http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/131.html
Tweet |
対露戦争の一翼を担うドイツはパレスチナで住民を虐殺しているイスラエルを擁護
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202504030000/
2025.04.03 櫻井ジャーナル
パレスチナにおけるイスラエル軍の住民虐殺に抗議するデモに参加した4名の外国人をベルリン州の移民当局はドイツの移民法に基づいて国外追放する。この4名は4月21日までにドイツを出るように命じられていて、従わない場合は強制送還される。ベルリン移民局で犯罪防止や送還の責任者であるシルケ・ブールマンは異議を唱え、移民局を率いるエンゲルハルト・マザンケも同じ意見だったが、外部からの圧力に屈したという。
彼らの国籍はアメリカとポーランドがひとりずつ、アイルランドがふたり。ベルリン中央駅での座り込み、道路封鎖、ベルリン自由大学の建物占拠などが問題にされたというが、誰も有罪判決を受けていない。しかもEU内の移動が自由であるはずのEU加盟国市民3名が含まれ、ドイツ当局の決定は移動の自由を否定するものでもある。
パレスチナでイスラエル軍が行っている破壊と殺戮に抗議する声はアメリカでもあがり、2024年4月から6月にかけてコロンビア大学で学生による抗議活動があり、キャンパス内に約50のテントからなる野営地ができあがった。それに対し、ミヌーシュ・シャフィク学長はニューヨーク市警察に構内への立ち入りと逮捕を許可。3000人以上が逮捕され、その中には教職員も含まれ、抗議活動に参加した学生の一部は停学や退学といった処分を受けている。コロンビア大学以外の大学でも抗議活動があったが、学生だけでなく教職員も逮捕された。
コロンビア大学の国際公共政策学部を卒業したマフムード・カリルが移民関税執行局に拘束されたが、その背後には同学部のケレン・ヤルヒ・ミロ学部長がいた。この人物はイスラエル軍の情報部門に所属、同国の国連代表部の職員でもあった。
こうした人びとは「反ユダヤ主義」という呪文を使い、イスラエルによるパレスチナ人虐殺を支援していると言える。その呪文は相手に「ナチス」というイメージを重ね合わせることが目的だ。
ドイツはナチスが実権を握っていた時代に強制収容所を建設、ユダヤ人、ロマ(かつてはジプシーと呼ばれた)、ソ連兵、心身障害者、同性愛者などを収容、多くの人が死亡している。
そうした収容所の象徴的な存在であるアウシュビッツ(オシフィエンチム)の施設は1945年1月27日、ソ連軍によって解放された。解放から80年目にあたる今年、ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館で記念式典が開催されたのだが、ポーランド政府はロシアの代表を排除している。
今回、ふたりが追放されるアイルランドは繰り返しイングランドに侵略され、住民が殺されてきた。例えば17世紀初頭にイングランドはアイルランドへ軍事侵攻、先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させている。
17世紀の半ばにはピューリタンのオリバー・クロムウェルが率いる革命軍はチャールズ1世を処刑してから革命の仲間だった水平派を弾圧、アイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺している。侵攻前の1641年には147万人だった人口は侵攻後の52年に62万人へ減少。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。
その後、イギリスは1920年から48年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強める。
そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。
この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立されたのだが、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起。アラブ大反乱だ。
1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。
反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃した。
つまり、パレスチナでの虐殺はアイルランドでの虐殺と結びついている。今でもアイルランドでパレスチナ人に同情する人が多い理由には、そうした歴史的背景があるのだ。
抗議活動の原因になった2023年10月7日以降のガザにおけるイスラエル軍による住民虐殺は唐突に始まったわけではない。2022年4月1日にイスラエルの警察官がアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺し、4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入している。
さらに、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/2023年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人がそのモスクを襲撃、さらにユダヤ教の「仮庵の祭り」(昨年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。
これは直前のイスラエルによる挑発行為だが、そもそもパレスチナ問題は1948年5月にシオニストがイスラエルの建国を宣言する前から始まっている。その背後にはイギリスが存在している。
**********************************************
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ

すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。