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<中坊公平氏>「部下の行動、私の責任」 弁護士引退表明
社会派弁護士として活躍し、巨額の不良債権処理に立ち向かって「平成の鬼平」とも呼ばれた中坊公平弁護士(74)が、「けじめ」をつけて法曹界を去る。突然の引退表明は、関係者に大きな衝撃を与えた。
10日午前11時すぎ、大阪司法記者クラブ。中坊弁護士はコップのお茶をひと口飲むと、「断腸の思いで弁護士資格を返上する」「部下に厳しい回収姿勢を求めたのは私であり、結果は私の責任として厳粛に受け止める」と淡々とした口調で語った。「人に対して厳しいのなら、おのれに対しても厳しくないといけないと思う」と決断の真意を述べた。東京地検に告発され、事情聴取を受けた案件についても詳細に説明。「国民に2次負担をかけまいと部下に厳しい回収姿勢を求めた」とし、「今、私に残っているのは命と弁護士資格しかない。弁護士資格を捨ててけじめをつけるしかないと考えた」。“中坊流”の生き方を強調した。
中坊弁護士は東京地検への告発と同内容で同弁護士会にも懲戒請求されており、処分が決まるまでは退会できない。同弁護士会は当面、届けを受理するだけとなる。
告発状によると、問題の債権回収は、朝日住建が三井建設に売却した土地に絡んで行われた。旧住専から債権を引き継いだ住管機構は、抵当権を設定していた金融機関2社に対し、朝日住建と買い主との間で合意していた43億円の売買価格を約32億円と伝えるなどしたとされる。同時に告発された元顧問弁護士は、毎日新聞の取材に「詐欺をはたらいた事実はない」などと説明していた。
中坊弁護士は京都大学法学部を卒業後の1957年弁護士に。73年、森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者弁護団長を務め、全国区の知名度を得た。その後も豊田商事の破産管財人を務めたほか、香川県豊島の住民らによる産業廃棄物撤去運動で、県や排出企業を相手取った公害調停の弁護団長として産廃問題解決に尽力した。
90年から2年間、日弁連会長を務め、「国民に身近な司法」をモットーに掲げた。99年に設置された政府の司法制度改革審議会では委員として参加し、法科大学院の立ち上げや裁判員制度導入など一連の改革案づくりに関与した。
住宅金融債権管理機構の初代社長に就任したのは96年。不良債権回収という国民の期待を背負って、らつ腕をふるった。しかし問題の土地取引に絡み、01年1月にRCCの顧問職を退いた。(毎日新聞)
[10月10日15時12分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031010-00001060-mai-soci