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日本には仏教徒は居ないよ。日本の仏教というのは本当は神道だからね:
仏教史 _ 大乗仏教と対機説法の本当の目的
スッタニパータ 第二章 小なるもの 第一経 宝
227 正しくある者たちに賞賛された、これら四組の者たち八人(四双八輩:正覚に至る四階梯の各々において学びつつある者と学び終えた者の計八人)が〔世に〕有るなら、彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。
これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
ここで布施を受けるのは、貧しい人々ではなく、バラモンの生活法に則って、家住期を終え、家庭を離れて遍歴修行する遊行者、あるいは祭祀を行うバラモンのことである。
ゴータマとその弟子たちもまた、住居と生業をもたない遍歴の修行者であった。 かれらも生存していくためにやはり在家から食を乞わねばならない。
そのとき、布施の功徳を問われれば、先のマーガとの問答にあるように、祭祀さえも認めることがあったのだろう。 後の経典は、動物供犠を除けば邪盛会でさえ、肯定されているのである
http://www.eonet.ne.jp/~sansuian/com/comp5.html
要するに上記227節の意味は、
釈迦の弟子は特別な存在だから、もっと金を出せ
という事ですね。そしてこれこそが仏教における釈迦崇拝の背景でしょう。
スッタニパータを書いた目的も
善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。
というのを一般の人に納得させる事なんですね.
要するに,我々偉大なる釈迦の弟子にもっと金を出せ という事です.
輪廻転生や死後の世界を素朴に信じている無知蒙昧な一般人に大金を出させるには,釈迦の弟子が特別な選ばれた人間であると思わせなければならないですからね.
ブッダというのは目覚めた者という意味で単なる人間にしか過ぎない。
さらに、部派仏教の段階で釈迦の教えは既に大幅に修正されていたので、釈迦の言説は100年後には既に真理だとは思われていなかったですからね。
悟った人間は阿羅漢と言われて、本来はその全員が釈迦と同格ですね。釈迦から阿羅漢に認定された弟子は当時、何千人も居たので、釈迦が特別な人間という訳ではないのです。
釈迦が何故神格化されたかと言うと、無知蒙昧な一般人にお布施を出させるには,釈迦が神で、その弟子も特別な選ばれた人間であると思わせなければならないからでしょう。
坊さんも水を飲んで霞を食べて生きている訳じゃないですからね.
ハッタリも方便
要するに、僧侶にとって宗教は,職業として生活の為にやっているものなので,釈迦の本当の教えなんかどうでもいいという事なんでしょうね.
釈迦の悟りというのは、輪廻転生とか霊界・死後の世界と言われているものが、実際には人間の無意識の中で生起している現象に過ぎないという事に気付いた事なのです。神や悪魔というのも人間の心の中にしか存在しない、そういう事がわかったという事です。
俗に死後の世界とか霊界とか言われているのは心理学の言葉で言えば無意識の事です。人間が死ねば脳が溶けて、意識も無意識も一緒に消えてしまいます。従って、極楽も地獄も人間の死と共に消えてなくなるのですね。
輪廻転生というのも生きている人間の脳内で生じる virtual な経験なんです。そして、その事に気付いたのが釈迦の悟りですね。
ウパニシャッドにおいては、ブラフマン・アートマンが実在する事が真実だったんですね。アートマンというのは人間の魂なので、魂が実在すれば、肉体が滅びてもまた生まれ変わってくるという輪廻の考え方になってしまうのですね。
しかし、輪廻は当時のカースト制を維持する為に悪用されていた考え方なんです。
低いカーストの人間は前世で悪行をした報いだから、上のカーストの人には逆らわず、文句を言わず、がまんして苦しい労働に耐え、来世で高いカーストに生まれ変わる様に努力しなさいという上の人間に都合のいい考え方を押し付けていたのですね。
しかし、釈迦はカーストというのはアーリア人がドラビダ人を征服したから生じたもので、人間の価値とは関係ないとわかっていたんです。
それでカースト制を支えている輪廻転生、アートマンの存在を否定する考え方を探し求めたんです。
そしてその答えとして
アートマンは存在しない(無我説)
生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。
そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。
を思いついたのです。
釈迦の悟りというのはこの無我説を実際の瞑想体験で確認するという事ですね。
神や悪魔や地獄の様な悩みの元になるものは普遍的無意識の浅い層にあるもので、そこからさらに深い所まで下りて行けば普遍的無意識の深い層(涅槃・空の世界)が広がっている。
従って、魂や死後の世界というのは幻影で、涅槃の世界からすべてを見る事ができる様になれば、苦しみもなくなるというのが釈迦の教えです。
ブッダというのは目覚めたる人間という意味ですが、目覚めるというのは魂や死後の世界というのが幻影だと悟るという意味なのですね。
仏教史を整理すると
@ 釈迦は輪廻転生や死後の世界が深層心理に基づく virtual なものだというのに気付いた。
A しかし、当時の人は魂の存在、輪廻転生や死後の世界を信じていたから、真理をそのまま教えたらパトロンの王侯貴族からお布施が貰えなくなる。
B それで、対機説法というのを考えて、魂の存在、輪廻転生や死後の世界を信じている一般人には真理を伝えないで誤魔化す事にした。
C 釈迦の弟子もお布施が貰えなくなると困るから、釈迦の対機説法を釈迦の教えとして仏典をまとめた。 スッタニパータで釈迦が否定した筈の天界や輪廻転生が語られるのにはそういう事情があった。
D 部派仏教で人間の心の深層の研究が進むにつれ、ブラフマン・アートマンが実在する事が確認され、釈迦の無我論をそのままの形で継承するのが不可能となった。
E 大乗仏教になると、釈迦の対機説法を当時の一般民衆に人気のあったヒンドゥー教に置き変えて、宗教ビジネスとして完成させた。 大乗仏教の空というのは本質的にはブラフマン・アートマンと同じものを指している。 その結果、大乗仏教での悟りも釈迦の悟りではなく、バラモン教・ヒンドゥー教の悟り、即ち梵我一如と輪廻転生からの解脱と本質的には変わらなくなってしまった。
F 日本に渡来した大乗仏教ではさらに、仏教の外見だけ残して中身を完全に自然神道に置き変えて、それまで村の古老がやっていた儀式を殆ど引き継いだ。 日本のお坊さんが本来の仏教では絶対にやらない筈の葬式やお盆で稼いでいるのはこういう事情なのです。
纏めると
インド仏教は外観だけ釈迦の教えに見せ掛けているが、中身はバラモン教・ヒンドゥー教に置き換えた。
中国仏教は外観だけインド仏教に見せ掛けているが、中身は道教に置き換えた。
日本仏教は外観だけ中国仏教に見せ掛けているが、中身は自然神道に置き換えた。
- 以下が日本人の本来の信仰だよ: 山は死霊が住む場所 弥谷寺(いやだにじ)。 中川隆 2024/7/20 21:13:24
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- 釈迦の本当の教え (マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34) 中川隆 2024/7/21 15:56:25
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- 釈迦の本当の教え (マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34) 中川隆 2024/7/21 15:56:25
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