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中国の文化大革命は毛沢東の手によって引き起こされたものの、中期以降は一般民衆もむしろ率先してこの混乱を加速させ、いうなれば集団パニック、もしくは集団ヒステリーのような現象だったと思います。
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投稿者 中川隆 日時 2025 年 4 月 10 日 06:10:42: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ 投稿者 中川隆 日時 2025 年 4 月 10 日 06:09:43)

中国の文化大革命は毛沢東の手によって引き起こされたものの、中期以降は一般民衆もむしろ率先してこの混乱を加速させ、いうなれば集団パニック、もしくは集団ヒステリーのような現象だったと思います。日本も戦前は教育上は軍部が国民を扇動させたことになっていますが、実際にはかなりの部分で国民も戦争へ突入するのを応援していました。何でも、朝日新聞が当時に反戦の記事を書いたら部数が一気に5%にまで落ちて、慌てて戦争賛美へと論調を変えたほど民衆も戦争一色だったらしいです。

 よく集団ヒステリーというと、大体二、三十人くらいの小集団で起こるもの、大きさにすると学校のクラス単位くらいなものと思いがちですが、歴史的に見ると日本を始めとした国家単位でも起こっていますが、さすがに中国という巨大人口国でも起こるというのはなかなかに驚きです。

当時の考え方としては、共産主義国家の建設は非常に困難が伴うものであるため、この困難から抜け出すためとか、自分だけいい思いをしようと安易に資本主義に走る卑怯な輩がいるという具合で憎悪をたぎらせたのだと思います。この「修正主義者」という言葉が、1960年代の中国の流行語であったのは間違いないでしょう。

 当時、中国に流布したのはこうしたソ連の輩のような裏切り者が中国共産党内部、それもかなりの上位階級に潜りこんでいるという言質でした。彼ら修正主義者は謀略をめぐらし、偉大なる指導者である毛沢東を追放したのだ、と毛沢東の政治失脚は彼らに原因があるというような言葉が共産党の機関紙である「人民日報」などのメディアで激しく展開されていきました。

こうした言論を一番真に受けたのは当時の大学生たちでした。北京大学では壁新聞が張られて公然と指導部が批判され、精華大学では孤立無援の毛沢東閣下を救えとばかりに、後に中国全土で猛威を奮い、この文化大革命の代名詞となる「紅衛兵」という、青年たちによる私兵団が全国で初めて組織されました。

そのうち毛沢東も公然と、
「共産党の指導部内に裏切り者がいる」
と主張するようになり、先ほどの紅衛兵という少年少女らで組織される私兵団も毛沢東の応援を受けて各学校ごとに作られて増加の一途を辿り、事態は徐々に深刻化していきました。

『毛沢東』は腹心とも言える『上海組(四人組)』を使い、1966年以降『紅衛兵』と呼ばれる団体を結成し、其れを行って行ったと言うのです。 すなわち彼は、彼の理論の推進者として、抵抗感の少ない学生・少年少女を選んで、その推進力と仕様とした事になるのです。

 この『紅衛兵』とは、よくドイツの『ヒトラーユーゲント』の引き合いに出される物である様なのですが、確かに、狂信的でその目的は似ているとも思いますが、実体はかなり違うようなのです。 つまり、レベルがかなり違うと言わざるを得ないのです。 

『紅衛兵』に、特に資格と言ったものは無かったのです。 其れが『無知』とも言える暴走を生んで行ったと思われます。僅か10代の少年少女達が『毛語録』を手にしただけで、続々と加入し拡大を続けたと言うのです。

 『毛沢東思想』を権威として暴走する事になった彼等は、多くの派閥に別れ、互いに『反革命』とのレッテルを張り合い、武闘を繰り広げて行ったと言うのです。 つまり、指導者の不足が如実に『統制不可能』な現象を起こして行ったのです。


 結果的とは言え、無知なる青少年が『国家政策』を専横して来る様になったと言うのです。共産党幹部ですら其れを防ぐ事は出来ず、その時既に党幹部でもあり、後の中国共産党の重要な指導者となった『トウ小平(1904〜1997)』は『紅衛兵』の暴行を直接身に受けているのです。 言わば、『思いつき』に似た行動が多かった様で、

『農村から学ぶ必要がある』と成れば、どんな人達も、『上山下運動』に狩り出されたと言いますし、

『孔孟の匂いのある物』と成れば、すぐ破壊されたと言うのです。 

事情は一切顧みられる事は無かったと言うのです。

 つまり、この様な事が頻発した為に,中国の高等教育は機能を停止したと言われ、中国の進展は、この『文化大革命』で20年は遅れたと言われているのです。 この世代は教育、及び倫理的に大きな影響を受けた世代と言われ、その影響は今も尚、大きなものを残していると言うのです。 すなわち、『文化大革命』は当初、政治・社会。思想・文化の全般にわたる『改革運動』として企画された物であったと言うのですが、結果的には『粛清』『破壊』その物であった様なのです。 

実体は、単に彼等の『勧善懲悪』的な指導の下に行われた様なのです。


 つまり、『善人』とされたのは、

『少正卯』
『呉起』
『商鞅』
『韓非』
『荀況』
『李斯』
『秦の始皇帝』
『漢の高祖』
『漢の文帝』
『漢の景帝』
『曹操』
『諸葛亮』
『武則天』
『王安石』
『李卓呉』
『毛沢東』

などであり、それにつながるものは『善』であったのです。

 『悪人』とされたのは、

『孔子』
『孟子』
『司馬光』

等であったと言うのです。


 つまり、中国の思想家の内

『法家を善とし、儒家を悪として、孔子は極悪非道の人間とされ、その教えは封建的とされた』

と言うのです。 すなわち、この後は、これらの人々になぞらえても、『紅衛兵』の行動は激しさをまして行ったと言うのです。

 何でも彼等の携帯する『毛語録』には


『革命は客を招いてご馳走することでもなければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりする事でもない。

そんなにお上品でおっとりしたり、雅やかな、そんなに穏やかで、おとなしく、うやうやしく、つつましく、控え目な物ではない。

革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。』


とあり、

『革命には犯罪は無い』

としたと言うのです。 

これが、『無知なる少年少女』達の『粛清運動』ともなり、結果的に約1000万人〜3000万人の『大量虐殺』を産み、結果的に犠牲者数億と言う、数字も定かならぬと言う『内戦』とも言える惨状を多分に示した運動ともなって行ったのです。 

この『文化大革命』のエピソードを拾ってみれば、其れは更に容易に想像がつくかとも思えますので列挙してみます。 


 *『紅衛兵』は『赤は革命に色であるから赤信号で止まるのはおかしい、赤信号で進んで青信号で止まるべきだ』

 *『寝室に毛沢東の写真を飾っていた新婚夫婦』に『首席の前でセックスをした』と非難した『紅衛兵』に、『その時は電気を消していた』と反論した。

 *ある『紅衛兵』は『富農家』や『官僚』批判が絶頂だった頃、彼らに対する迫害を多くしたと言うが『毛沢東』の実家も『富農』であった事で候補に上げた。

 *中華人民共和国の新聞には、その頃多くの毛沢東の写真等に占領されていたが、その新聞を尻に敷いたり、たきつけに使った事で吊るし上げられた者が多数いた。

 *旧思想・旧文化の否定がスローガンとされた為、陶磁器や金魚・月餅等古い歴史を持つ商品の製作や販売まで旧文化とされ、それに携わるだけで、職人や関係者は『帝国主義者』と認定され、つるし上げの対象者でもあった様なのです。

とまぁこんな具合に毛沢東は教育をあまり受けていない農民や中高生のやろうとしていること、考えていることの方が下手な知識人、果てには既に教育を受けてしまった大人より正しいのだと後押ししたのです。その結果が、紅衛兵などの悲劇歴史を生んでしまうのです。
https://imogayu.blogspot.com/2008/09/blog-post_22.html  

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