http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/256.html
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/264815?rct=politics
はっきり言って、「この人もう駄目だわ」という気持ちにさせられる、そんな記事。
東京新聞のごく短い記事の中から、立憲民主党の泉代表に関連した部分を以下に抜粋する。
「令和国民会議」(令和臨調)の対話集会で次期衆院選をにらみ、与野党党首から発言が相次いだ。立憲民主党の泉健太代表は国民民主党に連携の秋波を送った。・・・
・・・泉氏は、政権交代を果たした際の連立の枠組みに関し「中道リベラルの枠をはみ出るような勢力と政権を握るつもりはない。国民民主は共に政権を担う仲間だ」と明言した。泉氏が目指す野党間の候補者調整に拒否感を示す国民の玉木雄一郎代表にメッセージを打ち出した形だ。
泉氏は候補者調整について「候補者を1人にするに過ぎない」と述べ、各党が候補者を支援し合う選挙協力とは異なるとの考えも示した。
玉木氏は一部の野党間で自衛隊の在り方や原発を含むエネルギー政策などが合致していないとして「ずれているものを調整するのは大変だ」と連携に慎重姿勢を崩さなかった。・・・
記事の抜粋は以上。
私が「この人もう駄目だわ」と感じた発言は、
候補者調整について「候補者を1人にするに過ぎない」
と述べたところだ。
提案する政策が大小、あるいは少しづつでも異なっている政党があって、それぞれの政党を支持する有権者がそれぞれがいる。
そういう現実の中で、政党が政策のすり合わせをすることも無く、単純に「候補者を1人にするだけ」で、野党間の候補者調整が終わってしまったとしたら、支持する政党の候補が降りた選挙区の有権者はどうすればいいのか。
結局、投票に値するする候補者がいなくなったということになっただけで、目標を失った有権者は投票には行かない、ということになるのは「火を見るより明らか」ではないか。
これまで、各政党の各候補者は、有権者に政策の「選択肢」を、また自分たちの生きる日本の社会の姿の「選択肢」を提案し、有権者はそれを比較検討して、これはと思う政党あるいは候補に投票してきたのではないか。
泉氏の思い描く野党間の候補者調整が、「候補者を1人にするに過ぎない」ものだとするならば、「有権者から選択肢を奪う」だけのものであり、民主主義とは相容れない、有権者を無視か、或いは馬鹿にした、とんでもない事だと言わざるを得ない。
「・・・泉氏は、政権交代を果たした際の連立の枠組みに関し「中道リベラルの枠をはみ出るような勢力と政権を握るつもりはない。・・・」
と言うが、ここでも大きな勘違いをしている。
今時「中道リベラル」などと言う言葉などは有権者には受けない。
有権者が自分は「中道」だ、「リベラル」だ、いや「保守」だなどと意識している人などは極々稀な、希少人種ではないだろうか。
有権者は、「中道」とも「リベラル」とも「保守」とも、意識していないというか、分からないと思っているところへ、
「中道リベラルの枠をはみ出るような勢力と政権を握るつもりはない。・・・」
などと言えば、有権者は立憲民主党から離れていくばかりだと思うのだが・・・。
「候補者を1人にするに過ぎない」
そんなことしか言えない人が、代表に収まっているようでは、
「この政党もう駄目だわ」
という気持ちにさせられる。
今からでも遅くはない。
「君子豹変す、小人は面(おもて)を革(あらた)む」
という。
政権を奪取し、「国民の生活が第一」の政治を実現するためには、今は「野党共闘」で闘うしかないではないか。
「国民の生活が第一」の政治を実現するためには、「中道リベラル」の意識は必要ないし、むしろ邪魔でしかない。
「野党共闘」の「政権構想」を纏め、それを一つに旗として、国民にげきを飛ばし、「国民の生活が第一」の政治を望む国民を糾合してほしいものだ。
政権奪取後の日本の社会の姿を「国民の生活が第一の連立政権構想」で謳い上げ、「政権奪取の本気度と可能性」を有権者に感じて貰えるかどうかにかかっている。
その時、眠れる有権者も動き出すのではないか。・・・私はそう思う。
「頑張れ!、野党共闘!」
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