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いじめ考察。いじめ問題を解決する事は、無理である。そんなことができるならば、すでにいじめ問題はなくなっているはずだ。いじめ問題は昔からあり、今もなお続いている。軍関係では、いちいちいじめの調査などしない。何事も連帯責任である。いじめ関係者だけでなく、所属部隊をまるごと罰する。もちろんその中には、いじめとは無関係の者もいるだろう。しかし、連帯責任として、罰を受ける。なぜそのようなことをするのかというと、あくまでも、組織として動いているのであり、その組織内の揉め事、トラブルは、組織全体に影響を与える。だから、そのようにする。個人の問題ではなく、組織の問題とする。戦いの最中に組織内でいじめなどが横行すると、戦力が低下し、場合によっては全滅する。それは阻止しなければならない。ところが、今の学校ではいじめは個人の問題だとしている。そこが根本的に間違っている。個人の自己責任ということにして、組織としてはうまく責任逃れをしている。それでいじめは続いている。いじめは社会全体に影響するものであり、決して個人の問題ではない。いじめ常習犯は、いつまでもいじめを繰り返し、やめない。犠牲者は増えるばかりだ。いじめは犯罪であり、放置していても、自然に解決することはない。いじめの被害者が、いじめ問題を解決するようにと要求する者がいるが、とんでもない話だ。いじめの被害者が、いじめの捜査をしたり、取り締まりをしたり、いじめ加害者を処罰する事は、できない。それをやるべきなのは、組織であり、社会であり、いじめ加害者の家庭である。なんでもかんでも自己責任にするべきではない。それは、国や行政の怠慢であり、学校や教育委員会が、無能で機能していないことになる。例えば交通事故でひき逃げや当て逃げがあったときに、被害者が調査したり、捜査したり、証拠を集めたり、聞き込みをしたり、処罰などしない。それをやるのは、別の組織がやる。日本ではいじめの被害を受けても、復讐したり、反撃することは禁止されているが、外国では違う。日本と同じ場合もあるが、復讐したり、反撃するのは当然であるとし、むしろ何もしない事のほうがおかしいとする国もある。国というより、個人差がある。社会的に復讐や反撃が認められている地域もある。もちろんいじめの被害者が死亡していたり、負傷していたり、反撃できない場合もある。そのときには、家族や親戚や友人、知人が復讐を代行する。まったく無関係でも制裁することさえある。だから、必ずしもいじめの加害者は、いかなる制裁も処罰もないということはない。ところが日本ではまったく何もできないいじめの被害者は、裁判官ではないので、必ずしも公正な裁きはしない。またそういうものは期待できない。つまりいじめを繰り返しておもしろがっていると、非常に危ない立場になるということになる。さらにいじめの被害者や関係者は、怒りと憎悪と復讐心が増大している。つまり、公正な制裁や罰ではなく、それに怒りがプラスされる。いじめの加害者は、その後、かなり悲惨な厳しい生活をしているのではないか?と思うかもしれないが、必ずしもそうではない。もちろん悲惨な場合もあるが、普通の生活をしていることもあり、むしろ成功していることさえある。だから、誰もが期待するような事にはなっていない。しかし、たとえいじめ加害者本人が、まったく反省していなくても、家族や親戚には影響を与えている。友人や知人であった人にも影響を与えている。それらの多くは、離れた。加害者本人が過去の事だとしても、確実に人生に影響を与えている。そもそもいじめの加害者に、反省とか後悔とかを期待するほうが無理なのかもしれない。だがいじめ問題はいろんな人に影響を与えるし、生き方の基本となる。なぜならば、それは家庭でも社会でも職場でも常に問われ続ける。
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