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(回答先: 神武東征は実際にあったとすれば、西暦250年から300年頃の出来事 投稿者 中川隆 日時 2024 年 4 月 24 日 08:19:03)
古代世界で水銀の最大生産地は日本の奈良県で、神武天皇が奈良県に攻め込んだ理由も水銀だった
神武天皇東征は記録では起原前660年前だが実際には(個人的に)西暦200年台から300年台前半かなと思っています。
と言うのは魏志倭人伝(280年)には神武天皇的な世界が一切書かれていないので、東征はその後の出来事だと想像できるからです。
その前の紀元前200年以上前、秦の始皇帝の指示で徐福という人物が不老不死の薬を求めて日本までやってきたと記録されています。
この不老不死の薬の正体は水銀を主原料とした劇薬で、当時は万病の薬として同じ重さの金よりも高く取引されていました。
古代世界で水銀の最大生産地は日本の奈良県で、神武天皇が奈良県に攻め込んだ理由も水銀だったという説が有力です。
水銀は日本から大陸へ持っていくと高額で取引され、ほとんど何でも手に入れることが可能でした。
神武天皇が奈良県を支配すると中国風の建築が増え都市建設が始まるが、その資金は水銀輸出で得たと見られている。
古代の水銀精製過程では大量の汚染物質が流出し、これが川や池に堆積し青く輝いたのが「あおによし」で、当時の人は水銀を見てロマンチックだなと思っていたようです。
当然ながら奈良では水銀汚染のため人々は病気になったが、もう一つトイレ問題があった。
衛生状態の悪さと間違った医学知識
藤原京や飛鳥京、平城京は日本最初の都市であるためトイレ処理の技術がなく、川や池に流していました。
飛鳥時代の奈良県では水銀とトイレからの流れ者で、川や池は大変な状況になっていました。
歴史で環濠集落を習ったと思いますが、周囲を堀で囲った要塞のような集落で、要塞の中で数百人が生活していました。
外側の堀からやはりトイレの物が発見されていて、しかも汚染されて伝染病が蔓延していたらしいのが分かっています。
現存する環濠集落は戦国時代の防御の為に作られたもので、そうした問題は弥生時代から既に発生していました。
結局明日香村や橿原市。桜井市周辺の古代都市は2つの汚染で住めなくなり、710年に奈良市に首都移転、平城京も汚染されて794年に京都に首都移転しています。
京都でも環境汚染は止まらず魑魅魍魎の伝説が多く生まれたが、大半は環境汚染が原因の病気と考えられています。
武士の時代になると武士は京都を嫌い鎌倉や江戸に引っ越すが、やはり環境汚染がついて回ります。
江戸時代になるとトイレの物を肥料につかうリサイクル社会が完成し、以前よりかなりマシになりました。
だが江戸は人口100万人に膨れ上がり、伝染病が定期的に大流行していました。
根本原因は正しい医学知識が無かったので、ウイルスや細菌を知らず、怨霊や妖怪の仕業だと考えていたからでした。
江戸時代を通じて女性の化粧品に水銀が多用されていて、多くの薬にも水銀が混ぜられていました。
水銀は劇薬のため強力な殺菌作用があり、確かに負傷した時などに劇的な回復をすることがある。
例えば幕府で活躍した柳沢吉保の家系では120人の寿命が記録してあるが、男は22歳で女は15歳でした。
15歳になる前から女性はお化粧を始め、それが原因で非常に短命だったと言われています。
化粧品や水銀を用いた薬は高価だったので、一般の庶民は男42歳、女44歳くらいの平均寿命でした。
古代から中世の日本はあまり環境が良くなかったのです
https://www.thutmosev.com/archives/88166781.html
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