<■75行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 日本共産党、濃い歴史があるみたいですね。 濃すぎて自分たちで抹殺している部分もあるようです笑 -------------------------- ●横山少佐@daitouayokoyama 日本共産党、100年のあゆみがどうこう言うんだったら、せめて公式ホームページの党史の紹介ページで1922年の結党から20年以上すっぽり抜け落ちてるのどうにかしたほうがいいと思う●悠久なる書記長@godfather2037 堺利彦さん・山川均さん・荒川寒村さん達第一次共産党時代の功臣たちや福本和夫さん・鍋山貞親さん・徳田球一さん達第二次共産党の闘士たちの歴史を全てなかったことにしてぬるま湯に浸かりきってるのが今の日本共産党なんだから今の連中にとって一番都合の悪い時代を消したらこうなるわな。 ●コミンテルンが送ってきたブハーリン草案には、君主制廃止という字句が書かれていた。彼らにとってコミンテルンは絶対神だったから、この議題を避けて通るわけにはいかない。だが、綱領のなかに天皇制廃止を謳えば、もし検挙された場合、当局がこれを証拠に、第二の大逆事件をデッチあげ、死刑にもっていくことは火を見るより明らかだった。幸徳秋水とともに「平民新聞」を起こしたものの、大逆事件時は獄中にあったため、あやうく連座をまぬがれた第一次共産党中最長老の堺利彦は、天皇制問題を議論するなら席を立つとまでいいだした。会議の内容が万一隣の部屋にもれた場合のことを考えて、天皇という言葉のかわりにオヤジという言葉を使うほど、彼らの神経はとがっていた。結局結論は出ないまま、コミンテルンの原案は原案として採択するが、戦術としては掲げず、内部文書にもその点については一切ふれない、との折衷案でお茶をにごすこととした。 書記役の高瀬も、天皇制の議論については一言も議事録に載せなかった。だが、それから三月後の第一次共産党事件で獄内検挙され、議事録も押収されたことを知ると、本当に書いていなかっただろうかと、急に不安が頭をもたげてきた。その高瀬が書いた『日本共産党創立史話』には、そのときの恐怖が生々しく描かれている。ある日高瀬が、市ヶ谷刑務所の監房の窓から運動場をのぞいていると、同志の吉川守囲が編笠を片手であげ、もう「方の手を首のところにあて、二、三回たたいてみせる仕草をしてみせた。吉川は翌日も、翌々日も同じ合図をする。高瀬ははじめその意味が呑みこめなかったが、突然、それが死刑の合図だということに気づいて、愕然となった。石神井会議の議事録が高瀬の書いたものだということは、当局側はもうつかんでいた。高瀬がなぜそれを知ったかといえば、一月ほど前、うっかり警察の罠にかかり、自分の筆蹟をとられていたことを思いだしたからだった。 高瀬は君主制問題については一切議事録に書かなかったはずだと思ったが、吉川の死刑の合図を見て、急に不安が頭をもたげてきた。もし天皇という一言でも書かれていれば、全員死刑になる。高瀬はその日からほとんど眠れなくなった。高瀬は煩悶のなかで、石神井会議の議事録は絶対自分が書いたものではないという姿勢は貫きつつも、記憶に曖昧な点があるので、という理屈をつけて、予審廷の判事から議事録を見せてもらう以外にはないと、悲痛な決意をする他なかった。そして丹念に、問題点を探し求めていった。ときどき宙をいく思いがしてならなかった。だが読めども見当らず、探せどないのが天皇制の議論の記録であった。判事の目は射るように私をみつめている。しだいに焦りがでてくる。目は知らぬ間に字を離れようとさえする。二十数枚の議事録は読み了えてしまった。しかし天皇制については一字一句も見あたらなかった。どうしたわけであろう。私は内心驚き、かつ疑った。この時、私の頭に議事録をとっていた当時のことがサッと甦ってきた。私は堺先生の天皇制論議に深い警戒心のあったことをよく理解していた。その時、私はとっさに万慮と果断によって天皇制の記録を全部削除して、書かなかったのである。探せど見当らない理由がここでハッキリ思い出せたのであった。 私は歓喜し、狂喜せんばかりであった。堺先生をはじめ、同志二十数人の死刑をくいとめることができたのである。その喜び、その安心感は五体に溢れでた。私は歓喜の大声をあげて喜びたかった。しかし、判事にこの喜びを打ち明けるわけにはいかない。この喜びの気持ちを悟らせてもならない。どうしてこの気持ちをかくし、おさえるかであった。私は下腹に力をいれて、「この議事録はやはり当日のものではありませんね……、私が当日書いたものは横書きで、これは縦書きですから、全く別個のものです。当日の記録ではありませんね……」と静かに説明した。この嘘の陳述ができたのは議事録に天皇制の記録がなかったからであった。同志とともに死刑を免れえた喜びが力となってこの静かな発言ができたのであった〉高瀬は、吉川の合図の意味を悟ってからほとんど一睡もできない夜を過ごしていたが、その夜、はじめてぐっすりと眠ることができたという。 天皇制の問題は、共産主義者たちをそれほど煩悶させたのである。彼らにとって正力は、そんな底知れない恐怖心をもたらす扇の要をにぎる男だった。警視庁を事実上牛耳る正力の一挙手一投足が、彼らの気持ちを翻弄し、不安と絶望の淵に追い込んでいた。警視庁幹部としての正力は、天皇制支配体制を脅かすものは誰でも手段を選ばず豪腕で封殺する、典型的な警察官僚だった。
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