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https://www.tokyo-np.co.jp/article/345648?rct=politics
「たら、れば」の話にしてしまっているが・・・、
オブザーバーで参加?
「オブザーバー」とは漢字で表現すれば、傍聴者。会議において、決定に関与することは出来ない。
今では、オリンピックでも「参加することに意義が有る」とはならない。
唯一の被爆国である「我が国」は、真っ先に「核兵器禁止条約」を批准しなければならないのではないのか。
そして、締約国会議で世界をリードしなければならない立場にあるのではないのか。
以下に記事(共同通信配信)の全文を転載する。
立憲民主党の泉健太代表は6日、核兵器禁止条約を巡り、政権を取った場合は締約国会議にオブザーバー参加すると強調した。広島市で記者団の取材に、会議不参加の政府方針を評価できないとした上で「被爆国であるわが国が参加しない理由はない」と述べた。
米国が核を含む戦力で日本防衛に関与する「拡大抑止」については「アジア地域における核の存在が高まっている」として、日米連携を通じて強化する必要があるとの認識を示した。
共産党の田村智子委員長は記者団に、核抑止論の見直しに向けた議論を国会で求めると訴えた。
記事の転載はここまで。
泉代表は「拡大抑止」について述べ、強化する必要があるとの認識を示した。
とんでもないことだ。
立憲民主党の代表が、憲法9条を踏みにじるような発言をしてなんとする。
「拡大抑止」とは、どういうものか。
解説を探すと次のように説明されている。
「核兵器を含む米国の戦力による抑止力を同盟国の防衛にも適用すること。 他国の防衛に関与することにより自国から「拡大」した抑止となる。 相手の攻撃を物理的に阻止し、耐えがたい打撃を与える能力があると示すことで思いとどまらせる。」
一般に、抑止とは、
「相手が攻撃してきた場合、軍事的な対応を行って損害を与える姿勢を示すことで攻撃そのものを思いとどまらせる」軍事力の役割。
抑止が機能するためには、抑止する側に、軍事的対応を実行する意図と能力があり、かつ、それが相手に正しく認識されることが必要であるとされている。
安全保障の分野では「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」の2種類に分けて議論される。
「拒否的抑止」は相手の攻撃を物理的に阻止する十分な能力を持ち、目的を達成できないと思わせて攻撃を断念させる。
ミサイル防衛システムなどが、これにあたる。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、反撃を受けるコストが大きいと思わせて断念させる。
「敵基地攻撃能力」あるいは「拡大抑止」なるものは、まさに、これにあたる。
敵基地攻撃能力の保有も、核共有も、核保有も、「拡大抑止」も、今のところは「自衛の為」の「懲罰的抑止」として語られている。
この「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、そのための報復能力を保持し、相手に対する報復意思の明示することで、武力の行使を表明するものだ。
憲法9条には、
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と明記されている。
明らかに、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という憲法9条に違反するものでしかない。
国際的にも「核抑止論」は破綻している。
日本では、「核抑止論」、「拡大抑止」は憲法違反であると言うべきだったのではないか。
政治家を自認するのであれば、日本がアメリカの「核の傘に守られる」というのは「幻想」だと気付くべきなのだ。
今年もまた8月6日を迎えた。
なぜ、広島・長崎の人々の頭上への原爆投下に至ったのか。
その答えは「ハイドパーク覚書」にあるという。
そして、そこに記されている答えは、
be used against the Japanese,
どうせ死ぬのは「日本人」だから・・・と。
広島市の原爆資料館には、多くの日本人が知らない「ハイドパーク覚書」が展示されている。
なぜ、広島・長崎の人々の頭上への原爆投下に至ったのか。
ハイドパーク覚書は、1944年9月18日、フランクリン・ルーズベルト米大統領と、ウィンストン・チャーチル英首相の会談の内容が記されたものだ。
原爆資料館の展示はコピーだが、この覚書の中盤に重要な一文が記されている。
《When a ”bomb” is finally available, It might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese, who should be warned that this bombardment will be repeated until they surrender.》
(爆弾が最終的に使用可能になった時には、熟慮の後にだが、多分日本人に対して使用していいだろう。なお、日本人には、この爆撃は降伏するまで繰り返し行われる旨、警告しなければならない)
何故、「日本人」に対してなら使用してもいいのか。
「人種差別」と「非人道性」極まれりというしかない。
「原爆」、その大量殺戮の威力・破壊力を見せつけられた国際社会は恐怖を植え付けられ、世界は核兵器によって支配される時代に突入した。これが現在に至るまで世界の核秩序につながっている。
今でも、アメリカ国民の多くは「原爆投下」は戦争を終わらせるための「必要悪」というのが大勢(たいせい)だという。
同胞が過去に犯した「非人道的な行為」を素直に認めたくない気持ちの表れと捉えるのが妥当だろうが・・・。
一瞬にして大都市の市民の半数を犠牲にするような「大虐殺」という歴史的事実を前にしては、そのことを認めるには相当の勇気が必要となるのではないか。
日本でも、未だに「南京大虐殺」の歴史的事実を受け入れられない人達がいるのと同じ心理なのだろうか。
その「必要悪」との認識は、「核抑止論」で核保有を正当化する人たちの精神的支柱となっている。
しかし、どのような屁理屈を並べ立てようと、核兵器は「絶対悪」であることには変わりはない。
核兵器が使用されたときの「地獄絵図」を思い起こせば、反論の余地はない。
「核抑止論」の最大の間違いに気が付く道程は、核兵器の不使用を担保するものが何もないということを理解することから始まる。
「核抑止論」とは、「核兵器を使用するぞ」と相手に表明することだからだ。
そして、使用する条件も決められたものはない。
「あなた任せ」の「ケセラセラ」なのだ。
人類史上の唯一の例では、
be used against the Japanese,
そこには人種差別が色濃く表れている。
現代では、人種差別は勿論、国籍、出自、貧富の差などなど、ありとあらゆる差別が跋扈している。
歴史が教えていることは、「差別」が核兵器使用の引き金を引いた事実だ。
歴史は繰り返すという。
「懲罰的抑止力」の保有、「敵基地攻撃能力」の保有は、際限なく続く「軍拡競争」に他ならない。
そして、「拡大抑止」。
このことを容認すれば、何時の日か、日本も「核兵器を保有」する国になっていく。
日本が未だ「核兵器禁止条約」を批准していないのは、この・・・た・め。
記事によれば、
「・・・共産党の田村智子委員長は記者団に、核抑止論の見直しに向けた議論を国会で求めると訴えた。」
本来であれば、野党第一党の立憲民主党の代表が真っ先に言うべき発言ではないか。
「オブザーバー」で参加して、何をする、何ができる。
もっと言えば、何の意味がある?
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