下を殺害した事件であるかのごとく放送されていたとか・・・について、実際の史実について検証してもらいたいとのメールやコメントをいただきました。
最近のメディアの反日・侮日放送は、眼にあまるものがあり、今回の放送も、根本的に史実を捻じ曲げた偏向報道であった模様です。
ちなみに、明成皇后などという“皇后”なんて名を課したのは、後年のことです。
当時は、閔妃(みんぴ)と呼ばれていた。
ちなみに下の写真は、韓流ドラマ「明成皇后」のワンカット。
TOPにある険のある実物写真の人物が、ドラマでは、美しく華麗な王妃になっています。
印象操作とは恐ろしい。
(略)
本件放送では、「閔妃殺害事件は、日本人にとってきわめて恥ずべき事件であり、日本の教科書では教えていないが、韓国では学校で教えており、韓国民の反日の原点となっている」と報じています。
ありもしないことをでっちあげた韓国売春婦や、実際には日本軍という虎の威を借りた同じ朝鮮人同士の残虐行為について、これをすべて“日本がやったこと”と報じる、韓国の反日主義者たちですら、これまで明星皇后暗殺事件について、なんの騒ぎも起こしていない。
なぜなら、本件事件は、当時の朝鮮国王によって、徹底的に犯人は訴追され、犯行に加わった全員、ならびに、その家族に至るまで処刑されている。
さらにいえば、逃亡した主犯格の男に対しては、朝鮮国王は、なんと刺客まではなってこれを殺害した。
日本も、国際的な非難を畏れ、本件事件に関与したといわれる人物を逮捕・拘留し、徹底的に調べているけれど、公正な調査の結果は“シロ”。つまり犯行への関与は完全に否定されています。
ついでにいえば、このとき、のちに与謝野晶子の夫となる与謝野鉄幹(いま大臣の与謝野氏の曾祖父)も、取り調べの対象となったけれど、彼などは、当日、ぜんぜん見当違いの場所で“釣り”を愉しんでいた。・・・つまり、事件になんの関係もなかったことが証明されています。
当然、この事件は、韓国から日本に対し、これまで一度たりとも教科書に載せようなどという運動はなかったのだけれど、韓国内では、反日教育の一環として、自国の王妃を日本人によって殺害された事件として、教育し、かつ、資料館などにいくと、なんと江戸時代の武士の姿をした日本人が、白人を振り上げて閔妃を殺害しようとしている“絵”などが描かれている。
印象操作のためのねつ造閔妃暗殺絵
これだとまるで犯人は日本人です。
(白たすきの侍が日本刀で王妃を襲撃する絵)
閔妃の殺害は、日清戦争終結、下関条約の年です。
この時代、和服にたすき掛けで日本刀をぶら下げて、などという動きにくい服装で宮廷に殴り込みなど、誰が考えても不自然です。
つまり、過去の歴史を知る人にとっては、本件事件に関して、日本の関与は完膚なまでに否定されていた事件です。
にも関わらず、どういう人物か知らないが、番組では、河野龍巳などという老人を登場させ、私の先祖がやりました。許してください、などと、土下座までさせている。
しかも報道は、閔妃殺害ではなく、明成皇后殺害事件と報じた。
なんだか明成皇后などと聞くと、立派な王妃のイメージがあるけれど、この“明成皇后”という名前は、閔妃の死後に贈られた“諡名(おくりな)”である。いってみれば、戒名みたいなもので、もちろんその名を使ってはいけないということにはならないけれど、普通常識で考えても、亡くなった過去の人について、わざわざ戒名呼ぶ人はいない。
要するに、さも立派な人物を「日本人によって残虐に殺害されたのだ」という印象操作の意図が見え見えです。
そもそも、閔妃事件というのは、朝鮮王朝内の権力闘争の結果もたらされたものであり、歴史をたどれば、日本こそ、いい迷惑の被害者であるに他ならない。
朝鮮内では、事件当時に“現場に居合わせた”朝鮮国王によって事件が明確に裁かれた事件なのに、これが韓国内の反日運動としてスポットライトを浴びるようになったのは、なんと2005年のことです。
どういうことかというと、2005年に、ロシア大学の教授によって、Aleksey Seredin-Sabatin (Алексей Середин-Cабатин) というロシア人による事件についての報告書が、なぜか“発見された”。
ソ連崩壊が、1991年。それから14年も経ってからのことです。
14年も経ってから、韓国の歴史を語る上での重要事件である閔妃殺害事件について“重要文書が発見された”ということ自体がかなり“イカガワシイ”のだけれど、まず、この文書からみてみます。
Seredin-Sabatin という人物は、当時、大韓帝国政府に仕えており、同様に契約によって大韓帝国政府に仕えていたアメリカ人将軍のWilliam McEntyre Dyeの指揮下で働いていたとされています。
記録の公開は、2005年5月11日です。
Seredin-Sabatinは以下のように記録している。
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王妃の居住する王宮の一角には、おおよそ20人から25人程度の「日本人」が詰め掛けていた。
彼らは奇妙なガウンを羽織っており、サーベルで武装していた。
そのうち何人かはサーベルを鞘から抜いていた。
複数の「日本人兵士」が宮殿のあちこちを捜索し、他の者は女王の居住区域になだれ込み、その場で見つけた女たちに襲い掛かっていた。
私は「日本人」が王妃の居住区域で物をひっくり返したりしているのを観察し続けた。
二人の「日本人」が女官たちのひとりをつかんで建物から引きずり出し、そして彼女を引っ張って階段を駆け下りた。
また「日本人」のうち一人は、私に向かって、英語で「王妃はどこだ? 答えろ!」と繰り返し聞いてきた。
私が謁見の間を通り過ぎたとき、私はその場所が「日本人」兵士と将校、そして韓国人の高級官僚の協力によって包囲されていることが分かった。
しかし、その中で何が行われていたのかは、私には知る由も無かった。
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まず、この記録で「日本人」と、一方的に決めつけている点が気になります。
“奇妙なガウン”、鞘から抜いた“サーベル”、“女王”? 閔妃は“王妃”です。いつのまに女王?
“日本人の兵士と将校に包囲”? なぜ「日本人」と特定できたのでしょう。
このあたり、記述だけを見ても、かなりクサイ。
加えて、当時、現場に居合わせた日本人、朝鮮総督府取調局農工商部各長官石塚英蔵の書簡によれば、次のような生々しい記述がある。(朝鮮王妃事件関係資料・ペン書き)
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王妃ヲ引キ出シ二三ヶ処刃傷ニ及ヒ
且ツ裸体トシ
局部検査(可笑又可怒)ヲ為シ
最後ニ油ヲ注キ焼失セル等
誠ニ之ヲ筆ニスルニ忍ヒサルナリ
(口語訳)
王妃をひきだして、2〜3ヵ所に切り傷を負わせ
かつ、裸体にして
笑いながら、また怒りながら、王妃の局部を念入りに検査し
最後に油を注いで閔妃を殺害したなど
その模様は筆舌に尽くしがたかった。
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日本人というのは、強姦やらこうした破廉恥な行為を、非常に嫌う習性があります。
刑務所にはいっても、昔は女性に対する強姦や破廉恥行為の犯人は、もっとも恥ずべき犯罪者として最下位に置かれた。ましてや軍隊においては、なおのことです。
(ここからフリーズしたので転載終了)