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日本が朝鮮併合したのも満州や中国を植民地化したのも食料を増産するためだった
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投稿者 中川隆 日時 2025 年 2 月 09 日 07:24:01: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

日本が朝鮮併合したのも満州や中国を植民地化したのも食料を増産するためだった
日本は戦前も晩婚化が進んでいた 食料不足から人口抑制し現在に至る
戦前戦後の食糧不足から、日本は人口抑制を徹底した。
そのまま70年が経ち、政府はまだ人口抑制策を続けている。

戦前も結婚が遅かった
少子高齢化は日本の病理のひとつで、中でも子供が少ない少子化は、年金問題や経済の低成長などを引き起こしている。
少子化の原因は結婚しない人が増えたのと、結婚年齢が遅くなったのが原因だが、戦前は結婚が早かったわけではなかった。
1920年代(大正末期から昭和初期)はアメリカで空前のバブル景気になり、すでに個人がスポーツカーを乗り回していた。
当時は今より世界の結びつきは少なかったが、日本も好景気の恩恵を受けて「大正デモクラシー」が流行した。
伝統主義に対して西洋化、資本主義、民主主義がもてはやされ、東京では消費文化が始まりました。
サラリーマンは西洋風のスーツを着てOLが着物ではなくスカートを履き、お昼は洋食のランチを外で食べるのが流行った。

1930年代になると既に日中戦争は始まっていたが、田舎にも西洋化の波は押し寄せ、急速に晩婚化が進みました。
1920年に女性の結婚年齢は23歳だったのに、1943年ごろには25歳になり、男は平均30歳になりました。
この間出生率も低下して5.0(女性一人が平均5人出産)から1940年頃3.8くらいまで低下しました。
出生数は増減はあるものの概ね上昇し、1950年には269万人まで増加しました。
これはいわゆる人口ピラミッドの下の方が大きく、若者が多かったので、少々晩婚になっても絶対数が多かったからでしょう。

戦前から戦後10年くらいの日本は人口が増えすぎ、食料不足が大問題になっていました。

日本政府が人口を減らす政策を進めた
日本軍が朝鮮占領したのも満州や中国を占領したのも、根源的には「食料を増産するため」だったのはあまり知られていない。
人口が増えた割りに食糧増産は進まなかったので、朝鮮を占領したが、却って増えた人口を日本が養わねばならなくなった。
そこで満州を占領して食糧増産しようとしたが、今度は満州で人口が増えてしまい、日本が満州の人を養わねばならなくなった。
旧日本軍の政治は大体こんな風で、とりあえずやってみたが失敗した、というパターンが多い。

大日本帝国は最初から最後まで食糧不足に悩まされ、内地でも外地でも戦地でも食料が不足した。
皮肉な事に1945年ごろの日本で最も食料が豊富だったのは、日本が養った朝鮮や満州や樺太だった。

1945年を境に戦地から兵士が帰還して爆発的な人口増加が起こり、1947年から49年に出生数と出生率で過去最高を記録しました。
当時の製造業や農業は自動化されておらず全て人力だったので、社会は膨大な労働力を必要としていました。
日本政府はやはり人口増加による食糧不足を懸念し、戦後すぐに人口抑制政策を始めました。

子供を産んでも何のメリットもなくなった
女性の社会進出、子供の人権、中絶合法化、などがそれでいずれも女性が子供を産まなくなるように調整する目的でした。
女性が働けば子供を産まなくなり、子供の人権や教育によって子育てには金がかかり、5人以上も産むことはできなくなった。
昭和の中期以前は子供が家事や仕事の手伝いをするのは当然だったが、これも禁止したので一人当たりの養育費は高騰した。

1960年代までは「子供は産めばなんとかなる」社会だったが、以降は金がなくては子供を作れない社会に変わった。
貧乏人の子沢山という言葉があり、たくさん産んで一人でも立身出世した家族は貧乏から抜け出せたが、そういうサクセスストーリーもなくなった。
子供が多かった時代には、子供は働いたり近所の子供の世話をし、成人したら親の面倒を見るのが当然だったので、親には子供を育てる金銭的メリットがあり、愛情だけで育てたのではなかった。

現代では子供は親と別居して面倒を見ないのが当たり前になり、子供は「ただの負債」になってしまった。
戦後70年ずっと日本政府は、昭和初期に軍部が決めた人口抑制策を続け、人口がマイナスになった現在も続けています。
人口減少、少子化の犯人は誰かと言えば、それは他の誰でもなく日本政府自身でした。
http://www.thutmosev.com/archives/74335274.html  



話の始まりは1929年のニューヨーク株価大暴落で、この影響でドイツや日本、全世界が同時不況になりました。
当時の人達はなぜか「世界で貿易を盛んにしよう」とは思わず「貿易を禁止すれば資源を独占できる」と考えてブロック経済を始めた。
エネルギーが石炭から石油に替わりつつあり、石油が採れる場所は限られていたので日本はエネルギー不足に陥った。

ここで日本陸軍は大失敗を犯し、大陸に進出して農地を増やし食糧問題と人口問題を解決しようと思い立った。
戦前の日本は人口爆発による食料不足に困っていて、朝鮮や大陸を農地にして食糧を得たいと考えた。


軍人にはビジネスも経済も理解できなかった
実際には半島でも大陸でも食糧を得るどころか日本から送る始末で、朝鮮でも満州でも人口爆発が起きてそれぞれ食糧不足になった。
これは原始的な社会が近代国家に代わったため急激な人口増加が起き、日本、朝鮮、満州のそれぞれが人口増加で食料不足に陥った。
ここから陸軍のプランはさらにおかしくなり、大陸の平定に大量の兵士を動員したため、兵士の食糧やエネルギーを日本からどんどん送り込んだ。

最初のプランでは満州で農地を開拓して日本に送るという事だったのに、現実には満州を維持する為に兵士や労働者や食料やエネルギーを日本から送りました。
食糧や兵士は国産だが石油などのエネルギーは輸入なので、日本は輸出国である米英欧への依存度を高めていった。

アメリカはある日「中国の権益を半分よこせ」と要求したが、陸軍軍人はビジネスが理解できない為「領土を半分取られる」と思い拒否した。
実際にはアメリカが要求したのは開発権や利益に過ぎなかったが、これで日米関係は決裂しアメリカは対日制裁を連発しました。
日本陸軍の判断はさらにおかしくなり、「満州を取られないためにアメリカを倒す」事になり、1941年の真珠湾攻撃で日米戦争が開始された。

話をまとめると食糧不足を解決する為に満州開拓をしたが、日本から労働者と兵士と食料を送る羽目になった。
満州を維持する為にエネルギーが必要になり、満州の権益を欲しがるアメリカと対立し、「そうだアメリカを倒そう」と思い立った。
満州なんかアメリカに半分くれてやればいいし、そもそも満州を開発しなければ食糧不足もエネルギー不足も発生しませんでした。
https://www.thutmosev.com/archives/88522138.html  

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