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https://www.tokyo-np.co.jp/article/347302
「新しい戦前」
嫌な響きだ。そんな響きの裏から「軍靴の足音」が聞こえる。
保阪正康氏によれば、石丸伸二氏の論法、話し方、居丈高な口ぶりは、旧軍人と全く同じなのだそうだ。
「おいこら警察」のそれとも同じだ。
多くの自治体の首長のパワハラが、これほど問題視され、騒がれる時代も近年には無かったことだ。
戦前では、知事は勅任官と呼ばれる高いランクの官僚だった。
そして、天皇の臣民に対して、当然のように権力を振り回していたのだろう。
しかし、戦後は公選制となり、主権者から一部権力を信託され、住民の福祉のための行政を任せられているに過ぎない。
権力を振り回すことは、そのまま権力の私物化であり、最も避けなければならない事ではないか。
自治体の首長ともあろう者が、戦後の日本は国民が主権者となっていることを忘れてしまったか。
「恥を知れ、恥を」
こんな風潮も、歴史家は、「新しい戦前」と解釈するのだろうか。
以下に記事の全文を転載する。
9月の東京新聞140周年を記念し、7日に東京都千代田区の日比谷図書文化館で開かれた「ニュース深掘り講座」の特別編は、昭和史研究で知られるノンフィクション作家、保阪正康さん(84)が「『新しい戦前』にしないために 戦後80年を前に学ぶべき教訓は」と題して講演した。事前に申し込んだ約200人が熱心に耳を傾けた。講演の内容を紹介する。(山口登史、小寺香菜子)
◆軍事組織が平然と靖国神社と一体化
「新しい戦前」という言葉は2〜3年前から急に言われるようになり、意味を考えていたが、いくつかの社会事象、現象を見て、合点がいった。
一つは今回の東京都知事選で小池百合子さんに次いで票を集めた石丸伸二さんを「ニューウェーブ」と騒いでいるのを見て、論法、話し方、居丈高な口ぶりは旧軍人と全く同じと思った。「恥を知れ、恥を」というのは、昭和10年代の帝国議会の軍人の答弁と思った。
もうひとつ指摘する。海上自衛隊出身の方が靖国神社の宮司になった。海自隊員が集団で靖国神社へ参拝している。軍事組織が平然と靖国神社と一体化することを宣言したに等しい。平成期は考えられなかった。今上天皇を軽視しているに等しい。こういう形が新しい戦前だと理解した。
◆戦争の仕組みを全部、清算したのか
20歳過ぎた青年がなぜ鉄砲を担いでニューギニアで死ななければならなかったのか。輸送船でフィリピンに送られる途中で太平洋の海底に沈まなければならなかったのか。あの戦争を徹底的に検証し、何が悪く、どこに問題があったのか、教訓を次世代に伝えるのは私たちの役目だ。
調べれば調べるほど矛盾に突き当たる。空襲で被害を受けた人には補償がないが、戦地にいた軍人の家族の補償はどれほどか。戦争の仕組みを全部清算したのかと問いかけていくことが大事で、そうしないから軍国主義が曖昧な形で残る。
◆昭和100年、戦後80年は歴史へ移行する分かれ目
来年は昭和100年、戦後80年。昭和史を再検証し、同時代から歴史へ移行していく分かれ目の年に立ち合うことになる。
太平洋戦争は同時代の中ではいろんな解釈がある。当事者の意思を超えて、2〜3世紀前から始まっていた帝国主義時代に誰かが決着をつけなければならなかった。結果的に日本がその役割の何%か果たしたことは事実で、植民地支配が薄れていった。
自分たちに都合のよいことを言っているに過ぎない「大東亜戦争肯定論」とは全く違う。人類史という大きな流れで見れば、日本が帝国主義的国家を選び、自殺行為と思われるほどの戦争をして、自分も壊していった。そういった解釈をされることもあり得るし、歴史の解釈に移行すると知らなければならない。
◆昭和の歴史を整理、清算して教訓化を
私たちの国は江戸時代、世界が帝国主義の時代に270年間、一回も対外戦争をしていない。長州とフランスなど、薩摩と英国が戦争をしたが、国家としてはない。鎖国を解いて、国際社会に出て、日清戦争以来、ほぼ10年おきに戦争をしてきた。そして、昭和20年に敗戦した。
昭和の歴史をきちんと整理、清算する必要がある。何もしないから教訓が出てこない。「戦争反対」と言うのは教訓ではなく、感情だ。それで戦争が止まるのか。そういうことを「教訓化」し、私たちが変わらなければならない。問われるべきところは問い、反省すべきところは反省する。思想や政治の問題ではない。「なぜ戦争をしたのか」。それが昭和100年の大事な要点だ。
◆国造りの失敗は軍が政治より先にシステムを作ったこと
私たちの国造りの失敗は軍が政治よりも先にシステムを作ったことにある。政治、憲法が軍を制御できなかった。軍に関わるものは在任中に一切政治的発言をしてはいけない。軍人が発言するときは、制服を脱ぎ、シビリアンとして発言する。新しい戦前にしないためには、考えておくことも重要なことだ。
私は外国での取材では、努めて同年生まれの人と会う。「戦争に行ったことがなく、鉄砲もピストルも持ったことはない」と伝えると、みんな驚く。日本を研究する米国の学者は奨学資金をもらうためにベトナム戦争に行ったが、いまだにトラウマ(心的外傷)に悩まされている。われわれはそういう体験をしなくて済んだ。そのことは財産ではないか。
私たちは昭和100年を機に、私たちの平和論、戦争論を作らなければいけない。結論を言えば、核抑止力の平和論と、(プロイセンの軍事学者)クラウゼビッツの「戦争論」を見直す。新しい形の戦争論を作る。戦争をすることは政治の延長ではない。宗教と民族にも最も希薄な関係にある私たちは、新しい理論を作る必要がある。被爆国だからこそ作れる新しい平和論だ。歴史に答えが眠っていると考えて、もう一回つぶさに検証することで見えてくるものがある。それを改めて紡ぎ、21世紀の平和論を作っていくことが大切である。
記事の転載はここまで。
話が難しい。
保阪正康氏の結論は、核抑止力の平和論と、クラウゼビッツの「戦争論」を見直し、「新しい平和論」を作る必要がある、というものだが・・・。
日本国憲法の前文に、立派な「平和論」が書かれているではないか。
「核抑止力の平和論」が誤りであり、既に、憲法9条がそのことを永久に禁じているではないか。
日本国憲法が謳う「平和論」の正しさは、日清戦争以来、ほぼ10年おきに戦争をしてきた日本が、日本国憲法制定以来80年もの間、「戦争」とは無縁の平和を享受できたことが、その証左と言えよう。
今最も大切なことは、「21世紀の平和論を作っていくこと」よりも、「日本の平和憲法を守り抜く」ことではないか。
そして、「われらは・・・憲法理念に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」ことではないか。
日本国憲法は、日本国憲法を守るために、国民が行動することを求めている。
そのことを忘れてはならない。
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