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(回答先: 【ちょっと古いですが】12歳・闇は晴れたか<上> 西日本新聞 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 08 日 06:28:58)
「情緒不安定」。申し送りなく
見過ごしたシグナル
■□認識あれば…
「(発達)障害があるという認識があれば、より細やかなケアができたかもしれないが…」
坂の街・長崎市の小高い丘の上に立つ住宅前。男児誘拐殺人事件で補導された中学一年の男子生徒(12)の処分決定から一夜明けた三十日朝、生徒が卒業した小学校の校長は、前夜の決定の感想を言葉少なに語った。
「注意されたり、失敗したりすると情緒不安定になる」。小学校時代、二年から五年まで生徒の指導記録から「情緒不安定」という言葉が消えることはなかった。パニックを起こして教室を突然飛び出したり、叫び出したりすることがたびたびあった。「キレたら怖い子」。同級生の間ではそう言われた。
五年時の担任教師の記録では、電話や訪問で「再三、家庭に指導したが、改善が見られない」とある。だが成績は優秀。図工、体育、音楽は「B」と「C」だったが、国語、算数、理科、社会の四教科は、三段階評価でいつも「A」。精神面の問題を疑う人はいなかった。
「気付いてやるべきだったが、私たちに専門知識はない。教育委員会全体で取り組まないと難しい」。校長はそう話した。
■□家庭の孤立も
生徒と両親が暮らした長崎市北部の市営団地。玄関には、生徒の名字の表札が掛かったままだが、隣人たちは「生徒が補導された後は両親の姿を見ていない」という。
二十九日の最終審判。七月の第一回審判を欠席した両親は、長崎家裁の審判廷で生徒に寄り添った。料理人で仕事一徹の父親(50)と、専業主婦の母親(39)。
母親は、息子の運動能力の遅れや手先の不器用さを気にし、改善のために特訓した。ただ、その悩みを周囲に相談した様子はない。一家は地元の子供会や、授業参観、親子レクリエーションなどに顔を見せることはほとんどなかった。同じ団地の住民は「エレベーターの中であいさつしても、返事も返ってこなかった」と振り返る。
周囲から孤立を深める一家。「(生徒の)両親からはまったく連絡がない。(生徒とは)二歳か、三歳のときに会って以来、会っていない。(発達障害のことも)今回、初めて知った」。島原半島に住む生徒の叔父の家族はいう。
■□消えた「記録」
「いろいろ不安だったけど、友だちもできて良かったです」。生徒は今年三月に卒業した小学校の卒業文集にそう書いた。
六年生のときの記録からは、それまでの「情緒不安定」の文字が消えていた。担任や級友たちが、生徒が孤立しないように、学級のイベントでまとめ役を任せるなど気を配ったからだ。生徒は落ち着きを見せたという。そして、中学へ進学―。小学校から中学校に生徒に関して特別注意すべき申し送りは、何もなかったという。
「中学入学で特別な配慮を受けることがなくなり、環境が大きく変化した。生徒はかなりの精神的負荷を負っていた」。家裁の決定は、中学進学後の生徒の心の変化を事件の背景に挙げた。
「子どもの異変を感じたら、何かフォローする態勢をつくらなければいけない」。三十日、記者団との懇談で長崎県の木村道夫・教育長は厳しい表情で語った。
20030930付朝刊
http://www.nishinippon.co.jp/news/2003/jiken/nagasaki/rensai/r031001.html