現在地 HOME > 掲示板 > 日本の事件9 > 225.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 12歳・闇は晴れたか<中> 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 08 日 06:30:20)
「詳細な要旨」。遺族は評価した
悲劇の教訓胸に刻み
■□違いを見抜く
「人を殺してみたかった」―。民家に侵入して主婦を殺害、逮捕後にこう供述した少年=当時(17)=が通った高校は、愛知県豊川市にある。あれから三年。少年が返り血の付いた制服を隠した高校の裏門前の竹やぶは整地され、ショウ洒(しょうしゃ)なアパートに変わった。
「周囲と違うというのが出発点。現場の教師がその違いを見抜く力を育てなければいけない」。同校応接室で理事長代理は事件の教訓を語る。
少年は少年審判の精神鑑定で、長崎の事件で補導された男子生徒(12)と同じ、発達障害の一つの「アスペルガー症候群」と診断された。「テニス部に籍を置く、まじめで模範的な生徒だった」と理事長代理。逮捕を知った教師たちは、残虐な事件との落差に立ち尽くした。
同高は事件後、教師や生徒の相談にのるスクールカウンセラーを常駐させ、心の問題の勉強会を続けている。愛知県内では今も、公立学校の教師を対象にした発達障害の研修会が続く。
「発達障害の子に最も重要なのは幼児時の早期診断。そして、障害に対応した教育と周囲の支援が必要だ」。同県内で発達障害児の療育をサポートする辻井正次・中京大助教授(発達臨床心理学)はこう指摘する。
■□異例の和解策
長崎の事件の捜査が大詰めを迎えていた七月七日、大分県野津町の一家六人殺傷事件で、異例の和解が成立した。
二〇〇〇年八月に起きた事件。当時十五歳の少年が逮捕され、重度の行為障害として医療少年院送致になった。和解は、少年が三十五歳になるまで被害者側に住所と職業を報告することなどが条件だった。
「少年の親は『何でこの子が』という思いから被害者意識を抱いているように見受けられた。交渉を放棄し少年を見捨てるおそれもあった」。被害者側代理人の三井嘉雄弁護士は振り返る。
事件後、少年の親は「謝罪のつもりはある」と話した。だが、被害者のもとには、謝罪の電話すら届かなかった。
被害者側は〇一年、損害賠償を求めて大分地裁に提訴。少年の情報提供に加え、賠償金を毎月六万円ずつ払う、即決和解という異例の方法を選択した。その意義を三井弁護士はこう強調した。
「三十五歳まで情報を開示するということは、親や付添人が責任を持って少年を見守り続けるということ」
■□模索これから
「卑劣で残酷な行為をした少年は人間の仮面をかぶった畜生にしか感じられません」
長崎の事件で殺害された種元駿ちゃん=当時(4つ)=の父親、毅さん(30)は、殺害状況などを盛り込んだ審判記録を読み終えた八月二十五日、コメントを発表した。生徒の両親が遺族にあてた「謝罪の手紙」の受け取りを今も拒んでいる。
そして、家裁の処分決定から二日が過ぎた一日。遺族側代理人の弁護士は、非公開が原則の少年審判で詳しい決定要旨が公開されたことを、毅さんが「意義がある」と評価したことを明らかにした。「事件で一般の親も悩んでいたのでは。要旨が公開され、不安も軽減されるだろう」とも話したという。
同じ悲劇を繰り返さないために、癒やされない遺族の立ち直りのために何をすればいいのか。生徒の処分が決まり、法的な手続きは決着したが、その答えを探す模索はまだ始まったばかりだ。 (社会部・江藤俊哉、長崎総局・下崎千加、二階堂友紀)
20031002付朝刊
http://www.nishinippon.co.jp/news/2003/jiken/nagasaki/rensai/r031002.html