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抗議活動ができる「特権」をパレスチナのために あの「約束」を果たすため、38歳女性は街頭に立つ(東京新聞)
http://www.asyura2.com/24/senkyo294/msg/231.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2024 年 5 月 01 日 14:01:23: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2024年5月1日 12時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/324500

<その先へ 憲法とともに@>

 ロシアのウクライナ侵攻など国際情勢の不安定化を理由に、防衛費の増額や武器輸出のルール緩和がなし崩し的に進む。平和国家の在り方が揺らぐ中、言論の自由、平等、健康で文化的な生活など、憲法が保障する権利は守られているだろうか。来年で終戦80年を迎えるのを前に、さまざまな人の姿を通して、戦後日本の礎となった憲法を見つめ直す。

◆足を止める人は少なくても
 そぼ降る小雨。足を止める人は少ない。それでも、疋田香澄(ひきた・かすみ)さん(38)=神戸市東灘区=は何度も、何度も声を張り上げた。
 「パレスチナへの暴力に反対します!」「日本にできることがあります!」
 民間人犠牲者が増え続けるイスラエルのガザ侵攻。4月下旬、神戸市中央区のJR元町駅東口では、疋田さんの呼びかけで集まった15人がジェノサイド(民族大量虐殺)に抗議した。関西一円から駆け付けたのは、特定の政治団体に所属していない「生活感のある市民たち」(疋田さん)。休日のわずかな時間を活用し、家族や飼い犬と連れ立って参加する。フルタイムで働く疋田さんも同じ。2歳の一人娘を胸に抱く。

◆「ガザの壁はあと50センチほど高い」
 原点は、早稲田大卒業後の2014年、旅行先のドイツで出会った年下のパレスチナ人女性の言葉だ。
 「分断」の象徴だったベルリンの壁沿いをともに歩いていると、「ガザの壁はあと50センチほど高い」と女性がつぶやいた。ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の記念碑にも同行した。別れ際に「日本でできることはあるか」と尋ねると、少し驚いた女性は「世界中の多くの人はパレスチナとパキスタンの違いさえ分からない。パレスチナの状況を伝えてほしい」と話したという。
 昨年10月、ガザ侵攻が始まると、「約束を守らないといけなかった。いてもたってもいられなかった」。毎週日曜に街頭に立った。1人で始めたが、SNSでの呼びかけで、今では数十人に達する日もある。
 ガザの死者数は3万4000人を上回った。パレスチナ保健当局の推計によれば、犠牲者の7割以上を女性と子どもが占める。「理解を超える虐殺が許されれば、私たちは『人を殺してはいけない』という根源的な倫理観すら失う。誰かが殺されてもいい世界は、私やあなたが殺されてもいい世界ということになる」。その思いが日増しに強くなる。

◆国会議員へのアンケート
 ドイツで約束した「日本でできること」を探った。友人やデモで出会った人たちと協力し、「ガザ『人道危機』国会議員アンケート」を実行。疋田さんは「自宅の冷蔵庫の買い替え費用」を転用し、仲間とともに返信用封筒と切手を添えた質問状を郵送した。ガザの人道危機をどう捉えるのか、恒久的停戦に向けた国会決議を行うべきか。こうした7項目への回答をウェブで閲覧できるようにした。
 回答率は1割強。一部野党や日本パレスチナ友好議員連盟を除けば、人道危機への問題意識は物足りず、イスラエルの出展が決まった大阪・関西万博を推し進める「日本維新の会」の回答はゼロ。ある所属議員は「党として回答しない」と電話をかけてきた。
 「市民が選んだ国会議員がどんな考えで、どんな行動を取るのか。可視化したかった。自ら議員に働きかけるのもありだと、多くの人に知ってほしかった」と狙いを語り、こう続けた。
 「回答は今も受け付けている。結果は少なくとも、国政選挙の投票日までは示すつもりです。

◆沖縄へ、福島へ、足を運ぶ
 西日本の地方都市出身。19歳で上京し、働きながら通える早大の夜間学部に入学した。沖縄戦で強いられた集団自決に関心が湧き、現地に足を運んだ。
 卒業直前に福島第1原発事故が発生し、ほぼ毎週のようにボランティアに通い詰めた。2018年まで、被災児童・生徒に外遊びの機会を提供する「保養キャンプ」に携わり、避難先での生活や子育ての相談に乗ってきた。成果や課題をまとめた書籍も刊行した。
 沖縄の地上戦と福島の原発事故。「両方とも、弱者にしわ寄せが及んでいる。国家や首都圏といった大きな存在のために、小さな存在や個人が追い詰められてしまうのは、とてつもなく不平等だ」と強調する。

◆大国の見て見ぬふり
 パレスチナの歴史も同じように感じる。ナチスによるユダヤ人迫害と、その苦難を逃れた人々によるイスラエルの建国の過程では、70万人ものパレスチナ人が難民として追いやられた。大国が見て見ぬふりを続けてきたことで、今に至るまで小さな命が危機にさらされている。
 「娘と同じくらいの年齢の子もいる。個人が人生そのものを奪われることには耐えられない。許してはいけないことだ」
 「現場主義」は学生時代から変わらない。「『これが正しい』と自分なりに思ったなら、法律違反でもなければ、性格的にブレーキをかけられない」。4月中旬に神戸から単身上京し、「STOP パレスチナへの暴力」と記したプラカードを掲げながら、イスラエル大使館の正面に1時間半ほど立ち続けた。警視庁に大使館から抗議が寄せられ、複数の警察官に「国際問題になる」と約20メートル離れた場所に誘導されたが、「法的根拠はない」と言われたので断ったという。
 「警察官は悪くないし、このやりとりで昼食を食べられなかったようだ」。そう思いやりながら、言葉に力を込める。「国際人道法に違反しているのは、私ではなくイスラエルだから」

◆原発事故後と似た違和感
 原発事故直後、福島県入りした際に抱いた違和感と似ているという。「原発に対して何か発することに、悪いことをしていないのに、漠然とした不安を感じる空気が満ちていた。『公安関係者が見ている』『逮捕されたらどうしよう』という声もあった」
 同時に、平和憲法を頂く民主国家・日本での生活や抗議活動を「特権」とあらためて感じている。
 「あの場所がパレスチナだったら、イスラエル軍に銃撃されて一瞬で終わり。憲法や法律に守られているからこそ、個人は権力と対峙(たいじ)できる。まっとうな行動をしている個人が、排除されない社会を維持したい。望ましいのは暴力や支配を受けない状態だが、パレスチナ人は違う。私が特権を持っているのなら、より弱い立場の人のために行動しないといけない」
 憲法の前文には、こんな言葉もある。〈われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない〉。議員アンケートなど、日々の活動の中で深く意識するようになった。「日本政府も、ジェノサイドを止めるため、国際社会で積極的な役割を果たしてほしい」
 仕事、育児、市民運動。三つを成り立たせるのは困難を極めるが、夫の協力を得ながら、今後も神戸だけではなく、九州や首都圏のスタンディングデモにも参加するつもりだ。
 「原発事故でも、ガザ侵攻でも、まず子どものことが頭に浮かんだ。今は一緒に暮らす小さく、弱い人を意識する。守らないといけない」。傍らのまな娘の頭をなでた。(西田直晃)

◆デスクメモ
 戦争に反対し、自由に意見を言い、選挙で選んだ代表を通じて政治参加する—。疋田さんの言葉から見える憲法の「平和主義」「基本的人権の尊重」「国民主権」は、実は私たち皆を守っている。先人に感謝しつつ、どう生かしていくか。3日の憲法記念日に向けて、考えていきたい。(本)

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コメント
1. 2024年5月02日 14:36:00 : xutrAnH8Uc : RTEwU1BmR3dDMEU=[4977] 報告
この国の若者は平和ボケしているのか、自民党の多数の議員の裏金問題にも何の行動もせず政治に無関心、自分達の生活が苦しくなっても政治に不満行動を起こさない、そしてこの国の議員特に自民党は金金金のため、国民の為に仕事をするのでなく自分が如何に楽に金儲けできるか、ただそれだけ、統一と創価のカルトに仕切られそれに寄り添う維新と言うチンピラ政党、こんな屑議員たちで国民の生活が向上するわけもない。自国の自分たちに関わることにさえ無頓着、パレスチナ問題ももっと社会が取り上げてマスコミも若者に訴えるべき。
2. 蒲田の富士山[2313] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年5月04日 01:33:18 : v4ouBbv322 : RzlSZjdjZUU3SlE=[4] 報告
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精神科の「闇」を告白した医師が、差別の歴史を振り返った 世界と逆行する日本「昔も今も違憲状態」(東京新聞)
2024年5月2日 12時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/324707?rct=tokuhou

<その先へ 憲法とともにA>

 扉を開ければ、ここは精神科医療史資料室。5000冊は超えるだろうか。精神関係のあらゆる書籍が眠る。
 「ようこそ」。書棚の向こうから顔をのぞかせたのは精神科医、岡田靖雄さん(93)=東京都杉並区。この国の精神科医療の生き字引と言っていい。

◆資料室の名前にこだわった理由
 私財を投じて2005年に創設したこの資料室は「青柿(せいし)舎」と呼ばれる。精史舎にする案もあったが、古くから人々の生活に恩恵をもたらしてきた「柿」にこだわった。「柿の半分は初夏に地に落ち、落ちた青柿(あおがき)は生食には向かないが、発酵させた柿渋は防虫や防腐など並々ならぬ効果を持つ」と表情を緩ませる。「柿渋は古来より民衆に愛された万能民間薬。悠久の歴史にあやかろうと。あとは、ぼく自身が周囲から『青くさい』と言われていたので、青の1字をいただいた」
 岡田さんを精神科医療史に突き動かしてきたのは、1958年に精神関係の雑誌に掲載されたある論文だ。終戦時の45年の都立松沢病院に入院していた患者の死亡率40.89%という数字の高さに衝撃を受けた。「戦争の本質を何より語っていると感じた。戦争は弱い者を一番先に痛めつける」

◆勉強会を重ね、社会運動につなげる
 以後、岡田さんは臨床の傍ら医療史を読み解いてきた。「歴史とは過去のことではなく、現状を照らし出す光。それによって現状の立体構造がみえてくる。歴史から学べるものは現状の深い根だ」。年に数回同好の士を集めて医療史の勉強会を開き、その時々の問題に引きつけ、社会運動に結び付けてきた。
 勉強会が最も活気づき、その礎を築いたのは今から60年前の64年、統合失調症を患う青年が米国大使を刺した「ライシャワー事件」を機に精神衛生法改正の議論が湧き起こった頃だ。当時の新聞は「野放しの精神病者」とことさら危険視し、強制入院を強化する必要性を説いていく。岡田さんらはその激流に抗(あらが)うように勉強会を重ね、地域の精神科医療の重要性を訴えた。
 結局、65年成立の改正法は措置入院を強化したが、精神関連の活動拠点となる「精神保健福祉センター」の前身の精神衛生センターの設置や、通院医療費公費負担制度の新設といった地域に開かれた制度も盛り込まれた。

◆世界では病床数を減らしたが…
 ただ、地域精神医療はこの国で根付かなかった。世界ではこの60年代を分岐点に精神科病床数を減らしたが、日本は真逆へひた走った。
 日本の病床数の多さについては、この時代の法改正を巡る議論が引き合いに出されるが、岡田さんは首を横に振る。「ぼくは高度経済成長が引き金だと思う。戦争が終わり、追いつけ追い越せと農村から都市部に人を流入させ、農村部でなら生きていけた精神障害者が邪魔になった。『収容』した方が安くつくと精神科病院が量産されていった」
 青柿舎にはある肖像画が掲げられている。1918年に精神疾患のある人が自宅の私宅監置に閉じ込められた実態をまとめた東大教授呉(くれ)秀三(しゅうぞう)(1865〜1932年)だ。「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし…」との言葉を残した。
 岡田さんがこの言葉を知ったのは62年頃。「こんな言葉を吐ける人が東大にいたのは衝撃だった。だが、精神科医療の現場では全く知られていなかった。この言葉が省みられなかったことに、日本精神医学の正体をみた気がした」と憂う。

◆母の病をきっかけに医師を志す
 岡田さんは福島で生まれ育った。「本が好きで、幼少期は本を読んでいた記憶しかない」という。
 中学3年で敗戦。「神ながらの道」を説いていた教師が、ある日を境に、急に民主主義を唱え出した。
 医師を志したきっかけは、岡田さんがまだ幼い頃、母親が異型のパーキンソン病になったことだ。症状が進むと、投薬の影響か、母親は盗み食いを伴う過食症状に。岡田さんにとって精神疾患は身近だったという。
 1951年に東大医学部に。勉学に励んだが、当時の学びやは権威的で、今でもあの気持ち悪さは忘れられない。臨床の授業で、ある教授が実際の患者の身体で病状を解説。だが、説明が終わっても上半身裸で教授の横に座らせていた。患者は女性だった。「ここに学ぶべき師はいない」と精神科志望を鮮明にした。56年に医師になり、10年近く都立松沢病院で精神科医としてのまなざしを学んだ。
 この国の精神科医療に「法の下の平等」はあったのか。
 閉鎖病棟は「不潔病棟」と呼ばれ、汚物が壁に塗られ環境は劣悪。通常は1年で交代するが、岡田さんは希望して4年間担当。患者の入浴日に診察に行けばいいと言われたが、毎朝病棟に通い離れなかった。

◆思わぬ反響があった新聞投稿
 患者の中には閉鎖空間のいら立ちか、興奮して衣類を破き、冬になると身体をブルブル震わせる人も少なくなかった。ある日「衣類の寄付を」と朝日新聞に投書し、思わぬ反響と1万点の衣類が寄せられた。だが「実態を暴露した」と都衛生局側から疎まれ続けた。
 精神科医療はいつも社会から遠ざけられ、人権感覚をも失わせていく。岡田さんはその後、女性病棟の担当に。ある時、入院していた中程度の知的障害があった女性が、院内で男性患者と性的関係に。女性に面会に来る家族はおらず、「子育ては難しい」と岡田さんは不妊手術の対象にその女性を選んだ。旧優生保護法下、都の優生保護審査会も承認し、不妊手術には岡田さんも助手で立ち会った。
 それから半世紀。2018年に不妊手術を強制された人らの国賠訴訟が相次ぐと、岡田さんはその事実を実名で告白。「当時は普通だったが、それはまぎれもなく全ての国民は個人として尊重される憲法13条を排斥する行為。精神科医療史を礎にしてきた者が語らないわけにはいかなかった」

◆日本のやり方は「世界の三大精神科アビューズ」
 いまだ続く虐待問題や安易な身体拘束、医師や看護師の配置基準が少ない精神科特例。日本の病床数の多さは、ナチスの精神疾患の患者殺害、旧ソ連の反体制運動家収容と並び、世界の三大精神科アビューズ(乱用)と語られる。
 岡田さんは言う。「差別医療が徹底され、昔も今も違憲状態だ」とし、「精神科の病院運営はほとんどが民間任せ。民間の病院を擁護するつもりは全くないが、国は責任を持たなかった。その不作為を認めるところから全てが始まる」。

◆「できることを進め、憲法を引き寄せていけばいい」
 精神疾患を巡り差別的視点も根深い。「差別をなくす術(すべ)は常識とされていることを疑うことだ。それを重ねていると差別の芽も小さくなる。自分の頭で判断していくということだから」
 例えば、世界保健機関(WHO)の「健康」の定義。「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態」とするが、岡田さんは全否定する。「完全に良好な状態の人間なんているのか。健康とは、悪いところを抱えてそれでも生きていくことだ」と説く。
 日本の精神科医療をこう見据える。「例えば単科の精神科病院をなくし、一般病院の中に他科と同じように精神科を位置付ける。地域の人が気軽にサンダルで会いに行ける環境にする。これだけでも随分違う。できることを進め、憲法を引き寄せていけばいい」(木原育子)

◆デスクメモ
 医学部時代から70年以上、この国の精神科医療を見つめてきた岡田さん。「昔も今も違憲状態」という言葉は重い。戦後の日本で、なぜ憲法の保障する人権が届かなかったのか。今も生命、自由、幸福追求の権利が尊重されていない理由は? 社会に根ざす差別に向き合わなければ。(本)

3. 蒲田の富士山[2323] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年5月07日 08:09:44 : v4ouBbv322 : RzlSZjdjZUU3SlE=[14] 報告
<■105行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「金八先生」にも関わった教育書籍編集者が憂える「なし崩しにされた憲法理念」 今こそ「近現代史」を学ぶ時(東京新聞)
2024年5月6日 12時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/325370?rct=tokuhou

<その先へ 憲法とともにE>

 書籍編集者として「教育」と「安全保障・軍事」に強い関心を持ち続けてきた。ただ、梅田正己さん(88)の足跡は編集者としての枠組みにとどまらない。10冊を超える著書があり、出版史上最大の言論弾圧事件・横浜事件の再審裁判を支援する会の事務局やマスコミ九条の会の呼びかけ人を務めた。
 言論の自由、平和主義―。行ってきた活動や関心そのものが、憲法と密接な関係がある。しかし、現憲法の理念は「成立まもなくからなし崩しにされ続けてきた。ほぼ80年で、1周回って敗戦後の出発点に戻ってきた」と感じている。
 そんな思いを深めるニュースが最近も相次いだ。
 陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)への投稿で、「大東亜戦争」という表現を使った。自衛隊員が靖国神社に集団参拝したことも明らかになった。「大東亜戦争」はアジアへの侵略戦争を正当化する際に使われることが多く、靖国神社はそうした歴史観を持つことで知られる。

◆三省堂営業部時代にのめり込んだ「学生通信」
 戦前の軍国主義教育を受けた記憶が残っている。1945年の終戦時は9歳。学校で教育勅語を丸暗記させられた。「月並みの軍国少年だった」と振り返る。故郷の佐賀県唐津市にいて、直接の空襲は受けなかったが、戦争末期は米軍機が通過するたび空襲警報が鳴り、防空壕(ごう)に逃げ込んだ。
 高校時代、受験勉強に没頭した反動で、東京で過ごした大学時代は授業はそこそこに読書にふけった。辞書や教科書を主に出版する三省堂に就職するが、「あくまで活字マスコミ志望で、特に大きな理由はなかった」。ただ、就職先での仕事も受験勉強の反動が反映される。
 入社後、営業に配属され、そのためのPR紙「学生通信」の編集を担当した。宣伝は広告欄だけにとどめ、未成年の性や学生の自治、非行問題など、授業や教科書ではあまり扱わないテーマを取り上げた。自身の高校時代への反省から、高校生の社会的、文化的な関心を刺激する特集を組んだ。毎号、適切な筆者が見つかるとは限らず、自ら取材、執筆もした。
 「学生通信」は全国の高校の図書館に置かれるようになったが、経営者の交代で方針が変わり、72年に廃刊。しかし、各地に「ファン」の教諭が育っていた。「このままなくなるのは忍びない」。退社して自ら出版社「高校生文化研究会」を設立、「月刊 考える高校生」を発刊した。

◆「観光コースでない」シリーズはヒット作に
 未成年の性を扱った書籍の一部が「3年B組金八先生」のシナリオに使われた縁で、小説版の同シリーズを扱うことに。「考える高校生」で取り上げた沖縄問題の執筆者に依頼し、83年、「観光コースでない沖縄」を発行。以降、「観光コースでない」シリーズはヒット作となる。
 「高校生文化研究会」はその後、「高文研」に名称を変え現在に至る。高文研は沖縄や朝鮮半島の歴史などに関連する人文書を多く出版している。梅田さんが経営から退いて10年以上がたつが、もとは現役時代に関心を広げ、手がけるようになったテーマだ。
 大手出版社を辞め、当初2人で始めた出版社は、こうしてなんとか軌道に乗っていった。ただ、教育関連の出版に携わり、教育が常に国家主義的な政治の圧力を受け、統制され続ける現実を見ることになる。

◆戦後は終わったはずでは…回帰していく戦前教育に衝撃
 学生通信の創刊3年目の1965年、高校生に向けて「期待される人間像」の中間草案が発表される。その一節、「われわれは祖国日本を敬愛することが、天皇を敬愛することと一つであることを深く考えるべきである」に衝撃を受けた。「戦前の教育勅語は否定されたのではなかったのか」
 「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣時の85年、文部省(当時)が「国旗・国歌の取り扱いについて徹底すること」との通達を出した。「日の丸・君が代問題が出てから、次第に学校現場の統制が強まり、息苦しくなった」。その後、この問題は東京で教員の大量処分という事態に発展する。
 「考える高校生」(91年から「ジュ・パンス」に改題)は高校生を一市民として捉え、教育制度や国家体制について批判的な側面を伝える内容もあった。購読はあくまで教諭の自主性に依拠していた。教育現場の状況を反映してか、徐々に部数は減少。教育基本法が改正された2006年、34年の歴史に幕を閉じた。
 教育の分野で、戦後否定されたはずの国家主義的な思想が息を吹き返す。また、編集者としての経験から、言論の自由も後退しているように感じる。

◆言論弾圧は今も…みんな忘れちゃったの?
 中曽根内閣時代には、外交・防衛上の国家機密に対する公務員の守秘義務を定めたスパイ防止法案の成立に向けた動きがあった。この際、「出版人も対象に巻き込まれる」と反対する出版人の会を立ち上げ、高文研に事務局を置いた。この会は後に横浜事件の再審請求裁判につながる。
 同法案は多くの議員や世論の反対もあって廃案となったが、13年、同様の趣旨と言える特定秘密保護法が第2次安倍政権下で成立した。「言論弾圧、統制という観点から見れば、横浜事件から特定秘密保護法までつながっている。1980年代には多くの反対があったのに、みんな忘れちゃったのかな」
 これ以上、現憲法の理念をなし崩しにしてはいけない。そのためにどうすればいいのか。行き着いた答えが、「学校教育でほぼ消されている近現代史を学ぶ」ということだった。
 戦中、大日本帝国の3本柱だった帝国憲法、軍人勅諭、教育勅語はどんな時代状況の中でできたのか。帝国憲法に行き着く明治維新とは何だったのか。自らその歴史をひもといたのが「日本ナショナリズムの歴史」(全4巻)や「明治維新の歴史」だ。

◆否定的な面も含めて、明治維新から学び直しを
 編集者である梅田さんが自ら執筆した動機は、国家主義への道を歩んだ日本の近現代史、特にその源流となった明治維新の本質について、一般の読者にも理解できるように書かれた本が極めて少ないと感じたから。「近代日本が歩んできた道を正面から向き合って考えないといけないのに、人々の意識から抜け落ちている。歴史研究者にも奮起してほしい」
 基本的人権、国民主権、平和主義を掲げた現憲法は「世界中が掲げるべきだ。人類の未来はそこにしかない」と思い、その成立とともに人生を歩んできた。しかし、このままでは現憲法の理念は崩れ、戦前と似た状況に戻ってしまうのではないかとの不安が募る。
 そうならないためにも、否定的な面を含めた日本の近現代史を学ぶ場を設けることの大切さを訴える。
 「国家主義時代の歴史を学べば、現憲法の意義も分かるはず。心ある人たちで学習運動をしてほしい。定年退職した中高の社会の先生をチューターとして入り口にすればいい」。近現代史を学ぶ草の根の市民グループが広がれば、多くの人の憲法への認識も変わると信じている。(宮畑譲)


◆デスクメモ
 文部科学省が検定で追加合格にした「令和書籍」の歴史教科書に批判の声が上がっている。特攻による戦死を「散華(さんげ)」と表現するなど、太平洋戦争を美化する姿勢が漂うからだ。現憲法の背景には国家主義、軍国主義への反省がある。負の歴史を殉国美談にしてはならない。(北)

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