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35nqDDBK1I8 コメント履歴 No: 100000
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[雑談・Story41] ギュレン教団クーデターから一年 ― トルコをめぐる思惑 あやみ
21. あやみ[330] gqCC4oLd 2017年8月07日 00:48:57 : PKlGbJpgrY : 35nqDDBK1I8[1]
19さま、20さま コメントありがとうございます。

「諦める」の語源はやまとことば動詞の「飽く(あく)」です。たわわに実った果実をほおばり満足することです。それが実りの季節である「秋(あき)」の語源となりました。満足することができれば心の迷いが消えて「明らか」になります。諦めるという日本語は今は「失意」の意味で使われますがかつてはそうではなかったのです。どうしてそうなったか、それは人が時代と共に欲を肥大させたため満足することができなくなったからです。あれも、これもと欲を掻くうちにその殆どを失意のうちに断念せざるを得なくなりました。

江戸の文化文政の栄えは「諦めの美学」と言われます。元禄に咲き乱れた花に酔い、そして飽き、その諦めの中で意地と意気の花を再び咲かせました。それが我々の先祖です。日本人にもう一度それに挑む意気地があれば、憂うことは無いと思います。

欲とは本能です。欲をむき出しにすれば人は野獣に成り下がります。欲とは、手懐けて飼いならすために神から与えられたものです。

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