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(回答先: 日本政府がアメリカ政府に逆らえない原因は日米の軍備差や核兵器を所有しているかどうかではなく、トヨタやホンダの様な輸出企… 投稿者 中川隆 日時 2024 年 7 月 30 日 09:18:20)
日本の保守や右翼は、日本政府が何故日本人の利益ではなくアメリカ人や中国人の利益しか考えていないのか全くわかっていない。
日本はアメリカの植民地である前に田布施のchousen人に支配されているカースト制国家なんだよ。
田布施のchousen人にとっては自分達さえ儲かれば日本人の生活なんかどうでもいいから、アメリカの奴隷国家をやっているだけさ:
日本人はアメリカに支配されている前に田布施の chousen人 に支配されている。
明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取りだった。
明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏chousenの王族や両班階級の血筋だった
田布施は李氏chousenの王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏chousenの王の末裔です。
永田町における「chousen系」というのは李氏chousen時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏chousenの王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏chousenの王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「chousen系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「chousen系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏chousen系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「chousen系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏chousen最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。
これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。
https://tocana.jp/2021/03/post_203874_entry.html
統一教会を日本で広めるため日本支部を創設したのが安倍晋三の父の安倍晋太郎、親子2代に渡って韓国のカルト団体を支援して見返りに選挙協力を受けていた。
統一教会は日本人の女性信者を洗脳しては 韓国の富裕層に「販売」していたが、「日本はこんなに酷い事をした」と日本女性を洗脳して意思を奪って操り人形にしています。
今も安倍晋三とその一味を愛国者と信じている人には気の毒だが、事実は最も悪質な売国者の集団でした。
安倍元首相と統一教会の「原点」を示す文書を発見
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14044230
ジェームズ斉藤 : 菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014958
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
明治維新以降、日本はイギリスやアメリカ、つまりアングロ・サクソンの手先として動いてきた。イギリスは1840年から42年にかけて「アヘン戦争」、56年から60年にかけて「第2次アヘン戦争(アロー戦争)」を仕掛け、利権を手にするほか麻薬取引で大儲けしたが、中国(清)を占領することはできなかった。戦力が足りなかったのだ。その戦力を日本が提供することになる。だからこそイギリスは技術を提供、資金を融資したわけだ。
日本をアジア侵略へと導く上で特に重要な役割を果たしたのはイギリスの外交官として日本にいたアーネスト・サトウ、アメリカの駐日公使だったチャールズ・デロングや厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドル。こうした人びとは明治政府に対して大陸を侵略するようにけしかけている。
デロングは日本の外務省に対してルジャンドルを顧問として雇うように推薦、ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任して外務卿だった副島種臣の顧問になり、台湾への派兵を勧めた。その口実を作るため、日本政府は琉球を急遽、併合したわけである。
イギリスを後ろ盾とする明治政権は琉球を併合した後1874年に台湾へ派兵、75年には李氏chousenの首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発する。
1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こってchousen王朝が揺らぐと日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方でchousen政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争で日本は勝利し、大陸侵略を始める。
イギリスはロシアに対抗するため、1902年に日本と同盟協約を締結し、その日本は04年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフだ。詳細は割愛するが、1905年5月にロシアのバルチック艦隊は「日本海海戦」で日本の海軍に敗北する。
そこで登場してくるのが「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領。講和勧告を出したのだ。9月に講和条約が調印され、日本の大陸における基盤ができた。講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したのだが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄されている。小村は日本がアングロ・サクソンの手先という立場になることを拒否したと言えるだろう。
小村とは逆にアメリカのために動いたのが金子堅太郎。この人物はハーバード大学で法律を学んでいるが、彼の2年後輩がセオドア・ルーズベルトだ。1890年に金子とルーズベルトはルーズベルトの自宅で合い、親しくなった。なお、金子の親友だった団琢磨は同じ時期にマサチューセッツ工科大学で学び、後に三井財閥の大番頭と呼ばれるようになる。
日本政府の使節としてアメリカにいた金子は1904年にハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説、同じことをシカゴやニューヨークでも語っていた。また日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした関係がkankoku併合に結びつく。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)
明治維新以降、イギリスとアメリカは日本に対して大きな影響力を持つことになるが、より正確に言うならば、シティとウォール街、つまり米英の巨大金融資本だ。1932年にフランクリン・ルーズベルトが大統領選挙で勝利するとウォール街の大物はクーデターを計画、「ファシズム体制の樹立」を目論んだ。この計画はスメドリー・バトラー退役少将によって阻止され、その内容をバトラーは議会で証言している。米英金融資本がナチスへ資金を提供していたことも判明している。
ウォール街の中心的な金融機関はJPモルガンだったが、その総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア。1932年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーのいとこはモルガン・ジュニアの妻。グルー自身は日本の支配層に太いパイプを持っていた。彼の人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、特に親しかった人物は松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。
1941年12月7日に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入した。翌年の6月にグルーは離日するが、その直前に商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202210280000/
- 安倍一族は両班出身、つまりchousenの王族出身 中川隆 2024/9/22 12:08:46
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