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核戦争へ向かってアクセルを踏むしかないロシアと戦争を始めた西側の好戦派
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202407110000/
2024.07.11 櫻井ジャーナル
世界は核戦争へ向かった歩み続けている。そうした状況を懸念する人は少なくないが、アメリカをはじめとする西側諸国の支配層はアクセルを踏み続けるしかないのだ。ブレーキをかけると彼らは破滅する。
1991年12月にソ連が消滅した直後、アメリカの国際問題や安全保障政策を仕切っていたネオコンはDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。その時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。DPG草案はウォルフォウィッツが中心になって書き上げられた。そこでこの世界制覇計画は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
ドクトリンの目的は新たなライバルの出現を防ぐこと。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、西南アジアも含まれる。ドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制、つまり戦争マシーンに組み入れて「民主的な平和地域」を創設するともしている。
しかし、日本側はアメリカ支配層の思惑通りには動かなかった。細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗、ネオコンの怒りを買うことになり、1994年4月に倒された。同年6月に自民、社民、さきがけの連立政権が誕生、村山富市が首相に就任して抵抗する。
そうした動きをネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に訴え、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。
こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。
1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは、この1995年だと言えるだろう。
ウォルフォウィッツ・ドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACは2000年に「アメリカ国防の再構築」というタイトルの報告書を発表、それに基づいてジョージ・W・ブッシュ政権は世界戦略を作成していく。その戦略を起動させたのは報告書が発表された翌年の9月11日に引き起こされた「9/11」だ。それを利用してアメリカは2001年10月にアフガニスタン、03年3月にはイラクを先制攻撃しているが、いずれも9月11日の攻撃とは無関係な国だった。
ミハイル・ゴルバチョフが西側の体制を民主主義だと錯覚したところから破滅へ向かう人類の歩調は速まった。ニコライ・ブハーリンを研究していた彼は西側支配層の魔の手にかかったと言える。ゴルバチョフが打ち出した「ペレストロイカ(建て直し)」を考え出したのはKGBの頭脳とも言われ、政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフだ。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)
ゴルバチョフがトップになる前、奇妙な出来事が続いた。1982年11月にレオニード・ブレジネフが死亡、後継者に選ばれたユーリ・アンドロポフは84年2月に腎臓病で死亡し、その後を継いだコンスタンチン・チェルネンコは85年3月に心臓病で死亡。そして登場してくるのがゴルバチョフにほかならない。
そのゴルバチョフは1990年に東西ドイツの統一を認めた。NATOを東へ拡大させないという条件がついていたことは記録に残っているが、そのような「約束」を西側の帝国主義者が守ると信じたゴルバチョフは愚かだった。この愚かさが世界を破滅へと導くことになる。
1990年5月30日にゴルバチョフはワシントンDCでジョージ・H・W・ブッシュ大統領と会談、ミネソタ州のCDC(コントロール・データ社)を訪問したが、その際、ミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルも同行している。
ロバートの娘、ギスレイン・マクスウェルのパートナーだったジェフリー・エプスタインは未成年の女性らを世界の有力者に提供、その一方で行為を撮影して恐喝に利用していた。マクスウェル親子とエプスタインはイスラエル軍の情報機関(AMAM)に所属していたとする証言がある。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)
ロバート・マクスウェルの情報源だったウラジミル・クリュチコフはKGBの幹部で、ゴルバチョフを失脚させるためのクーデターを計画したひとり。マクスウェルは1991年11月、カナリア諸島沖で死体が発見されている。ロバートの部下だったジョン・タワー元上院議員は同じ年の4月、搭乗していた近距離定期便がジョージア州ブランズウィック空港付近で墜落して死亡している。
クーデター騒動で実権を握ったボリス・エリツィンは1991年12月にベラルーシにあるベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めた。いわゆる「ベロベーシ合意」である。
この段階でネオコンはアメリカが冷戦でソ連に勝ったと認識、中国は新自由主義を導入する方向へ動いていたので、自分たちは「唯一の超大国」になったと信じた。好き勝手に侵略戦争を始められると考えたのだ。その考えを実現する切っ掛けに使われたのが9/11にほかならない。
アメリカが侵略戦争を本格化させてもロシアや中国は出てこず、核戦争になっても先制第一撃で勝てるとネオコンは信じていた。a href="https://www.foreignaffairs.com/articles/united-states/2006-03-01/rise-us-nuclear-primacy">外交問題評議会(CFR)の定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号には、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張する論考が載っていた。
この誤った分析の根底にはスラブ人蔑視があり、プーチンたちが「技術革新と起業家精神を阻害する腐敗した経済」を作り上げ、ロシアを貧困化させたと信じる「専門家」がアメリカの主流だった。バラク・オバマやジョー・バイデンがロシアとの関係を悪化させ、軍事的な緊張を高めた背景には、こうした信仰があった。そしてバイデンは大統領に就任した直後、ルビコンを渡った。
アメリカは短期間にシリアやイランを含む中東だけでなくロシアや中国を屈服させられるとEU諸国や日本など従属国の支配層を説得することに成功したようだが、シリアでつまずき、ウクライナではロシアに敗北しつつある。ウクライナは第2次世界大戦中の沖縄に似た状態だ。
ロシア軍はウクライナでじっくり戦っている。これを批判する声も西側から出ているが、大規模な戦力で短期間にウクライナを叩いてもアングロ・サクソンはロシア征服を諦めない。短期間なら、NATOは余力を残しての停戦になり、さほど時間を経ずに新たな戦闘が始まるだろう。大規模な攻撃を実施すれば、経済への負荷が大きく、国民の生活にも影響が出てくる。ロシアはじっくり戦うことで生産力を向上させ、アメリカ/NATOの兵器庫を枯渇させることにも成功した。短期間で勝利できるという前提でロシアとの戦争に突入した西側は戦争の長期化が苦境に陥っている。
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