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暦に刻むべき「日本敗戦の日」(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/420.html
投稿者 赤かぶ 日時 2024 年 9 月 01 日 20:25:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

暦に刻むべき「日本敗戦の日」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-63750e.html
2024年9月 1日 植草一秀の『知られざる真実』

1945年9月2日、米戦艦ミズーリの艦上で日本降伏文書の調印式が挙行された。

調印式の終了によって第二次世界大戦が終結した。

日本では日本降伏を定めたポツダム宣言受諾を天皇が国民に告知した8月15日を「終戦記念日」として大きく取り上げるが、第二次世界大戦終結を画するのは9月2日の日本降伏文書への調印である。

9月2日を「敗戦の日」として刻するのが正しい。

9月2日午前9時2分に調印式が始まった。

ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官のスピーチのあと、天皇と政府の代理として重光葵外務大臣が署名。

続いて日本軍大本営代表として梅津美治郎参謀総長が署名。

その後、マッカーサー最高司令官が連合国軍代表として署名したのに続き、アメリカ合衆国代表、中華民国代表、イギリス代表、ソビエト連邦代表、オーストラリア代表、カナダ代表、フランス代表、オランダ代表、ニュージーランド代表が署名。

マッカーサー最高司令官が神への短い祈りを述べ、調印式は約23分で終了した。

これによって、戦争が正式に終結した。

戦争終結は日本が日本の無条件降伏を定めたポツダム宣言を受諾したことによってもたらされた。

8月15日は日本のポツダム宣言受諾を天皇が国民に告知した日だが、この日に戦争が正式に終結したわけではない。

戦争終結は日本降伏文書への署名によって成立した。

「日本敗戦の日」、「敗戦記念日」としなければ歴史事実は後世に正確に伝わらない。

「敗戦」を「終戦」に置き換えることは、歴史を直視せず、歴史から目を背けて歪んだ認識を生み出す原因になる。

日本が過去に正面から向き合い、過去に対する歴史認識を確認し、反省の上に近隣諸国への謝罪の意を表明したのが1995年の村山談話。

来年は日本敗戦から80年、村山談話から30年という節目の年を迎えることになる。

村山首相は談話で次のように述べた。

「平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。

私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。」

「われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。」

村山談話の核心は以下の部分。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。

私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」

歴史の事実に真摯に向き合い、その歴史の事実を認識し、反省や謝罪の意思を示すことは尊いこと。

勇気のある行動だ。

歴史事実を直視し、反省や謝罪の姿勢を示すことを「自虐的」と批判する者がいるが、大きな間違いだ。

歴史事実を直視して、反省や謝罪の行為を示すことは、未来に向けての誠実な姿勢。

自らのプライドを大切にする行為である。

歴史から目を逸らし、あったことをなかったことにし、事実に反して自己を正当化する行為が自らを損ねる自虐行為である。

過去を正面から見据え、是を是、非を非として、反省と謝罪の姿勢を貫くことによって、歴史は区切られ、新たな発展の素地が出来上がる。

歴史事実を否定し、事実に基づかずに自己を正当化して、反省と謝罪を否定することは、あまりにも卑屈である。

この卑屈な行為が自らの未来を暗黒に転落させる。

真の愛国者は歴史から目を逸らさない。

自らに誤りがあれば、その誤りを謙虚に認め、謝罪の姿勢を示すとともに、その真摯な姿勢で新しい未来を切り開くことが自らを大切にする行動だ。

日本は「国策を誤り」、「国民を存亡の危機に陥れ」、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た。

村山談話は、このことを「疑うべくもないこの歴史の事実」と確認した上で、

「ここにあらためて痛切な反省の意」を表し、

「心からのお詫びの気持ち」を表明した。

日本敗戦の日を迎えるに当たり、すべての国民が村山談話の言葉を改めてかみしめる必要がある。

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コメント
1. 赤かぶ[224566] kNSCqYLU 2024年9月01日 20:25:30 : 37q3CiodoU : eHRCc1dFNTBRVUE=[841] 報告
<△24行くらい>

2. 赤かぶ[224567] kNSCqYLU 2024年9月01日 20:27:00 : 37q3CiodoU : eHRCc1dFNTBRVUE=[842] 報告
<△20行くらい>

3. 赤かぶ[224568] kNSCqYLU 2024年9月01日 20:28:23 : 37q3CiodoU : eHRCc1dFNTBRVUE=[843] 報告

4. 赤かぶ[224569] kNSCqYLU 2024年9月01日 20:31:12 : 37q3CiodoU : eHRCc1dFNTBRVUE=[844] 報告

5. 赤かぶ[224570] kNSCqYLU 2024年9月01日 20:32:56 : 37q3CiodoU : eHRCc1dFNTBRVUE=[845] 報告

6. 赤かぶ[224571] kNSCqYLU 2024年9月01日 20:33:52 : 37q3CiodoU : eHRCc1dFNTBRVUE=[846] 報告
<△20行くらい>

7. 赤勘兵衛![50] kNSKqJW6iXGBSQ 2024年9月01日 21:37:36 : fS3kt6likc : cG9GWDEyLmpWQ1E=[1] 報告
九月二日は敗戦記念日か。
非占領国になった記念日だな。
正式に米国の植民地になったわけだ。

もちろん今でも……
列島あちこちに占領軍がいるし、
彼らがいくらゴーカンしても罪を問えないからね。
 

8. アラハバキ[424] g0GDiYNug2@DTA 2024年9月01日 22:03:27 : V0SkbOdSQE : N2NVT1N6OGlQbS4=[5] 報告
United Nationsに降伏し、
彼らの秩序下に入った枢軸国側の政府&国民としては
踏まざるを得ない踏絵でもある。

間違っていたのは奴隷的な植民地主義政策を
やってきた当時の帝国主義世界全体であるのに、
お前達は間違っていて、俺たちは正義だったという
勝者の決着が付き物なのが戦争だ。

そしてこの踏絵を踏まなければ
→じゃあ、お前達は戦勝国秩序に対して
再挑戦の意図があるテロリストなんだなってことになる。
日本の保守や右派が去勢されたように大人しくなって
ポチ化してしまう現象はそこにある。

そこから脱却し、歴史を客観視するには、
まず、当時の国際法に照らしても
連合国・枢軸国、双方がやっていたことはどうだったのか
という点を突きつけることだろう。

例えば、原爆投下なんてのは、
戦時国際法・国際人道法等に照らしても明白な国際法違反だ。

9. 新共産主義クラブ[-11156] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2024年9月01日 22:14:59 : U0rSl1u4Qg :TOR d3Rnb1ltaHJoYXc=[-11] 報告
 
トルーマンさんも、ルーズベルトさんも、ヒロヒトさんも、もう死んでしまっているのに、

「連合国・枢軸国、双方がやっていたことはどうだったのかという点を突きつけることだろう。原爆投下なんてのは、戦時国際法・国際人道法等に照らしても明白な国際法違反だ」

などと言われても、

「そんな俺が生まれる前のこと言われても、俺は知らん」

と言われそうだ。
 

10. 銀の荼毘[513] i@KCzOS2lPk 2024年9月01日 22:47:26 : ICa0PncFv2 : LzlJekVuMnBoQmc=[258] 報告
<■62行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

植草は↓

↑毛沢東の→ 「日本軍の侵攻に感謝する」←これは1956年9月4日に🟰毛沢東が訪中した元日本軍中将・遠藤三郎に対して言った言葉について←説明する必要があるだろう。


 >日中戦争の時期、毛沢東は「国共合作」で得た国民党の情報を日本に売り、巨額の情報提供料を得ていました。それどころか、スパイを通じて日本軍との停戦を申し入れてもいます。毛沢東の基本戦略は、日本軍との戦いは蒋介石の国民党軍に任せ、温存していた力を日本軍が去った後の「国民党潰し」に使い、自分が皇帝になることにあったからです。
 >また、毛沢東は戦後も一貫して、日本の軍人と協力しようとしていました。1949年に中華人民共和国の建国を宣言したとはいえ、中国人の意識の上では「国共内戦」は終わっていません。当時は中共も台湾も「日本軍人の力を使って」相手を追い詰めることを考えており、日本の軍人は中台が「奪い合う」対象だったのです。冒頭の発言が、戦後に日本軍人に対してなされたのには、そういう背景があります。

 >また、今の中国共産党の姿勢からは想像しにくいかも知れませんが、毛沢東は「反日」ではありませんでした。
 >中華人民共和国は、「日本をやっつけた国民党軍をやっつけて誕生した国家」であり、毛沢東はそのことを明確に意識しています。だから、国民党支配の南京で起こった「南京大虐殺」には生涯一度も触れていませんし、「尖閣も沖縄も日本のものである。アメリカ帝国主義は日本に領土を返せ」と主張しています。
 習近平のように、対日戦争勝利記念日の9月3日に祝賀行事をやったこともありません。祝うのは、国共内戦の勝利で実現した「中華人民共和国」の建国記念日(10月1日)だけで、国民党を含む連合国の勝利は「他人事」であると認識していました。

>「歴史認識」を問うならば、日中ともに真に認識すべき点、議論の出発点とすべき点は「毛沢東は日本軍と共謀して国民党から政権を奪取した」という事実でしょう。健全な日中関係を取り戻す第一歩は、まずはこの事実を日本と世界がきちんと認識することです。日本人の中にも、中国に対する「罪悪感」から、なんとなく共産党の抗日プロパガンダを信じている人が少なくありません。しかし、中国の戦略は、まさにそこにつけ込んでいるのです。


↑中華人民共和国の🟰日本軍・日本国に対する評価は🟰敵国などではないし,侵略されたとの定義も無い。


もう一点,植草が説明すべきことがある!↓


>毛沢東は生きている間、「南京大虐殺」に触れることを嫌がったし、教科書にも載せようとしなかった。(日本語では「南京事件」と称するが、ここではユネスコで登録されたことと、毛沢東の「南京大虐殺」に関する見方を考察するので、中国流の「南京大虐殺」という文言を用いる。追記:中国語の原語では「南京大屠殺」だが、その日本語訳は「南京大虐殺」となる。中国にはそれ以外にも1927年3月にコミンテルンの陰謀とされる「南京事件」があるので、それと区別する意味である。)

>毛沢東らはそもそも、1937年7月7日に起きた盧溝橋事件(日中戦争が本格化した事件)の第一報を受けると「これで国民党軍の力が弱まる」と喜んだと、1938年年4月4日まで延安にいた(共産党軍の)紅第四方面軍の軍事委員会主席・張国トウ(トウ:壽の下に点4つ)が『我的回憶(我が回想)』で記録している。

>中共中央文献研究室が編纂した『毛沢東年譜』を見ても、この日付の欄には、ただひとこと「南京失陥」(南京陥落)という4文字があるだけだ。その前後は1ページを割いて1937年12月9日から12月14日まで開催していた中共中央政治局拡大会議のことが書いてあり、13日に4文字あったあと、14日からはまた雑務がたくさん書いてある。

>「南京大虐殺」に関しては「ひとことも!」触れていない

>『毛沢東年譜』は毛沢東の全生涯にわたって全巻で9冊あり、各冊およそ700頁ほどなので、合計では6000頁以上にわたる膨大な資料だが、この全体を通して、「南京大虐殺」という文字は出てこない。1937年12月13日の欄に、わずか「南京失陥」という4文字があるのみである。

中華人民共和国執行部は🟰日中戦争開始の盧溝橋事件を(喜び)。


🟰南京は通常戦闘によって陥落したのみで,日本軍による中国人虐殺を一切記録していない。


↑これが🟰ただ1つの真実である。

11. 銀の荼毘[514] i@KCzOS2lPk 2024年9月01日 22:58:51 : ICa0PncFv2 : LzlJekVuMnBoQmc=[259] 報告
<■70行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
(転載開始)

私の台湾視察旅行と蒋の暗涙

 岸信介先生は石橋首相の病気辞任により、57年2月首相に就任した。岸内閣に課せられた重大任務は、日米安全保障条約の改定交渉の成立であった。

 この安保改定に反対するいわゆる《60年安保闘争》なるものは、左翼や労組はもとより、青年・学生層まで〈アンポ・ハンタイ!キシヲ・タオセ!〉を叫んで、デモ隊は連日国会を包囲した。

 だが、岸首相は泰然として動ぜず、新条約を強行単独採決して、今日の日米安保条約の基礎を築いたのである。
 内閣総辞職後も岸先生は、親台湾・韓国の大物政治家として、友邦の首相とも親交が篤かった。ことに蒋介石とは昵懇(じっこん)の間柄であった。その岸さんがある時、安保闘争の当時、終始岸首相に味方して、安保改定に協力した若者を集めてこう言われた。

 「君たち、台湾を視察する気はないか。台湾は将来の日本の安全にとっても、日米安保の将来にとっても、重要な場所だ。君たちにその気があるなら、蒋介石総統にわしから手紙して依頼するがどうか」と言われた。

 かくして編成されたのが、陸軍画報社社長中山正男氏を団長とする5名の台湾視察団である。

 私もその1人に加わった。昭和41年(1966)9月19日、羽田空港を発って台北の松山空港へ。

 空港には外交部長はじめ、多くの役人や新聞記者らの出迎えを受けた。

 さすがに岸先生の紹介である。われわれは蒋総統の命により、到る所で“準国賓的”な待遇を受けた。

 まず行政府の貴賓室で、台湾の歴史と近代化、及び軍備状況についてスライド付きの説明があった。夜はオリエント・ホテルで外交部長の歓迎の宴。

 翌日は空路台中を経て台南の空軍基地を見学、鄭成功ていせいこう)の神社や遺跡を訪ね、高雄に宿泊。高雄は新興工業都市である。アルミ工場や海軍基地を見学、翌日汽車にて台中へ向かう。

 日月潭で遊び、高砂族と交流した。彼らの民族舞踊を見て再び台北へ、夜は台北市長の歓迎宴。

 翌日は金門島要塞を見学した。われわれの飛行機に護衛機までつくという丁重さである。金門島は全島要塞で、司令室も、兵舎も、集会場も、病院までも、すべてが地下である。現在も台湾と福州との間で、宣伝ビラ等を砲弾に込めて撃ち会っている由ときく。

 翌日は蒋経国、巌(がん)行政委員長との会談と招宴。そのまた翌日は、大陸からの難民収容所を見学、大陸の難民はすでに470万人にも達した由ときく。


 最後は蒋総統との会見である。

 蒋介石総統はすでに80歳、口辺に笑みを浮かべ、好々爺こうこうやといった感じだ。何応欽将軍はじめ多くの要人も同席した。〈写真は禁止とのこと〉総統は一段と高い所に坐をしめ、まず岸先生の近況と皆さんの台湾視察の感想はどうでしたか、と質問された。

 中山団長が詳細に報告し、この度の旅行に際しての行き届いたご配慮とご接待に対して深く感謝する旨を述べた。

 暫く懇談ののち、団員ひとりひとりが蒋総統の前に進み出て、謝辞を述べ、総統から握手を賜ることになった。
 私は総統に敬礼してから、「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げた。

 「いつか。」と聞かれるので「36年(昭和11)の3月、松井石根閣下にお伴して、南京で・・・・」と申し上げた。

 松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。

 ふるえ声で――「松井閣下には、申し訳なきことを致しました・・・・・」と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた。

 私は驚いた。

 一同も蒋総統のこの異様な態度に驚いた。

 周知の通り南京戦の直後、蒋は漢口にいてしきりに対日抗戦の声明文を発表したが、〈虐殺事件〉など一言も触れていない。
 
 何応欽軍司令官の『軍事報告書』の中にも一行もない。

 それを東京裁判は、松井大将の責任で20万余を虐殺したと判決して、絞首刑に処したのである。

 あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉じゅんほうしたばかりか、留学生当時から自分(蒋)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何らむくいることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。

 悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。

 蒋介石は私の手を2度、3度強く握って離さず、目を真っ赤にして面おもを伏せた。

 周知の通り、蒋はカイロ会議以降連合国首脳会議から除外されて、発言権を失った。

 代わってスターリンがのさばり、中立条約を破って満州、南樺太に進攻し、北方四島の侵略まで果たした。

 蒋は東京裁判関係からも除外され、派遣した梅判事はすでに共産党にくらがえしており、南京事件に対して何らの発言も出来なかったのである。

 蒋介石は88歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈ったと聞く。

     《実録》松井石根大将と蒋介石 ■「南京大虐殺」などなかった傍証■
      興亜観音を守る会会長 田中正明   

(転載終了)

12. アラハバキ[425] g0GDiYNug2@DTA 2024年9月01日 23:59:18 : V0SkbOdSQE : N2NVT1N6OGlQbS4=[6] 報告
>>10の指摘のように、
戦後、何故かタブーになっていることの一つに、
戦前の日本軍が中国共産党と手を結んでいた点がある。

戦前の日本軍は共産党軍へアヘンと通行手形を渡して
国民党軍の動きなどを共有していた。そして、
日本軍が提供したアヘンが中共の拡大資金になっていたわけだ。


戦前日本の経済システムは言うなれば先軍的な国家社会主義。
これが思想的に類似する中国共産党と意気投合するのも無理はない。

なぜそうなるのかといえば、戦前の日本社会は
資本主義を丸々受け入れるだけの下地は成熟されておらず、
資本主義がテロの対象ともなっていたりしたくらいだから。

そもそも欧米が辿った長期間の資本主義市民社会に比べて
日本社会は封建制度から資本主義へ突入しての歴史が浅すぎた。

日本の江戸封建時代に、すでに欧米では、
株式公開がなされる資本主義下で、市民社会から投資を募り、
高い自由度で営利を追求し投資市民に還元するシステムが
できあがっていたぐらいだからね。

13. 銀の荼毘[516] i@KCzOS2lPk 2024年9月02日 00:03:26 : ICa0PncFv2 : LzlJekVuMnBoQmc=[261] 報告
<■84行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

(転載開始)

何応欽上将の軍事報告

日本軍と戦った中国側の資料に南京事件はどう書かれているか?
 いま筆者の手許に「中国現代史料叢書=対日抗戦」という著書がある。
 
 何応欽上将著、呉相湘編、第一版は1948年(中華民国37年)12月、第二版は1962年(中華民国51年)6月発行、発行所は台北市文星書店。
 言うまでもなく南京戦を戦ったのは、現在の北京政府でも中国共産党軍でもない。
 
 現在の台湾における中華民国政府、すなわち蒋政権の国民党政府であり、その軍隊である。
 当時の中華民国陸軍一級将校(大将)で、軍政部長(国防省)兼軍事委員会委員長何応欽将軍が、中華民国26年(昭和12(1937)年)の廬溝橋事件から日本が大東亜戦争で敗北する中華民国34年(昭和20(1945)年)までの8年間にわたっておこなった軍事報告を1本にまとめたのが本著である。

 軍事報告というのは、日本の国会に相当する全国代表者会議に毎年報告して承認を得るもので、実に688ページにおよぶ浩翰なもの。
 その内容の豊富さと正確さは、序文にあるように「均為当時実況、官方史料、当以斯為最備」 ―すなわち「当時の実況に基ずいた公式史料であり、最も完備したもの」とみてよく、数百の統計や戦闘地図の入ったくわしいレポートであり、戦死者や負傷者の数も100人、10人単位といったこまかい数字までならべている。

 軍編成や戦闘状況も精密をきわめている。中国側の史料としてはこれ以上ない第一級の公式資料と言えよう。


 では何応欽上将は南京戦に対してどのような軍事報告を行ったか?
 この報告は、首都南京の失陥の傷痕もいまだ生々しい昭和13年春、漢口で開催された臨時全国代表者大会で行われたもので、報告書の期間は、中華民国26年(昭和12年)7月の廬溝橋事件から同27年(昭和13年)2月までとなっている。

 その軍事報告の目次のうち、
 
 (1)自開戦起至南京失陥止作戦経過
 というのがあり、82ページに「南京之失陥」がある。
 「南京之失陥」自体はわずか6行で、非常に簡略に見えるが、損害人員等細部に関しては、この後の、
 
 (2)南京失陥後至三月初旬止、
 作戦経過でくわしく編成上のことや戦闘状況など細かい数字をならべて紹介しており、南京の部分だけをとくに外した訳ではない。
 兵員の損害等については別に「我軍之状況」という項を設けてくわしく説明している。
 「南京之失陥」を翻訳すると次の通りである。

 4 南京の失陥
 11月26日、錫澄線(しゃくちょう)を放棄したのち、すなわち教導総隊、第36師、第88師に南京の守備を命ずると共に、これに74軍、第66軍、第83軍、第10軍を参加せしめた。 
 思うにこれらの各部隊は戦闘久しきにおよび、疲労困憊(ひろうこんぱい)に耐えず、蘇州河を撤退して南京に至ったが、途中転戦し、いまだ整頓の余暇も得ていない。

 とくに第10軍は新兵が多く、戦闘力に欠けるところがあった。
 昭和12(1937)年12月5日からの湯山、淳化鎮付近における激戦の後、8日遂に湯山陥落、やむなく複廓陣地を撤退したが、敵は攻撃の手をゆるめず急追し、各部隊は溢血苦戦を重ねた。

 しかるに死傷者相次ぎ、12日最後の陣地である雨花台を守りきれず、遂に南京放棄を下命した。敵は13日我が南京城を占領した。
 ここには日本軍の暴虐も“南京大虐殺”もどこにも出てこない。

 なおこの報告書には戦闘ごとに詳細な統計が百数十点付録されているが、この報告書の中にも“南京大虐殺”を匂わせるようなものは何もない。
 上海・南京戦(第3地区)における中国軍の戦死者は次のように報告されている。

 すなわち、戦死者(将校・下士官兵)3万3000、負傷者6万5340、合計9万8340である。
 ちなみに、日本軍の戦死者2万3104、戦病者約5万に対比して少なめな感がしないでもないが、ほぼ妥当な数値と見て良かろう。

 それにしても上海戦で日本軍がいかに多大な犠牲を強いられたか、想像を絶するものがある。
 日本軍の犠牲のほとんどは上海戦である。

 この恨みが南京戦に持ち込まれたとみてよい。
 逆に中国軍の犠牲は上海戦もさりながら南京戦が圧倒的である。

 ちなみに蒋介石の日記を、後年編集した「蒋介石秘録」(サンケイ新聞社刊)によると、「南京攻防戦における中国軍の死傷者は6千人を超えた」(前掲書12刊、69ページ)とある。
 味方の死傷は内輪に、敵の死傷は誇大に宣伝するのは戦時宣伝のつねである。

 日本の大本営が南京戦の戦果として敵の死傷者8万6千人と発表したのはむろんオーバーだが、蒋の6千人も少なすぎよう。
 いずれにせよ、南京に万を越す大虐殺があったというような記録は、中国側の第一級公式資料である何応欽上将の軍事報告の中にさえその片鱗(へんりん)も見出せない。

 中国問題の評論家であり、何応欽将軍とも昵懇(じっこん)の高木桂蔵氏は筆者に資料を提供下さり、次のように述べている。
 「南京戦で万一、支那の軍民が何万も何十万も殺されていれば、そのことがこの報告書に載らないはずはない。

 ところが、日本軍による何十万もの虐殺があったなどということは、この「軍事報告」のどこにも載っていない。
 これまで南京に関する多くの論争があったが、このような日本の交戦相手国の公式一級資料が、日本で出されなかったことは、むしろ不思議といってよかろう。」

 まさに高木氏の言うとおりである。
 東京裁判が公正な裁判ならば、当然、重要証拠史料として採用されたであろうし、また台湾の中華民国政府も、北京の中共政府も、当然、この重要資料を所持しているはずである。

 ところが、日本が戦争にやぶれ、東京裁判が始まると、南京事件に関する資料はガラリと変わる。2級、3級以下の資料価値ゼロの伝聞資料、政治的宣伝資料、憶測や創作に類するものまでが、次から次へと悪性腫瘍のように吹き出し、そしてそこにもられた数字が一人歩きし始めたのである。

(転載終了)

14. アラハバキ[426] g0GDiYNug2@DTA 2024年9月02日 00:10:31 : V0SkbOdSQE : N2NVT1N6OGlQbS4=[7] 報告
>>9
内政や外交にしても、法律や条約にしても
まずは継承せざるを得ないですからね。

俺は何も知らんがな…という子供の理屈じゃ太刀打ちできませんね。

15. ノーサイド[2065] g22BW4NUg0ODaA 2024年9月02日 03:38:07 : o4CmchQmHA : TzAvZU04d3FqZFU=[8] 報告

>日本は「国策を誤り」

誤っていない。
当時、日本はヨーロッパ列強の植民地になる危険があり、ソ連南下により日本が共産圏に組み込まれる危険があった。日本は国家存亡の危機に立たされていたのである。

今のロシアと同じだよ。(大笑)
   

16. 赤勘兵衛![53] kNSKqJW6iXGBSQ 2024年9月02日 07:26:53 : DrnsdjsHBU : OVRLQWxHNVFVak0=[1] 報告
>失われた、いのち。
>日本人、310万人。
>植民地支配下の朝鮮の人々、20万人。
>日本が侵略した中国の人々、1000万人以上。
>アジア太平洋全体では
>2000万人以上のいのちを奪った、戦争。

ノータリンの言うことは、殆ど常に間違いの強弁だからな。逆を採れば、開戦前か直後に無条件降伏してれば、これら2000万人以上の人命は失われずに済み、日本は植民地になり、沖縄や岩国や横田……に占領軍が置かれ、占領軍主導の日本国憲法が公布され……
 

17. 新憲法制定[18] kFaMm5ZAkKeS6A 2024年9月02日 18:43:11 : 0FDFXQdnhg : b3ZvVUNYdGtnY0k=[18] 報告
<■53行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
植草の間違いがよくわかる論文。

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題名【日本は負けていない】 〜超経験者しか知らない真実〜  
著者 中松義郎博士
http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html
https://nezu3344.com/blog-entry-1373.html


陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。

米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。
このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。
これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。
日本は負けていないのに終戦したのである。

これを文章にしたのが終戦の詔勅、
〜〜〜〜〜〜〜
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ
頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所
眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ
尚 交戦ヲ継続セムカ
終二我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ
朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ
〜〜〜〜〜〜〜
であって、終戦の理由は負けたからではない、という意味である事を読み取ってほしい。

翌日の八月十六日には、帝国海軍航空隊による米本土突撃大作戦が予定されており、その猛訓練が行われていたことを陛下はご存知なかっただろう。

(省略)

そもそも大東亜戦争が始まったきっかけは軍艦や航空機に必要な石油を米英蘭三国が対日輸出禁止して日本経済を窒息させようとし、これに対してワシントンに交渉を行った甲案提示の野村海軍大将(大使)と東郷外相の秘策乙案を持った来栖大使が追いかけて米側と交渉。
ほぼアメリカが合意し日米和平が実現しようとしたのに対し、その翌日引っくり返り「日本の全権益放棄とシナ大陸からの日本陸軍の全面撤退」を要求する蒋介石の言い分を通した文章を共産主義者でソ達のスパイであったアメリカ国務次官補が草稿を書き、ハル国務長官がそれに署名した「ハル・ノート」の回答に、これでは日本は到底合意できないので日本が大東亜戦争を始めたというのが第一の理由だ。

この戦争を始める理由になった燃料については、私の先輩で百歳の長寿を全うした帝国海軍機関学校第四十期生木山正義機関中佐と、又、私の先輩東京帝国大学工学部桑田勉教授の研究により、南方からの油を頼る事なしにパイン・ルート・オイルから終戦直前十年分の燃料を創り出したのだ。

これに加えて更に「太陽と水と大地」があれば永久に生産出来るバイオ燃料を創り出す事に成功した。
しかも空襲に耐えるため蒸留工場を全国に分散して建設し、製造した。

この蒸留装置製造を実現できたのは海軍艦政本部が木山中佐の依頼に全面的に協力し蒸留装置を急速に造り全国に設置したからである。
これで日本は永久に戦える燃料を終戦前に用意できたのである。

本土決戦では日本は必ず勝つとすべての陸海軍参謀は確信していた。
一方、アメリカ軍上陸攻撃隊司令官は戦後日本軍の陣立てを見て驚嘆し
「米軍は上陸に三回失敗しただろう。上陸に三回失敗すれば米軍の戦力はほとんど消耗し、戦争はベトナム戦と同様な状態となり、アメリカ国内で戦争反対の世論が起こりベトナム戦で米軍が負けたと同じく米軍は日本から敗退せざるを得ない。もはや戦えないので日本に和睦(降伏)を申し出るしかなかったであろう」と述べている。

18. 秘密のアッコちゃん[421] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2024年9月03日 14:31:29 : fjTz2F981w : QTJUazdpaUhyT1U=[-14] 報告
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女川原発2号機、燃料装塡へ 11月再稼働、12月営業運転に向け準備本格化
2024/9/3 13:11
https://www.sankei.com/article/20240903-PBIJN7XJ5VLHTFM7QC4UWC3MNA/
東北電力は3日、女川原発(宮城県女川町、石巻市)2号機の原子炉に核燃料を装塡する作業を同日午後始めると発表した。
11月頃の再稼働を予定している。
平成23年の東日本大震災で被災し、東京電力福島第1原発と同じ沸騰水型軽水炉(BWR)として初となる再稼働に向けた準備が本格化する。
東北電によると、作業は原子炉建屋最上階に設置された燃料交換機を使い、使用済み燃料プールに保管している燃料560体を原子炉圧力容器に入れる。
作業は1週間程度を予定している。
燃料装塡後、原子炉内で燃料が適切に配置されているかどうかを水中カメラで確認する検査などを実施。
計画によると、営業運転は12月頃に開始する。
女川原発は東日本大震災で被災し、定期検査中だった2号機を含め全3基が停止した。

<主張>柏崎刈羽原発 政府主導で再稼働進めよ
社説
2024/9/2 5:00
https://www.sankei.com/article/20240902-ZOZDXS5QBRIYTBMWFVGMOTPXJE/
東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を後押しするため、政府が原子力関係閣僚会議を開催する。
岸田文雄首相が脱炭素社会に向けた具体策を議論する
「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」
で表明した。
柏崎刈羽原発では、再稼働について新潟県の同意を得る道筋が見えていない。
岸田首相はGX会議で
「地元からの要望を踏まえ、事業者と政府が一体となって対応していかなければならない」
と述べた。
政府はこれまでも、新潟県が要望していた避難路の整備について費用の全額を国が負担する方針を伝えるなど再稼働を後押ししてきた。
更に政府が前面に出て再稼働を進める姿勢を示したことは評価できる。
東電と共に地元の要望を汲み上げ、再稼働を実現してほしい。
再稼働が進む西日本に対し、東日本では再稼働した原発はない。
東北電力女川原発2号機(宮城県)が11月頃の再稼働を予定しているが、電力の多くを東京湾や太平洋沿岸に集中する火力発電所に依存する。
だが、将来の発生が懸念される首都直下地震が起きれば、東日本の電力供給体制は多大な打撃を受ける。
南海トラフ巨大地震の影響も危惧される。
日本海側に立地する柏崎刈羽原発の再稼働は、こうした災害リスクを軽減するためにも重要だ。
東電は核物質防護を巡る失態が続き、令和3年4月に原子力規制委員会から事実上の運転禁止命令となる是正措置命令を受けた。
柏崎刈羽原発では所員や協力企業のコミュニケーションの円滑化などの改善策を進めたことで、是正措置命令は2023年末に解除された。
これにより原発事業者としての適格性も認められたことになる。
新潟県の花角英世知事は再稼働の賛否を明らかにしていないが、エネルギー安全保障も考慮した総合的な判断を求めたい。
東電は地元の不安払拭に向け、引き続き緊張感をもって再稼働の準備を進めてほしい。
政府の
「GX基本方針」
では
「最大限活用する」
電源として原子力を掲げている。
資源に乏しい日本にとって、大量の電力を安定的に供給できる原発は欠かせない電源だ。
次期政権は今回の関係閣僚会議で協議した対応策を着実に実行し、再稼働を主導してもらいたい。

新潟・柏崎市の桜井市長、3選出馬を表明 柏崎刈羽原発の再稼働と再エネを両立
2024/8/31 13:09
https://www.sankei.com/article/20240831-A2TGUQAEYRL5LFYZXVYYX7PE5U/
任期満了に伴う新潟県柏崎市長選(11月10日告示、17日投開票)に、同市の桜井雅浩市長(62)は31日、3選を目指して無所属で立候補すると表明した。同市などに立地する東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を条件付きで容認する桜井氏が出馬表明したことで、再稼働反対派の動向が注目される。
桜井氏はこの日、市内で開かれた自身の後援会の会合に出席。
その中で3期目に挑戦することを明かし、
「原発と再生可能エネルギーを両立させ、国内の他の自治体に先駆けて市内にある製造業のカーボンニュートラル(脱炭素)を実現したい」
と語った。
また、原発と並ぶ大きな課題として経営危機に直面する市内の医療機関の維持を挙げ、
「市民が安心して医療サービスを受けられるよう守っていきたい」
と述べた。
桜井氏は、高校教諭をへて、平成3年から柏崎市議を4期14年務めた。
同原発の再稼働問題が争点になった28年の市長選で、新人同士の一騎打ちを制して初当選した。

新潟・花角英世知事、避難路整備などの要望進展に期待 柏崎原発の閣僚会議開催で
2024/8/29 12:20
https://www.sankei.com/article/20240829-ZCXVKUCVNVMTLK7PLKBCBCZ6R4/
新潟県の花角英世知事は29日の定例記者会見で、政府が東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を後押しするため、原子力関係閣僚会議を来週開くことについて、避難路整備などを求めた県の要望が前進することに期待感を示した。
「政府一体となって(要望を)真剣に受け止め、対応を検討していくという姿勢だ」
「前に進めばいい」
と述べた。
政府は会議のメンバーを拡大し、避難路整備や地域振興策などを協議する見通し。
花角氏は政府に、原発から半径30キロ圏外に向かう6方向の道路整備を国の負担で行うことなどを求めている。
「地域の不安払拭や避難の安全を確保するため、どこまで踏み込んで対応を考えるのか」
「それを県民がどう受け止めるのか見極めたい」
とし、
「要望の中には簡単にできるものとそうでないものがある」
「関係省庁で検討してもらいたい」
とした。
再稼働を巡っては地元同意が焦点となっているが、花角氏は態度を明らかにしていない。

柏崎刈羽原発の再稼働巡り県民投票を 新潟の住民ら署名活動へ 秋にも開始
2024/8/27 16:56
https://www.sankei.com/article/20240827-62P2RTZNUNMHJCWCOWKQRPA26I/
新潟県の東京電力柏崎刈羽原発を巡り、同県の住民らが再稼働の是非を問う県民投票の実施を目指し、秋にも署名活動を始める調整に入った。
地方自治法に基づき、県民投票条例の制定を花角英世知事へ求める直接請求に必要な署名を集める方針。
複数の関係者が27日、明らかにした。
同原発7号機は4月、核燃料を装塡。
6月には全ての設備検査を終えた。
再稼働への地元同意を得たい国や東電に対し、花角氏は態度を明らかにしていない。
関係者は取材に
「県民投票を通じ、花角氏は県民の意思を確認すべきだ」
と語った。
地方自治法の規定に従えば、県内有権者数の50分の1以上の署名を集めると、条例制定を知事に直接請求できる。
新潟県選挙管理委員会によると、6月初旬時点で必要な署名数は県民約3万6550人分。

柏崎刈羽原発再稼働へ来週に閣僚会議開催 岸田首相が表明「地元理解得る」と強調
2024/8/27 16:11
https://www.sankei.com/article/20240827-VIFBCFNJNBMANNFCGZ7JDDU2EU/
岸田文雄首相は27日、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を後押しするため、原子力関係閣僚会議を来週開くと表明した。
再稼働に必要な地元同意が焦点となっており
「地元の理解を得て再稼働を果たすためには、事業者と政府が一体となって対応していかなければならない」
と強調。
閣僚会議のメンバーを拡大する方針も明らかにした。
首相官邸で開催した脱炭素社会に向けた具体策を議論する
「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」
で述べた。
原子力関係閣僚会議は2023年4月以来となる。
現在は官房長官や経済産業相、環境相らで構成していることを念頭に
「再稼働に関する全ての閣僚が出席する形で対応策の具体化に向けて確認と指示を行う」
と語った。
事故時の避難道路の整備や地域振興策などを協議する見通しだ。
柏崎刈羽原発7号機は既に核燃料を装塡し、2024年6月には設備検査を全て終えた。
新潟県の花角英世知事は再稼働への態度を明らかにしていない。

東電の小早川社長、柏崎刈羽原発の廃炉計画を地元に表明 「2基再稼働後、2年以内」
2024/8/22 12:38
https://www.sankei.com/article/20240822-7GIIEGJEVNPRNAPZ73ARPH2YR4/
東京電力の小早川智明社長は22日、柏崎刈羽原発が立地する新潟県柏崎市で桜井雅浩市長と面会し、市長が同原発6、7号機の再稼働の条件として東電に求めていた
「1〜5号機の廃炉計画の明確化」
について、
「再稼働後、2年以内に廃炉を含む最適な電源構成の道筋を付ける」
と回答した。
これに対し、桜井市長は
「廃炉を含む最適な電源構成の道筋とは、廃炉計画の策定と同じ」
と指摘。
東電の回答を評価し、
「(東電から)再稼働への同意の要請が来たら、『分かりました(同意する)』と言える環境が整った」
と語った。
桜井市長は平成29年、同原発6、7号機を再稼働させる条件として、1〜5号機のうち1基以上の廃炉計画を作成するよう東電に要請。
東電は令和元年、
「再稼働後、5年以内に1〜5号機のうち1基以上について廃炉も想定したステップを踏む」
と回答した。
これに対し、桜井市長は、廃炉をより明確にした計画を求めていた。
また、桜井市長はこの日東電に対し、
「県内自治体による再生可能エネルギー事業に(資金的に)協力する基金を創設してほしい」
と要望した。

新潟・花角英世知事、「地元への経済的利益還元は再稼働議論の材料」柏崎刈羽原発問題で
2024/7/24 16:08
https://www.sankei.com/article/20240724-TOY4ITAQ6JLXFLQTZGMOELHTJQ/
東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働問題に絡み、同県の花角英世知事は2024年7月24日の定例記者会見で、
「電源が立地する地元に経済的利益があるかどうかは再稼働議論の材料になる」
と述べ、電源立地交付金の対象地域の拡充や交付水準の見直しが必要との考えを改めて示した。
同原発で作られた電力は首都圏などに送られ、大都市の経済を支えている。
一方で、原子力災害時の避難への不安などは原発周辺の自治体が抱えることになり、知事は
「電力消費地が得る経済的利益は少なくとも新潟県に還元されるべきだ」
とした。
こうした思いは県民にもあるとして、
「地元に経済的利益があるかどうかは再稼働の(是非を判断する)議論の材料になる」
との考えを示した。
県は国に対し、原子力災害時に対応を求められる避難準備区域(原発から半径5〜30km圏)を電源立地交付金の対象に加えるなど制度の見直しを求めている。
2024年7月22日には、自民党新潟県連が斎藤健経済産業相と面会し、同原発の再稼働で県が企業誘致など経済的恩恵を受けられる取り組みの実施を求めた。


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