<■2403行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 次々と浮上する安田種雄さんの不審死への疑問。 上申書による安田種雄さんの遺族の悲痛な訴えを、警察・木原誠二官房副長官・木原氏の妻【X子】さん・【X子】さんの父親Z氏(元公安刑事)はどう受け止めるのか。安田種雄さんの不審死は「自殺」ではなく、「他殺」、つまり「殺人事件」ではないか。 犯人は、元公安刑事にして、木原誠二官房副長官の妻の「実父」ではないか。 木原誠二官房副長官の妻が事件について語ろうとしないのは、彼女の「実父」を庇っているからではないか。 致死量の覚醒剤によって自殺したのなら、わざわざナイフを頭上から喉元に向かって刺す必要があるのか? ナイフで刺殺された後に、第三者によって致死量の覚醒剤を打たれた可能性もあるのではないか? 疑問点は多々あり、とても「自殺」とは思えず、「他殺」としか思えない。 犯罪の可能性があれば捜査する、犯人を検挙する、法治国家なら当たり前の話だ。 相手が政治家の関係者でも親族でもそれは同じはずだ。 何でこんな当たり前のことが通らないんだ。 政治家が捜査機関上層部に圧力を掛けたり、たとえ相手が有力政治家であっても、捜査機関上層部がその圧力に屈するなどということは絶対にあってはならない。 圧力を掛ける政治家と圧力に屈する捜査機関上層部が存在するのは異常な世界だ。 警察上層部に圧力を掛ける政治家や、その政治家を擁護する弁護士・政治家は論外で信用できないが、圧力に屈する警察上層部も情けなく信用できない。 一般国民は、そんな世界に生きるのは嫌だと思っている。 一般国民から見て、政治家の立場とか、警察官僚の保身とか、そんなことより重要な事はいくらでもある。 子供の頃に「法の下の平等」について習っているはずだが一体全体どこへ行ったんだ? 岸田最側近 木原副長官 衝撃音声「俺がいないと妻がすぐ連行される」 週刊文春2023年7月13日号 岸田最側近として日本の政策決定を担う木原誠二官房副長官。 実は5年前、妻がある殺人事件の重要参考人として警視庁から聴取されていた。 捜査幹部は 「夫が自民党の国会議員でなければ・・・」。 そして、木原氏の愛人が当時のことを語った音声の存在。 一体、この男は何者なのか。 伊勢国の玄関口として栄えた愛知県名古屋市のベッドタウン。 2018年10月9日、澄んだ空を射抜くように複数台のバンが商業施設に滑り込んだ。 その日の最高気温は27℃。 夏の残り香が漂う中、後部座席を降りた警視庁捜査1課の捜査員らは、隣接する分譲マンションの4階を目指す。 築12年、約80uの部屋には、老夫婦がひっそりと暮らしている。 捜査員の1人が手にしていたのは捜索差押許可状。 そこには 「殺人 被疑事件」 と記されてあった。 「この日、家宅捜索が行われたのは、2006年4月10日未明に覚知した不審死事件に関するものだ」 「本件は長らく未解決の扱いだったが、発生から12年が経過した2018年春に、未解決事件を担当する捜査1課特命捜査対策室特命捜査第1係が中心となって再捜査に着手していた」 (捜査関係者) その日、部屋に踏み込んだ捜査員は押収品を入れた複数の段ボールを捜査車両に忙しなく運び込んだ。 更に同日、別の捜査員が向かった先は、約350km離れた東京・豊島区のマンションだった。 約80uの部屋に住んでいたのは、産まれたばかりの乳児がいる一家。 捜査員が30代後半の母親に任意同行を求めたが、夫の存在が捜査陣の間でも懸念されていた。 夫とは木原誠二官房副長官(53)、その人である。 「若き財務官僚の頃からモテ男として知られた木原氏は、元ホステスの【X子】さんと結婚」 「2014年に長女、2018年に長男に恵まれ、現在は彼女の2人の連れ子を含む6人家族の大黒柱です」 (木原氏の知人) 2018年当時、木原氏は自民党の政調副会長兼事務局長という枢要な立場にあった。 ポスト安倍を窺う岸田文雄政調会長(当時)の絶大な信頼を得ていたからだ。 そんな男の妻に警視庁捜査1課が突き付けたのは、不審死事件の”重要参考人”の疑いであった。 冒頭の家宅捜索を受けたマンションは、彼女(【X子】さん)の実家である。 それから4年9カ月の月日が流れ、木原氏は更に権勢を増し、今や”影の総理”と言われるほどだ。 岸田首相が掲げる 「異次元の少子化対策」 を発案するなど、重要政策は全て彼の元を通過する。 (中略) ピカピカの経歴を誇る超エリートである一方で、本妻と愛人A子さん、2つの家庭で子をなし、二重生活を送っている木原氏。 この男、一体何者なのかー。 ◇ 新緑に囲まれた区立公園に隣接する都内の閑静な住宅街。 美男美女の若夫婦が住み始めたのは、〇〇年頃のことだった。 「元々、あの一軒家は【警察官】”【X子】の父”の一家が住んでいました」 「いつしか両親は引っ越し、代わりに娘さん”【X子】”と若い旦那さんが2人で住むようになった」 「間もなく長男、長女が生まれ、七五三の時は正装してお出かけしたりしていたから、幸せそうな一家に見えましたよ」 (近隣住民) だが、家族団欒の風景は一変する。 2006年4月10日の出来事だった。 「家の外が騒がしくて目が覚めたところ、パトカーが2台停まっていて、警察官が物々しい様子で出入りしていました」 「部屋からは 『私、何も知らないわ!』 という若奥さん(【X子】)の泣き喚く声がしました」 (同前) その日不審死を遂げたのは、風俗店勤務の安田種雄さん(享年28)。 彼の当時の妻こそ、【X子】さんだった。 「あの日(2006年4月10日)、息子に貸していたハイエースのバンを返してもらうため、夜中の3時頃に目覚めて息子宅に向かったのです」 「すると家の前に車が路駐してある」 「『この野郎、こんな所に車停めて』と思いながら家に行くと、玄関のドアが開いていたんです」 時折言葉を詰まらせ、沈痛な面持ちで振り返るのは、安田種雄さんの父である。 1階には台所、洗面台、トイレなどの生活スペース。 階段を上ると、広い居間がある この日(2006年4月10日)、真っ暗な室内の底には、ひんやりとした空気が沈殿していた。 「居間のドアも開いていて、一歩足を踏み入れると、そこに息子の頭があったのです」 「『おい、この野郎、こんな所で寝たら風邪ひくぞ』と身体を起こそうとした時、足の裏を冷たいものが伝った」 (安田種雄さんの父) 部屋の照明のスイッチを手探りで点ける。 眼に飛び込んで来たのは血の海。 そこに息子の亡骸が溺れていた。 血糊に染まったタンクトップとカーゴパンツ。 血飛沫は天井に達している。 仰向けに倒れた安田種雄さんは眼を見開き、息絶えていた。 安田種雄さんの父の脳裏には、17年後経った今もその光景が鮮明に焼き付いているという。 「体は硬直し、血は固まりかけていた」 「右の太腿の20〜30cm右には細長いナイフが綺麗に置かれていました」 「住所が分からなかったので、一旦家の外に出て住所表記を確認し、すぐ110番通報しました」 通報時刻は、2006年4月10日の午前3時59分。 日の出の1時間ほど前の住宅街は闇に覆われ、外は摂氏10℃に満たず、吐く息は白かった。 「(管轄である)大塚署の警察官が駆け付け、私は1階で事情聴取を受けました」 「気になったのが、【X子】と子供2人の存在」 「刑事さんに 『どこにいるんですか』 と聞くと、 『本人は2階の奥の寝室にいたそうです』 と言うんです」 (安田種雄さんの父) 【X子】さんは警察の調べに対し、 「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」 と供述したという。 「ナイフを頭上から喉元に向かって刺したと見られ、その傷は肺近くにまで達していた」 「死因は失血死」 「更に安田種雄さんの体内からは致死量の覚醒剤が検出された」 (前出・捜査関係者) 警察の当初の見立ては、覚醒剤乱用による自殺ではないかというものだった。 「2階のテーブルと作業台の上で覚醒剤が入った約2cm四方のビニール袋が発見されたのですが、不思議なことに血が付着していた」 「刑事さんに 『何で血が付いているんですか』 と聞くと 『検証作業をしている間に怪我をして血が付いたんじゃないですか』 と言っていた」 「それに自ら喉を刺したとすれば、なぜナイフが丁寧に足元に置かれていたのか」 「疑問点を考え出せばキリがなかった」 (安田種雄さんの実父) 更に遺族に追い打ちをかける事態が続く。 翌日(2006年4月11日)、安田種雄さんの両親は大塚署前の喫茶店で親族と共に、捜査員からの遺体の引き取りについての連絡を待っていた。 電話を掛けて来た捜査員は 「【X子】さんは遺体を引き取らないそうです」 という。 ほどなくして【X子】さんから電話があった。 「私、遺体は引き取りません」 「・・・お父さんの心境はどうですか?」 安田種雄さんの父は、言葉を失った。 「今でも忘れられない」 「私は 『葬式の時は子供も連れて線香の1本でもあげに来なさい』 と言いましたが、すぐに電話が切れてしまった」 「彼女と話したのは、それが最後」 「それから今まで孫と会うことも出来ていません」 (安田種雄さんの父) 前出の捜査関係者が語る。 「遺族が納得していないことを考慮し、自殺として処理するのではなく、未解決の不審死事案として扱うことになったのです」 (中略) やがて夫婦関係は別の男性の出現により瓦解する。 「種雄と【X子】はフリーマーケットが好きで、大井競馬場や代々木公園で店を出すことが多かったのですが、そこで靴を売っていたYという男と知り合った」 「ある時、家族皆でフリマに遊びに行ったところ、いるはずの【X子】がいない」 「種雄のベンツの車内で、Yと2人きりで寝ていました」 (安田種雄さんの父) 10歳ほど上のY氏と親密になった【X子】さんは、やがて子供を連れ、夫(安田種雄さん)の元を飛び出した。 安田種雄さんの親友が言葉を続ける。 「種雄が死ぬ半年ほど前です」 「『離婚したいんだ。でも子供は俺が守りたい』と言っていた」 「相当悩んでいるように感じました」 その後の半年間は、壮絶な日々の連続だった。 「1〜2カ月間、【X子】は行方不明になり、その度に種雄はYと連絡を取り、居場所を探しに行く」 「大阪や浜松に行っているらしい、とYから聞かされれば、その足で探しに行っていました」 「ある日、種雄に電話すると 『子供たちに会いに大阪に来た。Yが大阪にいるって言うからね』 と大好きな子供たちを探し回っていた」 「でも、種雄は【X子】とYに騙されていたんです」 (安田種雄さんの父) 不審死を遂げる1週間前の出来事だった。 「種雄君と離婚します」 「『離婚するのに判子が必要だったら、お父さんに聞いて』 って彼が言っているんですけど、お父さん、いいですか?」 電話口で安田種雄さんの実父に対し、【X子】さんは冷静にそう言った。 安田種雄さんの父は 「それなら2人で来なさい」 と話したが、結局彼女が実家を訪れることはなかった。 「【X子】が1〜2カ月ぶりに自宅に戻ってきたのは、事件前日(2006年4月8日)」 「その日、種雄はYの地元に入り浸っていた【X子】と子供たちを車に乗せて連れ戻してきたのです」 「種雄に電話で 『離婚届に判を押したのか』 と聞いたら 『押したよ。手元にある40〜50万円を【X子】に全部渡した』 と言っていた」 (安田種雄さんの父) 安田種雄さんが不帰の客となったのは、それから間もなくのことだったー。 (中略) 「大塚署刑事課です」 「息子さんのことで捜査をしています」 「実は、不審な点が見つかりました」 2018年春、安田種雄さんの父の携帯がけたたましく鳴った。 電話口で名乗った女性刑事が、そう告げる。 その瞬間、押し込めていた感情が決壊し、安田種雄さんの父の目から涙が溢れ落ちた。 保管していたタンクトップとカーゴパンツを捜査当局に提出、速やかにDNA鑑定が行われた。 だが、12年の歳月を経て、なぜ事件が動き始めたのか。 ある捜査幹部が次のように打ち明ける。 「彼女(女性刑事)は東京都内にあるコールドケース(未解決事件)のうち、大塚署管内で発生した事案を掘り起こす担当で、この事件に疑念を抱いたのです」 「彼女(女性刑事)が着目したのは、自殺というには余りに不自然なナイフへの血の付き方でした」 更に自戒を込めて、次のように話すのだ。 「身内の恥を晒すようですが 『当時、よくこれを簡単に自殺と見立てたな』 という思いです」 「確か2006年頃は、今と違い、全ての事案に検視官を呼ぶこともなかった」 「署の判断で処理できる時代でした」 その後、捜査は大きく動き始める。 キーマンとして浮上したのは、不審死事件当時、【X子】さんと親密だったY氏である。 「事件当日のNシステムの捜査により、Yの自家用車が現場方面に向かっていたことが判明」 「2018年当時、Yは覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、宮崎刑務所に収監中でしたが、女性刑事らが面会を重ね、粘り強く聞き取りを行ったのです」 (別の捜査幹部) ■本当に悔しいです 当初、Y氏は 「現場には行っていない」 「知らない」 と繰り返していたが、2018年夏、度重なる事情聴取に対し、遂に、こう自白した。 「あの時、【X子】から 『殺しちゃった』 と電話があったんだ」 「家に行ったら、種雄が血まみれで倒れていた」 「『どうしたんだ?』 と聞いたら【X子】は 『夫婦喧嘩になって夫が刃物を持ち出してきて、殺せるなら殺してみろと言われた』 『刃物を握らされたので切ってしまった』 と告白された」 この供述により、特命捜査対策室特命捜査第1係を中心に30人以上の精鋭が集められ、事件は解決に向けて大きく舵を切る。 「東大にデータを持ち込み、刺した時のナイフの角度による人体への影響などを徹底的に分析してもらったところ 『自殺することは不可能ではないが、不自然である』 と結論付けられ、他殺の可能性が高まったのです」 (前出・捜査幹部) その後、内偵が進められ、2018年10月、冒頭の家宅捜索が行われたのだ。 自宅で任意同行を求められた際、木原氏と【X子】さんは生後間もない男児がいることを理由に一旦拒否。 木原氏の知人である弁護士に連絡したという。 「結局、子供のことを配慮し、時間的な制約を設けるという条件で出頭することになった」 「しかし、【X子】さんは 『事件には関与していません』 『記憶にありません』 『分かりません』 ばかりで、その後、5〜6回ほど聴取を重ねたが、有益な供述は得られなかった」 「事件当日、Yに電話を入れたことも否定した」 (同前) 時を同じくして木原氏も捜査員と複数回”面会”している。 木原氏は刑事を前に 「女房を信じている」 などと語る一方、次のように吐き捨てたこともあった。 「2006年当時に捜査してくれていたら、結婚もしなかったし、子供もいませんでしたよ」 「どうして、その時にやってくれなかったんですか!」 しかしー。 2018年11月、世田谷内の団地に足を運んだ捜査員の1人は力なく頭を垂れ、安田種雄さんの父に告げた。 「事件から外されることになりました」 「本当に、本当に悔しいです」 それを聞いた安田種雄さんの母は無念の涙を拭う。 捜査員の目からも同時に、光るものが零れ落ちていた。 「この数カ月、刑事さんは 『これは殺人事件です』 『犯人のことが許せないですか』 と私に聞いてきて、私の言葉を紙に書き記したりしていた」 「それが途中で折れてしまった」 「種雄の遺骨は今もそこに置いてあるんです」 「女房がね、 『私が死んだ時に一緒に入れる』 と言って」 「あの野郎(種雄さん)が犬死になって、そのまま終わっちゃうのか・・・」 (安田種雄さんの父) それから間もなく、世田谷署に呼び出された安田種雄さんの父は捜査の縮小を告げられた。 「人数は減りますが、捜査は続けます」 あれから4年余。 木原氏は更に偉くなった。 安田種雄さんの父の元にはその後、1度も警察から連絡はない。 納骨する気にならず、今も仏壇の写真に手を合わせる日々が続いている。 【X子】さんは現在、不審死事件の被疑者とされているわけではない。 一体なぜ、捜査は幕を閉じたのかー。 ◇ 今回、小誌取材班は安田種雄さんの不審死事件の捜査に関わった10人を超す捜査関係者を訪ね歩き、丹念に事実関係を検証した。 その結果、複数の捜査員が 「自民党の政治家の家族ということで捜査のハードルが上がり、より慎重になった」 と口を揃えたのだ。 前出とは別の捜査幹部は苦々しい表情でこう語った。 「Yの供述があって旦那が国会議員じゃなかったら、絶対逮捕くらいできるよな」 「でも、殺人の容疑で国会議員の女房を逮捕しておいて、自白も取れず、やっぱり起訴できませんでした、っていいうわけにはいかねえだろ」 「だから、木原さんが離婚するか、議員を辞めれば着手できると思っている」 「木原さんはそれを分かっていて奥さんを守ったんだよ」 別の当時の捜査員は、次のように本音を吐露する。 「(Y氏の)アゴ(供述)はあっても、それを支える物的証拠が少なかった」 「これで逮捕したら自民党が滅茶苦茶になる」 「一般人よりもハードルが上がった」 そして政権与党の有力議員の妻が 「殺人事件の容疑者」 として逮捕されれば、国家の一大事だと呻いた。 「国の政治がおかしくなっちゃう」 「話が大き過ぎる」 「自民党を敵に回すよ」 「最終的には東京地検の意見を受けて、警察庁が 『やめろ』 という話」 「GOを出す時は当然警視総監の許可もいる」 「普通のその辺の国会議員ならまだしも木原だよ、相手は・・・」 (同前) 他にも多くの捜査関係者が悔しさを滲ませた。 「1個人としては、頑張って記事書いてよ、と言いたい」 と明かす者もいた。 一般人なら逮捕して時間を掛けて取り調べれば自白したかもしれないが、有力政治家の妻となるとおいそれと手出しできないーこうした不平等があるとすれば、それ自体問題だが、実はもっと大きな問題がある。 木原氏が自身の影響力を自覚した上で、それを活かせる道を選択した疑いだ。 実は、そのことを詳らかにする1本の録音テープがここにある。 小誌はこれまで3週に渡り、木原氏の愛人と隠し子に関する疑惑を報じてきた。 木原氏は【X子】さんと交際中、銀座の別のホステスだったA子さんと同時に交際。 【X子】さんとA子さんは2014年に相次いで妊娠が判明し、結局、木原氏は約5カ月出産の早かった【X子】さんと入籍した。 だが、その後も木原氏はA子さんの自宅から官邸に度々出勤する二重生活を送っている。 そして、そのA子さんが知人に、不審死事件について木原氏から聞かされたと明かしている音声が存在するのだ(音声は「週刊文春電子版」で公開中)。 「何か家宅捜索が入ったって言っていました」 「全部、家と実家に」 「『俺がいなくなったらすぐ連行される』って」 どこにも報じられていない、知られざる事実を数年前に知人に明かしていたA子さん。 こう続けている。 「(【X子】さんが)連行された時、すぐ来たんですよ、私(の所)に」 「あの人(木原)」 「『離婚できるよ』、『離婚届も書いたから』って」 ■凄い雲の上の人に守られて」 これには傍証(間接的な証拠)もある。 「当時の二階俊博幹事長が家宅捜索などの事態を知り、木原氏に対し、 『今のうつに別れておけ』 と逮捕前の離縁を促したと聞いています」 (前出・捜査幹部) だが、A子さんの音声はその後、こう続く。 「やっぱり 『離婚したら、奥さんがまた連行される可能性がある』 っていう話になり、(私が) 『連行させればいいじゃん』 って言ったら 『子供もいるし、どうすんだ』 みたいな話になって」 結局離婚に踏み切ることはできなかった。 ◇ 2023年6月下旬、小誌記者は関東近県で暮らすY氏の自宅を訪ねた。 彼は2019年末に宮崎刑務所を出所後、父が営む会社を継ぐため日々汗尾を流している。 同日夜、長身の体軀に彫りの深い面立ちのY氏が帰宅する。 声を掛け、名刺を渡すと 「だいたい察しはつきます」 と呟いた。 近くの公園に移動すると、17年前の遠い記憶を手繰り寄せる。 ーー2006年の事件当日、Yさんは【X子】さんに呼ばれて家に行った? 「それは・・・まあ、それは事実ですね」 ーーその時、彼女は「刺してしまった」と具体的に話をしていた? 「それも含めて、もちろん刑事さんには色々話していますよ」 「話さないと面倒臭いことにしかならないしね」 「当時、凄い回数来ましたよ」 「20〜30回くらい」 「1回来ると、1週間ぐらいずっと」 「それで1回(東京に)帰って、また向こうで(関係先を)当たって戻ってくる、みたいな」 ーー事件現場は見てしまっている? 「まあ、行っているとすれば、そうです」 ーー壮絶な1日だった。 「うん・・・」 ーー当時、【X子】さんとYさんは交友関係だった? 「まあだから、種雄が死ぬ直前ぐらいから、要するに離婚する、しないって話で」 「(安田種雄さんは)元々三茶(三軒茶屋)の不良で、いい男でしたけどね」 「種雄だって毎日一緒にいましたもん」 「元々俺と種雄が・・・友達で」 「それの奥さんが(【X子】さんだった)」 ーー今彼女は官房副長官の妻という立場です。 「うん」 「ですよね」 「凄い雲の上の人に守られていて」 ーー最後に【X子】さんに会ったのは? 「本当、すげー前ですよ」 「種雄が死んで、1回目の懲役に入るか、入らないかっていう、そんな時ですね」 「結局、男と女だから気持ちが離れる、離れないって分かれば、そこを追ってもしょうがないから」 「もう全然連絡取ってないです」 ーーYさんが宮崎刑務所で刑事に正直に話をしようと思ったのは何故ですか・ 「正直、ああいう閉鎖的な中にいて、毎日朝から夕方まで来られちゃうとやっぱり・・・」 「当然、NシステムとかGPSとか、色々なアレで俺がどこにいたっていうのは出ちゃうので」 「結構当たりを付けて来るので、(事件当日)その時間に、俺が自分の車を運転しているっていうのは明白に出ちゃう」 ーー警察は【X子】さんを重要参考人と見ている? 「そうじゃなきゃ、30回も40回も宮崎まで来ないですよね」 「それなりの経費かかって4〜5人で来るわけだから」 「ただ、結局僕の話(供述)があったとしても、やっぱり落ちない(自供しない)と」 「結局そこじゃないですか」 「守られている砦が強過ぎるから」 「例えば、嘘発見器みたいなものも、任意(捜査)ということで(【X子】さんは)拒否して」 「俺からしたら 『シロだったら拒否んなくてもいいじゃん』 って言うね」 Y氏は 「俺もさ、(2023年)年内に親父から会社を継がなくちゃいけないから」 「あの事件のことは関わらない方がいいっていうのがあります」 と語ると、険しい表情で口を噛むのだった。 ■「刑事告訴を行います」 当事者である木原夫妻はどう答えるのか。 2023年7月2日夕刻、家族4人で自宅を出た木原氏は赤と黒のツートンカラーのキャリーケースを転がし、タクシーで東京駅に急ぐ。 翌日午後、木原氏は公明党愛知県本部が主催する政経懇話会に菅義偉前首相らと共に出席するため、新幹線で名古屋駅に向かったのだ。 2023年7月3日昼、【X子】さんを名古屋駅内で直撃した。 ーー【X子】さんでいらしゃいますか。 一瞬立ち止まり、露骨に怪訝な表情を浮かべる。 ーー「週刊文春」です。 眼を見開き、すぐさま逸らすと、猛然と去っていく。 ーー安田種雄さんが亡くなられた事件について取材していまして。 「・・・」 ーー2006年の事件ですが。 「・・・」 ーーご自宅にもご実家にも家宅捜索が入った? 「・・・」 何を聞いても終始無言。 名刺や取材の趣旨を記した手紙を渡そうとしたが、彼女が受け取ることはなかった。 同日夕方、【X子】さんの実家を訪ねると、インターホン越しに答えた。 ーー取材で、【X子】さんに関することなのですが。 「ああ」 「それ、答えられない、そんなのはあ」 ーー安田種雄さんのことについて聞きたい。 「ああ」 「だいぶ前の話で、もう忘れました」 ーー2018年の再捜査で、ここも家宅捜索された? 「・・・そんな関係ないでしょう」 「関係ないし、そんなこと、言う必要もないし」 ーー当時、お父さんは現役の警察官でいらした。 「どうしたの、それが?」 「関係ないよ!」 木原氏には何度か電話をかけたが出なかった。 事務所に一連の事実関係について質問状を送ると、代理人弁護士より次のような文書回答が届いた。 「事実無根です」 「捜査当局の公式の確認を取るよう求めます」 「名誉棄損行為が強行された場合には、直ちに当該行為の全ての実行者及び加担者につき、刑事告訴を行います」 愛人A子さんにも音声で語っている事実関係について尋ねたが、代理人弁護士から 「事実無根です」 との回答が届いた。 二階氏にも木原氏に離婚を勧めたか否かなどを尋ねたが 「記憶にないねえ」 「古い話でしょう」 と答えた。 一連の経緯と愛人の音声から浮上するのは、木原誠二という政治家が自らの政治権力にどう向き合っているのか、に関する疑問だ。 影の総理と言われるほどの権力を有する木原氏が、その力を自覚し、【X子】さんに捜査が及ばないように 「妻」 の地位に留めているーもしこれが事実なら、”法の下の不平等”との謗りは免れまい。 刑事が遺族に「これは殺人だ。無念を晴らす」 木原副長官の嘘を暴く ”怪死、捜査音声 週刊文春2023年7月20日号 5年前、殺人事件の重要参考人として聴取されていた、木原誠二官房副長官の妻。 木原氏は 「事実無根」 と主張し、 「稀に見る人権侵害」 と断じ、刑事告訴を宣言した。 だが、捜査の模様を記録した音声が存在した。 ▼「真実が知りたい」被害者父が再捜査を訴えた ▼囲み取材から逃走、法務省はウンザリの傲岸不遜 ▼大学ではテニサー、口説き文句は「ピアノを聞かせてあげる」 ▼古賀誠、菅義偉・・・天才的ジジ殺しテクニック ▼「木原は早く代えた方がいい」激怒した党幹部の実名 空調設備が放つ無機質な音だけが流れる室内に、堰を切ったように慟哭が響き渡る。 5分以上続いた後、長く重い沈黙が時を刻む。 警視庁大塚署の殺風景な部屋で遺族と向き合った女性刑事が差し出した名刺には 「刑事組織犯罪対策課強行犯捜査係長」 と記されていた。 女性刑事の以前の所属部署は警視庁管内に100件以上存在するコールドケース(未解決事件)を担当する捜査1課特命捜査係だ。 彼らが初めて顔を合わせたのは2018年4月8日のことだった。 「お母さんにとっては衝撃的な写真だと思うので、お父さん、ちょっとこっち来てもらっていいですか」 そう言って女性刑事が提示した複数枚の写真。 父が亡き息子の最期の姿を見るのは、約12年ぶりだ。 父は嗚咽し、時に呼吸を荒らげ、絶望を前に足掻き苦しむ。 小誌が入手した約160分の録音データには、こうして始まった再捜査の様子が記録されていった。 ◇ 小誌先週号は、政権中枢を担う木原誠二官房副長官(53)の妻【X子】さんが、かつて結婚していた男性の不審死事件に関し、重要参考人として事情聴取を受けていた事実を報じた。 また、木原氏の愛人A子さんが木原氏から 「俺がいなくなったらすぐ(妻が)連行される」 と聞かされていたことを知人に打ち明ける音声も公開した。 小誌は【X子】さんへの事情聴取や実家への家宅捜索の有無について木原氏に確認を求めたが、木原氏は詳細な質問の全てに対して 「事実無根」 と答えるのみ。 更に小誌電子版が公開された2023年7月5日には、木原氏の代理人弁護士が司法記者クラブに 「御通知」 と題したA4用紙3枚の文書を送付。 報道内容について <史上稀にみる人権侵害> と批評し、 <速やかに文藝春秋社及び記事掲載にかかる関与者について刑事告訴> を行うと宣言したのだ。 だが、果たして小誌記事は木原氏の言うように 「事実無根」 なのか。 今回、木原氏の主張を覆す決定的証拠を入手した。 それが冒頭の録音データである。 女性刑事と、亡くなった安田種雄さん(享年28)の両親とのやり取りを記録したものだ。 この中には、次のような音声が残されていた。 ★女性刑事 「捜査は尽くされていないので、少なくとも」 「結果はどっちに転ぶか」 「ちょっとそれこそ捜査をしてみないと分からないんですけど、でも終了しているとは思えないので、それをちょっと再開させていただきたいと思っています」 ★母 「よろしくお願いします」 音声では、刑事が事件について、本格的に証拠集めに乗り出している様子が分かる。 ■「記事に間違いは全然ない」 ★女性刑事 「お母さん、へその緒、持ってます?」 「種雄さんの」 「種雄さんのDNA取れるものって何かありますかね」 ★父 「担当の刑事が、検察に『もっと捜査しろ』と言われたらしい」 ★女性刑事 「まあ言われるだろうなと思いますね。(中略)こちらがもっと早く手を付けなくてはいけなかったんだと思います」 更に、2018年10月には刑事の1人が安田種雄さんの友人に聴取。 録音データの冒頭には、こんな発言があった。 ★刑事 「12年経って『もう1度捜査をきちんとしよう』と」 「まず『事件性があるのではないか』ということで捜査している」 当時、安田種雄さんと【X子】さんの2人の子供は16歳と14歳。 友人が子供たちへの影響を懸念すると、 ★刑事 「我々が捜査をする糧と言いますか、それは当然被害者なんですよね」 「亡くなった方の無念」 「ここで死ぬはずがなかった」 「明日があった」 「未来があった」 「あの日、あの時にそれが奪われてしまった」 「こんな無念なことはないと思うんです」 「その無念を晴らせるのが我々警察しかいない」 刑事は 「結論、出さないといけない」 「事件だとしたら犯人(を検挙する)、というのは当然」 「法治国家ですので」 と語る。 それらの録音データから浮かび上がるのは、彼らが事件の解決に向け、並々ならぬ熱意を漲(みなぎ)らせている様だった。 安田種雄さんの父が証言する。 「刑事さんは 『これは殺人事件ですね』 『無念を晴らします』 と」 「『全て解決したら1杯飲みましょう』 なんて話していた」 だが、女性刑事が安田種雄さんの父に”決意表明”を行ってから、僅か8カ月後の2018年12月。 安田種雄さんの父は、捜査の縮小を告げられたのだった。 この音声データが示すのは、木原氏が 「事実無根」 と断じた殺人事件の再捜査が行われていた事実だ。 更に小誌先週号の発売後、捜査幹部の1人は、小誌記者にこう語った。 「記事に間違いは全然ありません」 「『書いてもらいたい』というのは、皆が思っていることだから」 にもかかわらず、木原氏が一連の疑惑について、説明責任を果たそうとしている様子は見られない。 2023年7月7日の午後6時過ぎには、岸田文雄首相と共に、ザ・キャピトルホテル東急の「水簾」で行われた令和臨調メンバーとの会食に参加し、鮎を突きながら和やかな時間を過ごした。 同席した元東大総長の佐々木毅氏が振り返る。 「話題はウクライナ訪問」 「ポーランドからの汽車の中でアルコールが出たという話題になり、総理の車両にはワインが来たけど、木原さんは 『自分の車両には・・・』 と随分格差があったような言い方で、大いに笑いました」 ■モテまくりの青春時代 一方、記者の取材からは”逃走”しているという。 「文春の報道後、木原氏の番記者による朝の囲み取材が行われていません」 「その理由について、木原氏の秘書官は番記者に 『家族のケアが必要なため』 と説明」 「また、首相官邸の表玄関ではなく裏口を利用」 「メディアとの接触を避けるため公用車を使わず、議員会館からタクシーに乗る徹底ぶりです」 (政治部記者) 更に、前述の 「御通知」 によれば、木原氏は近く文藝春秋を刑事告訴すると共に <法務省の人権擁護機関に対しても救済を求める> としている。 だが、”指名”を受けた法務省の幹部は、周囲にこう漏らしているという。 「とばっちりでウンザリだよ」 「扱いに困るんだよなあ」 官邸中枢である副長官の申し立てとなれば、法務省が動かざるを得ないのは明白だ。 政治的影響力を自覚した上での木原氏の振る舞いは、不審死事件に際し 「俺がいなくなったらすぐ連行される」 として、【X子】さんを妻の地位に留め置いた姿と相通じるものがある。 木原氏が 「御通知」 文書を送付した2023年7月5日、自民党の森山裕選挙対策委員長は政治部記者を集めた懇談会でこう語った。 「印象が悪い」 「木原は早く代えた方がいい」 怒気を含んだ口調で更に紡(つむ)ぐ。 「政治家にとって一番大事なのは、有権者にとって常識的であること」 「ディズニーランドに愛人と行ったのもおかしな話ですよ」 取材に応じず、法務省への申し立てや刑事告訴をちらつかせる”傲岸不遜(威張り却って人を見下すこと)”な木原氏。 木原氏はどのような半生を歩み、【X子】さんと人生を共にするようになったのか。 木原氏の祖父は第一信託銀行(現三井住友信託銀行)元常務。 木原氏の父は東京銀行(現三菱UFJ銀行)の本店営業部長という銀行一家に生まれた木原氏は、幼少期を米シカゴなど海外で過ごした。 木原氏は帰国後、中高一貫の名門私立・武蔵に進む。 「中高時代の成績はトップクラス」 「おまけにスポーツ万能でピアノも上手、顔もハンサムだったからモテまくっていた」 「塾では女子からキャーキャー言われていたけど、軽くあしらって流す感じでした」 (同級生) 別の同級生が振り返る。 「高1の時、90代の先生が担当だったのですが、その英語があまりに酷く、木原は終始突っ込みを入れていた」 「いじめっ子タイプではないけど、物事を諦観している態度でした」 高校卒業後、東大法学部へ進学。 名門テニスサークル「トマト」で主将を務め、全国選抜ダブルストーナメントで3位に入る。 「女の子に 『ピアノを聞かせてあげるよ』 なんて声を掛けて悦に入るなど、キザな所があった」 (大学時代の同級生) 木原氏が旧大蔵省に入省したのは、1993年。 エリートコースの主計局や、出世の登竜門である採用担当の大臣官房課長補佐などを務めた。 財務省関係者が語る。 「財務省は大物政治家には担当を付けて張り付くのだが、木原は元財務次官の勝栄二郎氏と組んで古賀誠元幹事長を担当」 「寵愛を受けるようになっていった」 「一方で、政治の道への野心は隠していなかった」 2005年に小泉純一郎首相(当時)が郵政解散を仕掛けると、岩見沢税務署長だった木原氏は省内を飛び出す。 母方の地縁がある山梨からの出馬を模索したが、空きが見つからず、結局縁のない東村山市などを選挙区とする東京20区から落下傘候補として出馬。 その調整に動いたのが、木原氏を 「目の輝きに惚れた」 と評していた宏池会事務局長(当時)の古賀誠である。 「35歳で初当選を果たした後、木原氏は宏池会に入り、いわば古賀氏の知恵袋のような存在になった」 「古賀氏がテレビ番組で政策論を語る際は、事前に木原氏がレクをしていたほどだ」 (自民党関係者) だが、2009年、民主党政権の誕生と共に木原氏は落選し、一敗地に塗れた(再起できないほど,さんざんに負けた)。 「2012年、宏池会が古賀派から岸田派になった時、木原氏は浪人中」 「2012年末の復帰後は 『戻ってきたら岸田派になっていたよ』 と言っていたほど、岸田氏に思い入れはなかった」 「しかし、持ち前の社交性や政策立案能力を武器に、瞬く間に岸田派の”懐刀”に」 「岸田氏は党総裁選での勝利を目指すに当たり、頼りにしたい麻生太郎元首相と犬猿の仲の古賀氏と距離を置くようになったのですが、木原氏はこの2人の間で平気で行き来していた」 (同前) ■「彼は石原裕次郎似だよね」 更に木原氏は岸田派に恨み骨髄の敵の懐にも平気で飛び込んでいった。 「菅義偉前首相です」 「2017年の衆院選で、木原氏の財務省時代の後輩が無所属で出馬」 「木原氏が採用に携わり、可愛がっていた”木原チルドレン”でした」 「木原氏は、当時官房長官だった菅氏の所へ連れて行き、彼を引き合わせた」 「菅氏は公明党と太いパイプを持っていますが、最近も木原氏はその菅氏と一緒に公明党主催の政経懇話会に出席するなど、今も公明党・創価学会対策を菅氏と共に担っています」 (同前) 岸田首相にとって菅氏は”ポスト安倍”を争った間柄、三つ巴の有力者たちを波止場に見立て、自由に遊戈する木原氏について党幹部は 「ジジ殺しテクニックは政界1」 と口を揃えるのだった。 ◇ 2009年9月、港区赤坂のカラオケスナックに美声が谺(こだま)した。 その日の夕刻、同店で催されたのは、民主党の鳩山由紀夫内閣で農水大臣に就任した赤松広隆氏の就任パーティーだった。 10数人の後援会関係者らに交ざり、3〜4人のホステスが華を添える。 その中で一際目立つ美人がいた。 身長163cmの彼女がすらりと伸びた脚で立ち上がり、風に揺れるように店を歩く。 そしてマイクを握ると、一斉に男性たちが顔を見合わせ、踊り出す。 同店関係者が打ち明ける。 「赤松さんの後援会関係者が、銀座のホステスだった【X子】を呼んだのです」 「彼女はメチャクチャ歌が上手でパーティーは彼女のおかげで大いに盛り上がった」 当時、【X子】さんの子供は7歳と5歳。 同店関係者が 「子供が小さいのに大丈夫か」 と尋ねると、彼女はこう答えたという。 「木原君が子守しているから余裕です」 当時、【X子】さんが交際していたのが、浪人中の木原氏だった。 ある日、前出の店関係者が【X子】さんに 「木原君とはどんな関係なんだ」 と尋ねた。 すると、彼女は涼しい顔で 「同志です」 と答えたという。 それは彼女にとって未来への決意表明に他ならなかった。 「2人が交際をスタートさせたのは、その前年(2008年)」 「浪人中、彼女は木原氏の生活を支えていた」 「彼の役割は子供のお守り」 「娘さんは木原氏を『パー』と呼んで懐(なつ)き、木原氏が通っていたテニスクラブにも一緒に通うように」 「2010年9月には 『坂本龍馬の新婚旅行の地に行きたい』と婚前旅行」 「『彼は石原裕次郎似だよね』と惚気(のろけ)ていました」 (2人を知る友人) 2011年の年末。 木原氏は特大ケーキを【X子】さんの子供たちにプレゼントする。 彼女はブログに木原氏への感謝の思いを綴り、次のように心境を吐露していた。 <彼のほんとの子供じゃないから『家族』になろうとするには幾度と困難があるんだろう> <まだまだ沢山の悲しい事もあるけれど・・・> 【X子】さんはホステスを引退後の2014年10月、木原氏との間に女児を出産。 相前後して木原氏と入籍を果たす。 身を固めた木原氏は2015年10月に外務副大臣、2017年8月には政調副会長兼事務局長に就任するなど、着実に政権中枢への階段を駆け上がっていく。 他方、【X子】さんは木原氏と足並みを揃えるように”過去”と決別する。 「種雄君の死後、僕は彼が大切にしていたライダースジャケットを遺品として受け取りました」 「いつか彼の息子さんが大きくなった時、それをお返ししたくて、【X子】のモデル仲間に尋ねて回ったのですが、誰も連絡が付かなかったのです」 (安田種雄さんの友人) 更に、こんな出来事があったという。 「【X子】のモデル仲間だった僕の知り合いが、東村山市の経営者との繋がりで木原氏と面識を持つようになったんです」 「ある日、彼が木原氏とばったり会ったのですが、隣に【X子】がいた」 「彼が 『お前、何でここにいるの』 と眼を丸くすると、彼女は気まずそうに立ち去ってしまった」 (同前) ■事件を語り始めたY氏 一方、愛息を失った安田種雄さんの家族は、その間も果てしなく続く苦海の中を彷徨っていた。 安田種雄さんの母が嗚咽を漏らす。 「この10数年間、私は種雄のことを忘れよう、忘れようと思って日々過ごしてきました」 「私は息子を恨んだんですよ」 「『お前、親より先に死ぬかよ。そんな罪あるか』って」 「だから線香もあげられなかった」 2018年4月、安田種雄さんの父の携帯が鳴った。 電話口の相手は、冒頭の女性刑事だ。 それは闇に埋もれた事件の再捜査を知らせる合図だった。 だが、その僅か8カ月後に、捜査の縮小を告げられた。 安田種雄さんの父は言う。 「それ以降、警察からの連絡はありません」 「何故、1年足らずで再捜査が終わってしまったのか」 「私は真実が知りたい」 「今でも再捜査を強く望んでいます」 先週号の小誌で重要な証言をしたのは、安田種雄さんが”怪死”した当時、【X子】さんと親密だったY氏だ。 再捜査でキーマンとして浮上したY氏は2018年当時、覚醒剤事件で逮捕された末に宮崎刑務所に収監されていたが、捜査員はY氏に数十回面会し、次のような証言を引き出したという。 「【X子】から 『殺しちゃった』 と電話があったんだ」 「家に行ったら、種雄が血まみれで倒れていた」 2023年6月下旬、小誌記者がY氏に 「事件当日、【X子】さんに呼ばれて家に行った?」 と尋ねると、Y氏は、 「それは・・・まあ、それは事実ですね」 と認めていた。 <Y氏が到着したのは安田種雄さんの死亡推定時刻(2006年4月9日午後10時)の後だったことが、Nシステムの記録から判明している> 2023年7月7日午後、小誌取材班は再びY氏に接触。 するとY氏は事件について少しずつ語り始めた。 ーー記事に対して、木原さんは事実無根と主張し、「刑事告訴する」と。 「そりゃそうだよね」 「俺なんかが普通に物事を考えれば、抹殺されるよ」 「それくらい(木原氏とは)石ころと雲の上」 「それくらい(木原氏とは)の力の差があるよ」 「俺らがいくらヤンチャしてたって、そういう力じゃないから」 「簡単にどうのこうのできる案件でもないよね」 ーー小誌が報じた内容について大手メディアは一切扱っていない。 「・・・」 「でも、捜1の人間も言ってたよ」 「『デカ過ぎて、相手が』って。そりゃそうだよ」 ーー「悔しい」と話す捜査員もいた。 「俺が宮崎にいた時は、捕まえる気満々だったから」 「それから4年くらい経って音沙汰ないから、やっぱり勝てないのかな、権力に」 「あんだけ税金使って何十回も俺の所に来て、話詰めて、色々やって、やっぱり太刀打ちできねんだなって思ったよ」 ーー事件当日、Yさんは【X子】さんから電話がかかってきて現場を見ている。 「俺は警察にちゃんと本当のことを話しているけど」 「俺がしゃしゃり出たって本当に潰されるよ、勘単に」 「警察が手え出せないんだよな?」 自身の権力を自覚した振る舞いを続けながら、一連の疑惑には口を噤(つぐ)み続ける木原氏。 前述の森山裕選対委員長は懇談の場で、こう語気を強めたという。 「警察権の行使について 『政治家に配慮した』 なんて言われたら、大変なことになるよ」 事実無根と言い募るほど、国民からの視線は厳しくなる一方だ。 木原事件に新展開 「遺体の位置が・・・」 遺族が上申書を提出 週刊文春2023年7月27日号 17年前の2006年、木原誠二官房副長官の妻【X子】さんの当時の夫が”怪死”した事件。 木原氏は詳細な説明をしないまま、小誌に再三、刑事告訴をちらつかせている。 そんな最中、中断した捜査の再開を求めて、遂に遺族が立ち上がった。 ▼被害者父母、姉が決起「再捜査してください」 ▼「遺族の裏には・・・」警察内部で飛び交う妄言 ▼記者懇ドタキャン 木原副長官「こんな状況なので」 ▼岸田派幹部「刑事告訴なんて無理だろ」 <私たちは種雄の死の真相を知るため、捜査を続行していただきますことを、心から望んでいます> 警視庁大塚署長に宛てられた2023年7月17日付の上申書には、失われた17年前(2006年)の悲痛な思いが綴られていた。 小誌は過去2週に渡り、政権中枢を担う木原誠二官房副長官(53)の妻【X子】さんが、かつて結婚していた安田種雄さん(享年28)の不審死事件に関し、重要参考人として事情聴取や家宅捜索を受けていた事実を報じた。 木原氏は小誌の個別の質問には答えず、一括して 「事実無根」 と回答。 更には代理人を通じて、司法記者クラブに対し2度に渡り文書を送付し、刑事告訴を行うことを宣言した。 上申書を提出したのは、安田種雄さんの両親と2人の姉である。 事情聴取や家宅捜索の事実関係すら 「事実無根」 とする木原氏は、遺族の積年の想いを踏みにじったのだ。 上申書は次のように続く。 <自分が死んだのなら諦めもつきます> <でも、亡くなったのは大切な息子なのです> <ひょんなことから『あいつが生きていたら45歳だなあ』と考えてしまう> 遺族が再捜査を強く求めるのには理由がある。 安田種雄さんの死を巡り、到底納得できない”謎”がいくつも残されているのだ。 ◇ 1978年に生まれた安田種雄さんは地元の中学校を卒業後、高校を中退。 暴走族に入り、青春時代を過ごした。 雑誌モデルとして活躍していた安田種雄さんに惹かれ、1997年に交際を始めたのが、同じく雑誌モデルをしていた2歳下の【X子】さんだった。 2002年、長男が誕生することが契機となり、2人は入籍する。 夫妻を知る人物が明かす。 「【X子】は結婚前にCDデビューしたこともある」 「長男を出産後は育児情報誌のモデルをしたり、ママ友とハロウィンパーティーを企画し、司会をやったりしていた」 「種雄さんの当時のあだ名は、TOKIO、長瀬智也に似ていることから、そう呼ばれていました」 2004年4月には長女が誕生し、一家4人は【X子】さんの父が所有する文京区大塚の木造住宅で暮らした。 だが、団欒の風景は次第に修羅の色に染まっていく。 元凶となったのは、夫婦の趣味であるフリーマーケットを通じて知り合った男性Y氏の存在だ。 間もなく【X子】さんはY氏と親密な関係になり、池袋の老舗キャバレーで働き始める。 安田種雄さんの次姉が振り返る。 ■事件の夜、すれ違った男 「よくキャバレーの帰りに電話が来て 『種雄君がお金を入れてくれない』 『自分だけ遊びに行っている』 と愚痴をこぼしていた」 「それを聞き、種雄に 『ちゃんと生活費をあげなさい』 と言うと 『毎回あげている』 と話が食い違うのです」 2006年に入り、【X子】さんは幼い子供2人を連れ、”逃避行”を繰り返すようになる。 「1カ月以上も【X子】は行方不明で種雄は子供たちに会わせてもらえなかった」 「でも種雄は 『離婚しても子供は引き取りたい』 と希望を口にしていました」 (安田種雄さんの父) 2006年4月7日、安田種雄さんは生まれ育った東京・三軒茶屋の団地に舞い戻った。 出迎えた父は、息子の大好物だった牛肉をスーパーで調達し、振る舞った。 「その日、種雄は私が乗っていたハイエースを貸してほしいと家に立ち寄ったのです」 「理由を聞くと 『【X子】が(東京近郊に住む)Y氏の家に荷物を置いているから取り戻しに行くんだ』 と」 「その日は、数日前に種雄から 『買ってほしい』 と頼まれていた新しい携帯電話を手渡しました」 「ずっと電話に出ない【X子】に連絡するためでした」 (安田種雄さんの父) だが、それが最後の晩餐になった。 その翌日(2006年4月8日)、安田種雄さんがハイエースでY氏の自宅を訪ねると、そこには【X子】さんと子供たちの姿があった。 家族を必死で連れ戻した安田種雄さん。 その彼が不審な死を遂げたのは、久方ぶりに子供たちとの再会を果たした直後、【X子】さんや子供たちが眠る隣の部屋でのことだったー。 ナイフを頭上から喉元に刺したとみられ、死因は失血死。 当時は自殺の可能性が高い不審死として処理された。 だが、12年後の2018年4月、大塚署の女性刑事が捜査資料を分析し、自殺とするには不自然な血の付き方に着目したことから再捜査がスタート。 警視庁の特命捜査対策室特命捜査第1係を中心に、30人以上の精鋭が集められ、遺族の期待も高まった。 にもかかわらず、1年足らずで突如、捜査は縮小。 以降、遺族の元への警察からの連絡は途切れた。 だが今回、安田種雄さんの父が今でも鮮明に記憶している悪夢の1日を振り返ると、これまで語られなかった新たな疑問点が次々と浮かび上がったのだ。 「変わり果てた姿の種雄を発見した時、右太腿から20〜30cm離れた場所に細長いナイフが置かれていました」 「自らナイフを喉に突き刺すことも難しいのに、ましてや綺麗にナイフを置いてから死ぬ奴がいるのでしょうか」 変わり果てた姿の息子を発見した直後には、こんな出来事があった。 「110番通報をするにも住所が分からず、住居表示がある電信柱を探しに1度外に出たのです」 「通報して民家に戻る途中、すれ違ったのは明らかに変な歩き方をした男でした」 「風呂敷のようなものに長い物体を包み、背中に抱えていた」 「ガニ股でふらつきながら壁にぶつかり、20mほど先の十字路の角を右に曲がったのです」 「一目散に追いかけたのですが、一瞬で消えてしまった」 (安田種雄さんの父) ■木原氏代理人の回答は 警察が到着し、安田種雄さん宅に再び上がろうとした父は、ふと足元を見た。 「玄関には、子供用や大人用のたくさんの靴が置いてあった」 「その靴が、家を飛び出した時から減っているような気がしました」 (安田種雄さんの父) 再捜査に当たり、安田種雄さんの父は”すれ違った男”の存在を女性刑事に明かしている。 安田種雄さんの父が事情聴取を受けたのは2018年4月8日のこと。 小誌が入手した録音データには、次のようなやり取りが記録されている。 ★女性刑事 「すれ違った人は長い物を持っていたということですけど、顔は見ていない?」 ★父 「はい」 ★女性刑事 「背格好で?」 ★父 「後ろ姿だけね」 「ジーパンだったかな。帽子」 ★女性刑事 「ニット帽。知っている人、という印象はなかった?」 ★父 「そうですね」 更に安田種雄さんの父が不審に感じているのは、遺体の位置だ。 「私が部屋に入った時、種雄の頭は寝室に繋がるドアの辺りにありました」 「しかし、後に刑事さんが描いた現場の見取り図は、頭の位置が左右にズレて、倒れている位置すら変わっていたのです」 「私が去った後、何者かが遺体を動かしたのでしょうか」 (安田種雄さんの父) 事件から数日後に行われた現場検証で、更に疑問は深まった。 「種雄は携帯を3台持っていたのですが、それが見つからなかった」 「どこにあるのかと思って電話をかけると、確かに部屋のどこかから着信音が聞こえる」 「探してみると、1台はソファの上に、衣類を沢山被せた状態で置いてありました」 「更に、ソファの下からも他の携帯が出てきた」 「自分で死んだ奴が、なぜ携帯を隠す必要があるのでしょうか」 (安田種雄さんの父) 遺族が再捜査を求めるのは、安田種雄さんを喪った哀しみを徒に警察にぶつけているからでは決してない。 自殺で片付けるには不審な点がいくつも残されているからこそ、今回、上申書の提出を決意したのだ。 一方ー。 小誌が先々週号で初めて一連の疑惑を報じて以降、木原氏は”逃げの一手”を続けている。 政治部記者が明かす。 「文春が初めて不審死事件を報じた直後、木原氏の秘書官は番記者たちに 『家族の精神的なケアが必要になり、しばらく朝の囲み取材には応じられません』 と連絡してきた」 「その翌週である2023年7月中旬に議員会館で番記者を集めてオフレコ懇談会を開催するという話だったのですが、結局、後になって 『こういう状況なので中止でお願いしたい』 という連絡があった」 他方で、小誌には再三 「刑事告訴を行う」 と通告してきたが、 「刑事告訴を行えば、捜査当局を動かし、公権力を振りかざすことになる」 「政権中枢で絶大な権力を握る官房副長官の振る舞いとしては異例」 「木原氏の言動は身内からも冷ややかな目で見られています」 (政治部デスク) ある岸田派幹部は、周囲にこう漏らした。 「刑事告訴なんて無理だろ」 「刑事告訴したら、それをきっかけに各社に報道されてしまう」 「もし木原が刑事告訴するのであれば、官房副長官の辞任がセット」 「それが岸田会長のためだ」 小誌は今回、木原氏に改めて、【X子】さんへの事情聴取や家宅捜索の有無、記者懇中止の経緯について質問状を送付。 代理人弁護士からこう回答があった。 「(捜査については)従来以上に申し上げることはない」 「(記者懇中止は)家族が学校等で誹謗中傷を浴びたり、路上で危険に晒される事態が現実に発生し、対応せざるを得ないためです」 木原氏は先々週、一連の再捜査について事実関係を確認する小誌に対し 「捜査当局の公式の確認を取るよう求めます」 と回答。 2023年7月5日、12日の2度に渡るメディアに公表した<御通知>でも、小誌に対して 「捜査当局の公式の確認」 を取るよう求めたことを強調してきた。 そんな中、”指名”された捜査当局側からも、呼応するかのような動きがあった。 「2023年7月13日、警視庁の國府田(こうだ)捜査1課長の定例会見で、文春報道について質問が出た」 「これに対し國府田氏は 『事件性は認められなかった』 『死因は自殺と考えて矛盾はない』 と述べました」 (社会部記者) 同じ日(2023年7月13日)、霞が関の合同庁舎2号館18階の会議室。 その日(2023年7月13日)、記者クラブ加盟社の記者を集めて行われたのは、全国の警察組織のトップ、露木康浩警察庁長官の定例会見である。 終了間際、テレビ局の記者が木原氏を巡る疑惑について尋ねると、露木長官は淀みなくこう答えた。 ★露木長官 「適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」 会見から2日後の2023年7月15日、露木長官にその真意を尋ねた。 ーー「事件性が認められない」と公表していますが、これは2018年の再捜査を受けて判断した? ★露木長官 「『警視庁が明らかにした』ということで理解していますけど、警視庁の判断ということになってくるので私は間接的な立場なんですね」 ーー木原氏は再捜査も含め「事実無根」として文藝春秋を刑事告訴するという。 再捜査があったかどうか。 長官の認識は? ★露木長官 「まあ、警視庁が明らかにしたということで、あのように会見で申し上げたということですね」 ーー露木長官は捜査資料を確認している? ★露木長官 「いや、そういう風な立場じゃないからですね」 ーー小誌の発売直後、木原氏から連絡はあった? ★露木長官 「いえ、私は木原官房副長官とは全然連絡を取る立場でもないし」 ーーご遺族が「やはり殺されたんじゃないか」という思いを強く持っている。 ★露木長官 「ああ・・・」 「警視庁に問い合わせてもらうしかないかなあ」 遺族が複数の不振点を指摘しているにもかかわらず、 「事件性はない」 と繰り返す警察側。 実はその内部では、不穏な動きが見て取れるのだ。 警察庁関係者が打ち明ける。 「報道後、警察内部では 『遺族の裏には社民党の福島瑞穂参院議員と、事実婚の夫である人権派弁護士の海渡雄一氏が控えている』 との説が飛び交っているのです」 実際、小誌取材班も警察内部から同様の話を聞いている。 だが、名指しされた福島氏はこう困惑する。 「(安田種雄さんの)お名前も初めて知りましたし、全く面識がありません」 警察内部から噴出する”妄言”は何を意味するのか。 「この事案は警察官僚の上司に当たる官房副長官に関するスキャンダルです」 「敢えて野党党首の福島氏の名を出し、記事には政治的な背景があったことを匂わせることで、事態を矮小化しようとしているのです」 (前出・警察庁関係者) 安田種雄さんの父は、露木長官が 「捜査は適正」 「事件性はない」 と語った会見内容を報じた記事に目を通すと、長く沈黙し、絞り出すように呟いた。 「事件を”無かったこと”にするつもりなんですね」 「いくら我々が頑張っても権力で握り潰して、自分たちが有利になるようにするんですね・・・」 こうした状況に、安田種雄さんの親友たちも動き始めた。 近々、捜査の続行を求める署名活動を始めるという。 次々と浮上する不審死への疑問。 上申書による遺族の悲痛な訴えを、警察はどう受け止めるのか。 木原事件 妻の取調官捜査1課刑事実名告発18時間 木原は「俺が手を回しておいたから」と妻に・・・ 週刊文春2023年8月3日号 警視庁捜査1課殺人1係、通称「サツイチ」。 2018年6月、サツイチの俺が木原の妻X子の取調官に指名された。 俺を呼ぶってことは、自殺ではなく殺人事件だってことだ。 木原は俺に 「いつでもクビ飛ばせるぞ」 と言ったが、X子の聴取を10回はやったしガサ入れもした。 ところが捜査が佳境に入った時に突然、上司から終了を告げられたんだ。 頭に来ているのは、警察庁の露木康浩長官がこの前、会見で 「事件性はなかった」 って大嘘を吐いたこと。 現役は話せないだろうが、去年(2022年)退職した俺に失うものはない。 悔しい思いをした後輩のためにも腹は括った。 俺が知っていること、全部話すよー。 警視庁捜査1課殺人犯捜査第1係、通称「サツイチ」。 警察庁内のエース級が揃い、数々の難事件を解決に導いてきた捜査1課の花形部署だ。 10数人のメンバーを率いる係長は、警察庁から広域技能指導官に指定されたベテラン刑事である。 2018年6月、佐藤誠警部補(当時)は、係長から連絡を受けた。 「誠さんさあ」 「申し訳ないんだけど、例の件の調べ官やってくれませんか」 「誠さんしかいなんですよ」 長年苦楽を共にしてきた係長から、ある事件の取調官になることを直々に依頼されたのだ。 だが、佐藤氏は2018年1月21日、多摩川で入水自殺を遂げた評論家・西部遭氏(享年78)の自殺幇助事件の捜査の渦中にあり、逮捕された西部氏の知人の取り調べを担当していた。 「よほど厄介な事件なんだろ?」 「この事件が終わってから世話になるよ」 佐藤氏はそう告げたが、この時、既に腹は決まっていた。 絶対にホシを落として見せるー。 小誌は過去3週に渡り、政権中枢を担う木原誠二官房副長官(53)の妻X子さんが、かつて結婚していた安田種雄さん(享年28)の不審死事件に関し、重要参考人として事情聴取や家宅捜索を受けていたと報じてきた。 木原氏も捜査員と”面会”していたことも分かった。 だが、木原氏は小誌の個別の質問には答えず、一括して 「事実無根」 と回答。 更には代理人を通じて、刑事告訴を行うことを宣言している。 2023年7月14日、改めて小誌は木原氏にX子さんへの事情聴取や家宅捜索の有無について質問状を送付したが、代理人弁護士から送付されたのは 「(捜査については)従来以上に申し上げることはない」 という、にべもない回答だった。 その後も小誌取材班は真相を明らかにするため、20人以上の捜査関係者を訪ね歩き、繰り返し取材を重ねた。 そんな中、多くの捜査員が口にしたのは、X子さんの任意聴取を担当した佐藤氏の存在だった。 ある捜査員は彼を 「捜査1課のレジェンド」 と評し、こう語った。 「佐藤さんは捜査1課一筋18年、数多くの殺人犯と対峙し、 『オトせないホシ(容疑者)はいない』 と言われるほど1課に貢献しました」 「1課に1人しかいない取り調べの伝承官にも任命されている」 「伝説の”落とし屋”ですよ」 ■「何が『事件性はない』だ」 捜査員が語る佐藤氏の伝説は、枚挙に暇がない。 2005年には、その3年前のマブチモーター社長宅で社長夫人と長女が殺害された事件で逮捕された小田島鐵男の取り調べを担当。 2015年の埼玉県本庄市死体遺棄事件では指名手配されていた斎藤邦実の潜伏先を割り出し、自白に追い込んだ。 「安田種雄さんの事件の再捜査が本格化した際、X子さんの聴取を担当するのは佐藤さんしかいないという結論になったのです」(同前) そんな佐藤氏は2022年、警視庁を退職し、現在は東京近郊で暮らしているという。 捜査の全容を知るためには、佐藤氏の協力が必要不可欠。 だが、佐藤氏との接触はなかなか叶わなかった。 2023年7月上旬、ようやく取材班は佐藤氏の居宅に辿り着く。 しかし、そこも既に転居済みだった。 小誌記者は藁にも縋る思いで、近隣住民に事情を説明。 すると数時間後、携帯が鳴った。 「文春だろ?来ると思ってたよ」 初めての佐藤氏との接触。 だが、取材を申し込むと 「もう捜査を外れているからよお」 「勘弁してくれよ」 と、決して首を縦に振らなかった。 それから2週間後、佐藤氏に電話で再三協力を呼び掛けたところ、深い溜息の後、感情を吐露したのだ。 「警察庁長官のコメントは頭にきた」 「何が『事件性はない』だ」 「あの発言は真面目に仕事をしてきた俺たちを馬鹿にしているよな」 佐藤氏が言及したのは、その数日前の2023年7月13日に開かれた、露木康浩警察庁長官の定例記者会見のこと。 露木長官は、安田種雄さんの不審死について、こんなコメントを残していた。 「適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性は認められないと警視庁が明らかにしている」 佐藤氏は一呼吸し、吐き捨てるように言った。 「事件性の判断すらできないのか」 「はっきり言うが、これは殺人事件だよ」 「当時から我々はホシを挙げるために全力で捜査に当たってきた」 「ところが、志半ばで中断させられたんだよ」 「それなのに、長官は『事件性が認められない』と事案自体を”無かった事”にしている」 「自殺で片付けるのであれば、自殺だっていう証拠を持って来いよ」 「(文春の)記事では、捜査員が遺族に『無念を晴らす』と言っていたが、俺だって同じ気持ちだよ」 更に佐藤氏の口から零れたのは、後輩たちへの偽らざる思いだった。 「あの時捜査に加わった30人以上のメンバーは誰しも、捜査を全う出来なかったことで今でも悔しい思いをしている」 「文春の記事を読めば、現役の奴らが並々ならぬ覚悟で証言しているのがよく分かるよ」 そしてー。 「俺は去年(2022年)退職して、第1線を退いた」 「失う物なんてない」 「職務上知り得た秘密を話すことで地方公務員法に引っかかる可能性がある、だ?」 「そんなことは十分承知の上だ」 「それより通すべき筋がある」 「現役の奴らの想いもある」 「もう腹は括った」 「俺が知っていること、全部話すよ」 こうして”伝説の取調官”は、ポロシャツにチノパン姿で小誌取材班の前に現れた。 粗野な口調には時に温かさが滲み、穏やかな眼光は時に鋭さを見せる。 そんな佐藤氏への取材は、5日間、計18時間に渡った。 仲間たちが作った捜査資料を必死の思いで読み込み、全身全霊でX子さんと向き合った佐藤氏の記憶は、約4年9カ月が経った今でも詳細で鮮明だった。 そして、そこから浮かび上がったのは、驚くべき新事実の数々だった。 ◇ 自殺と見られていた安田種雄さんの死が”事件”として明るみに出たのは、2018年4月。 警視庁大塚署の女性刑事が、約12年前の事件の精査資料に目を留めたのだ。 「自殺にしては、ナイフへの血の付き方がおかしい」 彼女の肩書は、刑事組織犯罪対策課強行犯捜査係長。 長年埋もれていたのは、文京区大塚の古びた一軒家に住む、若い夫婦に降り掛かった悲劇だった。 雑誌の人気モデルをしていた安田種雄さんが1997年に交際を始めたのが、同じく雑誌モデルをしていた2歳下のX子さん。 2002年、長男の誕生が契機となり、2人は入籍する。 2004年4月には長女が誕生し、一家4人はX子さんの父が所有する一軒家で暮らし始めた。 だが、一家団欒の風景は長くは続かなかった。 元凶となったのは、夫婦の趣味であるフリーマーケットを通じて知り合ったY氏の存在だ。 2006年に入り、Y氏のもとに走ったX子さんは、幼い子供2人を連れ、大阪や浜松などに”逃避行”を繰り返すようになる。 「1カ月以上もX子は行方不明で種雄は子供たちに会わせてもらえなかった」 「でも、種雄は『離婚しても子供だけは引き取りたい』と希望を口にしていました」 (安田種雄さんの父) 2006年4月7日、安田種雄さんは生まれ育った世田谷区内の団地に舞い戻る。 「X子が(東京近郊に住む)Yの家に荷物を置いている」 「明日、取り戻しに行くんだ」 安田種雄さんはそう父に告げ、実家にあるハイエースを借りていった。 その翌日2006年4月8日、安田種雄さんがY氏の自宅を訪ねると、そこにはX子さんと子供たちの姿があった。 修羅場を演じた末、安田種雄さんは妻子を奪還する。 安田種雄さんが不審な死を遂げたのは、久方ぶりに子供たちとの再会を果たした、その直後のことだったー。 2006年4月10日午前3時過ぎ。 たまたま目覚めた安田種雄さんの父がハイエースを返してもらうため息子の一軒家に足を踏み入れると、そこには黒ずんだ血の海が広がり、安田種雄さんが仰向けで倒れていた。 既に事切れ、血飛沫は天井に達していた。 だが、安田種雄さんの体内から覚醒剤が検出されたことで大塚署は 「錯乱状態による自殺の可能性が高い」 と判断したのだ。 改めて佐藤氏に聞くと、こう喝破した。 「はっきり言って、大塚署の捜査ミスは一目瞭然だろ」 「現場が血だらけだったにもかかわらず、刃の部分にちょっとだけ血が残り、柄は綺麗な状態」 「それで12年後、大塚署の女性刑事が『誰かが血糊を拭き取ったのだろう』と疑念を抱いたんだ」 「安田種雄さんは死の前日、Yの自宅からX子と子供たちをようやく取り戻してるんだよ」 「その時、安田種雄さんはYの自宅の壁をバンバン叩き、2回も110番通報されている」 「それでも諦めず、ようやく奪還した」 「可愛い子供を抱いて家に戻ってきた奴が、自殺する動機なんてないだろ」 女性刑事の違和感に端を発した大塚署の動きは素早かった。 安田種雄さん不審死事案は、時を置かず警視庁捜査1課特命捜査対策室特命捜査第1係、通称「トクイチ」に持ち込まれた。 だが同時に重大な事実が判明する。 X子さんは安田種雄さんを亡くした約8年後、木原氏と再婚していたことが分かったのだ。 警視庁が検討を始めた時点での木原氏の肩書は、自民党政務調査会副会長兼事務局長。 与党の政策立案を担う重要ポジションに就いていた。 特命捜査第1係長と特命捜査対策室長は協議の末、小林捜査第1課長(当時)に次のように”上申”した。 「特命だけでは手に負えません」 「政治が絡んでいるから無理ですよ」 「サツ(殺人犯捜査係)を入れてもらわないと」 小林1課長は捜査資料を読み込むと、事件性を確信した。 これは自殺ではなく殺人事件だ。 だが、与党政治家が絡む案件である以上、生半可な捜査は許されない。 不退転の決意で、精鋭揃いの 「サツイチ」 を投入するしか、事件解決の道はないー。 こうして大塚署、トクイチ、更にサツイチという3つの組織の合同捜査がスタートしたのだ。 「トクイチ10数人、サツイチ10数人、大塚署を含めて30〜40人態勢だろ」 「これは特捜(特別捜査本部)並みの人数だよ」 「サツイチが入り、『やっぱり事件ではありませんでした』なんていう話は、俺が捜査1課にいた18年間で1度もないよな」 「だから、露木長官の『事件性が認められないと警視庁が明らかにしている』というのは明らかに大嘘なんだよ」 (佐藤氏) 2018年6月に満を持して、佐藤氏が捜査班に合流してから約2カ月。 捜査は急展開を見せていた。 キーマンとして浮上したのは、かつてX子さんと親密な関係だったY氏だった。 当時、覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された末に宮崎刑務所に収監されていたが、捜査員らは約30回の面会を繰り返し、20数回目で次のような供述を得たのだ。 「事件当日の夜中、X子から 『種雄くんが刺せと言ったので、刺しちゃった』 と電話があった。 「家に行ったら、種雄が血まみれで倒れていた」 X子さんから連絡を受けたY氏が自家用車を駆り、約1時間かけて夫婦の住む大塚付近に到着したのは、(2006年4月9日〜10日にかけての)深夜12時前後」 「そのことはNシステムなどにより裏付けられた」 「死亡推定時刻は2006年4月9日夜10時頃だったか・・・」 「Yが実行犯であれば時間が合わない」 「だから、最初からあいつはホシではないと俺たちは踏んでいた」 「俺は計2回、宮崎刑務所でYと面会してるんだ」 「あいつの供述で浮き彫りになったのは、事件当日の”修羅場”だった」 (佐藤氏) Y氏が佐藤氏に語った事件当日の様子は子細を極めた。 その日、Y氏が一軒家から徒歩圏内のコンビニ。 車を停め、手袋を購入した。 だが、遺体と対面する勇気が沸かず、コンビ前で逡巡したというのだ。 手袋の購入は、遺体に触れることを意識した行動と見られた。 「Yの供述は鬼気迫るものだったよ」 「部屋に忍び込むと、そこには遺体があり、X子の背中には血が飛び散っている」 「Yは 『血が付いてるから脱げ』 と服を着替えさせ、 『朝方になったら警察に電話して、朝起きたら死んでいましたと言え』 とアドバイスをしたという」 「朝方まで数時間ある、隠蔽工作をしようとしていたところ、突如玄関から大きな物音がした」 (同前) 2006年4月10日早朝3時過ぎに訪れたのは、安田種雄さんの父だった。 真っ暗な2階の部屋で寝転ぶ種雄さんに向かい 「こんな所で寝たら風邪引くぞ」 と言葉を投げかける。 だが、電気を点けた瞬間、目に飛び込んできたのは愛息の無残な亡骸だった。 「Yの供述によると、予想外の出来事に慌てまくって、アイツは子供部屋のカーテンに身を隠したそうだ」 「俺に 『突然来たからビックリしましたよ』 と、はっきり言っていた」 「一方、X子は寝たふりをするしかないわな」 「(種雄さんの)父は 『玄関の鍵が開いていた』 と供述しているが、それはYが入った後だったからだ」 (佐藤氏) ■遂に捜査員が木原氏の自宅に その後、父は110番通報をするため1度外に飛び出す。 住所が分からず、住居表示がある電信柱を探すためだ。 その一瞬の間隙をY氏は狙った。 X子さんのシャツなど犯行の物的証拠を回収すると自身の靴を手に持ち、階段脇の小窓から脱出したのだ。 安田種雄さんの父は小誌前号(2023年7月27日号)でも、不審な人物の存在についてこう語っていた。 「通報して民家に戻る途中、明らかに変な歩き方をした男とすれ違った」 「風呂敷のようなものに長い物体を包み、背中に抱えていた」 「ガニ股でふらつきながら壁にぶつかり、20mほど先の十字路の角を右に曲がったのです」 「玄関には子供用や大人用のたくさんの靴が置いてあったが、家に戻ると、数が減っているような気がしました」 防犯カメラの映像は残っておらず、不審な男の正体は判然としない。 一方、玄関の靴の謎について、佐藤氏はこう語る。 「消えたのはYの靴だよ」 「想定外の父の登場によって、彼らの計画が全て崩れたってわけだ」 小誌前号(2023年7月27日号)の発売後、Y氏を知る人物から小誌に情報提供があった。 事件直後、Y氏は覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されている。 この人物は、当時、Y氏が収監されていた東京拘置所の雑居房で5カ月間同室だったという元受刑者だ。 彼が語ったY氏の家族についての個人情報は、小誌の取材成果と合致していた。 Y氏は、この元受刑者に事件の”真相”を打ち明けていた。 「あの頃、Yは安田種雄さんの死について 『警察ではシャブ中が狂って自殺した形になっているが、実は違う』 と話していました」 「『完全犯罪だ』『刑務所を出てから小説でも書こうかな』と」 「ただ、殺し方は 『ボールペンで刺した』 と聞いていました」 「彼女(X子さん)は1度面会にやってきたけど、その後、Yは 『やっぱり別れることにした』 と言っていた」 (元受刑者) Y氏の供述を軸に捜査は進み、2018年10月9日に”勝負の日”を迎える。 東京都東村山市にある築13年の分譲マンション。 朝7時頃、1台のセダンがマンション脇に横付けされた。 車中から飛び出したサツイチの係長と特命担当の管理官がインターフォンを鳴らす。 この日、遂にX子さんの任意同行を求めたのだ。 「取調官の俺は車中で待っていた」 「ところが、待てど暮らせど戻って来ない」 「しばらくして黒い車が俺の横を通り過ぎて行くじゃねえか」 「間もなく2人が帰って来て 『今日はちょっとナシですね。誠さん、帰りましょう』 と」 「彼らが言うには、6階の部屋で夫婦と対面し、殺人容疑の捜査だと伝えると、木原氏が 『今日は勘弁してくれ』 『後から連絡する』 と任意同行を拒否」 「そのうち 『もう行かなきゃいけない』 とか言って(木原氏は)送迎車で行っちゃったわけだ」 (佐藤氏) 実は、同日(2018年10月9日)朝、捜査1課は東海地方にあるX子さんの実家と、豊島区南大塚にある別宅に家宅捜索を行っている。 捜査員らは、いずれも被疑者不詳の 「殺人 被疑事件」 と記された捜索差押許可状を携えていた。 「東村山にガサ(家宅捜索)を行わなかった理由は、木原氏の存在が大きいだろうな」 「相手は現役国会議員」 「ましてや、自民党情報調査局長に就任した実力者だ」 「捜査のハードルが上がるのは当たり前の話だろ」 (佐藤氏) 一旦は妻の任意同行を拒んだ木原氏。 一方、家宅捜索の事実を知り、木原氏に 「X子と別れろ」 と勧めたのは、二階俊博幹事長(当時)だったという。 自民党関係者が語る。 「二階さんは木原に離婚を勧めただけでなく、 『警察の取り調べにはちゃんと素直に応じろ』 と言っていました」 「木原は渋々それを受け入れるしかなかった」 その後、木原氏は聴取に応じるようになったという。 佐藤氏も言う。 「確かに、二階さんがそう言ったという話は現場にも漏れ伝わってきた」 「翌日から聴取がスムーズになったんだよ」 小誌記者が二階氏を電話で取材すると、こう語るのだった。 「覚えてないけど、疑いを持たれたら捜査に協力しろよっていうことは当然の事じゃないかな」 「それは言ったろうけどさ」 ■「もずくだけかなあ・・・」 警視庁本部2階には、100以上の取調室が等間隔に並ぶ。 冷暖房完備だが、窓はない。 X子さんと向かい合った佐藤氏は柔和な表情を作り、こう切り出した。 「X子さんよ。ここに来た理由は分かる?」 「分かりません・・・」 「X子さんよお、呼ばれた理由ぐらいは分かるよな?」 「・・・」 「俺、怖い?あんまり緊張しないでよ」 「・・・」 「木原、格好いいもんな」 「うーん」 2018年10月上旬から始まった取り調べ。 当初、X子さんは無言を貫いた。 「木原との第2子が生まれたばかりで子育てが優先」 「聴取は午後1時頃から夕方までが多かった」 「でも、最初は無口で全然喋らないさ」 「それでも連日、自宅近くの病院前まで車で迎えに行き、警視庁本部で聴取する日々が続いた」 (佐藤氏) それ以降、X子さんは連日、警視庁本部と自宅を往復する日々を送った。 彼女は武装するかのように完璧にメイクを施し、香水の香りを振りまく。 ロングヘアを美しく結い、1度として同じファッションで聴取を受けることはなかった。 佐藤氏はあだ名で問いかける。 「Xちゃん、衣装持ちだね。何枚くらいあるの?」 「そんなにありません」 「似合うよね。センスあるよね」 「そんなことありません」 「Xちゃんのお父さんも警察官なんだって? 俺、刑事さんも格好いいだろ?」 「・・・」 警視庁本部の裏口から取調室に入るまでの間、すれ違った警察官の多くが振り返る。 時に、佐藤氏はこんな会話を交わした。 「御飯、食べられているの?」 「あまり食べられないです」 「そうだよな。何食べてるの?」 「うーん、もずくだけかなあ・・・」 「もずくだけだとヤバイんじゃないの」 「あまり食欲ないんで」 また、ある時は料理について水を向けた。 「Xちゃん、料理なんかするの?」 「あまりやらないんです」 「魚とか肉とか作らないの?」 「いや、私は嫌なんです。ベトベトするし。気持ち悪いし。だから、あんまり料理しないんです」 雑談には応じるものの、事件当日のことは 「覚えていません」 「分かりません」 と繰り返す。 「その頃、既に他の捜査員はX子の交友関係を調べ上げ、徹底的に聴取を重ねていたんだよ」 「それらの情報を元に、俺は揺さぶるわけだ」 (佐藤氏) 佐藤氏は取り調べの様子をこう振り返って見せた。 「お前の友達が言ってたぞ。シンナーもやってたろ」 「やっていません!」 「煙草も吸ってたろ」 「やっていません!」 「何で種雄君を刺したの」 「・・・(首を左右に振る)」 事件以外のことには反応し、大きな声を出すこともあった。 しかし、事件については何を聞いても頑なだった。 佐藤氏は言う。 「取り調べは癖を見抜くために、カマをかけることもある」 「X子は分かり易く、素直な子だった」 そんな佐藤氏には”切り札”があった。 古びた1枚の写真。 満面の笑みを浮かべ、カメラ目線でピースしている茶髪の女性は、若き日のX子さんだ。 その隣でY氏は暗い表情で写真に収まっている。 捜査の結果、事件現場から約5km離れた文京区本郷にある居酒屋「T」で撮影されたものであることが判明した。 撮影日は事件が発覚した日(2006年4月10日)の夜。 2人は安田種雄さんが遺体となって発見された10数時間後に同店で落ち合い、杯を傾けていたのだ。 12年後の2018年9月6日には捜査員が店を訪れ、オーナーに事情聴取し、店内で撮影された写真であることを確認している。 ■木原氏は妻の手を握り・・・ ある日、佐藤氏は取調室の机上に”切り札”を叩き付け、問い詰めた。 「お前な」 「旦那が死んでるのにYと居酒屋でピースしてニコニコ笑ってるのはどういうことだよ!」 「死んだ後、こんな顔できんのかよ」 「これ、あんただよな?」 彼女は心底驚いたように目を見開き、 「ええ、ええ・・・分かりません」 と呟くのがやっとだったという。 更に捜査は次のステップに進む。 「X子のDNAを採取して、新たな証拠を見い出そうとしたんだけど、彼女は採尿や採血を拒否するんだよ」 「ポリグラフ(嘘発見器)も嫌だって」 「『あんた、シロだったらポリグラフ受けたら一番いいだろ!』って」 「仕方ないから、その翌日、身体検査令状を取って自宅に行くことにしたんだよ」 (佐藤氏) だが、待ち合わせの時間に認識の相違があり、佐藤氏は30分ほど予定時刻を過ぎて自宅に到着。 すると、待ち構えていた木原氏が怒髪天を衝く勢いで向かってきたという。 「時間ぐらい守れよ!」 「お前なんて、いつでもクビ飛ばせるぞ!」 その頃、木原氏自身も捜査員と複数回”面会”している。 「女房を信じているから」 と語る一方、別の日には次のように吐き捨てることもあったという。 「2006年当時に捜査していたら結婚もしなかったし、子供もいませんでしたよ」 「どうしてその時にやってくれなかったんですか」 ◇ 小誌の報道に、徹底して 「事実無根」 と反論してきた木原氏。 不審死事件を報じた直後の2023年7月5日には、 司法記者クラブに向けた 「御通知」 で <私と私の家族に対する想像を絶する著しい人権侵害> として、 <法務省の人権擁護機関に対しても救済を求めることとなります> と宣言した。 「ところがその後の2023年7月21日、X子さんの代理人弁護士が司法記者クラブではなく日弁連に人権救済を申し立てた旨を連絡してきた」 「役所の人事権を持つ官邸中枢が法務省を動かすのはさすがにマズイという判断だったのでしょう」 (社会部記者) だが、一連の佐藤氏の実名告発は、小誌がこれまで報じてきたX子さんへの事情聴取や実家への家宅捜索が、確かに行われていたことを証明している。 それだけではない。 木原氏が事件に深く関与し、政治的圧力を行使していた疑いを突き付ける”物証”が存在するのだ。 2018年10月以降、X子さんは取り調べを終えると警視庁本部からタクシーに乗り、帰宅。 その際、木原氏と落ち合い、車内で言葉を交わすことがあった。 捜査員は車内のドライブレコーダーを回収し、つぶさに分析した。 ある日、佐藤氏は捜査員に呼び出された。 「誠ちゃん。ちょっとこっち来て、見てみ」 再生されたのは、20分以上に及ぶ動画。 タクシーの後部座席に座った木原氏は、沈痛な面持ちのX子さんの手を何度も握り、言葉を投げかける。 「大丈夫だよ。俺が何とかするから」 「・・・」 「俺が手を回しておいたから心配すんな。刑事の話には乗るなよ。これは絶対言っちゃ駄目だぞ。それは罠なんだから」 佐藤氏は愕然とした。 「もうX子は絶対に喋らないと思ったな。調べに『これ言っちゃダメだぞ』って裏に手を回されたら終わりかなと思ってはいたけどさ」 (佐藤氏) 更に、木原氏は政治家ならではの単語を口にした。 佐藤氏の脳裏にはこんな映像が焼き付いている。 ★木原氏 「国会が始まれば捜査なんて終わる。刑事の問いかけには黙っておけ」 ★X子さん 「刑事さんが(木原氏のことを)『東大出てボンボンで脇が甘い』とか言ってたよ」 ★ 「そんなもん、クビ取って飛ばしてやる!」 映像を見ながら、佐藤氏は思わず 「おお、やってみろ。この野郎」 と吐き捨てた。 実際、木原氏は捜査幹部に対しても、2018年10月24日から始まる臨時国会について言及していたという。 「当初から木原氏は 『国会の招集日までに取り調べを終わらせろ』 と捜査幹部に話していたと聞いている」 「『国会が始まれば、妻の取り調べの間、子供の面倒を見る人間がいない』 というわけだ」 (佐藤氏) 国会開催中だからといって、子供をベビーシッターなどに預けられない道理はない。 木原氏が”議員特権”を振りかざしたことで、佐藤氏は2018年10月9日から24日まで、僅か2週間という期間限定の取り調べを強いられたのだった。 とはいえ、2018年12月10日になれば臨時国会が閉会する。 佐藤氏は 「国会が終わったら捜査再開だろう」 と高を括っていた。 だがー。 国会が始まる直前の2018年10月下旬。 突然の宣告だった。 「明日で全て終わりだ」 上司である佐和田立雄管理官(当時)に告げられた一言を、佐藤氏は鮮明に覚えている。 小誌記者が佐和田氏を探し当て、当時の佐藤氏への指示について問うと、 「分からないなあ」 「確かに、佐藤さんに 『もういいんじゃないの』 と言ったような覚えはある気がするけど、時期は覚えていない」 「誰かからの指示とか刑事部長が、というより、長いこと聴取して何も出なかったから 『もういいなじゃないの』 と思って僕が言ったような気がするんです」 だが、佐藤氏はこう語気を強めるのだ。 「X子の調べが佳境を迎え 『今から証拠を探そう』 という矢先にストップした」 「12年前の事件で物証が乏しいのは分かっているが、供述を揃え、証拠を積み重ねて頑張ろうという時に突然、中止になった」 「俺は捜査1課で100件近くも調べをやったきたけど、これだけ流れができていたのに調べが取り止めになるなんて経験したことがない」 「悔しくて、頭にきたよな」 当時の捜査幹部も語る。 「期限付きで時間も限られているので、厳しかった」 「取り調べの時間も回数も、明らかに足りなかった」 現場の捜査員らには徒労感が募ったが、一部の捜査員は 「いつか捜査再開できる」 という一縷の望みを抱き、2018年11月19日には、事件のあった2006年頃にX子さんが働いていた池袋のキャバレーの元従業員を聴取している。 2018年12月には、サツイチの捜査係長は再び宮崎刑務所に飛んだ。 Y氏が2018年夏に語った次のような供述の詳細を確かめるためだった。 「事件当日(2006年4月10日)、X子から 『ナイフに指紋が付いちゃった。どうしよう』 と相談された」 「現場に行くと、ナイフには両面テープが付いていた」 「証拠隠滅しようと剥ぎ取り、持ち帰った」 黒色の柄にぐるぐる巻きにされた両面テープ。 誰が、何のために巻き付けたのか。 「当初、Yは 『覚醒剤で錯乱した種雄が巻いたんだろう』 と言い、捜査員にも異論はなかった」 「でも、よくよく考えると、普通のテーピングなら滑り止めとして機能するが、ベトベトの両面テープを巻き付けるのは不可解だろ」 「最初に俺が考えたのは、X子が第三者の指紋を消すためにテープを巻き付けたという見立てだった」 (佐藤氏) だが、佐藤氏は自身の推理に違和感を覚えていた。 「実は当初からX子が実行犯じゃないという感触を持っていた」 「ナイフを振り下ろすと、誰でも小指側の側面に傷が付く」 「当時の大塚署の捜査でも彼女の手には傷があったという記録はなかった」 「しかも、身長180cm以上の大男を華奢な女性がぶっ刺すことなんて不可能じゃねえかと思った」 「更に言えば、第三者に指紋を付けさせることを考えるなんて、X子みたいな普通の子には無理だろ」 (佐藤氏) そこで佐藤氏は、X子と関係の深い第三者の犯行だという仮説を立てた。 「テープを巻いてYの指紋を付けるように指南したのもその人物の入れ知恵という見立てだな」 「ただ、X子の意思で第三者が殺害すれば、彼女だって共謀共同正犯が成立する」 (佐藤氏) 実は、取調室で向き合った佐藤氏とX子さんは、こんな会話を交わしている。 「その日、Yを電話で呼んだのは間違いない?」 「(種雄さんから)正座させられていて、怖いからYを呼んだんです」 「それからどうしたよ」 「私怖かったんで、部屋に行って、子供たちを寝かして私も寝ました」 「お前、それはねえだろう」 「種雄さんとYを喧嘩させといて、自分だけ寝ていたなんて、そんな馬鹿な話あるかよ。この世の中に」 「いや、後はYに任せていましたから」 X子さんは事件当日の経緯について、終始支離滅裂な供述を繰り返した。 「あくまで 『朝起きたら夫が死んでいました』 っていうスタンスなんだよ」 でも、死亡推定時刻から計算すると、Yが呼ばれたのは死んだ後なの」 (佐藤氏) ■俺の腹の中と同じだな X子さんの取り調べが止められたのは、佐藤氏が事件の真相に迫りつつあるタイミングでのことだった。 2018年10月下旬。 管理官から 「取り調べ中止」 を告げられた佐藤氏は1つの決断を胸に秘めていた。 与えられたのは、僅か2時間。 それまでの取り調べでは立会人として他の捜査員も同席していたが、この時ばかりは 「X子と2人切りで話をさせろ」 と告げ、1人取調室に向かう。 「今日で取り調べはやめてやるから」 開口一番そう言い放つとX子さんは表情を和らげ、目線を上げた。 「疲れました。怖いです」 「あんたと会うことはもうないだろう。もうこれで調べを止めるから本当のこと言おうじゃねえか。お互い墓場まで持っていこう。今日はメモを取らねえから」 「はい」 「でも、俺も感じるところがあるんだけどさ。最後に答えてよ。腹の中で収めようじゃないか。あんた、殺ってねえだろ?」 緊迫感が張り詰める。 「・・・(ゆっくり頷く)」 「あんた、そんなことできないよな」 「・・・(ゆっくり頷く)。彼とは良い思い出もありますし」 「そうだよな。思い出もあるしな。殺せないよな。その思い出は大事にしなきゃ駄目だよ。ところで、あんた、ナイフに両面テープは巻いた?」 「・・・(首を振る)」 「巻くわけないよな、種雄さんが巻いたのか?」 「・・・(首を振る)」 そこで佐藤氏は10日間に及ぶ取り調べの末、もう1人の重要参考人として注目していた第三者、Z氏を想定し、水を向ける。 「俺とお前、腹ん中で思い浮かべているのは、一緒だよな」 長い沈黙の後、X子さんは観念したように見えた。 そして頷くかのように、ゆっくり目線を落とした。 「俺の腹の中と同じだな」 「これはお互いの腹に収めてあんたもちゃんと生きていきなよ」 「今の旦那さんに尽くしていきなよ」 すると、X子さんは神妙な表情に安堵を滲ませた。 「Z氏について今ここで詳しく話すことはできないけど、俺はホシだと思っている」 「彼は、X子が絶対に庇わなければいけない存在」 「Z氏は突発的に殺害した末、自殺偽装計画を立てたわけだ」 「でも、Yの痕跡も残しておき、もし自殺の線が崩れて事件化した時の”保険”までかけたというのが俺の見立てだ」 「そんな高度なこと、素人のX子1人では思い付かないだろ」 (佐藤氏) こうして、およそ10回に及んだ聴取は幕を閉じたのだった。 ◇ 取調官本人による異例の証言から浮かび上がった、新事実の数々。 小誌取材班は、証言の裏取りをするべく、佐藤氏が名前を挙げた関係者を訪ね歩いた。 安田種雄さんが亡くなった10数時間後、X子さんがY氏とピースサインの写真を撮った現場である、文京区本郷の居酒屋「T」。 2018年9月6日に捜査員から事情を聞かれたオーナーも店構えも、当時のままだ。 店を訪ねると、オーナーははっきり記憶していた。 「確かに店に捜査1課の刑事さんがやってきました」 「『この日に店に来て以降、失踪した2人組がいる』 と確かモザイクがかかった2人組の写真を見せてきたんです」 「背後に写っている絵が、この店のオープン時にある方から寄贈されたものだったので、 『うちの店ですよ』 と」 「そうしたら 『当日の伝票も欲しい』 と言われたため、渡しました。 絵を描いた人の連絡先も聞かれて、その方も聴取されたそうです」 2018年11月に聴取を受けた、X子さんが働いていた池袋のキャバレーは、既に閉店していた。 だが、小誌記者は関係者を辿り、4人目にして、実際に聴取を受けた元従業員にようやく行き着いた。 元従業員は 「2018年11月に警視庁の刑事さんが来たのは事実です」 「『この女性を覚えているか』 と写真を見せられました」 「確かに彼女は半年くらい池袋店で働いていた」 X子さんは入店早々、どんどん売り上げを伸ばしたという。 「お花が届くことも多く、常に指名席にいた印象」 「落ち着いた雰囲気のドレスを着ていました」 「目元がくりっとしていて武井咲に似ていたので、面食いのお客様によく指名されていた」 「一方、ボーイには高飛車なタイプ」 「例えば、頼まれたものを持っていくのが遅いと『まだなの?』というような目線を送って来るんです」 (同前) ■捜査1課が小誌に語った 刑事が繰り返し尋ねたのは、彼女の”変化”だった。 「彼女は1カ月半の間、店を辞めて、また戻って来るんです」 「『その間、何か変化がなかったか』 ということを聞かれました」 「最後の数日間は着物を着て接客していた」 「辞める時、 『私、銀座に行くことになりました』 って名刺を周りに配っていましたね」 (同前) 銀座で接客の才能が開花したX子さんは、やがてナンバー1ホステスになる。 佐藤氏の証言によれば、捜査1課はX子さんと銀座時代に交友関係のあった多くの男性客を任意聴取している。 その1例が、クラブの客として来店した有名な格闘家だ。 小誌記者が格闘家の経営するジムを訪れると、彼は困惑しながらこう話した。 「2019年頃、警視庁の方に 『車に来てください』 って言われて」 「(夫の)不審死っていうのは覚えていますよ」 「それで 『その方を知ってます?』 って言われたんで 『覚えてないです』 と」 一連の関係者の証言からは、X子さんの、忌々しい過去を振り切るように新たな男性たちの間を浮遊する生活が浮かび上がる。 そんな中、彼女は劇的な出会いを引き寄せたのだ。 安田種雄さんとX子さんを知る、ファッション誌の元編集者が証言する。 「種雄の死から数年後かな」 「西武新宿線でX子とばったり会ったことがあった」 「『何でこんなローカル線に乗ってるの』 と聞いたら 『議員の選挙区があるから手伝いに行っている』 と、凄い明るい雰囲気だったから 『吹っ切れたんだ』 と思いました」 東大出身の元財務官僚。 2005年9月に初当選を果たし、将来を嘱望されていた木原氏である。 彼はX子さんにとって、負の連鎖を断ち切る”守護神”だった。 ◇ 別の捜査幹部が次のように証言する。 「2019年以降も一部の捜査員が夫婦の行動確認を続けていました」 「東村山市や南大塚の所有物件を定点観測した結果、2019年1月に想像もつかない動きがあったのです」 南大塚の所有物件に引越し業者のトラックが停まり、作業を始めたのだ。 捜査員が慌てて引越し業者に聞き込みすると、荷物は衆議院赤坂議員宿舎に搬入されたことが判明。 木原氏は生活拠点を移したのだ。 「俺は 『ああ、こいつ逃げやがった』 と思ったんだ」 「これで俺らは手出しできなくなっちまった」 「木原氏は、X子を捜査の網から隠すために一番安全な場所を選んだ」 「そう誰もが思ったよ」 「当時、X子は議員宿舎を子供と共に出てきて、幼稚園に通わせていたが、鉄壁の警備に守られ、任意同行なんて出来るわけがなかった」 (佐藤氏) それでもサツイチの捜査員は諦めきれず、議員宿舎と東村山に定期的に捜査員を派遣し、行動を確認していた。 だが、遺族担当の刑事が異動になるなど、捜査は事実上ストップ。 2019年5月10日、最後の砦だった東村山の定点観測の拠点が解除されたのだった。 一体、誰が捜査を止めたのか。 佐藤氏が直属の上司である佐和田管理官から聴取の中止を告げられたのは前述の通りだ。 それより上層部で、一体何が話し合われたのか。 2018年当時の木原氏は、ポスト安倍を窺う岸田文雄氏の最側近。 当時の警視庁のトップが、その存在を知らないはずはあるまい。 小誌記者は、当時警視総監だった三浦正充氏の自宅を訪ねたものの、取材拒否。 2023年7月24日の朝には出勤前の三浦氏に声を掛けたが、 「三浦さんですか?」 という問いかけに、 「違います!」 と言い放ち、送迎車に乗り込んでいった。 また、佐和田管理官の上司に当たるのが、当時、捜査1課長だった小林敦氏だ。 小林氏に話を聞くと、木原氏の”介入”は 「ありません」 と言下に否定。 だが、露木康浩警察庁長官が言及した 「事件性はなかった」 という点を問うと、途端に語気を強めた。 「事件は『ない』じゃないんだよ!」 「ない、じゃないから、継続してやるしかない」 「捜査したって、灰色の段階じゃ終われないんだよ」 「確実なシロってならない限りさ」 「俺が(2019年2月に1課長を)辞める時は、全然(捜査を)やめたわけじゃない」 ◇ 遺族が連名で捜査の続行を求める上申書を提出したのは、2023年7月17日のことだ。 7日後の2023年7月24日午後1時、安田種雄さんの父と2人の姉は、大塚署に足を運んだ。 遺族に相対したのは、警視庁捜査1課の特命捜査第1係長。 だが、そこで告げられたのは衝撃的な言葉だった。 「2018年の再捜査で捜査を尽くした結果、事件性は認められなかった」 突然の通告に驚いた遺族は 「聞いていません」 「納得できない」 と訴えた。 だが、係長は 「捜査の内容は答えられない」 の一点張り。 面会は僅か20分程度で終了したという。 露木康浩警察庁長官の会見での 「事件性はなかった」 発言と平仄を合わせるかのような回答。 面会を終えた安田種雄さんの父は、小誌記者にこう吐露した。 「こんなことがあるんですか・・・」 「私たちは2019年2月に捜査態勢の縮小を伝えられた際も 『捜査は終わっています』 と、いつ終わったのかを聞いても 『当時の捜査員がいないので分かりません』 と繰り返すばかり。 これまで警察から連絡を受けたこともありませんでした」 佐藤氏も憤る。 「捜査が終了した場合、被害者担当の捜査員がご遺族を訪ねて納得のいく説明をするのは当たり前の話だろ」 「それがないまま5年以上も放置されているなんて、まずあり得ない話だよ」 事件解決の糸口を握るのは、佐藤氏が言うもう1人の重要参考人と目するZ氏だ。 「俺がX子に聴取していた頃、捜査員が何度か足を運んだが、回数を重ねるごとに 『俺はもう捜査に協力しない』 と拒否するようになった」 (同前) 小誌が入手した捜査情報によれば、Z氏は2018年10月12日にも聴取を拒否。 その後、捜査員が接触した形跡はない。 現在、Z氏は東京を離れ、地方都市で第2の人生を送っている。 2023年7月22日正午過ぎ、白髪姿のZ氏が黒のスラックス姿で自宅から姿を現した。 小誌記者3人は、コンビニに立ち寄ったZ氏を直撃した。 ーー週刊文春の記者です。 「ちょっと今、急いでんの」 ーー2006年の事件のことで。 「17年前でしょ」 ーーその日のことを覚えていないか。 「覚えていない」 ーー2006年4月、大塚署に行ってますよね。 「言ってるけどね、そりゃあ。連絡があったから」 ーー大塚署に行かれる前、どうされていた? 「(顔を紅潮させ)あ、ちょっと。車で、車で行くから悪いけど、ついいてこないでくれる?ストーカーになるよ!」 記者が「安田種雄さん」という名前を告げると、途端に顔を紅潮させ、言葉は怒気を孕む。 「いいや、110番するぞお。ふざけんな、この野郎!」 ーーX子さんに関与の疑いが掛かっている。 「やかましんだよ、この野郎! やってもいいんだぞ、この野郎!」 ーー当時の安田種雄さんとの関係を・・・。 「だから! もう覚えておらんし、分からんて。もう本当にもう覚えていない、もう。俺は家に行ったことは確かだけどさあ」 エレベーターに一緒に乗り込もうとすると、Z氏は記者の胸を小突き、右腕を強く掴む。 血走った目を見開き、唇を震わせる。 「こんにゃろう、テメー!やってもいいんだぞ、こんにゃろう。お前ら3人ぐらいどうってことねえんだ!昔、何やったとか知っとんのか!・・・ボクサーだよ。ボクサーだけじゃねえぞ。喧嘩は得意なんだよ」 ■なぜ”木原事件”を報じるのか Z氏は記者の1人の喉元に手を掛ける。 ーー喧嘩をしに来たわけではない。 「お前らあ。損するぞ」 ーー事件の日、現場に行かれたんじゃないですか? 「もう覚えてないちゅうの。現場には行ったよ」 ーー何のために行かれたのか? 「そりゃあ、しょっちゅう見てるもん」 ーー安田種雄さんの遺族にも取材している。 「知ってるよ。見たよ。あんなの信用してんのか、お前らアレを、あいつらを」 ーーX子さんが疑われているが、Zさんが何か関与されたのでは? 「・・・それは大塚警察署によく聞いてくれよ。警視庁に」 木原氏に対し、ドラレコでの発言の有無や、任意同行を一旦拒否したこと、赤坂議員宿舎への移転の理由などを尋ねると、概ね次のように回答した。 「(俺が手を回していくなどの発言は)5年前の会話とのご指摘であり、確認のしようがありませんが、そのような趣旨のことを申し上げることはない」 「(任意同行拒否は)そのような事実はありません」 「(赤坂宿舎への転居は)23区内での生活拠点としていた義父所有のマンションを義父が売却したためです」 警視庁広報課にX子さんの取り調べ中止の経緯や木原氏の介入について尋ねると、こう回答があった。 「法と証拠に基づき、適正に捜査・調査を行った結果、証拠上、事件性が認められなかったものであり、お尋ねのような働き掛けなどなく、捜査・調査は公正に行われたものです」 佐藤氏は言う。 「これだけ事実を提示しても、露木康浩警察庁長官は 『事件性は認められない』 って言うのか」 「俺が 『捜査のイロハ』 を教えてやろうか」 ◇ 我々が報じてきた”木原事件”とは何か。 一連の記事で我々が問うてきたものは何なのか。 小誌取材班の問題意識は、当初から一貫していた。 「自身の政治権力を熟知し、それを私的に利用する木原氏は、国の舵取りを任せるに相応しいのか」ー。 官房副長官として、今や 「影の総理」 と言われるほど絶大な権力を握る木原氏について、今回の佐藤氏の証言で明らかになったこと。 それは、木原氏の 「家宅捜索も妻への事情聴取も事実無根」 という真っ赤な嘘。 捜査員に対し 「クビ飛ばせるぞ」 と凄み、 「国会が開くまでに終わらせろ」 と一方的に期限を区切った特権意識。 そして、タクシーのドラレコ映像に残された 「俺が手を回した」 発言が示唆する、権力濫用の疑いである。 佐藤氏以外の現役警察官も、皆一様に 「木原氏の存在で、捜査のハードルが上がった」 と語り、 「遺族の無念を晴らしたい」 と口を揃える。 週刊誌記者が捜査関係者からこれだけのエールを送られるのは、本来ならばあり得ない話だ。 木原事件、第2章。 その幕が上がろうとしている。 問題は「木原事件」より「警察の闇」 捜査を途中で打ち切るのは、警察当局が全容解明を望んでいないからではないかー WiLL2023年10月号 ジャーナリスト 須田慎一郎 ■『週刊文春』執念の取材 ーー「木原事件」をどう見ていますか。 ★須田 実は、2019年頃、私は木原誠二官房副長官の妻【X子】さんの元夫、安田種雄氏の不審死に関して、警察が再捜査に向け動き出している情報を得ていました。 【X子】さんが勤めていた有名な銀座のクラブで聞き込みがあり、その一件が私の耳にも届いてたのです。 また同じ時期に、私以外の第3者が、雑誌か、ネットで 「木原事件」 について取り上げているのも目にしていました。 実際に、2018年頃から、警視庁は安田種雄氏不審死の再捜査に入っており、新聞・テレビ各社の大手メディアの一部でもそれらの動きには気付いていた。 現役国会議員で、将来を嘱望されている木原氏が絡む話ですから、俄然、興味を持った私は、独自取材を行ったのですが、安田種雄氏の親族や友人関係に行き着くことがどうしても出来ませんでした。 そうこうするうちに、翌年2020年2月からコロナショックが始まったため、取材どころではなくなり、頭の片隅に追いやられていったのです。 それから3年が経ち、『週刊文春』(2023年7月13日号)のスクープ <岸田最側近 木原副長官 衝撃音声「俺がいないと妻がすぐ連行される」> を読み、「あっ」と思い出したのですが、既に私の取材ノートは散逸し、メモも見つからない状況でした。 『週刊文春』が「木原事件」をスクープ出来たのは、安田種雄氏の父親を特定し、取材することが出来たからです。 その『週刊文春』の執念は「凄い」と言わざるを得ません。 特定した方法については深く詮索をしませんが。 今回の「木原事件」以前に、『週刊新潮』では、木原氏の愛人と隠し子疑惑についてスクープしています。 本人は否定していますが、『週刊文春』は後追いで隠し子について報じました。 『週刊新潮』が、なぜ安田種雄氏の不審死についてスクープ出来なかったのか。 情報を得ていたとは思いますが、私と同様に安田種雄氏の親族に『週刊新潮』も取材することが出来なかったからではないでしょうか。 ■2つの疑問 ーー安田種雄氏の不審死事件において、2つの疑問があります。 1つ目は、自殺なのか、他殺なのか。他殺であれば真犯人は誰か。 2つ目は、なぜ、2018年に再捜査が始まったにもかかわらず、たった半年で立ち消えになってしまったのか。政治的圧力があったためではないか。 ★須田 果たして『週刊文春』は、安田種雄氏の「不審死」の取材を通じて、どのように読み解いたのか。 まず、その”構図”を正確に理解しておく必要があります。 2023年7月27日号までを読むと、安田種雄氏の殺害に深く関与しているのは【X子】さんだなと判断出来ます。 ところが、2023年8月3日号に捜査を担当した、警視庁捜査1課の佐藤誠警部補(当時)のロングインタビューが掲載され、最後の最後に【X子】さんの父親で、元公安刑事、殊勲者であるZ氏が突発的に殺害したのではないか、と話している。 つまり、真犯人は【X子】さんではなく、Z氏ではないかと匂わせているのです。 今後、Z氏が真犯人であることを『週刊文春』はどのように報じるのでしょうか。 その点を注視したく思います。 先述したように『週刊文春』2023年8月3日号が、実行犯としてZ氏の存在を匂わせた記事を発売した翌日(2023年7発28日)、取り調べに当たった佐藤氏が記者会見を開きました。 私は一体どういう話が出るのか、会見の様子を固唾を呑んで見守りました。 【X子】さんが真犯人と裏付けるような話が出てくるのか、木原氏が捜査を打ち切るよう圧力を掛けた事実を語るのではないか、と。 結果から言えば、記者会見の内容は、完全に肩透かしでした。 佐藤氏は『週刊文春』で既に語っていたように 「Z氏が犯人だと思っている」 とし、その根拠を問われ、 「感触ですよね、勘」 とのこと。 ネット上で批判を浴びる結果となりました。 また、 「(あの殺し方は)どうやったって女では出来ない」 とも言っています。 「何だ、やっぱり真犯人は【X子】さんではないのか」 と落胆せざるを得なかった。 【X子】さんの実父は元公安刑事でした。 佐藤氏の勘が当たっているとして、Z氏が真犯人だとすれば、警察当局全体の汚点です。 その点も再捜査を打ち切る大きな要因となったのでしょう。 他にも考えられることはあります。 【X子】さんの元夫、安田種雄氏は覚醒剤依存症で、DV男だった。 そのため、家庭内が修羅場になり、娘を救うため、Z氏が仕方なく安田種雄氏に手を下した・・・。 以上はあくまでも私の想像ですが、仮にそうした状況があった場合に、果たして事件化すべきかどうか、当局も判断に迷ったことでしょう。 被害者は覚醒剤依存症だから、不問に付すと判断した可能性も十分考えられます。 もちろん絶対にあってはならないことですが。 ーー木原事件を総括すると、どのような観点が浮かび上がりますか。 ★須田 やはり警察に問題があると見ています。 事件性の有無について捜査するべきなのに、自殺として処理してしまった。 そのことが再捜査によって明らかになったとしたら、それこそ警察の威信に関わります。 佐藤氏も指摘していましたが、大塚警察署の初動捜査で顕著な捜査ミスがあったのでしょう。 現場が血だらけだったのにもかかわらず、自殺に使ったと言われるナイフの刃の部分に少しだけ血が付着し、柄は綺麗な状態だったとのことです。 明らかに不自然です。 今の警察の捜査では、不審死の際、検視官が現場に立ち会うことが義務付けられていますが、事件が発生した当時(死亡推定時刻:2006年4月9日夜10時)は、そのような義務がなかったことも捜査ミスを誘発したと考えられます。 捜査を打ち切る事情を抱えていたのは、木原氏側ではなく警察側にあったのではないか。 また、再捜査が始まった頃、【X子】さんの相談相手で、重要参考人のY氏は、覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された末、宮崎刑務所に収監中だった。 そうなると、 【X子】さんも薬物と関りがなかったのかどうか。 だから、佐藤氏が、【X子】さんを取り調べる際、 「シンナーもやってたろ」 とカマを掛けたのでしょう。 【X子】さんは 「やっていません」 と否定しています。 それ故か、大塚警察署は【X子】さんの拒否もあり、採尿・採血検査を実施していません。 その点も不可解です。 安田種雄氏の親族は真相解明を望んでいるでしょうが、全容をつまびらかにすることで、警察当局の問題が明るみに出ることは、警察当局が望んでいないのではないか。 だから、「自殺」と断定し、事件性はないとして、揉み消そうとしている・・・。 「木原事件」を通じて痛切に感じるのは、警察組織の闇の深さです。 そして、もう1つの疑問、政治的圧力があったのかどうか。 2018年10月頃、【X子】さんが警視庁本部での取り調べを終えると、タクシーに乗り帰宅しました。 途中で木原氏が同乗し、タクシー内での2人が会話している映像と音声がドライブレコーダーに記録されていたのです。 捜査員はそのドライブレコーダーを回収、つぶさに分析しました。 20分以上に及ぶ動画だったそうですが、木原氏は【X子】さんの手を握り、 「俺が手を回しておいたから心配すんな」 「刑事の話には乗るなよ」 「これは絶対言っちゃだめだぞ」 「国会が始まれば捜査なんて終わる」 「刑事の問いかけには黙っておけ」 「そんなもん、(佐藤刑事の)クビ取って飛ばしてやる!」 と言っている姿が映っていたのです。 つまり、木原氏が捜査当局に圧力を掛け、事件化させないよう、揉み消したのではないかという疑惑が浮上しました。 捜査を担当した佐藤氏は、2023年7月28日に開かれた記者会見で、 「(捜査の)終わり方が異常だったんですよ」 「普通の終わり方じゃない」 「今まで殺し(殺人事件の捜査)を100件近くやってるんですけど、こんな終わり方はないんですよ」 「自然消滅したみたいな」 と言っています。 木原氏が政治的影響力を行使し、事件の再捜査を妨害したり、揉み消したのなら、それこそ岸田政権の存続を揺るがしかねない一大スキャンダルに発展します。 ■マスコミのダンマリ ーー「木原事件」について、新聞・テレビなどの大手メディアはなぜ報じないのか。『週刊文春』が提示した疑惑を目に見える形で検証し、問題点を追及しないのかは不可解です。 ★須田 検証した結果、真犯人は【X子】さんではなく、安田種雄氏は自殺であり、事件性はなっかたという結論だったとしても、その事実を報じるなら、メディアとして責務を果たしたと言えます。 もちろん『週刊文春』と同じく、殺人事件という結論でも同じです。 確かに社会部報道においては、「事件」と「疑惑」は峻別しなければなりません。 「事件」は、強制捜査や家宅捜索、事情聴取など、警察側で具体的な動きがあること。 「疑惑」は、「このような疑惑がある」という不確定な容姿が孕んでいるもの。 「疑惑」報道は週刊誌などに多いですが、新聞・テレビでも、疑惑報道をすることはあります。 そこから警察当局が具体的に捜査に乗り出し、事件化するケースも過去に山ほどある。 ところが、新聞・メディアは疑惑報道すらしない。 『週刊文春』の後追い報道に対して負い目があるのかもしれませんが・・・。 一方で、警視庁・警察庁から以下のような公式発表がなされていることも報じない理由の1つかもしれません。 2023年7月13日、記者クラブ加盟社の記者を集めて、露木康浩警察庁長官の定例記者会見が行われました。 終了間際、テレビ局の記者が木原氏を巡る一連の疑惑について質問したところ、露木氏は 「過去に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしています」 と答えています。 また2023年7月28日、警視庁の國府田捜査1課長は報道各社に説明をし、 「事件性がない」 と、ハッキリとしたスタンスを示したため、大手メディアは動くに動けなかったのではないか。 更に言えば、マスコミは警察当局との関係が断たれることを恐れているのではないでしょうか。 現役の新聞記者たちに聞くと皆否定しますが、警察庁や警視庁を批判的に扱うと、記者クラブから締め出され、有力情報が得られないのではないか。 とは言っても「木原事件」を一般読者に伝えないのは、メディアとしての役割を果たしていないという謗りを受けても致し方ありません。 新聞、テレビが報じない木原事件 全ての疑問に答える 週刊文春2023年8月10日号 ▼実名告発警視庁取調官が遺族に語ったこと ▼現役刑事も告白「捜査が止められた訳を聞きたい」 ▼「これは殺人」最大根拠は凶器から滴り落ちた血 ▼ボサボサ頭、無精ひげ木原副長官異変あり ▼「遺体を移動させたのは誰か?」捜査メモ独占入手 ▼自民幹部が小誌に「疑惑のナイフ」「副長官失格!」 遂に”木原事件”が動いた。 木原副長官の妻X子さんの取調官だった佐藤誠元警部補が会見を開いたのだ。 「事件性なし」 と主張し続ける警察の矛盾、再捜査の行方、木原氏の”議員特権”ー小誌だから書ける事件の全て。 2023年7月28日午後1時から約1時間に渡る記者会見を終えた警視庁捜査1課殺人犯捜査第1係の佐藤誠元警部補は、煙草を1本燻らせると 「俺のこと、待っているんだろ」 と呟き、忙しなく文藝春秋本社ビル4階の応接室に向かった。 彼の到着を待ち侘びていたのは、安田種雄さん(享年28)の両親、長姉、次姉の4人。 佐藤氏が応接室のドアを開けた瞬間、中央に座った母が堰を切ったように涙を流し、 「ありがとうございました」 と声を震わせる。 ★佐藤氏 「取調官の佐藤です」 「捜査の基本はやっぱり被害者なんですよ」 ★長姉 「そう言って頂いて、本当に心が楽になりました」 「そういう対応をされたことがないので」 佐藤氏は約17年前の事件ゆえに 「証拠が乏しかった」 と率直な想いを吐露する。 ★佐藤氏 「捜査っていうのは、過去の再現」 「証拠で過去を再現しなきゃいけないんですよ」 「その証拠を見て過去が再現できるか」 「となると、供述だけじゃ難しい」 この日(2023年7月28日)、初めて顔を合わせた5人が視線の先に見据えていたのは事件の解決に他ならない。 彼らは安田種雄さんと当時の妻X子さんの夫婦関係に着目し、それぞれ意見を交わし合う。 ★佐藤氏 「これはね、離婚、2人の子供の親権争いだと思うんですよ」 ★母 「それ、ありました・・・」 ★佐藤氏 「子供はX子が引き取るか、種雄君が引き取るかね。そういう話で揉めたと思うんですよ」 ★母 「種雄が(子供たちを)引き取るって言っていました・・・」 「『お母さんも面倒見て』って」 ★佐藤氏 「そんなの自殺するはずがないでしょ」 ★長姉 「未だに、あいつ(種雄さん)が死んでいるのが、しっくりこないんですよね」 ★佐藤氏 「被害者の方はずっとそんな気持ちを抱き続ける」 「泥棒や詐欺を捕まえるのは金とかの話ですけど、命を扱うとなるとね、やっぱり被害者が大事なんです」 約1時間半の面会。 その途中で母が嗚咽を漏らし、過呼吸に陥った。 亡き息子の名を口にする度に、17年前の悪夢に引き戻される。 佐藤氏が会見で語った事件の片鱗は、安田種雄さんが確かに殺害されたという残酷な現実そのものだった。 面会の最後、ようやく立ち上がった母は慟哭しながら佐藤氏の手を握る。 そして、言葉を振り絞った。 「あなたのおかげです」 「泣かないと約束してきたんですけど、我慢できませんでした・・・」 ◇ 2006年、木原誠二官房副長官の妻X子さんの当時の夫だった安田種雄さんが”怪死”した事件。 2023年7月27日発売の小誌前号は 「木原事件 妻の取調官<捜査1課刑事>実名告発18時間」 と題し、2018年の再捜査の際にX子さんを約10日間取り調べた佐藤氏の告発を13ページに渡り掲載した。 ■<ポイントは体位変換> 佐藤氏は捜査1課一筋18年、過去100件近くの取り調べを経験し、 「オトせないホシ(容疑者)はいない」 と評される”捜査1課のレジェンド”である。 佐藤氏の告発は詳細を極め、事件の経緯やX子さんの取調室での言動がリアルに浮かび上がった。 佐藤氏が記者会見を開いたのは小誌前号の発売翌日、2023年7月28日午後1時のことだ。 露木康浩警察庁長官が2023年7月13日の定例記者会見で、安田種雄さんの不審死について 「事件性は認められない」 と説明したことを念頭に、会見の冒頭で次のように語った。 「この事件を 『事件性がない』 とか 『自殺だ』 とか言ってるんでカチンときたんですよ」 「被害者に対して火に油を注ぐようなことを言っているなと」 「結局、自殺とする証拠品は存在しないんですよ」 「断言しますけど、事件性ありですからね」 会見終了後、ネットを中心に賛否が吹き荒れた。 その1つが、事件性を裏付ける根拠に関するものだ。 会見で佐藤氏は 「(事件現場の)写真を見れば分かるじゃないですか」 「遺体を動かしたりしてるんで、血がこっちに付いたり」 と言うに留めた。 それに対し 「根拠が薄いのではないか」 という批判が沸き上がったのだ。 では、なぜ事件性はあると言い切れるのか。 今回、小誌は2018年の再捜査に携わった捜査員を再び訪ね歩き、佐藤氏の証言を裏付ける重要な捜査メモを入手した。 2018年12月、佐藤氏と共に捜査に当たったベテラン捜査員が事件を分析したものだ。 捜査メモには、X子さんや、彼女と親密な関係にあり、捜査員の間でキーマンと見られていたY氏の名前を交え、こう記されている。 <ポイントとなるのは、種雄の体位変換> <種雄の父やYが体位変換を行っていないとすると、X子の行為とすることが自然である> <それを解く鍵は、体位変換による流動血の移動だ> ■現場に残された血液の足跡 ここから読み取れるのは、血痕などから、何者かが種雄さんの遺体を動かした痕跡があるということ。 ベテラン捜査員はメモの中で 「誰が遺体を動かしたのか」 を考察しているのだ。 更に、捜査メモは次のように続く。 <廊下の血痕は、凶器から滴下したもの> <更に、室内の黒色マット上と階段には血液の足跡が付着している> <こうした犯行現場の状況から【何者か】が凶器を持ち出し、1度部屋を出たことが推察される> <時期はいつか> <ナイフには付着する血痕が滴下するタイミング、つまり犯行直後と考えられる> (注・【】は編集部) では何故、遺体を動かす必要があったのか。 メモはこう続く。 <X子が体位変換したとするなら、自殺と偽装するために、ナイフを握らせようとしたことで体位変換してしまったと考える> 一方、黒いマットの上に付いた血液の足跡については、こう分析されていた。 <X子は凶器を持って1度部屋を出た後、Yに電話している> <そのことを考えると、足跡は最初に付いたものではない> <電話の後、種雄の部屋に入り、血痕を踏みしめて形成されたものだと考えられる> <自殺偽装に失敗し、部屋の中で地団駄を踏み、その足跡が黒色マットに付いたのではないか> ある捜査員が絶対匿名を条件に解説する。 「遺体のズレや現場に残された血痕を分析すれば、やはり自殺とはどうしたって考えられないのです」 血痕という証拠に加えて再捜査において重要な役割を果たしたのは、Y氏の供述である。 この頃のY氏は覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された末、宮崎刑務所に収監されていた。 捜査員は約30回の面会を繰り返し、20数回目にして 「事件当日の夜中、X子から 『種雄君が刺せと言ったので、刺しちゃった』 と電話があった」 との供述を得ていた。 佐藤氏の考察は、こうした膨大な情報から導き出されているのだ。 それだけではない。 会見でも多くの質問が飛んだのが、小誌前号で佐藤氏が 「ホシだと思っている」 と述べたZ氏についてである。 会見の場で、Z氏がホシである根拠を聞かれた佐藤氏は 「感触ですね、勘」 と一言。 だが、その発言はネット上で 「根拠がない」 と批判を浴びた。 なぜ佐藤氏はZ氏を”ホシ”だと考えたのか。 佐藤氏が改めて真意を語る。 「言い方が乱暴だったかな」 「刑事の勘には当然、根拠がある」 「取調官には、各種の証拠品やYの供述、参考人聴取の調書に至るまで、全ての捜査資料が集まるわけよ」 「会見では『勘』と言ったけど、それらの資料を細かく分析し、登場人物を消去法で絞っていけば、自ずと最後に残るのがZしかいないってことだ」 実は、事件当日(2006年4月9日)の夜7時半、Z氏は安田種雄さん夫婦が暮らす一軒家を訪れ、 「仲良くしなくちゃ駄目だぞ」 「しっかりやれよ」 という言葉を投げかけている。 「それはX子の調書に残されている」 「そして同日夜(2006年4月9日)、Zは大塚署に種雄さんの家庭内暴力について相談に行っている」 「そのことは大塚署の記録にも残っていた」 「それだけ切迫した状況だったということだ」 「そして死亡推定時刻も同日(2006年4月9日)夜」 「当時、捜査1課はZに対して任意聴取を重ねようとしたけど、途中で拒否された」 (佐藤氏) 佐藤氏が会見で語ったのは、こうした事件の見立てばかりではない。 とりわけ強調していたのは、当時木原氏が捜査に対し、政治的影響力を行使していた疑惑である。 2018年10月以降、X子さんは聴取を終えると木原氏と合流し、警視庁本部からタクシーに乗車し、帰宅。 捜査員が車内のドライブレコーダーを回収し、分析したところ、後部座席に座った木原氏が沈痛な面持ちのX子さんの手を握り、次のような言葉を投げかけていた。 「俺が手を回しておいたから心配すんな」 「刑事の話には乗るなよ」 「これは絶対言っちゃ駄目だぞ」 「それは罠なんだから」 佐藤氏の脳裏には未だに、その衝撃的な映像が焼き付いているという。 「木原氏が 『手を回しておいた』 とハッキリ言っていたのは間違いない」 「他にドラレコの映像で覚えているのは、木原氏の口からYの名前が出たこと」 「『X子は木原氏にそんなことまで話しているのか。開き直ってんじゃねえか』 と驚いた記憶がある」 (佐藤氏) 佐藤氏だけではない。 実は小誌の取材に対し、複数の捜査員がドラレコの存在を認めている。 木原氏が 「俺が手を回した」 と語った決定的証拠。 ではドラレコは今、どこにあるのか。 当時の捜査1課の管理官の1人に尋ねると、 「捜査をやめようとなっても、資料はちゃんと保管する」 「捜査結果は全部、刑事部長まで報告するけど、その部長は(人事異動で)代わるわけだから」 更に、元捜査員の1人も一般論として 「任意提出してもらった証拠を消すなんてことは絶対ない」 「警視庁で間違いなく保管している」 と断言するのだ。 また、佐藤氏は木原氏の捜査への”介入”について、こう語っている。 ■木原氏が行使した”特権” 「当初から木原氏は 『国会の招集日までに取り調べを終わらせろ』 と捜査幹部に話をしていたと聞いている」 「理由として 『国会が始まれば、妻の取り調べの間、子供の面倒を見られない』 と言うわけだよ」 小誌は前号で、ドラレコに記録されていたタクシーでの発言内容に加え、木原氏が捜査幹部に 「国会召集前までに取り調べを終わらせろ」 と要求したことについても木原氏に質問。 木原氏は書面で 「5年前の会話とのご指摘であり、確認のしようがありませんが、そのような趣旨のことを申し上げることはない」 と回答していた。 更に2023年7月28日には、X子さんの代理人弁護士が司法記者クラブに<ご通知>と題した文書を送付。 日弁連に人権救済の申し立てをしたことに加え、こう記されている。 <記事中、佐藤氏は、木原氏が 「国会の招集日までに取り調べを終わらせろ」 と言及したなどとありますが、これは事実に反しています> だが、捜査の全容を知る立場にあった捜査幹部はこう明かすのだ。 「『国会が始まれば子供の面倒を見られなくなるから、招集日までに終わらせろ』 という話は、確かに自分も記憶している」 「そうすると、その国会が終わって次、聴取できるのはいつになるんだ、と思った」 なぜ、木原氏は取り調べの期限を指定できるたのか。 元捜査員の1人は、次のように解説する。 「一般人であれば 『いつまでに聴取を終わらせろ』 という要求は出来ないし、通るわけがない」 「ましてX子さんは”重要参考人”と見られていた」 「一方で警察側も、相手が国会議員の関係者である以上、一般人より慎重に扱わざる得ない」 「木原氏はそうした警察側の立場も見越して、一方的な要求を突き付けたのでしょう」 「そうした態度は、国会議員という”特権”を振りかざしていることに他なりません」 実際、木原氏の要求通り、臨時国会開会前の2018年10月下旬に取り調べは終了した。 佐藤氏が佐和田立雄管理官(当時)から 「明日で全て終わりだ」 と告げられたのだ。 佐藤氏は 「国会が終わったら取り調べ再会だろう」 と高を括っていたが、結局国会が終わっても、佐藤氏が再びX子さんと対面することはなかった。 なぜか再開することのなかった取り調べ。 会見で佐藤氏は、次のように語っている。 「終わり方が異常だったんですよ」 「普通の終わり方じゃない」 「今まで殺し(殺人事件の捜査)を100件近くやってるんですけど、終わり方がね、こんな終わり方はないんですよ」 「自然消滅したみたいな」 異常な終わり方とは、どのようなものだったのか。 2018年春以降、木原事件の再捜査は大塚署、捜査1課特命捜査第1係(トクイチ)、殺人犯捜査第1係(サツイチ)の精鋭30〜40人が集まり、特別捜査本部さながらの規模でスタートしている。 だが、捜査は不可思議な経過を辿る。 佐藤氏はこう語る。 「(2018年)10月下旬にX子の調べが終わった時点で、大塚署とサツイチはいなくなったんだよ」 「だから、実質捜査は終わっているわけだ」 「中心となって捜査していたサツイチの係長がトクイチに異動になったのは、同年(2018年)12月」 「それ以降は大幅に人員が削減されて、4〜5人の特命係が担当していただけなんだ」 小誌が入手した捜査メモは、その後の捜査の推移を裏付けるものだった。 翌年2019年の2月23日、捜査員は銀座の高級クラブが多数入居するビルを訪れ、X子さんが当時働いていたクラブの特定を進めた。 更に、木原氏が所有する東村山市のマンションや、X子さんの父が所有していた豊島区南大塚の物件など、合計4カ所に捜査員を派遣しているのが確認できる。 だが、同年(2019年)5月10日、最後の砦だった東村山の捜査の拠点が解除されたのだった。 「係長が上司から 『もうやらなくて良い』 と言われ、それでも捜査していると 『何やってんだ』 と言われて」 「その後は自然消滅だよ」 「(2019年)5月以降、俺は別の未解決事件の捜査をやることになった」 (佐藤氏) ■「身だしなみは整えていた ”異常な終わり方”に違和感を覚えていたのは、佐藤氏だけではない。 合同捜査がスタートした当時、中心的な役割を担っていた現役刑事は小誌の取材に対し、次のように本心を明かす。 「(捜査が)止められた訳を、自分たちもちゃんと聞きたいくらい」 「捜査員は皆そう思ってるんじゃないかな」 「説明はなかった」 「時代が変われば出来るのかしれないよね」 「あの時のメンバーは皆悔しいと思う」 「殺人事件だから時効はない」 「いつまた動き出すか分かんないからね」 そして、こう本音を漏らすのだった。 「諦めてはいない」 ◇ 2023年7月24日午後1時、安田種雄さんの父と2人の姉が向かったのは、事件発生から何度も足を運んだ大塚署だった。 その7日前(2023年7月17日)、遺族は捜査の継続を求める上申書を大塚署に提出。 この日(2023年7月24日)は捜査1課の担当者から説明を受ける予定だった。 携帯電話を一時没収され、1人1人ボディチェックを入念に受ける。 まるで被疑者のような扱いに失望しながら部屋に入ると、捜査1課の担当者が 「事件性は認められません」 「捜査は尽くしています」 と繰り返すのだった。 安田種雄さんの次姉が悔しさを露わにする。 「報道前、最後に警察側から説明があった2019年2月には、担当の方が 『捜査態勢は縮小しますが、続けます』 と話していた」 「なのに今回は根拠も説明せず 『捜査は終わっています』 『当時の捜査員がいないので、終わった時期は分かりません』 と言うのみでした」 捜査1課の担当者は、定例会見での露木康浩警察庁長官のコメントに平仄を合わせるかのような回答に終始し、遺族を絶望させたのだ。 更に、2023年7月28日の佐藤氏の会見の直後には、國府田(こうだ)剛捜査1課長が定例レクを開催。 國府田氏もこう説明した。 「現場の状況から争った状況が認められず、事件性が認められない」 「自殺と考えて矛盾はない」 「事件性がない以上、捜査すべき人も認められない」 だが、安田種雄さんの次姉はこう訴えるのだ。 「再捜査スタートの時に提出していた血の付いたカーゴパンツやタンクトップなど複数の遺品は、未だに返却されていません」 警視庁は 「事件性はない」、 つまり自殺だと結論付けているのであれば、なぜ遺族に遺品を返却しないのか。 佐藤氏は言う。 「本当に『自殺』と断定しているなら、とっくに遺族に遺品を返しているはずだ」 「捜査に必要ないものなんだから、それを返していないってことは、結局自殺とは断定出来ていないということなんじゃないかな」 遺族へのボディチェックの理由も含めて警視庁に尋ねると、 「(ボディチェックは)一般的に、施設管理権に基づく確認を行っています」 「捜査の具体的内容についてはお答えを差し控えます」 佐藤氏の実名会見を経ても尚 「事件性はない」 と繰り返す警察側。 本当に、再捜査の可能性はないのか。 元東京地検特捜部副部長の若狭勝氏は言う。 「被害者遺族が告訴人となり、被疑者不詳のまま殺人罪で刑事告訴をするという手段があります」 「これは遺族の告訴権に基づくもので、捜査機関には、告訴をされたら受理しなければならないという義務が課せられている」 「更に、警察は告訴を受理すると、検察庁に事件を正式に送付しなければならない」 「検察が調べた上で不起訴にした場合は、検察審査会に 『不起訴処分は不当だ』 と申し立てることもできます」 一方、佐藤氏は実名会見で捜査内容について言及。 これについて、國府田捜査1課長は前述の定例レクで 「元捜査員が情報を漏洩したのであれば遺憾に思う」 とコメントした。 地方公務員法第34条では 「職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする」 とされる。 國府田氏はこの法律に抵触する可能性を仄めかしたのだ。 では、実際に佐藤氏が罪に問われることはあるのか。 「形式的には同法違反に該当する可能性は高いですが、実際に処罰するのは難しいでしょう」 「佐藤氏は私怨で告発しているのではなく、 『殺人事件をなかったことにしていいのか』 『きちんと捜査して、犯人に刑事処分を下す必要があるはずではないか』 という義憤に駆られて声を上げており、その訴えの公共性は極めて高い」 「処罰すれば世論の反発も避けられません」 (前出・若狭氏) 実際、内部を取り締まる警視庁警務部人事1課の幹部も、周囲にこう漏らしているという。 「本音を言えば、面倒臭い」 「これは厄介だよ」 ◇ 小誌が事件についての報道を始めてから約1カ月。 木原氏は公の場から姿を消し、詳細な説明を避け続けている。 「2023年7月中旬に岸田文雄首相は中東を訪問」 「これに同行するのは木原氏の予定でしたが、直前になって、磯崎仁彦官房副長官に交代になった」 「官房長官が不在の際の代理会見も磯崎氏ばかり」 「おかげで磯崎氏の記者対応が上手くなったと評判です」 (政治部記者) だが実は、小誌報道後、木原氏は周囲にこんな姿を見せていた。 「2023年7月18日の閣議に、髪はボサボサ、髭も伸び放題という姿で現れたのです」 「閣僚たちも 『大丈夫なのか。あれで副長官を続けられるのか』 と驚いていたそうです」 (同前) かつては議員会館で美顔ローラーを顔に当てる姿が目撃されるなど、美意識の高さで知られた木原氏の”異変”。 木原氏に尋ねたところ、書面で 「前日に散髪したばかりであり、身だしなみは整えておりました」 と回答があった。 そんな木原氏を巡り、自民党内からも厳しい意見が噴出している。 自民党の最高幹部の1人は、小誌の取材にこう言い放つのだ。 「この事件は”疑惑のナイフ”だよ」 「官邸の危機管理を担う副長官が疑惑に関わっている上、対応も稚拙」 「副長官失格だ!」 2023年7月下旬には、茂木敏充幹事長が周囲にこう本音を漏らしたという。 「普通、自分から辞めるけどね」 なぜ、木原氏は辞任しないのか。 木原氏をよく知る官僚は言う。 「木原氏は岸田首相と”一心同体”だからです」 「党総裁選出馬に当たり、政策を書いたのも木原氏なら、一世を風靡した『岸田ノート』をアピールするよう進言したのも木原氏」 「岸田政権誕生後は 『総理に上がる案件は全部、自分の所へ持ってこい』 とあらゆる政策に口を出し、岸田首相も自分の所に案件が上げられる度 『ちゃんと木原は見ているのか』 と確認してきた」 「だから木原氏は軽々に辞められないし、岸田首相も更迭させられないのです」 実際、岸田首相は周囲にこう語り、木原氏を擁護しているという。 「彼自身が何かしたわけではないだろ」 「事件があった時には夫婦じゃなかったんだから」 目下、永田町で囁かれているのは、内閣改造の前倒しである。 「これまで2023年9月中旬と見られていましたが、2023年8月下旬に早める可能性が出てきました」 「2023年8月末と見られてきた日米韓首脳会談が2023年8月18日に決まり、2023年8月下旬が空いたからです」 「それ以前に木原氏を更迭すれば疑惑を認めることになるため、内閣改造で交代させ、幕引きを図るという目論見です」 (政治部デスク) このまま幕引きを許してはならない。 木原事件 噓つきは5人いる 捜査幹部が「あのドラレコは・・・」 週刊文春2023年8月31日号 木原官房副長官の妻の元夫”怪死”事件。 遺族は再び警視庁捜査1課の担当者に呼び出された。 だが、その説明は不可解そのものだった。 次々と浮上する矛盾、漏れ伝わる捜査幹部の反論。 嘘を付いているのは一体、誰だ? 「捜査の結果、部屋の状況やご遺体の状況から、争ったような跡は認められなかったんですね」 「自殺と考えて矛盾はありません」 2023年8月9日午後4時、警視庁世田谷署内の一室。 捜査1課特命捜査第1係長のW警部は、安田種雄さん(享年28歳、事件は2006年4月10日)の父、2人の姉と向き合うと、事前に用意された”模範解答”を淀みなく披露した。 遺族がW係長と言葉を交わすのは、この時が初めてではない。 遡ること約3週間前。 失われた17年間の悲痛な想いを文字に込め、捜査の継続を求めた上申書を提出した遺族に対し、W係長は 「捜査は尽くしています」 と繰り返した。 遺族の希望は打ち砕かれ、警察への不信感が俄かに沸騰した。 そして迎えた2度目の面談。 W係長の口から飛び出したのは、驚くべき説明だった。 「この写真を見て下さい」 「現場の廊下にあった滴下血液ですがー」 ◇ 小誌は2023年7月13日号以降、1カ月超に渡り、政権中枢を担う木原誠二官房副長官の妻X子さんが、かつて結婚していた安田種雄さん(享年28)の不審死事件に関し、重要参考人として事情聴取や家宅捜索を受けていたと報じてきた。 X子さんの取調官だった佐藤誠元警部補が実名で小誌の取材に応じ、2023年7月28日には記者会見を開くという異例の経過を辿った”木原事件”。 だが警察側は、2023年7月13日に露木康浩警察庁長官が 「証拠上、事件性が認められない」 とコメントして以来、その姿勢を崩そうとしない。 佐藤誠元警部補の実名告発をもってしても、尚、真相が明らかにならないのは何故か。 事件を巡って 「嘘」 を付いているのは、一体誰なのかー。 小誌は今回、本当に事件は 「自殺と考えて矛盾はないのか」、 新たな証言を得た。 再捜査の最中だった2018年10月上旬。 捜査1課殺人犯捜査第1係(サツイチ)のメンバーら4〜5人で構成される 「証拠班」 の1人が裁判所に持ち込んだのは、関係先を捜査するための 「捜索差押許可状」 の申請に必要な 「一件書類」 だった。 供述調書、実況見分調書、そして数十枚の写真の束。 それは厚さ15cm以上に及んだが、最も重要な書類は、法医学者の鑑定書と意見書である。 ■「自殺と考えるのは無理」 サツイチのメンバーが着目したポイントの1つは、安田種雄さんの遺体に付いたナイフの傷だった。 安田種雄さんの死因は失血死で、遺体にはナイフを頭上から喉元に向かって刺したとみられる傷があり、ナイフは仰向けに倒れていた安田種雄さんの右膝辺りに置かれていた。 つまり、自殺とするならば、安田種雄さんが自らナイフを喉元に突き立てた上で、それを自ら引き抜き、自身の足元に置く必要があるのだ。 佐藤誠元警部補が語る。 「当時、証拠班は豚の肉を用意し、ナイフで刺した場合の血の付き方などを細かく分析していた」 「更に、法医学者にも検証を依頼」 「その結果、 『事件の可能性が高い』 という結論を得て、鑑定書を書いてもらったんだ」 当時の経緯を知る捜査幹部も断言する。 「再捜査の際に法医学者に分析を依頼したのは事実」 「その結果、 『傷の状況から、1回刺したものを本人が引き抜くのは、筋肉の性質的に難しい』 『自殺と考えるのは無理がある』 というような回答を得ました」 この鑑定書を含む 「一件書類」 を裁判官は半日がかりで精査。 その結果、 「事件性がある」 という相当な理由が認められたため、捜索差押許可状が発布された。 つまり、法医学者も裁判所も 「他殺の可能性がある」 と判断していたのだ。 にもかかわらず、遺族に対して 「自殺と考えて矛盾はない」 と強弁したのが、冒頭のW係長である。 W係長の奇妙な説明の1つが、ナイフについてだ。 遺体の第1発見者となった安田種雄さんの父は 「あまり血は付着していなかった」 と振り返る。 また、2018年に再捜査が行われる発端となったのも、大塚署の女性刑事がナイフの血の付き方に着目し 「誰かが血糊(ちのり)を拭き取ったのでは」 と疑念を抱いたからだった。 だが、W係長は遺族にこう語ったのだ。 「ナイフは本人が引き抜いたと考えて矛盾しない」 「ナイフを抜く時、硬い筋肉で血が拭われたんです」 それだけではない。 小誌2023年8月10日号で、”事件性アリ”の決定的証拠である <捜査メモ> の内容を報じた。 小誌が入手したのは、2018年12月12日付の捜査メモ。 作成者は2018年春から一連の捜査を指揮していたサツイチの係長(当時)である。 警察庁から広域技能指導官に指定されたベテラン刑事が着目したのは、廊下に滴り落ちた複数の血痕だった。 <廊下の血痕は、凶器から滴下したもの> <(中略)こうした犯行現場の状況から何者かが凶器を持ち出し、1度部屋を出たことが推察される> 現場となった安田種雄さんの自宅の廊下に血痕が残されており、これが殺人事件であることを裏付ける重要な証拠だったのだ。 小誌報道を読んだ遺族は、W係長との2度目の面談の前に、事前にこの点についても質問。 これに対し、面談の席でW係長が用意してきたのは、A4用紙2枚にプリントされた写真だった。 1枚目は遺体の搬送前、2枚目は搬送後のものだという。 搬送後とされる写真に写された和室の戸の桟付近には、直径1cm程度の血液痕が2つ落ちていた。 W係長は遺族に対し、こう釈明したのだ。 「遺体を部屋から出して階段を降りる時、スイッチバック(険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から概ね反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた道路又は鉄道線路)みたいにしないと出せないと思うんです」 「搬送の際に廊下に血液が付いたと考えて間違いない」 しかし、 「搬送前」 とされる写真に同じ場所が写されたものはなく、搬送の際に血液が落ちたことを裏付ける証拠はなかった。 遺族はただ首を傾げる他なかったという。 前出の佐藤誠元警部補も 「搬出の際に血液が付くなんて100%あり得ない」 と語る。 「俺は約1500体の遺体を扱ってきたけど、必ずグレーのチャック付きの遺体収納袋に詰めるので血が滴ることは絶対ないだろ」 「事件が起きると現場鑑識が臨場して写真を撮影して、指紋やDNAを採取する」 「現場保存の作業は3〜4時間かかる」 「そうすると、当然血は固まっている」 「搬出で滴り落ちるはずがない」 前出の再捜査の経緯を知る捜査幹部も、こう怒りを滲ませる。 「こんな説明をするなんて遺族に失礼だよね」 「事件は終わっていない」 「自分もそうだけど、捜査員で『これで終わり』って思ってる人は誰もいない」 何故W係長は遺族に 「嘘」 を重ねるのか。 それは、警察組織の 「事件性はない」 との判断に平仄(物事の順序・道理・筋道)を合わせるためだ。 では、彼らは如何にして無理筋の結論に至ったのか。 2023年7月26日の夜のこと。 警視庁の重松弘教刑事部長の執務室に集まったのは、刑事部のナンバー2である井ノ口徹参事官と、國府田(こうだ)剛捜査1課長だ。 2023年7月26日の正午には小誌電子版で、佐藤誠元警部補の実名告発を掲載した記事が、雑誌の発売に先駆けて公開されたばかり。 警視庁幹部が膝を突き合わせたのは、組織のトップの”鶴の一声”がきっかけだったという。 「露木康浩警察庁長官が 『火消ししろ』 と重松弘教刑事部長に命じたそうです」 「後輩の露木康浩警察庁長官に 『どうにかしてやれよ』 と発破を掛けたのは、元警察庁長官で現在は木原誠二官房副長官と共に官房副長官を務める栗生俊一(くりゅう しゅんいち)氏だったそうです」 (捜査関係者) 夜遅くまで続いた”3者会談”では、國府田(こうだ)剛捜査1課長が 「自殺と考えて矛盾はない」 とするロジックを披露。 捜査1課長を歴任した井ノ口徹参事官は後輩の意見に耳を傾けていたが、やがてこう口にする。 「自殺とする根拠がない」 「さすがにマズいだろう」 だが、最後は重松弘教刑事部長がその場を取り成した。 こうしたお粗末過ぎる3者会談の結果、警察は木原事件の重い扉を閉じることを決めたのだ。 そして、2023年7月28日の佐藤誠元警部補の会見の直後、國府田(こうだ)剛捜査1課長は、警察担当記者を集めた定例レクでこう言い放った。 「事件性が認められない」 「自殺と考えて矛盾はない」 「事件性がない以上、捜査すべき人も認められない」 更にー。 彼が 「嘘」 で隠そうとしているのが、木原誠二官房副長官の関与だ。 小誌は佐藤誠元警部補から、木原誠二官房副長官が捜査に”介入”したことを示唆する重要証言を得ていた。 2018年10月、X子さんは取り調べを終えると、木原誠二官房副長官と落ち合って警視庁本部からタクシーで帰宅。 捜査員が車内のドライブレコーダーを回収し、佐藤誠元警部補が分析すると、木原誠二官房副長官はX子さんにこう語り掛けていた。 「俺が手を回しておいたから心配するな」 木原誠二官房副長官の決定的な発言が記録されたドラレコ。 だが、ある捜査幹部は周囲にこう吹聴しているのだ。 「例のドラレコが存在するのは確認したが、音声が聞き取りづらい」 「『手を回した』云々という発言は、佐藤誠元警部補の思い込みなのでは」 佐藤誠元警部補の証言を火消しする説明。 だが、当の佐藤誠元警部補が語気を強めて言う。 「タクシー会社から画像データを受け取り、パソコンで視聴したが、音は鮮明だった」 「そもそも、ドラレコは捜査に不可欠なものだ」 「今回だけでなく、例えば2015年、埼玉県本庄市死体遺棄事件で指名手配されていた斎藤邦実の潜伏先を割り出した際には、関係者が乗ったタクシーのドラレコが決め手になった」 「音が聞き取りづらいなんてことがあるはずがない」 数々の 「嘘」 に糊塗され、木原事件の捜査は未だ動く気配を見せない。 ◇ 渦中の木原誠二官房副長官は、久しぶりにカメラの前に姿を見せた。 2023年8月17日、日米韓首脳会議のため訪米した岸田文雄首相に同行したのだ。 だが、この訪米同行は異例ずくめだった。 ■内閣改造で木原氏はどうなる 「木原誠二官房副長官は1度同行を辞退したのですが 『今回の首脳会談は重要だから』 と岸田首相が押し切ったそうです」 「首相の会見前には懇意のエマニュエル米国駐日大使と談笑している姿も見られた」 「ただ、木原誠二官房副長官はこの訪米の間、同行記者団へのブリーフィングを一切しなかった」 「岸田首相が”重要な首脳会談”と位置付けるからには、官房副長官自らその意義を記者団に説明して然るべきなのに、異例の対応です」 (政治部記者) 報道陣を避け、事件について世間の関心が離れることをひたすら待っているかのようにも映る木原誠二官房副長官。 首相官邸も 「嘘」 で事態の矮小化を図っているという。 小誌は2023年8月10日に合併号が発売されると1週間の休みに入るのが慣例。 この間、木原誠二官房副長官の上司に当たる松野博一官房長官は、周囲にこう語っていた。 「夏休み明けたら文春は木原をやらないらしいよ」 松野博一官房長官が、”他人事”を貫けるのは、大手メディアが事件を大きく扱ってこなかったためだ。 木原誠二官房副長官は報道当初から代理人弁護士を通じて 「文春を刑事告訴する」 と宣言し、メディア各社に 「人権侵害」 を名目に”後追い報道”には注意するよう呼び掛けていた。 「実際、2023年8月1日には立憲民主党の公開質問状に、木原誠二官房副長官側が 『当該報道については既に刑事告訴したところであります』 と回答」 「これを基に各社、木原誠二官房副長官が刑事告訴した旨を報じました」 「木原誠二官房副長官側とすれば事件を扱えば刑事告訴されるという前例を作り、メディアを牽制する意図もあるでしょう」 (前出・記者) だが、検察担当記者は首を傾げるのだ。 「東京地検が刑事告訴を受理したという話は、全く漏れ伝わってきません」 「政権幹部が関わる重大案件ですから、受理されれば伝わって来るはずですが・・・」 警視庁刑事部の幹部も小誌の取材に 「うちには特に来てないよ」 と否定。 ではいつ、どの捜査機関に刑事告訴を行ったのか。 木原誠二官房副長官事務所に尋ねたが、期日までに回答はなかった。 露木康浩警察庁長官を筆頭に、國府田(こうだ)剛捜査1課長、W係長ら警察側は、 「嘘」 で事件の本質を覆い隠す。 松野博一官房長官は 「嘘」 で事件の幕引きを図る。 そして、木原誠二官房副長官自身の 「嘘」 も発覚した。 小誌が報じて来た、木原誠二官房副長官の愛人と隠し子B子ちゃんの存在。 B子ちゃんについて、木原誠二官房副長官は小誌の取材に 「親子関係はない」 と断言してきた。 だが、現在発売中の月刊「文藝春秋」2023年9月号に対し、B子ちゃんが実子であることは 「事実です」 と認めているのだ。 目下、永田町では、2023年9月中旬には内閣改造があると囁かれる。 最大の焦点となるのは木原誠二官房副長官の去就だ。 「本人は憔悴し 『これ以上迷惑はかけられない』 と辞意を示唆している」 「その意思は岸田首相にも伝えているようです」 (官邸関係者) だが、岸田首相は周囲にこう嘯いているという。 「俺が良ければ、それでいいんだろ」 ”嘘つき”を野放しにし、事件の真相が藪の中になることはあってはならない。 木原事件 実名告発元取調官を警視庁2課が狙っている 週刊文春2023年9月7日号 2023年8月9日午後1時過ぎ、JR大宮駅周辺。 最高気温36℃の灼熱の中、滝のような汗を流しながら、落ち着かない様子で立ち尽くす数人の男たちの姿があった。 揃いも揃ってチノパンに斜め掛けのショルダーバッグ、2台の携帯電話を手に持つマスク姿の男たちは、周囲から完全に浮いている。 昼下がりの歓楽街に似つかわしくない彼らの正体はー。 小誌がこれまで報じてきた、木原誠二官房副長官の妻X子さんの元夫・安田種雄さんの”怪死”事件。 2023年7月27日発売号では、X子さんの取調官だった警視庁捜査1課の佐藤誠元警部補が実名告発。 露木康浩警察庁長官が 「証拠上、事件性が認められない」 とコメントしたことに対し 「これは殺人事件」 と断言した上で、こう憤った。 「これだけ事実を提示しても、露木長官『事件性は認められない』って言うのか」 「俺が『捜査のイロハ』を教えてやろうか」 記事に掲載された佐藤誠元警部補のこのコメントに怒り狂ったのが、露木康浩警察庁長官だった。 「露木さんは周囲に『俺が佐藤に捜査のイロハを教えてやる!』と息巻いていた」 「ただ露木長官は知能犯の捜査経験はあっても、殺人事件の現場を知っているわけではない」 「百戦錬磨の元警部補に嚙みつかれ、相当カチンと来たのでしょう」 (警察庁関係者) この記事が小誌電子版に掲載された2023年7月26日、露木康浩警察庁長官の 「火消しをしろ」 という号令の下、警視庁幹部が 「3者会談」 を開いたのは小誌既報の通り。 だが、警視庁は事件に蓋をしただけではない。 今、彼らは、佐藤誠元警部補に照準を合わせているというのだ。 ■元取調官の通話記録を・・・ 「警視庁が狙っているのは、地方公務員法違反での佐藤氏の立件です」(捜査関係者) 地方公務員法第34条では 「職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない」 と定められている。 にもかかわらず、佐藤誠元警部補は捜査上知り得た情報を、小誌の取材や記者会見を通じ、第三者に漏洩したというものだ。 「捜査の指揮を執っているのは、藤山智将捜査2課長、露木長官や『3者会談』の中心人物だった重松弘教刑事部長と同じ、キャリア官僚です」 「2課の理事官から課長という経歴は、昨年(2022年)まで警察庁長官を務めた中村格氏も歩んだ超エリート街道」 「藤山氏は”やらされ仕事”もきっちりこなすと評判です」 「捜査1課出身の佐藤氏を1課が調べるわけにいかないのに加え、キャリアに捜査指揮をさせたいという上層部の思惑で、2課の藤山氏が担当しているのでしょう」 (捜査関係者) 捜査2課は、警察官の犯罪や不祥事を専門的に調べる警務部人事1課、通称 「ジンイチ」 の協力の下、佐藤誠元警部補の周辺を捜査しているという。 「現在は、佐藤氏の情報漏洩における共犯者を探しています」 「携帯電話の通話記録を全て確認し、現役の捜査員やOBとの接触を逐一チェックしている」 (捜査関係者) 捜査2課が佐藤誠元警部補と懇意の都内の中小企業にA4用紙1枚を郵送したのは、2023年8月10日のことだ。 書面には 「捜査関係事項照会書」 と書かれている。 別の捜査関係者が打ち明ける。 「同社に対し、捜査2課に連絡するよう通告したのです」 「それらの捜査を担当しているのは、同課の『財務捜査第7係』という部署」 「捜査員が同社の担当者に対し、電話で佐藤氏との関係や不動産売買の有無について確認していました」 財務捜査係は、公認会計士や税理士といった資格を持つ専任捜査官が在籍。 金の流れを追うプロフェッショナルが集まり、会社ぐるみの詐欺や横領といった企業犯罪を暴くことを職務としている。 古くは2011年のオリンパス事件や2017年の「てるみくらぶ」の詐欺事件などを手掛け、最近はガーシー元議員の捜査を担当した。 地方公務員法違反の捜査にもかかわらず、なぜ”財務のプロフェッショナル集団”が乗り出したのか。 「捜査2課は目下、佐藤氏が文春に”情報漏洩”した動機を調べています」 「一番簡単なのは『金目的だった』というストーリー」 「仮に佐藤氏が報酬目的で文春の取材に応じたとすれば、実名告発の公益性は薄れ、書類送検もされやすくなります」 (捜査関係者) ■情報漏洩犯は「○○の野郎」 財務捜査係は、佐藤誠元警部補の携帯電話の通話履歴を調べる過程で、佐藤誠元警部補の知人が役員を務める会社に目を付けたという。 「捜査員はそこの担当者から佐藤氏の資産状況などをつぶさに聞き取り、金に困っていた様子はないかを洗い出そうとしたのです」 「ところが不審な点はなかった」 「一方で、こうした捜査の一端が佐藤氏に伝わることを見込み、牽制するという意味合いもあった」 (捜査関係者) 無論、佐藤誠元警部補が小誌に告発した動機は金銭目的ではなく 「事件性は認められない」 という露木康浩警察庁長官への反論、そして1刑事としての使命感にある。 そんな折、小誌記者は、佐藤誠元警部補の周辺で不審な人影を目撃した。 それが冒頭のシーンだ。 この日(2023年8月9日)、佐藤誠元警部補は関東近県の自宅からJR大宮駅に到着し、駅近くのカラオケボックスで報道各社の取材に応じた。 捜査員と思しき男たちは交代で、佐藤誠元警部補が滞在するカラオケボックスの出入り口を注視していた。 佐藤誠元警部補への捜査について警視庁に尋ねると、 「お答えは致しかねます」 と回答した。 警視庁が狙っているのは、佐藤誠元警部補だけではない。 「文春に情報を漏らしている犯人が分かった」 「○○の野郎だよ」 「間違いない」 その人物は捜査1課長などを歴任した捜査幹部の1人。 小誌記者がある捜査幹部を訪ねたところ 「○○さんの所に行った?」 と”逆取材”を受けることもあった。 「警察は上から下までその人物のリーク説で固まっている」 「彼はパワハラ常習者で組織から嫌われているから、罪を被せることで一件落着」 「話を単純化し、早期にこの問題をお終らせたいという意図がありました」 (警視庁関係者) だが、こうした警視庁の筋書きは穴だけだ。 実際、小誌はこの人物にはっきりと取材を断られている。 捜査員が汗を流すべきは場所は、木原誠二官房副長官の妻X子さんの元夫・安田種雄さんの遺族が求める再捜査の現場ではないか。 統一教会”解散”で木原副長官留任へ! 週刊文春2023年9月14日号 2023年9月1日午前9時半頃、衆議院第1議員会館の森山裕自民党選対委員長の部屋を、肉付きのいい、白髪交じりの男がふらりと訪ねて来た。 木原誠二官房副長官(53)である。 「森山氏には常に番記者が張り付いているため、面会は木原氏”復活”のアピールにもなりました」 「短時間の滞在でしたが、今後の衆院解散や内閣改造人事について腹合わせをしたと見られます」 (政治部デスク) 小誌は2023年7月13日号以降、木原氏の妻【X子】さんが、かつて結婚していた安田種雄さん(享年28)の不審死事件に関し、重要参考人として事情聴取や家宅捜索を受けていたと報じてきた。 だが木原氏は事件に関し、記者会見などの公の場での説明を一切していない。 その理由について、木原氏は周囲にこう言い放っているという。 「記者会見したら文春の思うツボだろ」 副長官には官邸のスポークスマンとしての役割もあるはずだが、今や番記者とも溝が生じているようだ。 官邸担当記者が語る。 「旧知の記者とは飲んでおり、ストレスを酒で紛らわせているのか、毎日ワインを1〜2本空け、太ったそうです」 「一方、番記者には”塩対応”」 「以前は 『自宅には来ないで』 『その代わり電話には出るから』 と伝え、多忙な時でもコールバックするほど律儀でしたが、今はしつこく電話してようやく出てもらえる」 信頼関係が地に堕ちる出来事も。 2023年8月29日、ウクライナのゼレンスキー大統領と岸田首相が電話会談をした時のことだ。 「この前夜、会談予定を掴んだ共同通信が事前に報道」 「これを受けて、他社の番記者が木原氏に裏取りをしたのですが、木原氏は 『やらないでしょ』 と断言したのです」 「しかし結局、電話会談は行われた」 「『知らない』とはぐらかすことも出来たのに、明らかな嘘を付いた」 (同前) ■首相が目論む”木原隠し解散” 目下注目されるのが、2023年9月中旬にも行われる内閣改造での木原氏の去就だ。 岸田首相は 「木原に余裕がなくなって来ているんだよな」 と心配する一方、一連の事件については 「全くシロだろ!」 と、庇う姿勢は崩していない。 更に小誌報道については、周囲に、 「ヤマは越えたな」 と漏らしているという。 そんな中、小誌に驚くべき情報がもたらされた。 「岸田首相は木原氏を留任させる方針なのです」 「あらゆる政策の理論構築ができ、難題にぶち当たっても 『全く問題ありません』 とポジティブに語る木原氏は、首相が傍に置いておきたい存在」 「交代させれば、事件が理由と捉えられてしまう」 「”絶対に代えない”と意地になっているのでしょう」 (官邸関係者) だがそうなると、いつまでも事件の説明から逃げ回ることはできない。 「2023年10月にも召集される臨時国会が開会すると、野党は 『公務に支障を来している』 としつこく説明を求めるでしょう」 「木原氏が国会に呼ばれて審議が紛糾すれば、岸田首相の責任問題に発展します」 (同前) そこで、現実味を帯びてきているのがー。 「”木原隠し解散”です」 「岸田首相が木原氏のために、衆院解散という”伝家の宝刀”を抜くことを検討しているのです」 (同前) 実際、岸田首相はその地ならしを着々と進めている。 最たるものが統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の解散命令請求だ。 「2022年10月、岸田首相は統一教会に対し、史上初めて宗教法人法に基づく『質問権』の行使を表明しました」 「文部科学省はこれまで7度、組織運営などの報告を求めてきたが、質問を重ねるごとに寄せられる資料は激減」 「これが回答拒否に当たるとして、文科省は近く、10万円以下の過料という罰則の適用を裁判所に求める方針を固めました」 (文科省担当記者) その上で教団側の対応を見極め、2023年10月中旬にも解散命令請求に踏み切る可能性が浮上しているのだ。 「岸田首相は元々 『信教の自由は守られるべき』 と慎重姿勢でした」 「一方で文春が2023年4月下旬に 『解散請求断念へ』 と報じると、文科省幹部は 『あの報道で、政治的にもやらざるを得なくなった』 と漏らしていた」 (同前) 実際、所管の文化庁は諦めなかったようだ。 ■「解散をする大義はある」 「2023年夏には担当課である宗務課の体制を40人から45人に拡大」 「気を揉む被害者らに 『解散を請求した時、裁判所にひっくり返されないように、丁寧にやっています』 とやる気を見せ続けた」 「選挙も見据え、統一教会との 『決別宣言』 を出す意味でも、岸田首相は解散請求にゴーサインを出したと見られます」 (同前) それだけではない。 2023年9月4日には岸田首相と公明党の山口那津男代表が会談。 衆院選挙区 「10増10減」 に伴う候補者調整のもつれで解消されていた東京での自公の選挙協力の復活に向け、合意文書に署名した。 「自公の関係悪化の原因は、公明党に選挙区を渡したくない茂木敏充幹事長が頑なだったこと」 「しかし、これ以上茂木氏に任せられないと、岸田首相が自ら動いた」 「その露払いをしたのも木原氏」 「創価学会副会長の佐藤浩氏や石井啓一公明党幹事長と話を擦り合わせ、党首会談に持ち込んだ」 「当初、2023年9月5日からの首相の外遊から帰国後に合意を結ぶ予定でしたが、解散を見据えて前倒しされました」 (前出・デスク) 木原氏自身、公明党との選挙協力は死活問題だった。 「地元の東村山市は創価学会の活動が盛んな地域で、3万超の公明票がある」 「そのため木原氏も 『協力できないと困る』 と焦っていました」 「もっとも、女性問題に敏感な学会女性部が、愛人隠しや隠し子の存在を報じられた木原氏を支援するとは考えにくい」 「厳しい戦いになるのは必至です」 (自民党関係者) 自身の選挙も見据えて自公の橋渡しをするなど、水面下での存在感を取り戻しつつある木原氏。 冒頭のように森山氏を訪ねたのだが、何が話し合われたのか。 森山氏に聞くと、 「私は木原さんについて周囲に 『政治家は常識的であるべき』 などと話していたので、そのことで来られたのかなと思ったが、 『色々ご心配かけています』 くらいでした」 「具体的な話は何もなく、顔を見せたという感じでしたね」 衆院解散についてはこう語る。 「『10増10減』によって、新しい選挙区になり、今の我々は古い制度に基づいて選ばれている」 「解散をする大義はありますね」 2023年9月3日に公表された世論調査では、内閣支持率は38.7%。 2023年8月の調査から1.6ポイント上昇したことも、官邸の自信となっているという。 「安倍晋三政権は2017年、森友学園問題で窮地の中、9月28日召集の臨時国会の冒頭で解散、10月22日投開票の総選挙で勝利した」 「2023年も10月22日が日曜日で、衆院長崎4区、参院徳島・高知選挙区の補選があるので、同様のシナリオが考えられるとして、各マスコミは選挙班を立ち上げて警戒している」 「木原氏は公の場で説明しないまま選挙に突入することになる」 (前出・デスク) 風雲急を告げている永田町。 だが、事件の真相が闇に葬り去られてはならない。 週刊文春は2023年6月から連続で、木原誠二官房副長官の妻【X子】さんの前夫の安田種雄氏(当時28歳)が自宅で不審死(死亡推定時刻:2006年4月9日午後10時)した事件の再捜査(2018年)を妨害した疑惑を調査報道してきた。 不審死した安田種雄氏の父親と姉2人は2023年7月20日に司法クラブで記者会見し、2023年7月17日に、警視庁に再捜査を求める上申書を出したと明かした。 遺族の代理人を務める今給黎(いまぎれ)泰弘弁護士(東京市谷法律事務所)は2023年7月21日付の「SmartFLASH」で、 「再捜査されない場合、今後の遺族の意向によっては民事での訴えを(【X子】さん)に起こす可能性もあります」 「少なくとも、途中で捜査が止まってしまった現状には、何らかの力が働いているのではないかという不信感を持ってます」 とコメントしている。 木原氏は2023年7月5日、代理人弁護士を通じ 「私と私の家族に関連した記事は事実無根」 と抗議するコメントを発表。 また、代理人弁護士は2023年7月5日、文藝春秋を告訴することを明らかにした。 弁護士の氏名・所属は公表されていない。 文春オンラインによると、代理人は東京の司法記者クラブに 「御通知(至急)」 と題したA4判で3枚に渡る文書を送付し、告訴を明らかにした。 通知書は <文春の記事は事実無根のもの> <マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害> と批判し、即刻記事を削除するよう求めた。 【X子】さんの代理人も2023年7月21日と28日、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた。 木原氏は2023年7月28日には、松野博一官房長官に 「私が捜査に圧力を加えたとの指摘は事実無根だ」 と報告している。 ところがメディアは”木原事件”では木原氏に会見を求めようとせず、木原氏が文春を告訴したとか、【X子】さんが日弁連に申し立てをしたとか小さく報じているだけだ。 木原事件の本筋を全く報じていない朝日新聞だったが2023年8月2日付の「天声人語」で、木原事件を突然採り上げ、 <副長官が記者会見などで反論しないのも解せない> <一体事実はどこにあるのか> <疑念の声が燻るのも仕方あるまい> と書いた。 それでも、社会部は木原事件を報じない。 共同通信も2023年8月18日、加盟紙向けの企画記事の <政治コラム「政流考」(オピニオン欄用)で、 <看過できる疑惑ではない 問われる首相の危機感> と題した記事(井出壮平編集委員)を配信した。 事件内容を詳述した上で、 <数多の政治家のスキャンダルとは次元が異なる看過できないものだ> <一方、木原氏は代理人弁護士などを通じ「事実無根」と繰り返すだけで、報道以降、公の場にほとんど姿を見せていない> <ある中央省庁トップは「記事を見る限り、信憑性は高いように見える」と指摘> <記者会見で事件性を否定した露木康浩警察庁長官に対しても「部下から事案の詳細を知らされずに踏み込んでしまったのではないか」と同情する> <これほどの事態に静観を続けるならば、首相に民主主義を語る資格はない> などと書いている。 ■元捜査官が実名で「殺人」と断定、捜査終結を糾弾 当初自殺とされたこの事件では、警視庁大塚署の女性刑事が2018年、現場に落ちていたナイフの柄が綺麗な状態だったことなどから、 「誰かが血糊を拭き取ったのだろう」 と疑問を抱いたことで、捜査1課特命捜査対策室捜査第1係に持ち込まれた。 その後、殺人捜査係も加わり、約40人で再捜査が始まった。 捜査員はかつて【X子】さんと親密な関係にあったY氏(覚せい剤事件で宮崎刑務所に収監=当時)に約30回面会。 2018年10月9日、【X子】さんの実家などを家宅捜索した。 また、【X子】さんの任意の聴取も10回行われた。 ところが、捜査が佳境に入った2018年10月下旬で、同課の佐和田立雄管理官が 「明日で終わりにする」 と通知した。 臨時国会(2018年10月24日開会)直前だった。 国会閉会後も捜査は再会されなかった。 捜査員は、【X子】さんが警視庁からタクシーで帰宅の際、同乗した木原氏と交わした会話が録画されたドライブレコーダーを回収した。 木原氏は 「俺が手を回しておいたから心配すんな」 「刑事の話に乗るな」 「国会が始まれば捜査なんて終わる」 「刑事の問いかけには黙っておけ」 と指示。 【X子】さんが 「刑事さんが(木原氏のことを)『東大出てボンボンで脇が甘い』とか言っていたよ」 と話すと、 「そんなもん、クビ取って飛ばしてやる!」 と発言した。 週刊文春は”影の総理”とされる木原氏が 「家宅捜索も妻への事情聴取も事実無根」 という真っ赤な嘘を付き、捜査員に対して凄み、 「国会が開くまでに終わらせろ」 と一方的に期限を切ったと批判。 「権力濫用の木原氏は、国の舵取りを任せるに相応しいのか」 と問いかけてきた。 遺族だけでなく、2018年10月に【X子】さんを聴取した捜査1課殺人捜査第1係の佐藤誠警部補(2022年退職)も2023年7月28日、文藝春秋本社で約1時間記者会見した。 佐藤氏は冒頭、警察庁の露木康浩長官が2023年7月13日の会見で 「事件性が認められない」 と発言したことに触れ、 「被害者が可哀想だ」 「頭にきた」 「自殺を示すような証拠は全くなかった」 「断言するが、明らかに殺人事件だ」 と語り、こう続けた。 「現場を見た警察官なら、皆、事件性があると思うはずだ」 「どんな事件でも、捜査終結時は、被害者遺族に理由などを説明するが、この事件では、被害者側に何の説明もなされていない」 質疑応答で、読売新聞の藤原記者は、 「こうやって発言することが地方公務員法違反に問われる可能性があることは分かっているのか」 と質問。 読売新聞が毎日、公務員である警察官への夜討ち朝駆け取材で、捜査情報を入手して報じるのは違法ではないのか。 佐藤氏は 「法的問題は分かっているが、やるしかない」 ときっぱり答えた。 朝日新聞の遠藤記者は 「自殺の証拠はないと言うが、殺人だという証拠もないのでは」 と聞いた。 殺人の疑い・可能性があるのだから、その殺人の証拠を探すために捜査が必要なのだ。 朝日新聞・共同通信などは佐藤氏を 「かつて捜査に関わった警視庁の元捜査員(64)」 と仮名で報じた。 犯罪報道で、遺族に寄り添うとして、 「実名原則」 を取る報道界の二重基準である。 岸田政権には官房副長官が3人おり、そのうちの1人は栗生俊一氏(内閣人事局長兼任)。 1981年に警察庁に入庁した栗生氏は2018年から2020年1月まで警察庁長官を務めた。 木原事件の異常な捜査終結に栗生氏ら警察トップが関与しているのではないか。 「露木康浩警察庁長官が 『火消ししろ』 と重松弘教刑事部長に命じたそうです」 「後輩の露木康浩警察庁長官に 『どうにかしてやれよ』 と発破を掛けたのは、元警察庁長官で現在は木原誠二官房副長官と共に官房副長官を務める栗生俊一(くりゅう しゅんいち)氏だったそうです」 (捜査関係者) ■木原氏は週刊文春に対する告訴状を公表すべきだ 木原氏の代理人が2023年7月5日に明らかにした週刊文春に対する告訴がどこの捜査機関(警察・検察)に行われ、受理されたかなどは不明だ。 実際に告訴が行われたと分かったのは、立憲民主党が2023年8月1日に木原事件を巡って開いた、警察庁と内閣官房からのヒアリングの場だった。 立民の公開質問状に対し、木原氏から書面で 「事件性がないと判断された事柄について何かを語ることは人道上、また人権上重大な問題を惹起することから、警察当局にお尋ねいただきたい」 「報道については既に刑事告訴しており、これ以上の人権侵害が行われないよう理解をお願いする」 との回答があったと明らかにした。 立民側は木原氏の出席を求めていたが、本人は出席を拒んだ。 代わりに内閣官房の担当者が、木原氏から聞き取った内容を回答した。 告訴について週刊文春の取材当時、検察担当記者と警視庁刑事部の幹部が共に否定している。 ただし、告訴状は東京地検の係官が受け取って、正式に受理が決まるまでには時間が掛かるので、告訴がされたのは事実だと思う。 木原氏は告訴状を公表すべきだろう。 2023年8月21日、木原氏にメールとファクスで、報道機関から本件について取材があったか、木原夫妻の代理人弁護士の氏名と所属などを質問した。 また、週刊文春を告訴するという司法記者クラブへの通知文と、立民への文書回答のコピーの提供を求めた。 木原氏からは2023年8月27日までに回答がなかった。 週刊文春に続き木原事件を追う媒体が現れない。 週刊現代2023年8月26日・9月2日合併号は、木原氏が 「文春へ反撃」 と報じ、佐藤元警部補について、 「<地方公務員法違反(守秘義務違反)で立件せよ」 という動きが警視庁内で活発化> <「事件性がないという見解を覆そうとする文春に怒る幹部は多く、同誌への協力者も許さない> (社会部記者) と報じた。 警視庁が佐藤氏を立件するはずがなく、警察幹部の脅しに怒らない社員記者は廃業した方がいい。 木原氏と週刊文春が手打ちしたというデマも流れた。 私が見た限り、テレビは木原事件を1秒も報じていない。 社員記者たちは、木原氏に囲み取材をすべきではないか。 現在の首相が頼る”影の総理”に、警視庁捜査への介入の嫌疑が掛かっているのだ。 大学生の大麻所持被疑事件の何万倍も重要だと思わないのか。 岸田・木原両氏は、世間が忘れるのを待つ作戦だろうが、安田種雄氏の遺族が記者会見まで開いて真実の究明を求め、【X子】さんを聴取した佐藤氏が実名で 「殺人事件だ」 と断じ、捜査終結の問題点を追及している。 無かったことには到底できないと思う。
[18初期非表示理由]:担当:スレ違いの長文多数のため全部処理
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