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2023.07.25
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週刊ポスト2023年8月4日号
小沢一郎氏は岸田政権をどう見ている?
ちょうど30年前の1993年。自社「55年体制」の“壁”が打ち破られ、自民党が結党以来初めて野党に転落した──その立役者である“政界の壊し屋”小沢一郎氏が今、永田町で再び精力的に動き出している。その目的は何か。新刊『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』を上梓したフリージャーナリストの城本勝氏がインタビューした。【全3回の第1回】
自民の既得権を突き崩す
──まずお聞きしたいのは、今の岸田(文雄)政権をどう見ているか、ということです。
「岸田政権も、小泉(純一郎)、安倍(晋三)政権以来の新自由主義的な路線を基本的に引き継いでいるが、その二人とは違って口もパフォーマンスもうまいほうじゃない。総理としての理念やビジョンを持っている訳でもない。ただ何となく過ごしているというのが現状に見える」
──それでも岸田政権は一定の支持を得ている。
「何もしないことが、逆に悪い人ではないみたいに見られている。日本人には好まれるキャラクターだ。それに自民党内に実力者がいなくなった。世界的な激変とかよほどのことがない限り、多分来年の自民党総裁選も岸田さんの再選だろう」
──6月には岸田首相自ら解散風を吹かせる騒ぎもありました。
「冷静に利害打算にすれば解散なんかしないだろうと僕は何度も言った。その通りになった。経済と国民生活はじわじわとじり貧になっているが、まだみんな食べられているから不満も少ない。その間は自民党政権も続く可能性が高いと思う。解散はしばらくないだろうし」
──野党に勢いがないことも岸田政権を助けている要因ではないですか?
「そう。全く力のない野党が存在することが、政治的には自公政権が続く最大の理由だ。野党への期待が薄れて、結果、一番風当たりが強いのは立憲(民主党)。仮に選挙となった場合、立憲に代わって(日本)維新(の会)が議席を伸ばすという可能性はあるが、政権を取るまでには至らない。
だから野党は力を合わせないと、国民の本当の期待に応えられない。逆に次の選挙までに野党が力を合わせるという合意ができたら、間違いなく政権交代だ」
──6月16日に立憲民主党の議員に呼びかけて「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」を立ち上げ、さらに5日後の21日に新グループ「一清会」を発足させました。
「泉(健太)代表や岡田(克也)幹事長が衆院選の候補者を150人しか立てないと言った。それは万年野党を目標にしているのと同じで不見識だ。それに、他党と選挙協力はしないとも。もう、政権を取るという意思が全くない。『こんなことでいいの?』と、みんな非常に危機感を持った。ただ腹の中ではそう思っているのに、陰でブツクサ言うばかりで自己主張しない議員が多い。
だから、まずは野党が統一して候補者を立てて、それで自公に対抗しようと思った。同じ考えの人は『この指止まれ』と僕が言った。それで初めてみんなが安心して参加したわけだ。
執行部などを除いた80人に声をかけて、2日間で53人の署名が集まった。その後も一人、二人、と増えてほぼ60人。つまり、声をかけた人のうち8割近くがようやく自分の意思を表明したことになる。だから、党の執行部もよくよく認識を新たにしたと思う。国民の皆さんもこれが大半の立憲議員の気持ちだと理解してもらいたい。そういう意味では、第一歩としては成功したかなと思っている」
──ただ、今の野党に自民党政権に取って代われる程の力があるのかという声もありますが?
「野党は頼りないし、政権担当能力があるのかと必ず言われる。でも自民党と同じ政治でいいのなら野党だってできる。官僚に任せて何もしなきゃいい。そうではなくて、政権が代わるというのは、日本社会の利権構造が変わること。自民党政権のもとで構築されてきた既得権のピラミッドが、それに全然はまってない者が政権を取ることで崩壊する。それこそが政権交代の最大のメリットであり、目的だ」
小沢一郎氏、1993年の政権交代を振り返る「本当の意味での結集ではなかった。いいかげんなのもいっぱいいた」
ちょうど30年前の1993年。自社「55年体制」の“壁”が打ち破られ、自民党が結党以来初めて野党に転落した──その立役者である“政界の壊し屋”小沢一郎氏が今、永田町で再び精力的に動き出している。その目的は何か。新刊『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』を上梓したフリージャーナリストの城本勝氏がインタビューした。【全3回の第2回。第1回から読む】
必ず選挙制度改革を実現しようと決心
小沢が初の政権交代を実現したのは1993年。自民党のど真ん中にいた小沢は「55年体制の壁を壊す」と決意、政権交代を実現させて小選挙区制の導入を柱とする選挙制度改革の実行に突き進んだ。
小沢は、自民党の梶山静六幹事長らとの激しい闘いの末、宮澤(喜一)内閣の不信任案に賛成して解散総選挙に持ち込み、自民党を過半数割れに追い込んだ。そして非自民を結集させ、細川(護煕)連立政権を樹立して小選挙区制を導入した。30年前の闘いを振り返って反省や教訓はないのか、改めて聞いた。
──1993年の宮澤政権の時に自民党をぬけました。どんな心境でしたか?
「あの頃、金丸(信)先生の事件(1993年3月、自民党の金丸信元副総理が脱税で逮捕・起訴された)もあって、政治改革の機運が非常に強まった。初当選の頃から小選挙区制を唱えていた僕は、むしろこれはいい機会だと思った。
しかし、政治家は選挙基盤が固定化しているから、これを変えるのはみんな嫌なんだね。一方の野党は小選挙区じゃ負けると思って大反対。自民・社会党共にみんな反対だった。それでも僕自身は、初当選から25年間思い続けてきたことだから、この機会にどんなに抵抗されても必ず選挙制度改革を実現しようと決心した」
──だから自民党にいながらも宮澤内閣に対する不信任案に賛成した。
「だけど、梶山(静六)さんや反対派の激しい抵抗にあっただけでなく、野党の中にも“不信任案が可決されると解散になる”と恐れていた議員もいたため、不信任案が可決されるかどうかは不透明だった。それでも結局、最後は我々の派閥(羽田派)44人が一人も欠けずに不信任案に賛成することを決めた。際どい勝負だったが、これで自民党に勝てると思ったね」
──不信任案可決後、解散総選挙になり、自民党を出た羽田・小沢率いる新生党、武村正義の新党さきがけが結成され、前年に結成された細川(護熙)の日本新党も含めて新党ブームの選挙となった。
「武村さんは、不信任案に反対したにもかかわらず、自民党を離党して新党を作った。それは変だと思ったね。まあ、彼はマスコミには持てはやされていたが、元々権力志向が強かったから。社会党も、最後までグラグラして危なかった。それで選挙では議席を半分近くまで減らした」
──その一方で、いざ選挙を終えてみると自民党が比較第一党でした。
「本当は国民がもっと大きく支持してくれると思っていた。今になって振り返ると、やっぱり選挙制度改革というのは国民のフトコロと関係ないからピンと来なかったんだろう。それでも我々が議席を増やした分、自民党は過半数に足りなくなった。結果として政権交代という目的は果たせたが、あれは本当の意味での結集ではなかったんだ」
──え、そうなんですか。
「あれは8党派が政治改革だけで合わさったもの。だから社会党は参議院で反乱を起こすし、いいかげんなのもいっぱいいた。うまくいったのは二度目の鳩山(由紀夫)民主党での政権交代(2009年)だ。マニフェストを訴えて自民党に圧勝できた。ところが、総理になる寸前に旧勢力の検察に攻撃された。あれで僕が政権から引き離され、政権運営も失敗した。だからもう一回政権交代をやらなきゃならない」
小沢一郎氏、81歳の決意「まだまだやるよ。もういっぺん、全国を回る。人間の絆を強めにいくんだ」
ちょうど30年前の1993年。自社「55年体制」の“壁”が打ち破られ、自民党が結党以来初めて野党に転落した──その立役者である“政界の壊し屋”小沢一郎氏が今、永田町で再び精力的に動き出している。その目的は何か。新刊『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』を上梓したフリージャーナリストの城本勝氏がインタビューした。【全3回の第3回。第1回から読む】
「予備選」をして野党一本化へ
──細川政権下では、1994年に公職選挙法を改正し、中選挙区制から小選挙区制への変更を実施しました。ですが、その後自民党の政権が続くようになったのは、日本には合わない小選挙区制が原因だと言う人もいますが?
「それは、勉強を全然してない人が言うセリフだ。小選挙区制がベストではないが、日本の国情と政権の状況を考えた場合には一番いい。なぜならば、あいまいを好む日本国民に二者択一を迫ることで自立心を持たせられるから。また、他の選挙制度よりは相対的に見れば政権交代は起きやすい。
制度うんぬんよりも問題なのは、投票率が低いこと。野党に期待感が湧かないから、特に俗にいうリベラル保守の人が投票に行かない。だから、投票率も50%そこそこでしょう。でも、政権交代になるかもしれないとなったら投票する人も増えるよ。10%増えれば1000万票増えるから、投票率60%以上になったら完全に政権交代だ」
──それで期待感を高めるために、「有志の会」を立ち上げた。ただ、候補者の一本化は現実には簡単ではないと思いますが。
「立憲の執行部が信用されていないのが最大の問題点だ。立憲自体が他の党の信頼を得るような政党にならなきゃいけない。
そして、一本化だ。維新も共産党も候補者をどんどん立てればいい。立憲もどんどん立てて競合する選挙区は、予備選挙をしてトップを候補者にする。これがとても明快で公正だ。一本化というと、政党同士で談合して調整して、というイメージだろうが、そういう格好は国民にとってよくない。維新の代表だった橋下徹さんも言っていたように、予備選挙をして候補者を統一するのが一番公平だ。一本化しないとトータルで自公には勝てない。それはみんなわかっている」
「三度目の正直」を果たす
──しかし、政策の一致がない選挙協力は野合だと批判されます。
「それを言うなら、自民党と公明党だって、えらい違いがあるのに選挙協力している。ドイツの連立政権なんて、右と左のまるっきり政策が違う政党が一緒になってやっている。個別の政策の調整なら役人に任せればいい。それより自民党の今の利権構造を変えることに意味がある。
繰り返しになるが、政権交代の本質は、長年の政権下での既得権を崩すこと。それで、今まで恩恵にあずかれなかったすべての国民に分け与えること。それが一番だ。これを国民によくわかってもらわなきゃならないんです」
──ただ、“政権を取ったらこれを実現するのだ”という政治的な旗印は必要ではないですか?
「それは、2009年のマニフェストに書いた『国民の生活が第一』ということだ。雇用の問題や地方の格差の問題など自民党政権でできた利権構造を破壊する。そしてもういっぺん『生活が第一』の政治に戻す。それが旗印だ」
──政権交代への期待を高めるには誰をリーダーにするかを明確にすることも大事だと思いますが。
「国民が期待する野党共闘の体制ができれば、自ずとリーダーも出てくる。政権交代ができそうだとなると、人材も集まる」
──小沢さんももう81歳です。これが最後の闘いになるかもしれません。気力体力は……。
「まだまだやるよ。もういっぺん、全国を回る。ただ歩くんじゃなくて人間の絆を強めにいくんだ。最後の三度目の正直を果たしてから、ゆっくり諸君とも一杯やりましょう(笑)」
【プロフィール】
城本勝(しろもと・まさる)/1957年熊本県生まれ。フリージャーナリスト。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2004年から政治担当の解説委員となり、『日曜討論』などの番組に出演。2018年退局後は、日本国際放送代表取締役社長などを経て、2022年6月からフリージャーナリスト。
※週刊ポスト2023年8月4日号
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