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市民虐殺など破壊活動に加担してきたエイブラムズをバイデン政権も重用(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/23/kokusai33/msg/206.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2023 年 7 月 06 日 00:51:33: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2023.07.06

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307050000/

 ジョー・バイデン米大統領は7月3日、エリオット・エイブラムスをACPD(公共外交諮問委員会)の委員に指名する意向を表明した。エイブラムスは現在、CFR(外交問題評議会)の中東研究シニアフェローを務めている。
 日本では「パブリック・ディプロマシー」と表記することもある「公共外交」は、「広報や文化交流を通じて,民間とも連携しながら,外国の国民や世論に直接働きかける外交活動」だと日本の外務省は説明している。内政干渉の一形態であり、エイブラムスの過去を調べると「パブリック・ディプロマシー」の本質は理解しやすい。
 エイブラムスは大学を出た後、ヘンリー・ジャクソン上院議員の事務所でスタッフとして働いている。エイブラムスだけでなく、この事務所にはリチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、ダグラス・フェイス、エイブラム・シュルスキーなど後にネオコンの中枢メンバーになる人びとが所属していた。
 ジャクソン議員は民主党に所属していたが、1972年の大統領選挙で同党のジョージ・マクガバン候補を落選させる運動で中心的な役割を果たしている。マクガバンは戦争に反対していた人物で、彼が民主党の大統領候補に選ばれたことをジャクソン議員だけでなく同党の幹部は容認できなかった。そのため、ジャクソンらは1972年にCDM(民主党多数派連合)を組織している。
 その結果、選挙では共和党のリチャード・ニクソンが勝利するが、新大統領はデタント(緊張緩和)を打ち出す。ニクソンはアレン・ダレスの影響下にあったと言われ、「タカ派」と見られていたが、ベトナム戦争での敗北もあり、軍事力一辺倒ではダメだと考えたようだ。
 ニクソンは中国に接近、中国とソ連の分断を図るのだが、支配層の中には、この政策に反発する人たちも少なくなかった。その中にはネオコンの後ろ盾も含まれている。
 当初、ニクソン政権の副大統領はスピロ・アグニューだったが、スキャンダルで失脚、ジェラルド・フォードが後釜に座る。その次にニクソンがウォーターゲート事件で失脚、フォードが選挙を経ず大統領に就任した。このフォード政権でデタント派が粛清されるが、特に重要だった人事は国防長官とCIA長官の交代だと言われている。国防長官はジェームズ・シュレジンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、CIA長官はウイリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ替わった。この政権ではウォルフォウィッツやリチャード・チェイニーも表舞台へ登場している。
 フォード政権はネオコンを含む好戦派が実権を握り、ポーランドやアフガニスタンを舞台にしてソ連に対する秘密工作を開始、ラテン・アメリカでは配下の軍人を使い、民主化運動を展開していた人びとを虐殺している。
 工作資金をポーランドの「連帯」へ送るため、バチカン銀行に不正送金させているが、これは途中で発覚した。「バチカン・スキャンダル」である。
 1982年6月7日にはロナルド・レーガン大統領が教皇ヨハネ・パウロ2世とローマ教皇庁の図書館で50分にわたって密談。カール・バーンスタインによると、レーガンと教皇は大半の時間をソ連の東ヨーロッパ支配の問題に費やされ、ソ連を早急に解体するための秘密工作を実行することで合意したという。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992)
 その2年後、河野太郎はポーランドの中央計画統計大学へ留学、反体制派の神学生と一緒に連帯書記長のレフ・ワレサの自宅を訪問し、ポーランド警察に逮捕されている。その当時、すでに連帯とCIAとの関係は知られていた。
 ジョージタウン大学で河野はマデリーン・オルブライトのゼミに入っているが、そのオルブライトはコロンビア大学でズビグネフ・ブレジンスキーから学んでいる。アフガニスタンへソ連軍を引き込み、イスラム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)で編成した武装集団と戦わせた。​集められた戦闘員をCIAが訓練、武器弾薬を提供してのことだが、この仕組みが「アル・カイダ」にほかならない​。
 ブレジンスキーの考えたアフガニスタンにおける秘密工作をジミー・カーター大統領が承認したのは1979年7月だが、その月にアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとがエルサレムで「国際テロリズム」に関する会議を開いた。それ以降、テロリズムの黒幕はソ連だというキャンペーンが始まる。
 1979年にはイランでパーレビ体制が崩壊する。ムハマド・レザー・パーレビ国王は同年1月に国外へ脱出、2月にはイスラムの指導者、アヤトラ・ルーホッラー・ホメイニがフランスから帰国する。そして11月に「ホメイニ師の路線に従うモスレム学生団」を名乗るグループがテヘランのアメリカ大使館を占拠、館員など52名を人質にとり、機密文書を回収した。人質の多くはアメリカの情報機関員だと見られている。
 シオニストへの忠誠度が足りないと考えられていたカーター大統領はネオコンから攻撃を受けていたが、この人質事件を平和的に解決した場合、大統領選挙で彼のプラス材料になる。それを嫌ったロナルド・レーガン陣営やジョージ・H・W・ブッシュ陣営はイランの革命政権に対して人質の解放を遅らせるように要請、その代償として武器を提供することになった。結局、人質が解放されたのはレーガンが大統領に就任した1981年1月20日だ。
 1979年7月にはニカラグアでアメリカの傀儡だったソモサ家の支配が終わった。ソモサ家に属すアナスタシオ・ソモサ・ガルシアはシオニストへ外交特権を与え、武器を供給するなどしてイスラエルの建国に協力した人物としても知られている。
 サンディニスタ体制を倒すためにCIAはソモサ時代の兵士などを集めて武装集団を組織する。「コントラ」だ。議会から十分な資金を得られないため、CIAはコカインの密売を始める。ベトナム戦争で彼らはヘロインの密輸で儲けているが、同じ手法だ。アフガニスタン工作ではやはりヘロインを使っているが、その密売ルートはコソボを通過している。
 CIAやコントラのコカイン密輸を初めて記事にしたのはAPの記者だったロバート・パリーとブライアン・バーガー。1985年末のことだ。当初、AP本社の編集者はふたりの記事を「ボツ」にしようとしたが、「ミス」でスペイン語に翻訳され、ワールド・サービスで配信された。(Robert Parry, "Lost History," The Media Consortium, 1999)
 レーガン政権は秘密裏に武器をイランへ売却、儲けの一部をコントラ支援のために使う。その事実は後に内部抗争が原因で露見、「イラン・コントラ事件」と呼ばれるようになるが、この工作にエイブラムスも関係していた。
 エイブラムスはエル・サルバドルの秘密工作にも加わった。そこで行われた工作は「汚い戦争」とも呼ばれている。例えば、CIAの手先だった軍人や警官が1980年3月にカトリックのオスカル・ロメロ大司教を暗殺、その年の12月にはカトリックの修道女ら4名を惨殺し、81年12月にはエル・モソテ村で住民900名から1200名を殺した。
 エイブラムスは1982年2月8日、エル・サルバドルにおけるアメリカの政策について上院外交委員会で証言した。その中でエル・モソテの虐殺事件について、そうした報告はコミュニストのプロパガンダだと主張しているが、勿論、事実だ。後に彼は偽証に問われることになる。
 1991年にエイブラムスはイラン・コントラ事件への関与に関する議会への情報隠しで有罪を認めたが、後にジョージ・H・W・ブッシュ大統領によって恩赦されている。
 ​ジョージ・W・ブッシュ政権は2002年にベネズエラでクーデターを計画した​。アメリカへの従属を拒否していたウゴ・チャベス大統領を排除することが目的だ。キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、81年から85年までホンジュラス駐在大使を務め、後に国連大使にもなるジョン・ネグロポンテ、そしてエイブラムズが計画の中心にいたが、これは失敗する。計画を事前に知った当時のOPEC事務局長、アリ・ロドリゲスからチャベスへ知らせていたのだ。
 ​WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもクーデターが計画されている​。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに組み込まれた機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入し、チャベス派を分裂させ、アメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。
 2002年に試みたクーデターは失敗したが、それでアメリカの支配層がベネズエラ乗っ取りを諦めたわけではない。2004年にセルビアで設立された「CANVAS」が転覆工作の中心になったという。
 CANVASのリーダーは「オトポール!」の活動家。1998年に設立されたオトポール!は西側がスロボダン・ミロシェヴィッチを2000年に倒す際、重要な役割を果たした団体。「マーティン・ルーサー・キング」というロゴを利用しているが、キング牧師が戦っていた相手、西側の強大な私的権力の手先だと言わざるをえない。この団体にはNED(ナショナル民主主義基金)、IRI(国際共和研究所)、USAID(米国国際開発局)などから、つまりCIAから資金が提供されている。CANVASはウクライナでも活動してきた。
 チャベスは2013年3月、癌のため、58歳の若さで死亡。癌の原因が人為的なものかどうかは不明だが、生前、キューバのフィデル・カストロから暗殺に気をつけるよう、経験に基づいて警告されていたことは確か。さまざまな暗殺手段が存在するが、癌を引き起こすウイルスも使われていると言われている。
 その後もアメリカは産油国のベネズエラを制圧しようとしてきた。ドナルド・トランプ政権も例外ではない。そのトランプ政権がベネズエラの政権を転覆させる工作を指揮させていた人物もエリオット・エイブラムズだ。  

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コメント
1. アラジン2[6803] g0GDiYNXg5My 2023年7月06日 11:15:09 : MIiYrXD0gE : N0pISzQ4SGZFNWM=[1] 報告
スレ立て文の

>その後もアメリカは産油国のベネズエラを制圧しようとしてきた。
>ドナルド・トランプ政権も例外ではない。
>そのトランプ政権がベネズエラの政権を転覆させる工作を指揮させていた人物も
>エリオット・エイブラムズだ。

「トランプは世界を救う」と世迷いごとを言う連中に
読ませてやりたい。

アメリカの大統領は、どいつもこいつも世界を滅ぼすために存在する。
そうじゃない大統領は暗殺されます。


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