42. 天橋立の愚痴人間[519] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年7月06日 21:35:14 : uQK4vGtQyg : 07spqPMJgvw[1]
中川隆さん
お若いですね。
ロシア文学と言っても代表的な、静かなるドン、戦争と平和、アンナカレーニナ、カラマーゾフの兄弟、罪と罰などを50年も前に読みました。
罪と罰やその後に読んだソルジェニーチンの小説よりもロマンがあり好きでした。
ところで中川さんは、古代シュメールまで遡られて人間の存在論に興味を持っておられるようですね。
ロシア文学と同じように私は雄大なものを好み、ギリシャ以来続く観念論の方が好きです。
どうせ人間の存在論など、どれをとっても政界であり、また不十分でしょう。
であれば、希望の持てる方が好きであると言うことです。
まあ、しかし、その反対の方向へ興味がある人たちもいますね。
アナーキズムもいろいろと規定されているようですが、論理などは目的に合わせていくらでも作れます。
それよりも人間が大事にしなければならないのか直観(感性)ではないでしょうか。
哲学において観念論が好きと言えば嘲笑する人たちもいるでしょう。
私から言えば、人間の存在を社会的捉えようとする方が、無理筋と言うもの。
アナーキズムは、その延長でもあると思います。
かげろうは、成虫になってからの短命さと容姿から、はかないものの代表の様に言われていますが、人間も人生80年。
自然の摂理から言えばかげろうの様なもの。
私なども70歳を超えて、この世からさることを自然の摂理と従順に受け入れられるような心境になりました。
若いころは、決してそうではありません。
アナーキズムの良し悪しを言うのではなく、人生80年、感性のおもむくままに生き、死んでいくと言う、雄大な流れの中に自分を置いて見ることも一興ではありませんか。
社会のことに目を向けるのも使命の一つではありますが、あくまでも悠久の人生の一部分。
自分そのものを社会的存在の中に埋めることもないのでは。
アナーキズムも、逆説的に社会的存在を求めていると思います。
理屈の世界を幾万積み上げても、感性にはかないません。
こんな考えは如何でしょう。
貴方に意見を言っているのではありません。
私の現在の心境を言っているのです。
カラマーゾフの兄弟などの言葉に、若い気持ちが触発されました。
最後に、阿修羅掲示板では、こうした正論に興味を持つ人がいませんね。
私などは、書かなかったですが、いろいろなことにコメントを出したくなります。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/489.html#c42