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後継・三男は比例復活もかなわず…選挙終盤に焦る陣営は父・俊博の故郷入りを要望していた 密着ルポ 和歌山「二階王国の落日」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/362974
2024/11/05 日刊ゲンダイ ※後段文字お越し
敗北をわびた三男・信康氏(C)共同通信社
稀有な政治家ではあった。史上最長5年にわたり自民党幹事長を務め、国土強靱化を推進した二階俊博。構想を掲げた「紀伊半島一周高速道路」の最終区間の着工が始まった矢先だった。後継が衆院選に完敗し、地元・和歌山に築き上げた「王国」は滅びつつある。
◇ ◇ ◇
10月25日。2日後に衆院選の投開票日を控えた金曜の夕方、和歌山2区から出馬した二階伸康陣営の各地域拠点に新調された選挙ポスターが届けられた。色合いは前よりも目立つ。「今晩中に全ての掲示板で張り替えろ」と選対本部からの指示。今から徹夜で張り替えても、有権者の目につくのは選挙戦最終日と投開票日のみ。
「それでも、やるしかありませんでした」(運動員)
小選挙区の終盤情勢の分析は、対立候補の世耕弘成に完敗し、頼みの綱の比例復活もこのままでは危ない──。運動員は黙って指示に従い、仮眠の後、朝から自民党のノボリを持って辻立ちを始めたという。
「こんなにきつい選挙は初めてでした」(同)
父・俊博が初当選した1983年以来、同じ紀南地域に票田を抱えながら、二階家は衆院、世耕家は弘成の伯父・政隆の代から参院と、すみ分けを続けてきた。だが、弘成は密かに衆院転出をもくろんでいた。
そこに派閥の裏金事件が直撃。離党勧告を受けた世耕はすぐに地元のおわび行脚を始めた。一方、引退表明で処分を免れた俊博は、和歌山県町村会からの出馬要請に応える形で三男・伸康に後継の名乗りを上げさせ、自民の公認候補とした。
一見優勢に見えたが…
父の威光もあり、選挙区内の27市町村のほとんどの首長の推薦を受け、多くの地元団体の支持も取りつけた。一見、優勢にみえた伸康だが、公示後の情勢分析は常に劣勢。陣営は比例復活に懸けるしかなくなった。選挙終盤には世襲のイメージ脱却のため、あえて地元入りを避けてきた俊博に応援を要請したのだ。
「入院説もあったのですが、これで安否確認が取れました」(支援者)
しかし、俊博は街頭には出なかった。あくまで陣営の引き締めのため、各地の事務所で檄を飛ばすにとどめた。24日には串本町、25日は故郷の御坊市。そして最終日のマイク納めの瞬間には、ついに不特定多数の有権者の前に姿を現した。
「御坊市内の市民ホールでの最後の演説会でしたが、マスコミのカメラは拒否されました」(地元記者)
その24時間後。投票締め切り時刻と同時に報道各社の出口調査は世耕の優勢を伝え、しばらくすると当確が出た。数時間後には伸康の比例復活の目も消えた。派閥の領袖でもあった「二階」の金看板を継承できず、王国は落日の時を告げた。 =敬称略(つづく)
(文=日刊ゲンダイ取材班)
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