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私が健康法を超える感じがして深呼吸を躊躇した段階があった事は何度もここに書いたが、最初は自信満々に左脳で固めたイメージがワープロを消した時みたいになるのを恐れるという実務的な立場から、その不便よりイライラや不安解消を優先して克服した時が一番慎重だったが、今までの価値観の修正を迫られて家族や友人や同僚と上手くやっていけなくなるのではないか、お花畑なスピ系みたいになってしまうのではないかという不安が頭をよぎり、自分の中でルールを作り、イライラや不安解消という健康法レベルに留める、気分がいい時は敢えてやらないと決めて、それで上手く回ると思っていたのだが、やはりここに何度も書いたが宇宙が丸ごと肺の辺りにある夢や地球が丸ごとある夢を見て、今でもヘンテコな感覚だと思うが、初めて飛行機に乗って海外から日本を客観的に見た時の感覚とでも言えばいいのか、よく言われる自分を客観的に見ろと誰もが言われたと思うが、自分どころか人間社会どころか地球どころか宇宙を客観的に見た感じがして、人間のサイズも重さも人生八十年も無きに等しいものだなあとも思ったし、逆に岡本太郎が自分が宇宙だと言った感覚も分かった気がしたし、スピ系の宇宙と繋がる感覚というか宇宙の一部である感覚も感じたし、そんな感覚で現実を見ると、やはりここにも雑に書いてきたが、全部どうでもよくねというのが正直なところで、もう少し丁寧に書くと世間の正邪善悪と上手く折り合いつけて伸び伸びやればよくねと、彼の刷り込まれた罪悪感をほどほどにしたらどうよという提案に繋がっていく訳だが、そんなこんなで必要に迫られていない時も深呼吸をやってみたら、懸念したほど期待したほど劇的な変化はなかったが、人生観や死生観が日々変わっていくのは感じており、やはりくどく書くが、全部どうだっていいと一休さんのなるようになる心配するなに近い感覚が全身を貫いてゆくのを止められない感じである。
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