<■635行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 同性婚訴訟 理解に苦しむ高裁の違憲判決 2024/11/2 5:00 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20241102-OYT1T50001/ 同性カップルの結婚を認めるかどうかは、家族制度の根幹に関わる問題で、社会の幅広い議論が必要だ。 憲法解釈のような法律論争によって結論を導くべきものではない。 同性婚を認めていない民法や戸籍法の規定は憲法違反だとして、東京都の同性カップルらが国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が東京高裁であった。 判決は、賠償を認めなかったものの、現行の民法などについて 「性的指向により法的な差別的取り扱いをするものだ」 と述べた。 その上で、法の下の平等を定めた憲法14条などに反するとした。 男女が結婚すると、配偶者としての相続権や税制上の優遇措置などの法的利益が得られる。 同性カップルがこうした利益を得られないことは不当だという判断だ。 性的指向は、本人の意思によって変えることができない。 同性カップルだという理由で差別を受けることがあってはならないし、一緒に暮らすことも自由である。 しかし、そうであっても今回の高裁判決には違和感を禁じ得ない。 憲法24条は 「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」 すると定めている。 この文言が男女の異性婚を指していることは明白だ。 婚姻制度は、男女が共に生活し、子供を育てる営みを基礎として作られた。 憲法制定時、同性婚の可否など全く議論されていない。 従って、民法や戸籍法に規定がないのは当然のことだと言えよう。 世界人権宣言も、婚姻は 「男女」 の権利だと明記している。 ところが高裁判決は、憲法が同性婚を想定していないことを認めながら、民法などに規定がないのは違憲だと結論付けた。 憲法が想定しない事態が、なぜ憲法違反になるのか。 理屈に合わない。 同性婚訴訟は、全国の地裁や高裁で 「合憲」「違憲状態」「違憲」 と判断が分かれている。 同性婚の問題を憲法が想定していないことをおかしいと言うのなら、同性婚を認めるよう憲法改正を主張するのが筋だろう。 判決は、同性婚に賛成する人が大半だという近年の世論調査結果に基づいて、 「社会的受容度は高まっている」 と指摘している。 同性カップルを公に認めるパートナーシップ制度の導入や、夫婦同様の休暇や手当を認める自治体や企業が増えていることは事実だ。 ただ、家族制度の考え方は多様で、世代によっても異なる。 同性婚の制度化は立法の問題である。 国会などで、様々な観点から熟議することが必要だ。憲法24条は 「婚姻は、両性の合意のみに基いて・・・」 と定め、文言上、明らかに同性婚を想定していないから、法制化を目指すなら国会で憲法改正を発議し、国民投票に問うべきなのだが、それをしない。 先日2024年3月の札幌高裁判決は憲法24条の文言を無理に解釈して同性婚を認めたが、国民の議論が大きく分かれる問題を、国会議員と国民ではなく裁判官個々の価値判断に丸投げするのは間違いだ。 同性同士の結婚を認めない民法などの規定が「違憲」と判断した裁判所の判断は、屁理屈であり、司法による越権行為の横暴であり、司法が自ら憲法を捻じ曲げて解釈し正当化しようとしているもので、到底許されない。 もっと正確に言えば、札幌地裁・高裁の判決は、素人でも分かるような憲法解釈を曲解している、間違った憲法解釈をしている、と言う他ない。 憲法14条、24条を素直に読めば、同性同士の結婚を認めない民法などの規定は「合憲」である。 同性婚を認めるためには、その前に憲法改正が必要なことは自明の理である。 仮に国がパートナーシップ制度などの公的な家族として認める制度を用意しても、憲法を改正しない限り、同性同士の結婚を認めない民法などの規定は「合憲」である。 2024/10/30の東京高裁判決も同様である。 「生きていてよかった」「うれしい」同性婚訴訟、違憲判決に原告ら喜び 支援者も拍手 2024/10/30 21:11 https://www.sankei.com/article/20241030-WLMWOABJXBKBJJIIXWDTXZOBQA/ 同性同士の結婚を認めない民法と戸籍法の規定は憲法違反と判断した東京高裁判決に2024年10月30日、原告からは喜びの声が上がった。 判決後、高裁前で原告らが 「婚姻の平等へさらに前進!」 と書かれた横断幕を広げると、支援者らが拍手で祝福した。 「裁判長の口からはっきり『違憲』と聞けて、生きていてよかったなと思えた瞬間だった」。 判決後の会見で、原告の小川葉子さん=60代=は、安堵の表情を見せた。 提訴から5年が経ち、亡くなった原告もいる。 小川さんは 「私たちも時間がない」 「立法に向けて一歩でも早く進んでほしい」 と法整備を求めた。 判決は、婚姻の意義として 「配偶者としての法的身分関係の形成」 に言及。 小川さんのパートナー、大江千束(ちづか)さん=同=は 「配偶者という言葉を言ってくれたのが凄く嬉しかった」 と話した。 原告の小野春さん=仮名、50代=は、女性パートナーと子供3人を育てる。 「法律の後ろ盾がない中、手探りで子育てをやることも多かった」 と言い、 「色々な家族がいるということを(判決で)言ってもらえた」 と笑顔を見せた。 同性婚認めない現行法は「差別的取り扱い」 立法府に対応求める 東京高裁判決 2024/10/30 21:06 https://www.sankei.com/article/20241030-2ML2XLEURJOYDNKZAQ6TYT5IVY/ 同性婚を巡る訴訟で、再び 「違憲」 判断が示された。 同種訴訟でこれまでに地高裁で出された計8件の判決のうち、 「合憲」 は僅か1件。 2024年10月30日の東京高裁判決は、同性婚を認めない現行法の規定を 「差別的取り扱い」 と指摘し、立法府に対応を求めた。 主な争点は、民法などの規定が 「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」 とした憲法24条1項▽「婚姻や家族に関する法律は個人の尊厳に立脚して制定する」とした24条2項▽「法の下の平等」を定めた14条1項−に違反するかだった。 高裁判決はまず、婚姻制度の目的を検討した。 憲法制定時は同性婚を想定していなかったとした上で、婚姻の目的として、子を持つことより相手との人間関係が重視されてきたと指摘。 配偶者という法的身分は 「安定的で充実した社会生活を送る基盤」 として 「重要な法的利益」 で、性的指向にかかわらず尊重されるべきだとした。 また、複数の世論調査で同性婚に反対する人が3割未満だったこと、同性カップルを公的に認める 「パートナーシップ制度」 が400超の自治体で導入されていることなど、社会的容認が進む国内外の変化に言及。 現在も同性婚を認めないのは14条1項と24条2項に違反すると結論づけた。 1審東京地裁判決ではパートナーシップ制度などの存在を念頭に 「違憲状態」 とするにとどめたが、控訴審判決は同制度について 「一定の効果にとどまる」 と捉えた上で、具体的な制度構築は国会に委ねた。 控訴審判決は同性パートナーの親の死亡時に忌引休暇が使えなかったといった、原告それぞれの具体的な生活状況も検討。 同性婚ができないことで重大な不利益が原告にあったと認めた。 今年2024年3月の札幌高裁判決は24条1項が 「同性婚も保障する」 と踏み込んだが、東京高裁判決は判断を示さなかった。 ■「司法と立法の役割、峻別」 棚村政行・早稲田大名誉教授(家族法) 東京高裁判決は、同性婚に関する規定がないことを違憲と判断することで、国会での立法による解決を強く促すと共に、社会的混乱の回避も狙うものだ。 司法判断を示す裁判所と、立法機関である国会が出来ることを峻別した点で、穏当なアプローチを取ったと言える。 判決は、今年2024年3月の札幌高裁判決と違って憲法24条1項が同性婚を保障するとの立場はとらず、同性カップルの婚姻に関する規定がないことが差別的だと指摘する形を取った。 その上で、制度設計は国会に委ねられるとの見解も示した。 同性カップルの社会保障や税法など、司法判断では解決出来ない問題がある。 東京高裁判決は、司法の立場を弁えつつ、人権を守る最後の砦の役割を果たそうとしたものとも言える。 同性婚訴訟を巡る2つの高裁判決でいずれも違憲の判断が出たことで、司法の流れは固まりつつある。 政府は今回の判決を重く受け止め、同性婚に関する問題の検討や議論を開始すべき立場に置かれている。 同性婚認めぬ規定、東京高裁も「違憲」 国の賠償責任は認めず 2024/10/30 10:14 https://www.sankei.com/article/20241030-QMURUNW7NFPXPJGQCE43QNFBPI/ 同性同士の結婚を認めない民法と戸籍法の規定は憲法違反だとして、同性カップルの当事者7人が国に計700万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が2024年10月30日、東京高裁であった。 谷口園恵裁判長は、規定は 「個人の尊厳」 を定める憲法24条2項などに反して 「違憲」 と判断した。 賠償請求は退けた。 全国5地裁に6件起こされた同種訴訟で、2審判決は2件目。 今回の判決で、違憲は4件、違憲状態は3件、合憲は1件となった。 国の賠償責任が認められた例はない。 谷口裁判長は、婚姻によって法的身分関係を形成することは 「重要な法的利益」 で、 「同性間においても十分尊重されるべきもの」 と指摘した。 その上で、男女間にしか法律婚を認めないことは 「合理的な根拠に基づかない差別的取り扱い」 で、憲法24条2項の他、 「法の下の平等」 を定めた14条1項にも反するとした。 一方、同性婚に関する最高裁の統一判断がまだ示されていないことなどから、国の賠償責任までは認めなかった。 訴訟の主な争点は、異性間の婚姻を前提とした民法や戸籍法の規定が、 ▽「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」とした憲法24条1項 ▽「婚姻や家族に関する法律は個人の尊厳に立脚して制定する」とした24条2項 ▽「法の下の平等」を定めた14条1項 に違反するかだった。 今年2024年3月の札幌高裁判決は、規定が憲法24条1項に反するとして、違憲と判断していた。 卑怯なパーティー禁止案 産経新聞 2024年6月16日 弁護士 北村晴男 立憲民主党は政治資金パーティー禁止法案を提出する一方で、岡田克也幹事長ら複数幹部がパーティー開催を予定していた。 彼らの心の内は 「政治には金が掛かる」 「政治資金パーティーは、政治家が支持を訴え、これに賛同する有権者から政治資金を集めるという民主主義の根幹を成すもので、これを禁止するのは間違いだ」 「しかし、禁止法案はきっと国民に受ける」 「これは絶対に成立しないから出そう」 というもの。 その証拠に批判を受けてパーティー中止に追い込まれた岡田氏は思わず、記者の前で漏らした。 「政治改革の議論が決着するまで控えた方がいい」。 パーティーを開くつもり満々である。 その心根は実に卑怯で、国民を愚弄するにも程がある。 それにしても立憲民主党の党利党略は目に余る。 国益を図る党なら、政治資金パーティーの必要性、有益性を説明すべきなのに、立憲民主党はむしろ禁止法案を出して政権批判の具に利用する。 戦前、ロンドン海軍軍縮条約に調印した内閣を、野党・立憲政友会の鳩山一郎(鳩山由紀夫元首相の祖父)や犬養毅が 「天皇の統帥権の侵略だ」 と猛烈に批判したのとよく似ている。 統帥権は軍の最高指揮官で、軍政に関わる軍縮条約とは無関係だが、鳩山らはそれを百も承知で軍部の暴論に乗り、批判。 その結果、軍部は限りなく増長を続け、政党政治は死滅し、日本は破滅の淵に追いやられた。 立憲民主党の行動原理もこれと寸分違わない。 彼らには国益のため立法府の義務を果たそうという使命感がない。 国会議員の究極の務めは、国民のため 「憲法を適切な改正により磨き続けること」 だが、その議論さえも避ける。 立憲民主党が提出した同性婚法制化の婚姻平等法もその例だ。 憲法24条は 「婚姻は、両性の合意のみに基いて・・・」 と定め、文言上、明らかに同性婚を想定していないから、法制化を目指すなら国会で憲法改正を発議し、国民投票に問うべきなのだが、それをしない。 先日の札幌高裁判決は憲法24条の文言を無理に解釈して同性婚を認めたが、国民の議論が大きく分かれる問題を、国会議員と国民ではなく裁判官個々の価値判断に丸投げするのは間違いだ。 自衛隊についても全く同じ。 最高裁は自衛権を認め、国民は自衛隊に信頼を寄せるが、多くの憲法学者は憲法9条を根拠に自衛隊を違憲とする。 この条文が放置されることで、憲法の権威は著しく傷付いている。 常に必要な改正をし、条文を磨き上げてこそ、憲法への信頼が保たれる。 だが、立憲民主党は衆参の憲法審査会でもサボタージュを続ける。 「立憲」 と名乗りながら、憲法の権威を傷付け続けるとは、何をか言わんやである。 林官房長官が同性婚制度について「国民の家族観にかかわる」 立民提出の法案巡り 2024/5/14 17:29 https://www.sankei.com/article/20240514-2JPHJ7Q7EBKZXDIFGM4Y7BMNXM/ 林芳正官房長官は2024年5月14日の記者会見で、立憲民主党が国会提出した同性婚を法制化するための民法改正案(婚姻平等法案)について 「(同性婚制度は)国民生活の基本に関わる問題だ」 「国民1人1人の家族観とも密接に関わるものと認識している」 と述べた。 同法案は、異性間の婚姻のみを前提としている文言を修正すると共に、従来の「父母」や「父」「母」を性中立的な「親」などの表記に改めることが柱。 保守層からは 「家族の在り方が崩壊し、バラバラの個人の集合体のような国になりかねない」(ジャーナリストの櫻井よしこ氏) と慎重な意見が上がっている。 林氏は同性婚に関し 「まずは国民各層の意見、国会における議論の状況、同性婚に関する訴訟の動向、地方自治体におけるパートナーシップ制度の導入や運用の状況などを注視していく必要がある」 と語った。 実はあの本のパクリだった!札幌高裁「同性婚」判決、驚きの真実 八木秀次 2024/5/10 7:00 https://www.sankei.com/article/20240510-UIS26P7MTRJGDCXHHGS6Y3H2EQ/ マスコミ報道は分かり易さを追求するためか、しばしば法律論が大雑把になりがちだが、いわゆる同性婚問題についてはちょっと粗雑に過ぎる。 2023年までに全国5カ所の地裁で、同性同士の 「婚姻」 を認めない現行の民法や戸籍法の規定などについて判決が出されたが、多くのマスコミが、このうち4地裁で同性婚を認めていないことを 「違憲」 「違憲状態」 とする判決が出た、と報道していた。 例えば朝日新聞は 「同性どうしで結婚できないのは違憲とした(2023年)5月の名古屋地裁判決」(2023年6月21日付) と書いた。 しかし、これは明らかに誤報だ。 判決をよく読めば分かるが、実はこれらの中に、単純に同性婚を認めないこと自体を 「違憲」 や 「違憲状態」 とした判決は1つもない。 これらの判決は、同性愛者に対し結婚そのものを認めなければならないと言っているのではなく、結婚で得られるメリットの一部(例えば社会的承認など)を得られるようにすべきだと言っているに過ぎない。 逆に言えば、 「同性婚」 そのものの導入を命じることは慎重に避けられている。 例えば、札幌地裁の判決は 「同性愛者に対しては、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは…合理的根拠を欠く差別取扱いに当たると解さざるを得ない」 と述べるにとどめ、 「婚姻を認めないこと」 自体で違憲と断定されていない。 言い換えれば、せいぜい同性パートナーシップ制の法制化を示唆している程度で、同性婚法制化には躊躇していると言っていい。 少なからざる裁判官が、結婚を男女間に限定した現行制度を改めさせたいと思っているのは事実だろう。 しかし、結婚を男女間に限定することを 「違憲」 とすることには躊躇しているのである。 躊躇せざるを得ない理由の1つに憲法24条の文言がある。 同条は1項で 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」 と定めている。 つまり結婚は男性と女性の 「両性」 の合意によるものだと明言する24条の文言が、同性婚推進派の裁判官に対するストッパーになり、ストレートな違憲判決が出せないのが現実なのだ。 それなのにマスコミはこれを 「同性どうしで結婚できないのは違憲とした」 などと騒ぎ、多くの国民に 「憲法が同性婚導入を命じている」 と誤解させている。 これでは、きちんとした同性婚を巡る憲法論議はできない。 ■札幌高裁”摩り替え”判決 だが、ここに来て、ストッパーになってきた文言の 「壁」 を乗り越える判決が出された。 2024年3月14日の札幌高裁の判決だ。 これは同性婚を認めていない民法などの規定は憲法24条に違反すると明言し、更に同条が同性婚を保障しているとまで主張した驚くべき判決だ。 「同性」 という言葉があるのに、どうして違憲判決を出せるのか? 常識ある読者はこう疑問に思うだろうが、そこには頭のいい裁判官らしい巧妙な論理、言い換えれば 「屁理屈」 がある。 単純に言うと、判決は憲法の 「両性」 という言葉を、 勝手に 「当事者」 と読み替えているのである。 「両性」 を 「当事者」 と変えると、24条はこうなる。 「婚姻は、当事者の合意のみに基づいて成立し・・・」 なるほど、これなら同性婚も認め得る。 しかし、裁判官が勝手に憲法の文言を書き換えるような真似をしていいのか。 判決はその疑問にこう答える。 憲法の解釈は 「文言や表現のみでなく、その目的とするところを踏まえ」 て行われ、 「社会の状況の変化に伴い、やはり立法の目的とするところに合わせ、改めて社会生活に適する解釈をすることも行われている」 その上で、判決はこう結論付ける。 「憲法24条1項は、人と人との間の自由な結び付きとしての婚姻をも定める趣旨を含み、両性つまり異性間の婚姻のみならず、同性間の婚姻についても、異性間の場合と同じ程度に保障していると考えることが相当である」 ■実は「ネタ本」があった・・・ 要するに、憲法の言葉を同性婚推進派の都合のいいように摩り替えたのだ。 「法の番人」 として、法の文言を重んじる裁判官にしては大胆な手法だが、実はこの論理には元ネタがある。 裁判官出身で元最高裁判事の千葉勝美氏の『同性婚と司法』(岩波新書、2024年2月刊)と、千葉勝美氏が2年前の2022年に発表した論文である。 同書は初めから同性婚を認めるべきだとの結論ありきで、そのためにどうやってこれまでの憲法解釈を曲げるかを示した憲法解釈のマニュアル本のような著作だ。 札幌高裁の判決は千葉勝美氏の論理も言葉遣いもそのまま借用しているように見える。 「パクリ判決」 と言ってもいいだろう。 千葉勝美氏は憲法24条の 「両性」 の用語について論文で次のように述べている。 「男女の属性を持ったものと言う意味から、その本来の意図を踏まえると、・・・明確な異性婚を想定させない『当事者』、『双方』の用語でも足り、・・・そのような趣旨で、あるいは限度での『憲法の変遷』が生じているのではないか」 「『憲法の変遷』の考え方を取り込み、・・・同性同士の婚姻も排除しない、すなわち許容していると解することの出来る別の用語として捉えることが許されるような状態に変遷していると考えることができよう」 (『判例時報』2506・2507号、2022年3月)。 難解な文章だが、要するに憲法条文の意味は時代によって 「変遷」 しているのだから、 「両性」 「夫婦」 の文言は 「当事者」 「双方」 と読み替えていいのだというのである。 札幌高裁判決とそっくりの内容だ。 ポイントになるのは 「憲法の変遷」 という考え方だろう。 これは19世紀ドイツの公法学者、ゲオルグ・イェリネックが提唱した理論で、日本国憲法のように改正が、難しい 「硬性憲法」 は、簡単に改正できないから、社会との間に齟齬が生じる場合は、同じ文言でもその意味が変遷していくと考えるべきだ・・・というものだ。 同性婚推進派の千葉勝美氏は憲法24条の 「壁」 を乗り越えるためには 「憲法の変遷」 論に基づく文理解釈、即ち 「両性」 から 「当事者」 への読み替えが 「同性婚を憲法上の権利として法制化するための唯一の憲法解釈」 であるとし、司法(裁判所)が毅然としてこれを主張すべきだと煽っている(『同性婚と司法』)。 札幌高裁はこれに乗った形だ。 しかし、である。 「憲法の変遷」 論は学説として存在するのは事実だとしても、裁判所の憲法解釈として妥当なのだろうか。 憲法を文言の原意に関係なく、裁判官の主観的判断で再解釈することは、司法がその権限を越えて文言を改正すること、つまり事実上の立法行為をするに等しい。 立憲主義や憲法の規範性に反する。 私自身は、そもそも 「同性婚」 は子供を産み育てるための制度である婚姻制度の趣旨に相容れないことから、その法制化に反対だが、今、司法で行われていることは、こうした議論とは次元が異なる。 憲法改正は国会の発議で国民投票によって決めるべきものだと憲法が定めているのに、それを司法が勝手に行っていいのかという問題だ。 仮に同性婚を法制化したいのであれば、正面から憲法24条の改正を唱えるのが筋だろう。 裁判所による 「裏口からの憲法改正」 の是非が問われている。 それは裁判官が決めることですか?「同性婚」判決に潜む高慢 米弁護士S・ギブンズ 「正しさ」に潜む高慢 2024/4/11 7:00 https://www.sankei.com/article/20240411-AYWGXSRU3VOOVIMFXC2CZA4YAA/ 裁判官は国民の価値観を決められるほど、賢い存在なのだろうか。 先日の札幌高裁の判決は、実質的に、同性婚を認めるように民法および戸籍法の改正を国会に命じるものであった。 結婚は歴史的に男女間のみに限定されてきたが、現在では、そういう価値観は非合理的になったというのである。 「同性婚に対する否定的な意見や価値観を有する国民も少なからずいる」 「もっとも、これらは、感情的な理由にとどまるものであったり、異性婚との区別について合理的に説明がされていなかったりするものである」 つまり、結婚は男女のものだという考えは、理性的な人間ならば否定すべき迷信に過ぎない、というのだ。 同性が結婚するのは不自然だという価値観を心の中に抱くだけでも、天動説を信じる者であるかのように扱われるのだ。 その根拠は何か。 判決では、憲法13条(個人の尊重、幸福追求の権利)、24条1項(両性の合意に基づく婚姻)と2項(個人の尊厳、両性の本質的平等)、14条1項(平等権)という観点から、 「合理性」 に基づいて結論を導いた。 同性婚を認めない法律は 「合理的な根拠を欠く」 もので、違憲であり無効であると。 「合理」「合理」…裁判官はすべてをこの言葉で説明するが、しかし、人間とはそんなに合理的な存在だろうか。 何が正しくて、何が正しくないか、道徳や倫理上の問題を突き詰めていくと 「合理的な」 論理では説明がつかないということを裁判官たちは知らないようだ。 例えば、日本でも有名な1912年の客船タイタニック号沈没事故。 男性よりも子供や女性を優先して救うことに誰も疑問を抱かなかったが、その順位付けは 「合理的」 だったのだろうか? なぜ例えば、一番強くて賢い者が優先ではなかったのか? ただの合理から答えは導けない。 タイタニック号の乗組員や乗客は、論理ではなく、何世紀にも渡って培われてきた倫理的本能に基づいて行動したのだ。 同性婚に否定的な意見や感情も同じである。 家族、男女の役割と関係、親と子の関係など、日常生活の中核にある価値観、道徳的感情は、古くからある伝統的で複雑な要素に基づいているもので、 「合理的」 な論理では説明できない。 ■不合理の一言で切り捨て あるいは、過去半世紀に渡ってアメリカの法廷を悩ませてきた人工妊娠中絶の問題を考えてみよう。 アメリカでは、連邦最高裁が1973年の 「ロー対ウェード」 判決で、中絶手術を他の手術と区別するのは不合理であると結論付けて以来、合衆国憲法に一言も明示されていない女性の中絶権が認められてきた。 しかし、中絶手術を受ける女性のほとんどが、他の手術後には起こり得ない本能的な自責の念や、胎児に対する罪悪感を経験する。 その感情を 「不合理」 の一言で片付けることができるだろうか? また、やがて生まれる命が人工的に奪われることに憤りを覚えることを、 「不合理」 の一言で切り捨てられるだろうか。 恐らく出来ないだろう。 中絶の是非は別としても、これらは純粋な論調だけでは答えの出ない複雑な問題である。 少なくとも、黒い法服をまとった賢い裁判官が正しい答えを出すべきではない。 生物学や歴史に根差した道徳的本能を 「非合理的」 「不合理」 なものとして排除するために、 「合理」 を前面に押し出すのは早計ではないか。 連邦最高裁は50年かけて、ようやくそれに気付き、2022年、憲法解釈を改めたのだが、50年前のアメリカの後を追ったのが札幌高裁の裁判官たちだった。 同性婚を巡る憲法24条について 「いつ誰と婚姻するかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解され・・・十分尊重に値するものと解することができる」 として、性別に関係なくお互い同意している2人の結婚を禁止することは客観的に見て不合理であると結論付けた。 しかし、誰と結婚するかを制限することが 「不合理」 だと言うなら、それはなぜ同性婚にとどまるのか? 兄弟姉妹の結婚や、3人以上での結婚はどうなるのか? 同意のある成人同士であれば、近親婚や一夫多妻制を法的に禁止することは、同性婚を禁止すること以上に合理的なのだろうか? 同性婚支持者の多くは、近親婚や一夫多妻制に対するタブーは明確に区別できると訴えているようだ。 しかし、それはなぜだろうか? 同性愛、近親相姦、一夫多妻制に対する古来のタブーは、ある意味で全て等しく 「不合理」 なはずである。 ■賢き者、それは裁判官か? アメリカやヨーロッパの同性婚を求める政治運動では、同性愛者は異性愛者と同じように安定した家族関係や子供を望む普通の人々であると主張されている。 彼らは他の人と同じように父性本能や母性本能を持っている。 たまたま同性を好むだけなのだと。 スローガンは 「愛は愛」。 このような人々に結婚の恩恵を与えないのは残酷だとされる。 確かに、伝統的な家庭生活を営み、配偶者に忠実で、良き親である同性カップルがいることは事実だろう。 しかし、同時に全ての同性愛者が1人のパートナーと静かな家庭生活を送ることに関心があるとも思えない。 最近辞任を発表したアイルランド前首相のレオ・バラッカー氏が典型的だろう。 彼は既同性婚者であるにもかかわらず、ゲイクラブで他の男性と性行為に及んでいるところをスクープされた。 彼のパートナーはそのことを気にしていないようだった。 もちろん男女の結婚にも不倫はあるし、同性愛者そのものは自由であるという他にないが、だからといって、同性婚を男女の結婚と同じように認めるのは安直に過ぎないだろうか。 札幌高裁の判決は、近年同性婚を合法化した欧米諸国の例を列記した。 要するに、日本は後進国で時代遅れだから他の国々のように同性婚を受け入れるべきだと言いたいのだろう。 しかし日本は慌てて追随する前に、欧米で同性婚導入に続いて定着したジェンダー・イデオロギーがどのような結果をもたらしたかに目を向け、日本にとってそれが望ましいのか考えるべきではないか。 欧米では、同性愛者に結婚する権利を与えてくれ、という要求が、より過激な要求に拡大していった。 かつては 「倒錯」 的な趣味と見做されていたSM愛好者などもLGBT文化を賛美する 「ブライド・パレード」 などで堂々と闊歩するようになった。 公衆トイレを男女別にしたり、男の子にはロボットのオモチャ、女の子には人形を買ってやったりする行為も、今や差別と見做されている。 アイデンティティーが女性だと主張する男性は、陸上競技で女性と競争することを許可されなければならない。 生まれつきの性差を基本的に不自然かつ不正と見做す国となっているのだ。 その根底にあるのは、社会的性差(ジェンダー)のみならず、生物としての性別すら、社会の偏見であって、根拠のないものだという極端な思想、性別とは個人が自由に選択できる 「アイデンティティー」 の1要素であるという考えだ。 果たして、日本国民の大多数は、このような 「合理的」 な社会で幸せに暮らせるだろうか。 札幌高裁の判決は、同性婚への反対は不合理であるから、 「立法府の裁量を超えるものである」 として同性婚導入を命じる。 しかし、結婚の在り方は日本国民の価値観に関わる重要な問題である。 それは裁判官ではなく、日本国民自身が民主的に選出された立法府の民主的な議論によって決めるべき問題のはずだ。 札幌高裁の判決は余りに反民主的で高慢だ。 同性婚訴訟 札幌高裁判決の要旨 2024年3月15日産経新聞 ▽性的指向 同性愛者は婚姻が許されていないため、社会生活上の不利益を受け、アイデンティティーの喪失感を抱いたり、社会的な信用、評価、名誉感情などを維持するのが困難になったりするなど、人格が損なわれる事態となっている。 性的指向は生来備わる人としてのアイデンティティーで、個人の尊重に関わる法の保護は同性愛者も同様に享受されるべきだ。 同性愛のみならず、愛する対象が異性と同性の双方の場合、性を自認できない場合なども同じように考えらえる。 ▽憲法14条1項 憲法14条1項は法の下の平等を定め、差別的な取り扱いを禁止する趣旨だ。 立法府の裁量権を考慮しても、取り扱いの区別に合理的な根拠が認められない場合は同項違反と判断すべきだ。 性的指向と婚姻の自由は重要な法的利益だが、同性婚は許されていない。 それにより同性愛者は制度的な保障を享受できず、著しい不利益を受けている。 性的指向の区別は合理的根拠を欠いており、憲法14条1項に違反する。 ▽憲法24条 憲法24条1項は、人と人の自由な結び付きとしての婚姻をも定める趣旨だ。 同性間の婚姻も異性間と同じ程度に保障していると理解できる。 憲法制定当時は同性婚が想定されておらず、両性間の婚姻を定めているが、文言のみに捉われる理由はなく、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景の下で解釈するのが相当だ。 憲法24条2項は、婚姻や家族に関する立法に当たっては、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきだと定めている。 憲法上の権利に至らない国民の人格的利益をも尊重し、婚姻が事実上不当に制約されないことにも十分に配慮した法制定を要請している。 同性婚を許さず、これに代わる措置を一切規定していないのは、憲法24条の規定に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超える状態に至っていると認めるのが相当で、憲法24条に違反している。 ▽国民世論 国民に対する調査でも同性婚を容認する割合はほぼ半数を超えている。 否定的な意見を持つ国民もいるが感情的な理由にとどまっている。 啓蒙活動によって解消していく可能性がある。 同性婚について法制度を定めた場合、社会的な影響も含め、不利益・弊害が生じることは窺えない。 ▽付言 同性婚を許さない規定は、国会の議論や司法手続きで違憲だと明白になっていたとは言えず、制度設計についても議論が必要だ。 だが違憲性を指摘する意見があり、国民の多くも同性婚を容認している。 社会の変化を受け止めることが重要だ。 同性婚を定めることは国民に意見の統一を求めることを意味しない。 個人の尊厳を尊重することであり、同性愛者は日々の社会生活で不利益を受け、喪失感に直面しており、対策を急いで講じる必要がある。 喫緊の課題として、異性婚と同じ制度の適用を含め、早急に真摯な議論と対応が望まれる。 日本国憲法 第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 同性婚めぐる札幌高裁判決 産経「家族制度壊しかねず不当」 朝毎東、政府・国会に立法求める 社説検証 2024/4/3 9:00 https://www.sankei.com/article/20240403-47HTMEGF7NMOLBFX5FBU6OYZL4/ 同性同士の結婚を認めない民法などの規定は憲法違反だとして、北海道の同性カップル3組が国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、札幌高裁は 「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」 とした憲法24条1項は 「同性婚も保障している」 とする初判断を示した。 同性婚を認める判断を 「不当な判決」 と批判した産経と対照的に、朝日、毎日、東京は判決を評価、政府や国会に同性婚の法整備を求めた。 同種の訴訟は全国の5地裁で計6件起こされており、今回は初の控訴審判決となった。 札幌高裁は、現行の民法などの規定は、個人の尊厳に立脚した婚姻や家族に関する立法を求めた24条2項や、「法の下の平等」を定めた14条1項にも違反するとした。 産経は 「国民の常識と隔たり受け入れられない」 「社会の根幹を成す伝統的な家族制度を壊しかねない不当な判決である」 と訴えた。 その上で24条1項について 「男女、異性間の婚姻について定めているのは明らかだ」 「同性婚は想定していない」 と指摘した。 今回の判決も文言上は異性間の婚姻を定めた規定だと認めているが、 「人と人の結び付きとしての婚姻」 についても規定する趣旨があるとしている。 これについて産経は 「無理がある」 「憲法の条文を蔑ろにする、ご都合主義だと言う他ない」 と批判した。 一方、 朝日は 「当事者は日々、喪失感に直面しており、急いで対策を講じる必要がある」 と強調し、様々な制度は異性間の結婚を前提に作られているとして、 「整合性のある法制化に1日も早く着手する時だ」 と訴え た。 毎日は 「同性愛者と異性愛者が社会的に区別される謂れはない」 「共に個人として尊重されるべきだと、明確に示した画期的判断だ」 と高く評価した。 併せて 「性的指向は個人のアイデンティティーに関わり、法的に保護される必要があるという当然の認識から、導かれた結論だ」 と理解を示した。 東京も 「性的指向・性自認に即して、不自由なく暮らすことは大事な権利だ」 「立法を急がねばならない」 と提起した。 これら3紙は政府や国会の責任も追及している。 朝日は 「同性カップルの存在を自然に受け止めている社会の変化に、法制化に向けた議論すら始めようとしない自民党は気付いていないのだろうか」 と難じた。 岸田文雄首相が参院予算委員会で 「引き続き、判断に注視していく」 と述べたことにも触れ、 「政府・国会がただ見ているだけでは、遠からず不作為を問われることになりかねない」 と論じた。 毎日は 「政府や国会は重く受け止め、直ちに同性婚の法制化に動かなければならない」 「個人の尊厳を守るには、制度で権利を保障することが不可欠である」 と訴えた。 東京は 「政府の腰が重いのなら、立法府主導で法整備を進めることが国民代表の責任だ」 と国会にも対応を促した。 日経は 判決の直接的な評価には踏み込まず、 「同性カップルが家族として尊厳を持って暮らすためには、どのような法整備が必要なのか」 「度重なる司法からのメッセージを重く受け止め、国会や政府の場で議論を急ぐべきだ」 と提言した。 産経は、 性的少数者への差別解消と結婚や家族のあり方の議論は分けて考えるべきだとの立場だ。 「拙速な議論は社会の分断を招き、却って差別解消から遠のきかねない」 と懸念を示し、自治体や企業なども 「同性カップルを巡る法的・経済的不利益について考慮し、きめ細かな施策を進める現実的な議論が必要だ」 と説いた。 同性婚を巡る問題は家族観と密接に関わってくる。 婚姻制度には、男女の夫婦が子供を産み育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与える目的があることを、改めて認識したい。 ◇ 同性婚の札幌高裁判決を巡る主な社説 【産経】 ・国民常識と隔たり不当だ(2024年3月16日付) 【朝日】 ・「違憲の法」いつ正す(2024年3月16日付) 【毎日】 ・尊厳を守る画期的判決だ(2024年3月16日付) 【日経】 ・早急な議論を迫る同性婚判決(2024年3月21日付) 【東京】 ・「結婚の自由」立法急げ(2024年3月16日付) <主張>同性婚で高裁判決 国民常識と隔たり不当だ 社説 2024/3/16 5:00 https://www.sankei.com/article/20240316-GOG5YLYCPNJFTO7XI7MWBQBP6Y/ 同性同士の結婚を認めない民法などの規定について札幌高裁は、 「婚姻の自由」 を定めた憲法24条などに反し違憲だとする判断を示した。 同性婚を認めるもので、国民の常識と隔たり受け入れられない。 社会の根幹を成す伝統的な家族制度を壊しかねない不当な判決である。 北海道の同性カップル3組が国に計約600万円の損害賠償を求めていた。 これを含め全国5地裁で起こされた計6件の同種訴訟で初の控訴審判決だ。 「違憲」 とした札幌高裁判決で、とりわけ首を捻るのは、憲法24条1項について 「同性婚も保障している」 と踏み込んだことだ。 「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」 としたこの規定は男女、異性間の婚姻について定めているのは明らかだ。 同性婚は想定していない。 一連の地裁判決もそう解釈し、今回の判決も文言上は異性間の婚姻を定めた規定だと認めている。 にもかかわらず、規定の目的を考慮する必要があるとし、 「人と人の結び付きとしての婚姻」 について定めた趣旨があるとしたのは無理がある。 憲法の条文を蔑ろにする、ご都合主義だと言う他ない。 判決は、同性愛者に婚姻を許していないのは差別的取り扱いで、法の下の平等を定めた憲法14条1項に反するともした。 国民世論にも触れ、同性婚に否定的な意見を持つ国民もいるが感情的な理由にとどまっているとも言っている。 だが決してそうではない。 一連の訴訟で国側が主張してきたように婚姻制度は、男女の夫婦が子供を産み育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与える目的がある。 同性愛者など性的少数者への差別解消や権利擁護と、結婚や家族の在り方の議論は分けて考えるべきだ。 札幌高裁判決に林芳正官房長官が 「同性婚制度の導入は国民生活の基本に関わる問題で、国民1人1人の家族観とも密接に関わるものだ」 と慎重な立場を示したのはもっともだ。 拙速な議論は社会の分断を招き、却って差別解消から遠のきかねない。 自治体や企業などを含め、同性カップルを巡る法的・経済的不利益について考慮し、きめ細かな施策を進める現実的な議論が必要だ。 <産経抄>同性婚、米民主党政権の価値観に引きずられるな 2024/3/16 5:00 https://www.sankei.com/article/20240316-U53UOYSVZBMM5HFUF2WRX2AMFY/ 「婚姻の自由、そして法の下の平等を実現するために、日本がまた一歩前進しました」。 エマニュエル米駐日大使は2024年3月14日、X(旧ツイッター)で憲法は同性婚も保障しているとの札幌高裁の初判断について記した。 2023年のLGBT理解増進法審議の際もそうだったが、日本を12歳の少年扱いした占領軍のマッカーサー最高司令官まがいの上から目線が鼻につく。 ▼憲法24条1項は 「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」 と定める。 この部分は、連合国軍総司令部(GHQ)が1946(昭和21)年2月13日に日本側に交付した憲法改正案では 「男女両性」 と明記されており、両性が男女のことであるのは自明だろう。 ▼そもそも当時、米国は同性婚はおろか同性愛行為すら法律で禁止していた。 そうした前提に立ち改正が難しい硬性憲法を日本に押し付けておいて、今更一歩前進などとよく言う。 同性婚の是非は日本自身が決める。 内政干渉は慎んでもらいたい。 ▼自民党の小野田紀美参院議員は2024年3月12日、Xで令和5年の党員数が前年比で約3万4000人減少した問題について指摘した。 「LGBT法通した後ですよ、うちで激減したのは」。 エマニュエル氏が 「我々の価値観」 と述べて日本の政界に熱心に働きかけた同法は、政権に小さくないダメージを残している。 ▼岸田文雄首相は2024年3月15日の国会で答弁した。 「双方の性別が同一である婚姻の成立を認めることは、憲法上想定されていないということが従来の政府見解だ」。 エマニュエル氏に代表される米民主党政権の価値観に、これ以上引きずられてはなるまい。 ▼2024年11月の米大統領選では、トランプ前大統領率いる共和党の復権もあり得る。 政府が慌てて宗旨変えする醜態は見たくない。 【主張】同性婚否定「違憲」 婚姻制度理解せず不当だ 2021.3.18 05:00 https://www.sankei.com/column/news/210318/clm2103180003-n1.html 婚姻届が受理されなかった同性カップルが、国に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。 札幌地裁は賠償請求を棄却しながらも、同性婚を認めないのは法の下の平等を定めた憲法14条に反すると 「違憲」 判断を示した。 耳を疑う。 婚姻制度は男女を前提とし、社会の根幹を成す。 それを覆す不当な判断だと言わざるを得ない。 同性婚を巡る訴訟は、この札幌を含め東京、大阪など全国5地裁で起こされ、初の判決として注目されていた。 札幌地裁の訴訟の原告は、男性カップル2組と女性カップル1組で、婚姻届が受理されなかったため、国に計600万円の損害賠償を求めていた。 札幌地裁は、国は当時、違憲性を認識できなかったとして、損害賠償は認めなかった。 判決は、民法などの婚姻に関する規定が同性婚を認めないのは憲法14条に反するとした。 同性カップルに婚姻によって生じる法的効果の一部すら与えないことは立法府の裁量権の範囲を超え差別に当たるなどとも判じた。 一方で、札幌地裁は、憲法24条の 「婚姻は両性の合意のみに基づく」 との条文について、 「異性婚について定めたものであり、同性婚について定めるものではないと解するのが相当である」 として、原告側の主張を退けた。 それでは憲法24条は、14条違反ということになる。 24条について判決は 「同性愛者が営む共同生活に対する一切の法的保護を否定する趣旨まで有するとは解されない」 と述べたが、 「両性の合意のみ」 の両性を異性間と規定する以上、この解釈には無理がある。 この矛盾を解消するためには、憲法改正を議論しなければならないはずだ。 国側が主張してきたように、婚姻制度は、男女の夫婦が子供を産み育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与える目的がある。 社会の自然な考え方だ。 同性愛など性的少数者への偏見や差別をなくす取り組みが必要なのはもちろんだが、そうした権利擁護と、結婚や家族のあり方の議論は分けて考えるべきだ。 同性カップルを公認するパートナー証明などを設け、権利を擁護する自治体もある。 企業などを含め、法的・経済的不利益について事情を十分考慮し、きめ細かな施策を進める方が現実的である。
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