http://www.asyura2.com/23/warb25/msg/876.html
Tweet |
米英の長期戦略が世界を核戦争の瀬戸際まで追い詰めている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501240000/
2025.01.24 櫻井ジャーナル
ウクライナやパレスチナは戦乱で建造物だけでなく社会そのものが崩壊、東アジアもきな臭くなっている。いずれの地域でも中心的な役割をは対しているのはアングル・サクソン系国のアメリカとイギリスだ。
米英を含むヨーロッパは近代と呼ばれている時代を築いた。そうしたことを可能にした富の相当部分は16世紀以降、ラテン・アメリカから盗み出されている。
例えば、1545年に発見されたボリビアのポトシ銀山では18世紀までに少なくとも15万トンが運び出されたとされ、スペインが3世紀の間に南アメリカ全体で産出した銀の量は世界全体の80%に達したと言われている。全採掘量の約3分の1は「私的」にラプラタ川を経由してブエノスアイレスへ運ばれ、そこからポルトガルへ向かう船へ積み込まれた。
スペインも同じように略奪していたが、それらの国が財宝を運ぶ船を海賊に襲わせて富を築いたのがエリザベス1世時代のイギリスだ。中でも悪名高い海賊がジョン・ホーキンス、フランシス・ドレイク、ウォルター・ローリーである。
ホーキンスの場合、西アフリカでポルトガル船を襲って金や象牙などを盗み、人身売買のために拘束されていた黒人を拉致、その商品や黒人を西インド諸島で売り、金、真珠、エメラルドなどを手に入れている。
エリザベス1世の時代、イギリスではシオニズムが登場する。16世紀後半、イギリスではアングロ-サクソンを「イスラエルの失われた十支族」だと信じる人が現れ、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信仰がこの時期に出現した。ブリティッシュ・イスラエル主義ともいう。イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物として、ブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られている。
17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世は自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルなどピューリタンもジェームズ1世と同じように、「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたようだ。
こうした信仰は19世紀に入ると帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収する。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出した。いわゆる「バルフォア宣言」だ。
19世紀後半にイギリスを動かしていたグループ、「選民秘密協会」の中心はセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッドといった人たちだ。少し後からアルフレッド・ミルナーがグループを率いるようになった。アングロ・サクソンとユダヤのエリートが手を組んでいる。
セシル・ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会し、その直後に『信仰告白』を書いた。その中で彼は「私たち(アングロ・サクソン)は世界で最も優れた人種であり、私たちが住む世界が増えれば増えるほど、人類にとってより良いものになる」と主張している。
「より多くの領土を獲得するあらゆる機会を捉えることは我々の義務であり、より多くの領土は単にアングロサクソン人種の増加、つまり世界が所有する最も優れた、最も人間的で最も名誉ある人種の増加を意味するという考えを常に念頭に置くべきである」というのだ。
1899年にイギリスは南アフリカ戦争を仕掛け、トランスバールとオレンジを併合、すでにイギリス領になっていたケープ植民地とナタールと合わせて南アフリカ連邦を作り上げた。その後、オランダ系のボーア人とイギリス系の白人は手を組んでアパルトヘイト(人種隔離政策)を推進、有色人種を支配するシステムを作り上げていく。イスラエルがアパルトヘイト時代の南アフリカと似ているのは必然だ。
その後、金産出量の半分以上を南アフリカが占める時期が続き、イギリスの金融界は金本位制を採用する国々の通貨に大きな影響力を持つことになった。南アフリカの金産出量が中国に抜かれたのは2007年のことである。
イギリスの支配グループは20世紀に入ると海軍力を使った世界制覇計画を作り上げた。イギリスが「明治維新」を後押しして中国やロシアとの戦争へと導いた理由もそこにある。
その世界制覇計画をまとめた論考をハルフォード・マッキンダーは1904年に発表している。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力と傭兵で支配、内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを征服するというものだ。この計画はその後も生き続け、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」も強く影響を受けている。ネオコンも引き継いだが、戦術が稚拙で、世界は核戦争の瀬戸際まで追い詰められた。
アングロ・サクソンがウクライナをクーデターで制圧、ベラルーシでも体制転覆を試み、ガザでの虐殺を支援しているのはひとつの戦略に基づいている。その戦略を達成するまで、彼らは侵略、破壊、虐殺、略奪をやめられないだろう。
**********************************************
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。