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10月7日の戦闘でイスラエル軍が自国民を殺傷したと同国メディアが報道する意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311270000/
2023.11.27 櫻井ジャーナル
イスラエル軍に攻め込まれ、1万4000人以上の住民が殺されたガザで停戦が実現した。犠牲者の大半は非武装の住民で、その約4割は子どもだと言われている。イスラエル政府は破壊と殺戮でガザの人びとを脅して追い出そうとしたが、エジプトは協力せず、ヨルダンも警戒、そもそもパレスチナ人が移住を拒否した。そこで皆殺し作戦は始まるのだが、停戦はそれが失敗したことを示している。
1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されたが、そこには多くのアラブ系住民が住み、農業共同体が存在していた。その住民を追い出して土地を奪ったのである。そのため、シオニストの武装勢力は同年4月の上旬に「ダーレット作戦」と呼ばれる軍事作戦を開始した。
シオニストの軍隊で後にイスラエル軍の中核になるハガナで副官を務めていたイェシュルン・シフは4月6日、エルサレムでイルグンのモルデチャイ・ラーナンとスターン・ギャングのヨシュア・ゼイトラーと会っている。イルグンもスターン・ギャングもシオニストのテロ組織だ。
その3日後にイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲撃、住民を虐殺する。襲撃の直後に村へ入った国際赤十字の人物によると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)
こうした虐殺に怯えた少なからぬ住民は逃げ出した。約140万人いたアラブ系住民のうち、5月だけで42万人以上がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。生活の基盤である土地を奪われ、追い出されたパレスチナ人は1948年の出来事を「ナクバ(大惨事)」と呼ぶ。国際連合は1948年12月11日に194号決議を採択、パレスチナ難民の帰還を認めたが、実現していない。似たような経緯で「建国」したアメリカがイスラエルを擁護するのは必然かもしれない。
イスラエルのヨアブ・ギャラント国防相は10月9日、ガザの完全閉鎖を命じ、「電気も食料も燃料もなくなる。我々は人間獣と戦っているのだ」と宣言した。戦っている相手を「ハマス」と解釈している人もいるようだが、実態は市民である。ギラド・エルダン国連大使は10月26日の国連で「われわれは動物と戦っている」と叫んだ。
しかし、ベンヤミン・ネタニヤフ政権は停戦に応じた。戦況がイスラエル軍にとって芳しくないということのほか、イスラエル軍がイスラエル人を殺したとする証言をハーレツ紙をはじめとするイスラエルのメディアも報道、そうした報道を元にして国外でも伝えられ、ネタニヤフ政権は厳しい状況に陥っている。
ハマスの戦闘部隊が攻め込んだ際、約1400名のイスラエル人が死亡したとされた。その後、犠牲者の人数は1200名だと言われているが、いずれにしろ、相当数のイスラエル人が死亡したことは間違いない。殺したのがイスラエル軍だということになると、ガザを攻撃したことに対する批判も強まるだろう。停戦を終え、戦闘を再開したならば、批判はさらに強まる。
解放された人質のひとり、ヤスミン・ポラットはイスラエル・ラジオのインタビューで、10月7日の銃撃戦でイスラエル軍が「間違いなく」多数のイスラエル人非戦闘員を殺害したと語り、ハマスは「私たちを虐待しなかった。私たちはとても人道的に扱われました」としている。
イスラエル軍が派遣した攻撃ヘリコプターのパイロットはイスラエルのメディアに対し、ハマスの戦闘員とイスラエルの非戦闘員を区別できないまま攻撃したと述べている。
イスラエル軍はハマスの司令部があるとしてアル・シファ病院を執拗に攻撃、患者や避難民を殺傷したが、司令部は病院から8.5キロメートル離れた場所にあることをイスラエル軍は確認している。それにもかかわらず、その後もイスラエル軍は病院を攻撃していた。
11月15日にアル・シファ病院へ到着したイスラエル軍はハマスが病院内にいたとするプロパガンダを開始、イスラエル国防総省のジョナサン・コンリクス報道官はAK-47、手榴弾、軍服が床に整然と並べられた軍装品を見せているが、そこにハマスのメンバーがいたことを示す証拠とは到底言えない代物だった。
また、10月7日の出来事には大きな謎がある。ガザはイスラエルが建設した一種の強制収容所であり、その収容所を取り囲む壁には電子的な監視システムが張り巡らされ、人が近づけば警報がなる。地上部隊だけでなく戦闘ヘリも駆けつけることになっているのだが、10月7日にハマスはイスラエルへ突入できた。しかも突入の数時間後、2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させている。
そうしたことから、ネタニヤフ政権やアメリカのジョー・バイデン政権はハマスの攻撃を事前に知っていたのではないかと疑う人が少なくないのだ。その攻撃を口実にしてガザのパレスチナ人を追い出すか皆殺しにする計画を立てていた疑いがある。
ハマスの創設にイスラエルが深く関係していることは本ブログでも繰り返し書いてきた。
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