<■421行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> <産経抄>沖縄戦の特攻から80年、忘れてはならないこと 2025/3/27 5:00 https://www.sankei.com/article/20250327-KZCWPGKNIZLJTMJ2FMPZ46PSSM/?674170 日本の悪口を書くのは熱心でも、命を懸けて国を守った先人の歩みを教えるのは苦手だ。 戦後教育の弊害は教科書になお顕著だ。 高校教科書の検定を見て改めて思う。 ▼だからこそ知ってほしい。 「死ぬことは何とも思わない。祖国日本はどうなるか。それだけが心残りだ」。 こんな思いを残し、特攻で散華(さんげ)した若者がいる。 80年前、沖縄戦が始まった3月26日早暁(そうぎょう)、伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐らの飛行隊は、沖縄県の石垣島にあった白保飛行場から出撃して、慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。 伊舎堂はそのとき24歳。 ▼沖縄戦の陸軍特攻第1号だが、その名は歴史の陰に隠れてきた。 八重山日報(本社・石垣市)の連載をもとに刊行された 『歴史に葬られた特攻隊長』(将口泰浩著、徳間書店) に詳しい。 沖縄では 「軍人を美化するな」 とされ、特攻を知らない人が多い。 顕彰碑が、伊舎堂の故郷の石垣島に建てられたのも、ようやく、戦後68年を経てだ。 ▼同書では伊舎堂の人柄が丹念に描かれている。 旧制中学から進んだ陸軍予科士官学校時代のエピソードもある。 陸軍では作文教育を重視した。 刻々と変わる戦況などを伝える正確な文章力が求められるためだ。 毛筆、文語で書く修練も。伊舎堂の文は達筆、簡潔で力強かった。 ▼伊舎堂が戦死した日、事情を知らない家族らは心づくしのご馳走を携えて白保飛行場を訪ねた。 戦死の報に泣き崩れる母の傍ら、父は 「本望ではないか」 と気丈に語ったという。 婚約者との再会は、叶わなかった。 ▼それから80年の2025年3月26日、海を望む顕彰碑前で慰霊祭が行われた。 碑には伊舎堂隊だけでなく石垣島から出撃した特攻隊ら32人の氏名、年齢、出身地が記されている。 忘れてはならない歴史である。「特攻隊員は任務と覚悟、最後まで貫いた」宮本雅史編集委員が講演 沖縄「正論」友の会 2025/1/17 17:40 https://www.sankei.com/article/20250117-FEPV2NRRTFJ4NNHNMZ7G4H6WYQ/ 沖縄「正論」友の会第65回セミナーが2025年1月17日、那覇市内で開かれ、特攻隊の元隊員や遺族への取材を続けている産経新聞の宮本雅史客員編集委員が 「特攻と沖縄〜特攻隊唯一の目撃者・沖縄県民〜」 と題して講演した。 宮本氏は先の大戦末期、陸軍特攻の先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久中佐はじめ、米軍の沖縄侵攻を阻止するために出撃し、命を散らせた特攻隊員のエピソードを紹介。 「沖縄の海で亡くなった特攻隊員を最後に目撃したのは沖縄の人たちだった」 と指摘した。 沖縄戦を巡り、日本が沖縄を 「捨て石」 にしたという非難があることに触れ、 「『捨て石』のために死んだというのか」 「そんな失礼なことは申し訳なくて言えない」 と強調。 「任務と覚悟。若い彼らはそれを最後まで貫いた」 と述べた。 また、戦後80年を振り返り、 「日本は裕福になったかもしれないが、権利ばかり主張し、義務という言葉を忘れてしまった」 と憂慮した。 すすり泣き漏れる客席 沖縄で特攻隊題材に演劇舞台 石垣市長「平和のありがたみ感じた」 2024/10/19 19:18 https://www.sankei.com/article/20241019-5Q55Z5O4XZIH5EMDVZQ3E523PU/ 先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するため出撃していった特攻隊員を題材にした演劇舞台 「未来へつむぐ〜今をありがとう」 の沖縄公演が2024年10月19日、那覇市のパレット市民劇場で開催された。「特攻を美化してはいけない」 「しかし特攻の事実は絶対に風化させてはならない」 との思いが込められた作品で、客席からは何度もすすり泣きが漏れた。 公演は2024年10月20日まで。 いじめを受けていた現代の女子学生(廣木葵)が元特攻隊員の曽祖父(尾藤イサオ)から靖国神社に行くよう勧められ、そこで79年前の知覧飛行場にタイムスリップするというストーリー。 女子学生は飛行場で、出撃を待つ若かりし日の曽祖父(長谷川幹)と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた 「なでしこ隊」 の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る。 知覧特攻平和会館(鹿児島県)の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった元陸軍特攻隊員の板津忠正さんがモデルとなっている。 日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。 ■ようやく実現した沖縄公演 主催者によると、 「未来へつむぐ」 の初演は平成26年だが、沖縄公演の実現には時間がかかったという。 特攻隊に対する県民感情などを考慮していたためだ。 ところが2年前、当時県立高校の教諭だった赤嶺剛さん(51)がたまたま東京公演を観劇。 「沖縄では 『日本兵に悪いことをされた』 と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」 「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」 と沖縄での上演を強く求めたことがきっかけとなり、昨年2023年8月に初めて沖縄公演が実現した。 好評を博し、今年2024年も開催することになったという。 沖縄戦を巡っては、日本が沖縄を 「捨て石」 にしたとの批判があるが、実際は、沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃しており、戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3千人以上が戦死している。 劇中でも、特攻隊員たちが 「沖縄を守り、本土を守るのは自分しかない」 と決意し、上官も 「一刻も早く米軍から沖縄を守り、本土への攻撃を防ごう」 と語る場面があった。 ■先陣切った伊舎堂中佐 今回の沖縄公演では、沖縄戦の陸軍特攻第1号として先陣を切った石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐も登場している。 米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の一人だ。 伊舎堂中佐の郷里・沖縄県石垣市の中山義隆市長も2024年10月19日の公演に駆け付けた。 中山市長は 「特攻隊の皆さんの気持ちがリアルに伝わってきた」 「平和の有難味を改めて感じた」 と公演を振り返り、 「沖縄を守ろうとして亡くなっていった人たちがいた」 「特攻隊の歴史を伝えていかなければならない」 と強調した。 2024年10月20日の公演は2回。 午前11時半と午後3時にそれぞれ開演する。 まだ席に余裕があるといい、2024年10月19日の公演終了後、 「なでしこ隊」 率いる教師役を好演した女優の小田茜さん(45)は 「お待ちしています」 と、1人でも多くの県民の来場を呼びかけていた。 先陣切った石垣島出身の特攻隊長・伊舎堂中佐 「沖縄で伝えられていない歴史」那覇で公演 沖縄考(49) 那覇支局長・大竹直樹 2024/10/9 9:00 https://www.sankei.com/article/20241009-XKO5UBQTEFLSPONW6CX7L2XR6E/ ■沖縄県民の拒絶反応 「こら、いらないわ」 受け取ったチラシを一瞥(いちべつ)すると、そう言ってすぐに突き返されたという。 特攻隊員を題材にした演劇舞台の沖縄公演。 プロデューサーを務める石神隆弘さん(57)は 「公演の支援を求め沖縄の経営者を回ったが、4割くらいの人が拒絶反応を示し、チラシも受け取ってくれなかった」 と述懐する。 資料・撮影協力の欄に、靖国神社や鹿児島県の知覧特攻平和会館と記載されていたのが理由ではないかと、石神さんはみる。 演劇舞台 「未来へつむぐ〜今をありがとう」 は、知覧特攻平和会館の初代館長を務め、平成27年に90歳で亡くなった板津忠正さんをモデルにしたオリジナル作品だ。 板津さんは元陸軍特攻隊員の生き残りで、戦後は特攻隊員の遺影や遺品を集めて回った。 日本文化を広めている一般社団法人「つむぎジャパン」(東京)代表の野田憲晴(けんせつ)さん(59)が、板津さんの長男、昌利さん(67)に取材し、脚本を書いた。 いじめを受けていた現代の女子学生が元特攻隊員の曽祖父から靖国神社に行くよう勧められ、靖国神社で79年前の知覧飛行場(鹿児島県)にタイムスリップ。 出撃を待つ若かりし日の曽祖父と出会い、特攻隊員らの身の回りの世話をしていた 「なでしこ隊」 の一員として過ごし、命の尊さや人を思いやる大切さを知る−というストーリーである。 今月2024年10月19、20日に那覇市のパレット市民劇場で行われる沖縄公演では、脚本の一部を変更し、石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐が回想シーンに登場する。 先の大戦末期、米軍の沖縄侵攻を阻止するために飛び立ち、命を散らせた旧日本陸軍特攻隊員1036人の1人だ。 誠第17飛行隊を率いる伊舎堂中佐は昭和20年3月26日、沖縄戦の陸軍特攻第1号として郷里の石垣島にあった白保飛行場から出撃。 慶良間(けらま)諸島沖の米艦隊に突入した。 24歳であった。 ■「避けてきた」沖縄公演 「未来へつむぐ」 の初演は平成26年。 以来、年2回の頻度で全国各地で上演されてきたが、特攻隊に対する県民感情を考慮し、沖縄公演は 「ずっと避けてきた」(石神さん) という。 そこに、転機が訪れる。 那覇市で教育コンサルタントを務める赤嶺剛さん(51)との出会いだ。 今から2年前2022年、当時県立高校の国語科教諭だった赤嶺さんは 「未来へつむぐ」 の東京公演をたまたま観劇。 「沖縄では 『日本兵に悪いことをされた』 と語られる一方、特攻隊のことは何も伝えられていない」 と衝撃を受け、 「沖縄の子供たちにこの事実を伝えるべきだ」 と痛感したという。 教諭時代は沖縄県教職員組合に所属していたが、 「未来へつむぐ」 の東京公演を見て、赤嶺さんは 「沖縄で伝えられていない歴史」 に気付いたのだ。 初の沖縄公演に向けて奔走。 残念ながら、県教育委員会には後援依頼を断られてしまったが、公演自体は昨年2023年8月、那覇市で実現した。 観客席では涙を拭う人が絶えず、若い学生らから 「真実を教えてくれてありがとう」 といった反応も寄せられた。 同世代の特攻隊員たちの至情に接し、きっと万感胸に迫るものがあったのだろうと推察する。 同世代といえば、パリ五輪で戦った卓球女子メダリストの早田ひな選手(24)は2024年8月、帰国後の記者会見で 「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたい」 と語っていた。 この発言が中国や韓国で物議を醸したと報じられた。 戦争を肯定したわけでも特攻隊を美化したわけでもなく、平和な時代に生きていることに感謝し、戦争と平和の意味を考えたいという、この言葉のどこをどう曲解すればそんな反応になるのか。 理解に苦しむ。 ■タブー視された特攻隊と日の丸 沖縄では、平和を守るための防衛力強化でも 「戦場にするな」 「軍拡やめろ」 との批判が渦巻く。 軍は 「悪」 と否定されてきた経緯があり、特攻隊や靖国神社という言葉に拒絶反応を示す県民がいるのも事実だ。 こうした県民の反応は、沖縄が歩んできた歴史と密接に関係している。 大戦末期に始まった沖縄戦では、米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた 「鉄の暴風」 が吹き荒れた。 当時の県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は米軍統治を経験している。 県民は心から早期の本土復帰を願った。 願いを込めて旧国鉄の特急列車に 「なは」 と命名したほどである。 だが、本土から革新勢力が流入し、県民の思いとは裏腹に、組織的な反米軍基地闘争や反日運動へと復帰運動が変質。 革新勢力は沖縄の教育界や言論界に大きな影響を及ぼしていく。 復帰の象徴だった日の丸すら、戦争のエンブレムであるがごとくタブー視された。 いわんや、国や家族を思う一心で尊い命を捧げた特攻隊員をや、である。 伊舎堂中佐の郷里である石垣市の中山義隆市長(57)は今月の沖縄公演を観劇する予定だという。 「演劇舞台を通じ沖縄出身の特攻隊員がいたということを多くの県民に知ってもらいたい」 と語っていた。 沖縄県民の代表として選ばれた玉城デニー知事にも是非、虚心坦懐の気持ちで沖縄公演をご覧頂きたいものだ。 旧日本軍が特攻を始めて今月2024年10月25日で80年。 陸軍特攻の先陣を切り、石垣島の白保飛行場を飛び立った沖縄出身の伊舎堂中佐ら特攻隊員たちに思いを馳せてほしいと願っている。 早田ひなさん「特攻資料館に行きたい」発言の背景 「先人への感謝」抱く若者たち 正論モーニング 2024/10/30 7:00 https://www.sankei.com/article/20241030-GZPMY6WJ75K7HCMZZZC6GXTZFU/ 先の大戦で、爆弾を抱いた航空機や潜水艇などで米軍艦艇に体当たりした 「特別攻撃(特攻)」 を帝国陸海軍が開始して、今月2024年10月で80年。 この夏には、パリ五輪・卓球女子メダリストの早田ひなさんの 「鹿児島の特攻資料館に行きたい」 発言が反響を呼んだ。 スポーツ選手と 「戦争」 の組み合わせには意外性も感じるが、実は 「鹿児島の特攻資料館」 には、スポーツ合宿や社員研修で訪れるアスリートや企業が相次いでいるという。 ■映画・小説に感銘受ける? 早田さんは2つのメダルを獲得したパリ五輪から帰国した今年2024年8月13日の記者会見で、 「今やりたいこと」 を問われ、 「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたい」 と発言した。 散華した特攻隊員たちに感謝する発言が保守層から好意的に受け止められた一方で、中国や韓国からは 「軍国主義を賛美している」 などの批判が起きた。 国内外で反響を呼んだ結果、早田さんがなぜ特攻に関心を持ったのかが注目された。 週刊誌では、警察署長だった祖父や、幼少期から指導した卓球クラブ代表らの影響ではないか、などと報じられた。 昨年2023年12月に公開され、大ヒットした映画 『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(以下、『あの花』) の影響を指摘する声も多かった。 現代の女子高校生(原作小説では中学生)が大戦末期の日本にタイムスリップし、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、原作の小説も100万部を超えるベストセラーとなっている。 筆者も 『あの花』 説に賛成だ。 ヒントは、 「鹿児島の特攻資料館」 という早田さんの発言自体にある。 鹿児島県内の特攻隊関連の施設は、 「知覧特攻平和会館」(南九州市) と 「万世特攻平和祈念館」(南さつま市) が知られている。 海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の展示にも特攻隊員の遺影や遺書が多い。 だが、 「特攻資料館」 という名称の施設はない。 一方、 『あの花』 の原作小説では、現代に戻った主人公が訪れる施設が 「特攻資料館」 と呼ばれ、物語上重要な場所になっている。 早田さんは映画だけでなく小説も読み、記者会見で 「特攻資料館」 という言葉が口をついて出たのではないかと思われる。 『あの花』 には、こんな一節がある。 主人公が、タイムスリップ中に出会った特攻隊員たちを思い、心の中で語りかける言葉だ。 ≪あの夏、空に散ってしまったみんな。(中略)/私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。/あなたたちが願った、明るい未来を生きています。 素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。/あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。/あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます≫ 生きていることや卓球をできることが 「当たり前ではない」 という早田さんの発言に通じるものがある。 ■アスリートの研修に その知覧特攻平和会館が、アスリートや企業の研修に盛んに利用されているのを見い出したのは、帝京大学の井上義和教授だ。 大切な家族らの幸せと祖国の未来のために命を捧げた特攻隊員の物語に触れることで自分の生き方を見つめ直し、前向きな意識状態に持っていく。 井上教授は、同会館が2000年以降、そんな 「自己啓発の聖地」 となっていることを、 『未来の戦死に向き合うためのノート』(平成31年) で紹介した。 ただそうした自己啓発目的の利用はメディアで報じられることもなく、学術研究や論壇のテーマ設定の対象外で、口コミなどで広がるだけ。 今回の早田さんの発言も驚きをもって報じられたが、彼女のようなアスリートの見学は実際には珍しくなかったのだ。 ちなみに、井上教授が同書で平和会館を訪問したと紹介しているトップレベルのアスリートは、女子バレーボールの日本代表チーム▽松井秀喜、西岡剛、木佐貫洋らプロ野球選手▽ラグビーU20日本代表チーム―たちだ。 彼らアスリートや、社員研修で会館を見学した人たちの感想は、概ね、以下の内容だという。 「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きている私たちは幸せ」 「競技に打ち込める平和な時代に感謝」 「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」 「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」 「特攻隊員は祖国の未来を思って出撃した」 「私たちが今あるのも彼らのおかげ」 「彼らに恥じない生き方をする」 先人への感謝の念を抱き、前向きな生き方を決意するものが多く、展示が軍国主義や戦争を賛美するものではないことが浮かび上がる。 逆に戦争への批判的な思いが込められている感想もある。 「平和」 を守るために本当に必要なことに思いを致した見学者も多いだろう。 ■「世界の記憶」登録を 同会館を見学する早田さんらアスリートや若い人たちを的外れな批判の矢面に立たさないために、提案したいことがある。 かつて知覧特攻平和会館が申請した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の 「世界の記憶」(世界記憶遺産) への登録を再び目指すことだ。 同会館は、平成26(2014)年と平成27年に登録を申請した。 だが2度ともユネスコの国内委員会の審査で落選。 以降は申請を見送っている。 当時、中国や韓国が申請を批判しており、それが落選の一因になったというイメージが広がったことは否めない。 「軍国主義だ」 との批判が説得力をもってしまったのだ。 知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長は 「新たな申請の具体的な計画はないが、諦めてはいない」 「申請に向けて資料の収集や整備を進めている」 と話す。 ぜひ登録を目指してほしい。 実現すれば、軍国主義批判が見当外れだと広く理解されるはずだ。 (大阪正論室参与) 「特攻資料館に行きたい」卓球・早田ひなに称賛の声 終戦の日を迎え投稿増加 著名人も反応「有難う、早田さん」感謝の思い 2024.8/15 11:38 https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-AZJPWZKAIRPJ5CMPCUVM7X4IZ4/ パリ五輪で卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=の、 「鹿児島の特攻資料館に行きたい」 発言への称賛が止まらない。 SNSでは早田を讃えるコメントが並び、著名人も絶賛した。 特攻隊員の遺品や関係資料を展示する 「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市) が改めて、大きな注目を浴びている。 早田は2024年8月13日の帰国会見で、休養中に行きたい場所について 「アンパンマンミュージアム」 と共に、知覧特攻平和会館を挙げて 「生きていることを、そして自分が卓球を当たり前に出来ていることが当たり前じゃないと感じたい」 と述べた。 この発言に対し、SNSでは 「早田選手ありがとう」 「この人は偉いよ」 「彼女の姿勢から、私たちも日々を大切にしなきゃって気づかされる」 「元々好きな選手だったけど、物凄く好きな選手になった」 などの声が続々と投稿された。 終戦の日を迎えた2024年8月15日も増え続けている。 著名人も反応した。 作家でジャーナリストの門田隆将氏は2024年8月14日、自身のXに、 「(アンパンマンの作者の)故やなせたかし氏も、知覧の亡き特攻兵たちも、きっと驚き、そして喜んでいるだろう」 「有難う、早田さん」 と感謝の思いを綴った。 知覧特攻平和会館には、パリ五輪の女子マラソンで6位入賞した鈴木優花(24)=第一生命グループ=らの五輪アスリートが訪れている。 今年2024年2月に訪問した鈴木はXに 「この時代に生きているということだけでありがとう、と思った」 と投稿していた。 <主張>特攻隊80年 国を挙げて追悼と顕彰を 社説 2024/10/25 5:00 https://www.sankei.com/article/20241025-5JB2TZTQDFL55HQGLLS5FOESF4/ 亡くなった御霊(みたま)に心から頭(こうべ)を垂れたい。 先の大戦(大東亜戦争)の末期、およそ6000人もの特別攻撃(特攻)隊員が、日本を守るために出撃して散華した。 第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。 特攻隊員を偲(しの)び、日本の独立と平和を維持する大切さを嚙(か)みしめたい。 先の大戦で日本軍は約230万人が亡くなった。 太平洋の島々での玉砕など多くの壮絶な戦いがあった。 その中で、生還を期さない特攻隊は信じ難いほどの勇気を示した存在として知られる。 昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男(せきゆきお)大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。 昭和20年3月以降の沖縄戦では、陸海軍の特攻機2571機や空挺隊が出撃した。 人間魚雷「回天」による海中特攻や、小型艇「震洋」による海上特攻も行われた。 生還を期さない特攻は、立案者の大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将自身が 「統率の外道」 と認めていたように戦術として正常ではない。 大西中将は終戦直後、介錯なしの切腹で自決している。 特攻は戦後、 「軍国主義の象徴」 などと批判された。 選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。 現代日本は特攻のような究極の戦術を取らずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。 特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。 特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。 特攻を 「カミカゼ」 と呼んだ米軍は、異常な戦術と見做す一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。 特攻は、世界が日本人を強い存在と見做す一因となり、戦後の日本も守ってくれている。 特攻に赴いた将兵1人1人に様々な思いがあったことを想像する時、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。 日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない。 <産経抄>特攻隊のこともっと知ろう 2024/5/6 5:00 https://www.sankei.com/article/20240506-USONYG7E7JIZ7LJMBRVIAWKESY/ 学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。 先の大戦末期に国を守ろうと命を懸けた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。 今年2024年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目に当たる。 翌昭和20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。 ▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。 中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。 中佐は24歳の若さだった。 ▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している 「歴史に葬られた特攻隊長」 で名を知った。 沖縄では戦後、軍人は 「悪」 などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。 産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。 ▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。 そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。 ▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。 中佐を知る人の 「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もあり得ない」 「伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、我々は生きている」 という言葉は重い。 ▼ところが相変わらず特攻隊を否定的に捉える向きがある。 来年2025年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で 「特攻隊員が散華しました」 といった記述にも批判があるようだ。 「国のために命を捨てることが美化され、怖い」 などと言うが、国のために命を懸けた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。 直球&曲球 葛城奈海 桃李ものいわざれども 2023/11/2 10:00 https://www.sankei.com/article/20231102-LVVBMZB6N5IDXAICCUC23ECXLM/ 今年2023年の桜島はいつになく噴火の頻度が激しいという。 2023年10月だけで60回(2023年10月23日現在)を数えると聞き、危惧していた火山灰の影響もなく、 「防人と歩む会」 の研修旅行で訪れた2023年10月28日の鹿児島は抜けるような秋晴れに恵まれた。 湖のように穏やかな錦江湾越しに桜島を望みつつ、かつて九州最南端の陸軍特攻基地があった知覧に向かう。 1036人が戦死した沖縄戦陸軍特攻の先陣を切ったのは石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中佐だ。 昭和20年3月26日、同中佐率いる誠第十七飛行隊が飛び立った石垣島には地元有志による立派な顕彰碑が建てられている。 以前訪れた際、目にした中佐の遺詠に心を鷲掴みにされた。 指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき 何という清冽(せいれつ)な心持ちだろう。 悲壮感などみじんもなく、待ちかねていた機体をついに得たことへの湧きたつような喜びと、納得のいく死に場所を得た満足感に満ち溢れている。 伊舎堂中佐は自身の家族が差し入れなどにやってきても、郷里が遠い部下のことを慮り面会しなかったという。 存在を知って以来敬意を抱き続けてきたその人の名前と写真を、今回知覧の特攻平和会館で見つけ、胸が高鳴った。 しかも、これまで目にしたことのない、自筆による家族への遺書も展示されているではないか。 そこには今頃故郷では桜や桃の花が咲き鶯(うぐいす)がさえずっているであろうことが記され、 「桃李(とうり)ものいわざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」 という古文を引用。 桃やスモモはその実を採るために人が寄ってきて自然と小道ができる。 そのように人が自然と集まってくる徳のある人間になりたいと認(したた)められていた。 伊舎堂中佐はまさにそのような人として生き、散華した。 24歳にして、そこまでの境地に達していたことにも尊敬の念を禁じえない。翻って今を生きる私たちは、どうか。 私たちを守るために命を散らした先人たちは、まさに 「ものいわぬ桃李」 であろう。(英霊たちに思いを寄せて) 錦秋の錦江湾にさしのぼる 朝日拝みて防人思ふ ◇ 【プロフィル】葛城奈海 かつらぎ・なみ 防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。 東京大農学部卒。 自然環境問題・安全保障問題に取り組む。 予備役ブルーリボンの会幹事長。 近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。 特攻隊員慰霊祭、遺族ら祈り 鹿児島・知覧 2022/5/3 19:37 https://www.sankei.com/article/20220503-N3ZWDWA6OZKQFOFMRE3IWIC5RE/ 第二次世界大戦末期の沖縄戦で亡くなった旧日本陸軍特攻隊員の慰霊祭が2022年5月3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。 3年ぶりに全国から遺族が参列し、約200人が平和への祈りを捧げた。 慰霊祭では、黙禱や焼香をして1036人を追悼。 19歳で亡くなった渡辺次雄少尉の弟の無職、渡辺茂さん(83)は、次雄さんとの最後の別れとなった駅のホームでの場面を紹介し 「命の尊さを語り継ぐことを誓う」 と話した。 遺族らの一部は隣接する平和会館も訪問。 最初に出撃し、24歳で亡くなった特攻隊長の伊舎堂用久中佐を取り上げた企画展を観覧した。 伊舎堂中佐が家族や婚約者に宛てた手紙などが展示されており、沖縄県の石垣島から訪れた中佐の兄の孫に当たる教員、伊舎堂用右さん(51)は 「先祖のことを分かりやすく伝えてくれて感動した」 と話した。
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