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(回答先: 英米金融資本のエージェントだった戦前の日本は英米の利権を守る為にchousenを併合した 投稿者 中川隆 日時 2024 年 4 月 01 日 14:38:17)
日本がchousen併合したのも満州や中国を植民地化したのも食料を増産するためだった
戦前も晩婚化が進んでいた 食料不足から人口抑制し現在に至る
戦前戦後の食糧不足から、日本は人口抑制を徹底した。
そのまま70年が経ち、政府はまだ人口抑制策を続けている。
戦前も結婚が遅かった
少子高齢化は日本の病理のひとつで、中でも子供が少ない少子化は、年金問題や経済の低成長などを引き起こしている。
少子化の原因は結婚しない人が増えたのと、結婚年齢が遅くなったのが原因だが、戦前は結婚が早かったわけではなかった。
1920年代(大正末期から昭和初期)はアメリカで空前のバブル景気になり、すでに個人がスポーツカーを乗り回していた。
当時は今より世界の結びつきは少なかったが、日本も好景気の恩恵を受けて「大正デモクラシー」が流行した。
伝統主義に対して西洋化、資本主義、民主主義がもてはやされ、東京では消費文化が始まりました。
サラリーマンは西洋風のスーツを着てOLが着物ではなくスカートを履き、お昼は洋食のランチを外で食べるのが流行った。
1930年代になると既に日中戦争は始まっていたが、田舎にも西洋化の波は押し寄せ、急速に晩婚化が進みました。
1920年に女性の結婚年齢は23歳だったのに、1943年ごろには25歳になり、男は平均30歳になりました。
この間出生率も低下して5.0(女性一人が平均5人出産)から1940年頃3.8くらいまで低下しました。
出生数は増減はあるものの概ね上昇し、1950年には269万人まで増加しました。
これはいわゆる人口ピラミッドの下の方が大きく、若者が多かったので、少々晩婚になっても絶対数が多かったからでしょう。
戦前から戦後10年くらいの日本は人口が増えすぎ、食料不足が大問題になっていました。
日本政府が人口を減らす政策を進めた
日本軍がchousen占領したのも満州や中国を占領したのも、根源的には「食料を増産するため」だったのはあまり知られていない。
人口が増えた割りに食糧増産は進まなかったので、chousenを占領したが、却って増えた人口を日本が養わねばならなくなった。
そこで満州を占領して食糧増産しようとしたが、今度は満州で人口が増えてしまい、日本が満州の人を養わねばならなくなった。
旧日本軍の政治は大体こんな風で、とりあえずやってみたが失敗した、というパターンが多い。
大日本帝国は最初から最後まで食糧不足に悩まされ、内地でも外地でも戦地でも食料が不足した。
皮肉な事に1945年ごろの日本で最も食料が豊富だったのは、日本が養ったchousenや満州や樺太だった。
1945年を境に戦地から兵士が帰還して爆発的な人口増加が起こり、1947年から49年に出生数と出生率で過去最高を記録しました。
当時の製造業や農業は自動化されておらず全て人力だったので、社会は膨大な労働力を必要としていました。
日本政府はやはり人口増加による食糧不足を懸念し、戦後すぐに人口抑制政策を始めました。
子供を産んでも何のメリットもなくなった
女性の社会進出、子供の人権、中絶合法化、などがそれでいずれも女性が子供を産まなくなるように調整する目的でした。
女性が働けば子供を産まなくなり、子供の人権や教育によって子育てには金がかかり、5人以上も産むことはできなくなった。
昭和の中期以前は子供が家事や仕事の手伝いをするのは当然だったが、これも禁止したので一人当たりの養育費は高騰した。
1960年代までは「子供は産めばなんとかなる」社会だったが、以降は金がなくては子供を作れない社会に変わった。
貧乏人の子沢山という言葉があり、たくさん産んで一人でも立身出世した家族は貧乏から抜け出せたが、そういうサクセスストーリーもなくなった。
子供が多かった時代には、子供は働いたり近所の子供の世話をし、成人したら親の面倒を見るのが当然だったので、親には子供を育てる金銭的メリットがあり、愛情だけで育てたのではなかった。
現代では子供は親と別居して面倒を見ないのが当たり前になり、子供は「ただの負債」になってしまった。
戦後70年ずっと日本政府は、昭和初期に軍部が決めた人口抑制策を続け、人口がマイナスになった現在も続けています。
人口減少、少子化の犯人は誰かと言えば、それは他の誰でもなく日本政府自身でした。
http://www.thutmosev.com/archives/74335274.html
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