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(回答先: 苗場は元々 志賀高原と繋いで日本のウィスラーにする計画だった 投稿者 中川隆 日時 2024 年 4 月 07 日 20:28:29)
苗場は四万温泉と三国スキー場をつなぐ国道353号線を開通させないと観光地としてはやっていけない。
元々西武が志賀高原、万座、苗場、谷川岳の 4つをゴンドラで繋いで一大観光圏にする計画だったんだ。 苗場単独では観光客は集まらないとわかっていたからね。
堤義明は 国道353号線を 四万温泉 - 苗場間も開通させて
志賀高原 - 草津- 万座 - 中之条 - 四万温泉 - 苗場
を繋いでカナダのウィスラーみたいなスキーリゾートにしようと思っていたんだよ。
しかし、バブル崩壊でそれが不可能になったから、孤立した苗場は見放されたんだ。
苗場スキー場から国道353号を進んだ所に有った三国スキー場は雪質最高、近くの湯之沢は良質な硫黄泉
もし国道353号の三国-中之条間が開通していれば苗場から四万温泉まですぐなので、苗場もリゾート地として人気になっていた。
新潟県は開発方針を間違えたんだね。 湯越後沢には先が見えないアホしか居なかったという事かな
国道353号は、群馬県桐生市を起点とし新潟県柏崎市を終点とする一般国道である。
群馬県桐生市広沢町の国道50号との交点を起点に赤城山南斜面を通り、新潟県柏崎市柳橋町の国道8号との交点へと至る路線である。途中の群馬県吾妻郡中之条町四万と新潟県南魚沼郡湯沢町三国との群馬・新潟県境が不通となっている。
苗場と四万温泉を繋ぐはずだった国道353が未通だけど、新三国トンネル作るのに9年かかってる様じゃあ、永遠に未通のままだね。
僅か10kmの未通部分を繋げば湯沢も草津・万座・志賀高原と同じ観光圏になって観光客が沢山来るのに、湯沢にはそういう事を考える頭に有る人間が一人も居ないんだな。
1997 1 12 三国スキー場 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bwJyu2blrn4
旧三国スキー場の秋2013 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zadFXSHSycA
三国スキー場 - 廃墟検索地図
http://haikyo.crap.jp/s/7682.html
四万温泉から新潟への古道探検 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PD1_74JVqPY
古道再発見の探検隊 – 四万温泉から新潟への街道跡
いまは、奥四万湖で行き止まりの四万温泉ですが、その昔は新潟方面に抜ける街道筋の温泉地でもあったそうです。
四万温泉の古老の方々からもそんな言い伝えを聞いていたので、その道を再発見しようと、4年前(2013年)の11月に引き続き、2度目の探検隊を組みました。
今回は、稲包山の登山道から入り、途中で尾根から下り、古道跡まで行き、そこから古道を新潟方面へ登りました。
微かに残った道跡。
道なき道を藪漕ぎで進み、滑落の危険と背中合わせの道を進みました。
最初は余裕タップリしでしたが・・・
ほとんどの道中は深い笹薮の中
何箇所もあった、沢越えではかなり危険な思いも・・・
かなり怖くてハードな道のりでしたが、4年前の第一回目の探検のあと、営林署のSさんがひとりで何度も山に入り、入念に下調べしておいてくれたので、なんとか古道を踏査できました。
新潟県境の尾根にたどり着き一安心
11月上旬なのに霧氷が
今回の踏査マップ
4年前と今回の調査を合わせて、この街道の全貌がかなり見えてきました。
営林署Sさんのまとめた資料
この道(木の根宿古道と(仮)で呼びます)は、四万温泉の日向見から四万川・木の根宿沢沿いを登り新潟県境の三坂峠を経て湯沢町の浅貝に至るルートだったようです。
色々な古文書や古地図にその存在が記載されているのですが、大正4年発行の地図を最後に地図からは消えてしまっています。
大正4年発行の地図
四万温泉在住の折田さんがまとめてくださった資料によると、すでに10世紀には木の根宿古道が使われていたようです。
折田さんによる年表
新田義貞が挙兵の折(14世紀)、新潟側の同志がこの道を通って参戦した。
木の根宿(きのねしゅく)という宿場があり遊女もいた(須川記)
新潟の上杉氏がここを往来した記録も残る
など、興味深い記載がたくさん残っています。
さらに、中之条町歴史民俗資料館(MUSEE)の「世のちり洗う四万温泉」図録にも、この古道の往来について簡単にまとめた記事があります。
中之条町歴史民俗資料館提供
坂上田村麻呂が通過したと言われる、国府 – 渋川 – 中之条 – 四万 – 木の根宿 – 浅貝への木の根宿通りの奥州故道・・
「元慶の乱」(878年)、出羽で起こった乱の鎮静のため上野国の兵の出動経路
などが書かれています。
実際に歩いてみたり地図を辿ってみたりすると、木の根宿古道は、登山が目的のいまの稲包山のルートとは異なり、なるべくアップダウンの少ない、牛馬も通りやすい位置にルートが設定されていたことがわかります。
今回木の根古道を歩いてみて、道のありがたさを身を以て体感しました。
普通の登山道 >> 木の根宿古道 >> ただの笹薮
本当に微かではありますが、残っている道跡を歩くのが、全く何もない笹薮の中を歩くのよりどれだけ楽だったことか、そして整備されている登山道の楽チンさといったら最高でした。
営林署のSさん以外は、木の根宿古道を制覇した人はいないので、次のチャンスには、日向見から新潟まで全て古道を歩いてたどり着いてみたいと思いました。
また、文献(吾妻郡誌)に、
木の根宿趾
澤田村大字四萬の山中にあり。此地往古越後との交通路ありし頃、人家點々略宿状をなせりといふ。
と記載のある、木の根宿の跡地遺跡もいつの日か発見してみたいと思います。
協力してくださる、大学の登山部や探検部の方いらっしゃいませんか?
お気軽にお声がけくださいね。
今回の調査の様子を上毛新聞が記事にしてくれました。
上毛新聞記事
(以下引用)
奥四万湖から三坂峠を越えて新潟県に続く「木の根宿古道」(約10キロ)を、中之条町の観光団体の関係者が5年がかりで踏査した。複数の文献に古道沿いにあると記されながら、場所が確認されずにいる謎の宿場町「木の根宿」の跡地は発見できなかった。今後も宿場跡の調査を続ける一方、山岳ルートとしての活用法を探る。
調査したのは、奥四万湖近くの秋沢橋から稲包山の中腹を抜け、新潟県境の三坂峠を越えるルート。尾根や沢、滝を進む難コースで、クマザサなどが生い茂り登山者が立ち入れない状態になっている。四万温泉協会と同町観光協会が、登山ルートやトレイルランコースへの活用を視野に2013年に調査を始め、今年11月にようやく終了した。
木の根宿古道はかつての主要道で、沼田藩主だった真田家の家臣、加沢平次左衛門が主家の興亡をまとめた戦記物「加沢記」に登場するなど複数の文献に記載がある。江戸時代の猿ケ京関所開設に伴い通行禁止となったが、新潟への抜け道として利用されたと伝えられる。
古道沿いに木の根宿があったとされ、1934(昭和9)年に吾妻山岳会が跡地を発見したと「群馬県吾妻郡誌追録」に記されている。「木の根宿に花魁おいらん屋敷があった」との伝承も残る。ただ、写真はなく、その後の調査で跡地の場所は確認できていない。
同町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の山口通喜館長は「木の根宿古道は軍事などを目的に古くは平安時代から使われ、利用する一般人も多かった。今回の調査で宿場町跡は確認できず残念だが、踏破する価値がある」と話す。
調査に参加した同町観光協会の原沢香司さんは「近くにぐんま県境稜線トレイルが整備されるので、連携した活用法を検討したい」、四万温泉で旅館を経営する柏原益夫さんは「山岳トレイルが人気なので、四万温泉の魅力に一つにできたら」と話している。
https://www.kashiwaya.org/blog/?p=11505
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金儲けと女にしか関心が無かった堤義明
プリンスの墓標 堤義明怨念の家系
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/373.html
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