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パウロはイエスの教えを完全に否定して、改竄捏造した詐欺師だよ
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投稿者 中川隆 日時 2024 年 5 月 30 日 18:51:17: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

パウロはイエスの教えを完全に否定して、改竄捏造した詐欺師だよ:
パウロは「意図的に」史実のイエスには触れません。
イエスがどのような家庭に生まれ育ち、いかに成長し、いかなる目的で伝道を始め、どのような集団を構成し、どのようにして死に至ったかについては何も語りません。
つまりそこには肉のイエス論(生前のキリスト論)はなく、霊のキリスト論(死後のイエス論)しかありません。『コリント人への第二の手紙』第5章16節には、

  「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方はすまい」

と記しています。手紙としてこれを記しているというのは、読む人々にも「そのようにしなさい」と薦めてもいるわけです。

肉のイエスに関わる「作り話やはてしない系図などに気をとられることのないように、命じなさい」とも記しています。

「もうそのような知り方はすまい」というパウロの態度は、史実のイエスへの単なる無視ではなく、むしろ拒否を意味しています。


しかし、もしマタイ、マルコ、ルカなどの共観福音書で描かれたように、十字架贖罪死へ意図的に歩むイエス像が史実として正しいならば、最強最大の十字架贖罪論者であるパウロがイエスの言行についてほとんど一言も触れないのは言語に絶する不可解なこととなります。

そこには当然十字架贖罪死へ向かう感動的なイエスの言行が数限りなく存在した筈だからです。


なぜパウロはイエスの言行について一切触れなかったのでしょうか? 

この重大な問題については、ふつう、「史実のイエスと直接接触のあったペテロ・ヤコブ・ヨハネなど直弟子たちに対する劣等感からくる反撥や開き直りかもしれない」と解釈されて、納得が求められています。

しかしパウロ自身のそのような個人的な境遇が救い主の生涯そのものへの無視へと続くことは決してありえません。これはさも解答があるかのようにみせる一種の誤魔化しや誤導です。

とにもかくにもイエスは彼と全人類にとって「神の子」で「救い主」だから、そのイエスの生涯について一言も語らないというのは、本当は信じられないほど奇妙なことなのです。

その奇妙さを実感していただくために、ここでひとつ質問してみたいと思います。もしあなたの命の恩人がいて、その人がまた家族一人ひとりの命の恩人でもあり、さらに存亡の危機にあった国家をも救った恩人だったとしましょう。

これでもパウロが信じた「全人類を救ったイエス」という大恩人よりはまだもう一つスケールの小さい恩人ですが、それでも、もしこういう人物がいたとするなら、あなたはその人の生まれや成長や活動内容に全く無関心でいられるでしょうか? 

そのようなことは人間として100%ありえません。

ところがパウロはそういうこと一切に対して拒否の態度を示し、事実上、積極的に「無視せよ」と薦めているのです。

これは非常に不自然です。言葉に尽くせないほど不可解です。


もしイエスが十字架死へ向けて意図的に生きたのが史実として正しければ、熱烈な十字架贖罪論者のパウロは彼一流のあの素晴らしい筆法で、十字架への道を歩むイエスの感動的な生き様を数多く紹介してくれたことでしょう。

むろんイエスの生き様に対するパウロのこのような度外れた無視と拒否は、事実上、史実のイエス・本当のイエスへの甚だしい侮辱に他なりません。


パウロが、イエスの言行・史実のイエス・肉のイエス・生前のイエスに一切触れようとしなかったのは、「史実のイエス」と「彼の信じたもの」とがその質において正反対と言っていいほど全く違っていたからなのです。

パウロはイエスを直接知っていた直弟子たちから、先ほど述べた「最後の晩餐」の様子(これについては、パウロは、十字架贖罪死信仰を前提とした「これは私のからだ、これは私の血」などのイエスの架空の言葉によって、すでにペテロなどに欺かれているか、あるいは、たぶん、自分自身を欺いている)だけでなく、イエスの言行について無数の事実を知らされていましたが、ほとんど全て「政治的メシア」に関する史実であったため、あえて「肉のイエス」には一切触れませんでした。


彼は過去の「肉のイエス」に触れないことを、

「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」

(『コリント人への第二の手紙』第5章17節)と神学的に正当化さえしています。


パウロが史実のイエス・肉のイエスに一切触れずに済ませることが「できた」ということは、すなわちイエスの直弟子たちも、「政治的メシア」と直結する部分は全て排除するという仕方で、イエスの生涯や生き様を無視したということを示しています。


現代聖書学ではルドルフ・ブルトマンの福音書に対する詳細な様式史研究などによって、

「史的イエス研究のための唯一の資料である福音書からは史実のイエスを再構築できない」

という結論が出されています。つまり福音書に書かれているイエスの記事はほとんど信用できないということで、これは福音書が非事実の塊だということに他なりません。


さて、「政治的メシア」から「宗教的メシア」へ転換することで、キリスト教はイエスの政治性から脱してローマ帝国と妥協可能になり、その成功とともに際限なく非政治化してゆき、帝国内部に広く浸透できることになりました。

しかしそのかわりローマ帝国との妥協の産物として、

「ローマ人でなくユダヤ人たちがイエスを刑死させた」

というありもしない罪が捏造され、それが史実とは異なる十字架贖罪論の福音書に描かれて、その後の二千年に及ぶユダヤ人迫害の土台を形作ることになりました。


キリスト教がイエス殺害の主犯としての罪をローマ人からユダヤ人に転嫁したのは、ローマ総督がイエスを殺害したという姿のままではローマ帝国内部での成功がとうてい不可能だったからです。

その姿はイエスがローマ支配に反抗する「政治的メシア」として処刑されたことを示すもので、ローマ人は帝国内にこういう敵性宗教が蔓延するのを絶対に許さなかったことでしょう。

また、「宗教的メシア」を強調するために治癒奇跡や自然奇跡(風を叱って止めさせる・水上を歩く・パンと魚を数千倍にする)など様々な奇跡を次々と行うイエス像が捏造されるに至りました。  

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