<■116行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> NHKの蓮舫いじり、石丸の「頭ポンポン」…東京都知事選が映し出した「弱者への冷笑」を是とする暗澹たる日本の情景(尾中 香尚里:ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員)3位に沈んで増幅した蓮舫への中傷 7日に投開票が行われた東京都知事選は、事前予想通りに現職の小池百合子氏の3選で幕を閉じた。「現職が負けたことがない」難しい選挙にリスクを取って挑戦した立憲民主党(出馬にあたり離党)の蓮舫前参院議員は、ふたを開ければ小池氏だけでなく、新人の前広島県安芸高田市長、石丸伸二氏にも及ばない3位に沈んでしまった。 結果はともかく、野党第1党として都知事選を「捨て試合」にせず「与野党ガチンコ勝負」の構図を創り上げた蓮舫氏の挑戦を、少なくとも筆者は高く評価したいと思う。 訴えの内容も(聞く人の政治スタンスによって好むと好まざるとの差はあるだろうが)立憲の理念を体現しており、小池氏との選択肢となる役割はおおむね果たしていた。「ひとり街宣」のように、若い世代などが政治へのファーストコンタクトになり得るきっかけも提示した。 もちろん、大敗した選挙結果については、蓮舫陣営も立憲民主党も多くの課題を見いださなければならない。だが、選挙の良し悪しは勝敗のみで判断されるべきものではない。外野が騒ぐほど酷い選挙だったとは、筆者は思わない。 ただ、6月16日公開の記事(「蓮舫いじり」あふれ出す東京都知事選…アンチの“罵詈雑言”にみる、辟易するほど劣化しきった日本政治の現在地)でも指摘した蓮舫氏やその周囲への数限りない中傷が、蓮舫氏の敗戦によってさらに増幅されているさまは見るに堪えない。 あ然としたのは、こうした言葉がネット上の多数の匿名の個人でなく、既存の大手メディアから大手を振って流れ始めたことだった。 NHK「2位じゃダメ」をモジって冷笑、日テレも時事も… 都知事選は「小池圧勝」「石丸旋風」「蓮舫惨敗」などなど、候補者の勝敗からさまざまな考察がなされている。だが、筆者がこの選挙で最も強く感じたのは、弱い立場の者を徹底的にあざ笑うことを恬として恥じない、この日本社会の薄ら寒い情景だ。 小池氏と蓮舫氏の出馬で、有力候補の2人が女性となった選挙戦。世界経済フォーラム(WEF)のジェンダーギャップ指数が政治分野で146カ国中113位という日本で、首都決戦がこうした構図になったことには、感慨深いものもあった。 しかし、ネットメディアの記事などでは「『男を踏みつけた』蓮舫『男を利用した』小池百合子、仁義なき女の戦い」といった「女性同士の戦い」をやゆする見出しが踊り、筆者は早々にげんなりさせられた。 それでも選挙期間中は、こうした言葉はさほど多くなかったと思う。選挙期間中の報道自体が少なかったことも関係したのかもしれない。しかし選挙が終わった途端、特に敗れた蓮舫氏に対し、メディアの側から個人攻撃にも等しい言葉があふれ出した。 目立ったのは、蓮舫氏が民主党政権時代の「事業仕分け」の際に、スーパーコンピューター事業をめぐって発言した「2位じゃダメなんでしょうか」を使って、3位に沈んだ蓮舫氏をあざ笑うものだ。 投開票日翌日の8日、NHKはネット報道で、蓮舫氏と石丸氏の「2位争い」に焦点を当て「2位はドコなんですか?」との見出しで報じた。2位に届かなかった蓮舫氏をやゆしたとみられても仕方がない。「ドコ」とカタカナを使ったところにも、さり気ない「嘲笑のにおい」が感じられる。 さすがにこの報道には批判が集まり、NHKは後に見出しを変更した上で「※当初の記事タイトルに情報を追加し修正いたしました」という意味不明の釈明を掲載したが、当初の見出しへの批判には何も答えていない。 日本テレビは7日の出口調査に関するネット報道に「【都知事選】蓮舫氏“2位にもなれず” 日テレ出口調査」の見出しをつけた。ご丁寧に記事本文にも、わざわざ「2位にもなれず」という表現を、カギカッコで強調して記述している。 9日の時事通信に至っては、選挙結果を分析するネット記事に「都民が『仕分け』、蓮舫氏を3位」という見出しをつけた。 汚い人格否定まで垂れ流した 政治家は公人だ。過去の発言がメディアで批判的に取り上げられることを全否定するつもりはない。しかし、ほとんどの場合それは、スキャンダルや失言にまつわるものだ。 一般的な政策に関する発言を、このような誹謗中傷のネタにするのはいかがなものか。こうした風潮は一歩間違えば、政治家のごく普通の政策論争を萎縮させる力を持ってしまいかねない。 選挙での敗戦や順位が低かったことを、まるで「悪」であるかのように騒ぎ立てる神経も理解できない。 選挙の勝敗は候補者の人物の優劣や、ましてや善悪を決めるものではない。「都民が『仕分け』」などという見出しを張ることは、敗れた蓮舫氏を「都民全体」が成敗したかのような印象を与える。蓮舫氏に投票した有権者は都民ではないのか、と問い返したくもなる。 8日に放送されたTBSの情報番組では、元宮崎県知事の東国原英夫氏が、蓮舫氏について「生理的に嫌いな人が多いと思う」「批判する能力はあるが、首長とはみんなをすべて包含しなきゃいけない部分もあって、その能力に欠けていると都民が見抜いた」などと放言した。 「生理的に嫌い」などという言葉を公共の電波に乗せる神経が理解できない。 「批判する能力」を叩くことで、政治の世界に当然あるべき「批判の言葉」を、結果として萎縮させるような言葉を使うのは、首長経験者の言葉として情けない。自分自身も在職中、批判を萎縮させるように振る舞っていたのだろうか、と疑いたくもなる。 また、前述の時事通信と同様「都民が見抜いた」と大きな主語を使うことで「都民全体が蓮舫氏を否定した」ように受け取れる印象操作をするのもいただけない。 選挙という民主主義の基本中の基本の場面で、よりにもよってマスメディアが、このような汚い言葉を連発することも、それを許す社会の空気も、心底許しがたく思う。 一万歩ぐらい譲って「選挙の敗者を批判することは、今後の民主主義の発展に必要」という仮説を立ててみても、ただ虚しいだけだ。 蓮舫陣営の敗因なら、事前準備の不足とか、有権者への伝え方とか、ほかに考えるべきことが山ほどある。 「2位にもなれず」「都民が『仕分け』」「生理的に受け付けない」などといった言葉は、こうした敗因分析や今後の課題を考えることには、何の役にも立たない。 石丸の「頭ポンポン」に絶句 言うまでもなく都知事選は、次の東京のかじ取りを誰に任せるかを選ぶものだ。敗れた候補は、単に「多くの人がかじ取りを任せたい人は別の人だった」というだけのことで、候補の人格を否定する言葉を何でも投げつけても良い存在だ、ということでは決してない。 酷い言葉を直接投げつけられる蓮舫氏はもちろんだが、それを見ている有権者、特に女性が、今後政治とかかわりを持つことにためらいを覚えてしまうことを、筆者は恐れている。 メディア自身が自らの発する言葉に無自覚だから、ネット上の匿名の「#蓮舫パニックおじさん」が、安心して蓮舫氏や、蓮舫氏を支持する市井の人々のSNSのアカウントに襲いかかる。そんな醜い光景が、日本のみならず、ネットを通じて世界中に可視化される。 「そういうとこやぞ」としか言いようがない。 こんな国のありようを見せつけられるから、日本は国際社会の価値観から取り残され、国力を衰退させていくのだ。 ここで記事を終えようと思っていたら、それを上書きするような衝撃的な言葉が伝わってきた。都知事選で次点となった石丸氏の、11日のテレビ朝日系の情報番組のインタビューでの発言だ。 石丸氏は、7日のフジテレビ系の開票特番で元乃木坂46の山崎怜奈さんの質問に「ぶち切れた」ことについて「女、子どもに容赦するっていうのは優しさじゃない」「優しく言ってあげればよかったのかな?(頭を)ポンポンってやってあげる感じが良かったのかな?」と語ったという。 発言を報じる記事も「(石丸氏は)苦笑い」などと、簡単に受け流している。 もう論評の気力もない。メディアもメディアだが、仮にも首都・東京の知事を目指し、2位につけた候補者の言葉がこれなのか。 勝敗とは別のところで、この選挙によって可視化されたこの国の現状に、暗澹たる思いしかない。
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