<■77行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 田中宇 「ロシアでなく欧州を潰してる」より一部抜粋6月24日にロシアで起きたワグネル民兵団の「反乱」は、米国側での「これでロシアが潰れるぞ(万歳)」といった感じの大騒ぎな報道と裏腹に、1日だけで終わって尾を引かなかった。 ワグネルは7月から、予定通りロシアの正規軍の傘下に編入された。ワグネルの頭目プリゴジンは、この編入が嫌で反乱を起こしたとされるが、結局大騒ぎにならずに編入された。プリゴジンはベラルーシに亡命したと伝えられたが、実はそのままロシアにいる。それまでの英雄的な行動があるので、反乱を理由とした訴追もされない。 ワグネルは露政府に頼まれてアフリカやシリアなど海外でも軍事活動しており、反乱後に海外から撤兵させられるのでないかと米国側で喧伝されたが、そうはならず、そのまま海外で軍事活動を続けている。露政府のラブロフ外相がそう言っている。露政府とワグネルの信頼関係は保たれている。 アフリカのマリでは治安維持のためフランス軍などが国連軍として駐留していたが、現地の政府がフランスの傲慢さを嫌って6月末で仏軍を追い出し、代わりにワグネルに駐留してもらっている。ワグネルは「反乱軍」でなく、欧米凋落・ロシア台頭の覇権転換の尖兵として機能し続けている。 (Lukashenko Says Wagner Chief Prigozhin Is in Russia) (Despite crisis in Russia, Wagner mercenaries will continue ops in Africa) ウクライナ(ロシア領になったドンバス)での戦闘には、ワグネルがもう参加していない。この点だけ見ると、やはり反乱軍扱いにも見えるが、それも違う。ウクライナでは6月初めのウクライナ軍による「反攻」が3日間で露側(ワグネル)に潰されて失敗した後、戦闘が下火になっている。ワグネルが戦闘に参加していないのでなく、戦闘自体が減っている。 ウクライナ軍は戦闘経験を積んだ兵士の多くが戦死して戦闘技能が大幅に落ち、米国側がいくら兵器を送っても戦えなくなっている。ウクライナでは今後もう大規模な戦闘が行われない可能性が高い。 だから露政府は、それまで戦死者数を発表せずにすむ民兵団のワグネルに地上戦を担当させていたのが必要なくなり、ワグネルを政府軍の傘下に入れることにした。もう大きな戦闘がないのだから政府軍が担当しても戦死者が増えない。 (The 'musicians' leave the main stage: What caused the Wagner mutiny and what does it mean for Russia and its opponents?) オルトメディアでは「反乱」の直後から「プーチンとプリゴジンは、米国側を騙すために対立する演技をしただけだ。これは完全な茶番劇だ」という「完全茶番説」が出回った。「反乱」後の平静さを見ると、完全茶番説が正しいようにも見える。 私自身はそう見ない。ウクライナ戦争の地上戦で露側が勝った要因の大半はワグネルの活躍だ。ワグネルを育ててきたプリゴジンは、ウクライナ軍が疲弊して戦闘が一段落したからといって、ワグネルが「用済み」にされて政府軍に吸収されるのが嫌だった。 プリゴジンは以前から「ロシアはすでに決定的に勝っており、ウクライナはこれを覆せない。露政府は戦勝と戦争(特殊作戦)の終結を宣言してドンバスの再建に注力すべきだ」と言っていた。露政府(プーチン)が戦勝と戦争終結を宣言するなら、プリゴジンはワグネルが英雄扱いされつつ政府軍に吸収されることを了承しただろう。 しかし、プーチンは戦勝や戦争終結を宣言しなかった。金融バブル本位制の米国側と、金資源本位制の非米側が世界的に鋭く対立するウクライナ戦争の構図が長期化するほど、ロシアなど非米側が強くなり、結束して米国側から覇権を奪って多極型の新世界秩序を作るようになる。米国覇権はバブル崩壊する。 プーチンはこの策を推進するため、ウクライナ戦争の構図を長期化する必要があり、勝利や戦争終結を宣言するわけにいかなかった。本当はすでに勝っているのだが、勝ってないことにする必要があった。 (ロシアでワグネル反乱の意味) プーチンは戦勝や終戦を宣言しなかっただけでなく、プリゴジンの不満を利用して反乱の騒動を誘発し、米国側が「ロシアは反乱が起きるほど弱体化している」と間違った喧伝をするように仕向けた。 プーチンとプリゴジンは30年前からの親密な関係だから、プーチンは「勝ってないことにする」自分の世界戦略をプリゴジンに説明して納得してもらうこともできたはずだ。だがプーチンはそれをせず、プリゴジンが不満をつのらせ、ワグネルの軍勢を引き連れてモスクワに進軍してプーチンと直談判してわかってもらおうとする「義挙」を起こすように誘導した。 義挙は反乱とみなされ、米国側はロシアが反乱で自滅するだろうと糠喜びの大騒ぎをした。1日後、プリゴジンは自らの行動がロシアを弱体化させかねないことを悟って叛旗を降ろし、反乱の騒動は終わった。 プリゴジンは「まじ」だった。プーチンは茶番をやった。私の説は、プリゴジンとプーチンの両方による茶番劇だったという「完全茶番説」でなく、まじなプリゴジンをはめて反乱に誘導する茶番劇をプーチンがやったという「半分茶番説」である。プーチンは諜報界の人だ。プリゴジンはそうでない。 プリゴジンの反乱開始で目的が達成された後、プーチンは自分の「勝ってないことにする」戦略がプリゴジンの知るところとなるようにして叛旗を降ろさせたのかもしれない。 https://tanakanews.com/230710europ.htm
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