http://www.asyura2.com/24/cult49/msg/217.html
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人間社会を客観的に見るという事だと思うが、そうでないと白色偽ユダヤの暴虐を通常の価値観で忍耐するのは無理であるし、止めたり罰したりも無理で、まともな神経の者は病むのがオチで、何とかしなければならない訳だが、人間社会の中で考えても無駄である。
しかし、頭の体操でよいから時間と空間の幅を拡げると、白色偽ユダヤが大した存在ではない事がよく分かるし、それとセットで我々が連中の暴虐に戦々恐々としている事も我々自体も連中同様に大した存在ではない事もよく分かる訳である。
その時に、一体人生とは何なのかという思いや人間は掛け替えのないない存在である筈だという葛藤も生まれる筈で、至って正常な感覚である。
そして、ここから先は自分で実験中の為、同意や共感を得ようとは思っていないが、どうやら無数で巨大な天体もその一つをゆりかごにして生まれた我々も、自分の意思で滑った転んだしている積りになっているがそうではなく、多少の自由度はあるのかもしれないが、天体同様に一定のサイクルの中で発生と消滅を延々と繰り返しているだけで、連中の暴虐もスパイスの一つようなもので、我々が無条件に天変地異による運命を受け入れるのに比べれば大した話ではなく、連中も我々が過剰に反応しないと狙い通りの展開に持ち込めない訳で、シカトを超える無反応に近い状態を作れば犠牲を最低限に抑えられる訳で、そんな我慢比べのような事を理性や信念という人間社会の中で培ったもので対応するのは無理で、その一つ外側から人間社会を俯瞰する感覚が必要な訳で、私の場合はしつこく深呼吸という事で、それぞれが自分なりの方法で人間社会がこの世の全てはないという感覚を体感してはどうかというご提案である。
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