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飲酒・喫煙で五輪選手の未来をつぶす日本社会の異常さ 古谷経衡 猫と保守と憂国
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/358058
2024/07/24 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし
古谷経衡氏(提供写真)
パリ五輪体操女子日本代表の宮田笙子選手が、トレーニングセンターで飲酒していたことが内部通報によって確認され、加えて喫煙も認めたことから同五輪出場を辞退した。辞退といえば聞こえがいいが、事実上の懲罰処分である。
端的に異様だ。こんなことをしていれば若者からはやる気が失われるばかりか、日本全体の国力をそぐ結果にもなりかねない。しかも今回の処分は恣意的であり、他競技の選手では同様の行為があっても軽微な処分内容だ。
19歳の飲酒喫煙は法律で禁止されているのだから、「ダメなものはダメ」という論調で処分を肯定するものも少なくはない。確かに法律的には、20歳未満の飲酒喫煙行為は禁止されているが、実は行為者に罰則はない。
未成年者と知りながら酒やたばこを勧めた成人側が法で罰せられるのが法律的な立て付けである(二十歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律=大正11年法律第20号)。よく、芸能人が未成年者と酒席に同席した際、立件されるのが成人側だけになるのは、このような理屈である。よって未成年者の飲酒喫煙は、成人側が制止すべき性質の問題であって、原則その場で選手の行為を掣肘するのが法が意図する趣旨である。それが内部通報によって発覚するという経緯にも強い違和感を感じる。
日本社会は現在、強い「品行方正」の倫理が求められている。それをコンプライアンス重視と呼ぶこともできるが、強すぎるその倫理は社会から活力を失わせ、ひたすら内向的な萎縮の潮流を加速させるだけで有害である。
日本人は宗教的な道徳心が近世以前から薄い。葬式仏教という言葉が示す通りである。自らが「無宗教」と信ずる者は人口の5〜6割という調査が複数出ている。この無宗教の多さは、日本の他には共産圏、旧共産圏に特有のものだ。
宗教的な道徳が薄い代わりに、日本にはかつて「世間さま」という道徳規範があった。しかし「お天道様が見ている」という道徳は、「地方の疲弊=共同体の崩壊と都市部への人口移動」によって希薄化した。つまり日本は、宗教道徳も世俗道徳もほぼ存在しない社会ということになる。
そうすると人々の価値観は、「人間による他罰」へと向かう。つまり神や世間がない社会では、世俗を生きる者同士が他者を裁き、罰することが道徳となる。世俗の法律に反するかどうかが絶対の善悪判断になる。死後に裁きを受けるという観念がないと、生きているうちに、人が人を裁くという究極の「世俗社会」になる。
日本で現在、法を引用した「品行方正」「コンプライアンス順守」がさように強烈となり、それがもはや社会的道徳にまでなっているのはこのためである。神の代わりに自分こそが他者を裁き、罰を与えるという風潮は、極めて傲慢であり更生という概念も薄くなる。
「再チャレンジ」という言葉のみが躍るが実際は不寛容であり、いつまでも日本人の多くが他者の失敗や不徳を裁判官のように指弾するのは、神と世間が不在であり、法律だけが残っているからだ。日本社会の生きづらさの原因は、ほぼすべてこれである。ちなみに筆者は猫の神・バステトを信奉する猫教徒である。
古谷経衡 作家
1982年生まれ。立命館大学文学部史学科卒。令和政治社会問題研究所所長。「左翼も右翼もウソばかり」「日本を蝕む『極論』の正体」「毒親と絶縁する」「敗軍の名将」「シニア右翼」など著書多数。
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