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(回答先: 日本がアメリカと戦ったのは、共産革命が怖かったから日本をアメリカに占領して貰ったのです: 投稿者 中川隆 日時 2025 年 3 月 31 日 00:25:14)

天皇のための戦争・天皇は内通していた
昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。おまけに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通していたのである。
近年になって公開された米国政府文書により、アメリカがわざと真珠湾攻撃に日本を誘い出したことは明かになっている。開戦時、日本側では、内大臣の木戸幸一が中国からの撤兵反対、米国との対戦を主張して、米国の謀略に合わせていた。たが、木戸というより裕仁だ。近衛はその逆だった。終戦の半年前の昭和19年2月には「近衛上奏文」(「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞)で戦争に導いてきた軍人たち(共産主義に染まっていた)の一掃を勧めているが、裕仁はこれを無視し、特攻隊、本土空襲、原爆投下をまねいている。
太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わった。
裕仁の売国奴ぶりは終戦後も続く。吉田茂は、日米講和条約が成立すれば米軍は撤退するものだと思っていた。ところが、吉田茂の知らないところで昭和天皇が裏取引し、ダレス(ロックフェラー財団の有力者)と秘密交渉、米軍が無期限に日本に駐留することにさせた。沖縄は半永久的に米国の領土として認めるといったことをダレスに言っている。
昭和天皇だけが日本のストーリイを全部知っていた。
で、戦争が始まる一年前に近衛が天皇に面会を申し込みます。天皇は拒否します。それで近衛が木戸に会います。これもまた木戸日記にちゃんと書いてます。近衛はどういうことを言ったかと。
「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。陸軍は石油を一年分しか持ってない。この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて木戸の許を去ります。木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。これは木戸日記にはっきり書いてあります。
ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、石油はあったんですよある程度。みなさんもご存知のように、ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、やっぱりあれは石油があったんですよ。なぜ石油があったか考えてみたことありますか。これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には石油は売らない」。ところが「パナマ国籍の船ならば油を積んでいって日本に売っても、これは自分たちは攻撃できない」という理屈で、日本に石油を間接的に売るわけです。本当なんです。三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。『昭和通商』と三菱は同じです。それではマズイというので『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。
そしてある時になって、「石油はやらない」という時になって、天皇は気がつくわけです「ああ。ついに終わりが来たか」と。ね。これが真相なんですよ。近衛とか木戸はその辺を知らなかったんです。天皇と一部の大本営、『御文庫』といって、天皇の宮殿内の地下深くに『御文庫』をつくり、そこに大本営を置いて、毎日毎日「今度はここ行け」「ここ行け」指図した。それを指図が出来ると、東条に渡すわけです。東条は御文庫の中に入れない。そういうシステムで戦争が進んでいる訳です。最後に天皇も「もう尽きるところまで来たな」って、天皇も終戦工作に入る。終戦工作に入るのはロシアを通して入ろうと、ロシアを通して終戦工作に入りますけど、上手く行きません。
終戦工作は白洲次郎という男が全部絡んできますけれど、これが終戦工作をやります。ヨハンセン・グループというのがやります。ヨハンセン・グループというのは、吉田反戦グループといいます。それでヨハンセンとなります。アメリカ人の暗号名です。「ヨハンセンから連絡があったか?」。ヨハンセンというのは吉田と樺山愛輔という貴族と、その中に連絡係りの白洲次郎がいます。彼らがグルーからも貰うし、別のルートからもデータを貰い、まだ御前会議で戦争を遣る最後の会議の時にも、御前会議が始まると次の日にはもう、グルーを通してアメリカの上層部に日本の最高機密が流れていくわけですよ。これが日本の現実なんです。ね。
で、白洲次郎が『カントリー・ジェントルマン』とかいって、戦争のときは鶴川の山の奥で農業をやっていたというのは全部デタラメです。これは『日本水産』の社長であった有馬というやつがいますが、これも貴族ですが、『日本水産』のトップですが、この男の日記にダーッと出ている。「また白洲が来た。とんでもないニュースを持って来た。アメリカがどうのこうの。何で彼はこんなことを知ってるんだろう」ずーっと出てきます。そういう事なんです。で、結局ですね、最初から日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると、すべて矛盾がなく納得できるんです。だからゾルゲを使って、天皇は弟の公一に機密情報を流してソヴィエトに渡せと、で、ソヴィエトを安心させて南進策を取るわけです。で南進政策を取ッとる時に、木戸が日記に書いてますよ。「おい、火事場泥棒をしたな」「へい」と木戸が言うわけですよ。「火事場泥棒も時によってはしょうがねえなあ」と天皇が木戸に言ってんです。火事場泥棒なんです。ね。
あのおとなしいような天皇は非常に頭が良くてですね、昭和天皇はズル賢くてすべて計算してたわけです。だから日本をアメリカとの戦争に持っていくよう仕組まれたら、それに応えるよう敢えて真珠湾攻撃の大事なところで手を抜くわけなんです。だからあれは山本五十六に命じますけど、山本五十六は言ってんじゃないですか。「一年くらいは持つ。勝った勝ったと言うだろう。だけど後はもう知らん」。そしたら天皇はそれでもいいからやれというわけですよ。やらないと自分の身が危ない。スキャンダルをみなバラされて、全部失う。スイスに貯めた金も失うと。
御前会議ですけど、次の日にはもうアメリカは内容を全部知ってます、これは吉田茂が樺山愛輔に流し、樺山愛輔がグルーのところに持って行って、グルーが電報で打って全部次の日には・・・グルーも『回想十年』で書いてます。「ヨハンセン・グループにもらって全部やった」て。まあ後に翻訳されますけどね。まあ僕は昭和史を読んでて「悲しいなあ」て思ったのは、昭和天皇が御前会議の席上、戦争をやれというとき「分った」と。で、杉山元(はじめ)という参謀長に言います「勝てるか?」。「勝てるかどうかはやって見ないと分りません」。すると天皇はみんながシーンとしている時に「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」と読んだ。で、それが戦後になって昭和天皇が戦争に反対した証しだとか、昭和天皇は戦争に責任がないという一番の証拠にされるわけです。この歌を以って反戦の歴史学者もみな賛成するわけです。
しかし実際は戦意高揚の歌だったんですよ。八紘一宇の代表的な歌として、ずーっと歌われてきた。で、戦争前まではそれで筋が通ってきた。色んな人がこの歌を、子どもたちの教科書に載っている歌でさえ(戦意高揚の歌として歌ってきた)。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html
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