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(回答先: 旭川の成り立ちと歴史2 投稿者 中川隆 日時 2023 年 7 月 24 日 10:38:28)
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売xの『akasen』で発展した街 今も貧乏女子達は金持ちのsei 奴隷にされてる セックX街です
特に旭川は大東亜戦争が終結するまでは奴隷制度が公然としてあり、帝国軍と遊郭と反社が猛威をふるって警察の出る幕は無いようなものでしたからね。
市は公娼の取り扱いを議会で決めていたと記録にありますし…
余談ですが、拷問は娯楽扱いだったようです。
まあ当時、公職に就いてる人間は隠蔽・捏造が一般常識という風潮でしたから、ほんの数十年しか経っていないのでまだ脱し切れてはいないと思うの。
東条英機のご親戚(確か?)のご婦人が裸に剥かれ後ろ手に縛られ橋の下に放り投げられた事件もあります。
そういった弊風が根付いている土地柄でしたから、一般民間人のモラルや生活、生業など個人差はあれど推して知るべしだったと、悲しい話ですがそう想像させられます。
なので今回の事件も、全体像が全く掴めないのは、自身にまたは自身が属する職業や地位に於いて都合の悪い個所は官吏側・警察側・民間人側それぞれが嘘をついているのではないかとも思うの。
76年前までは娼妓という奴隷の制度が法律として定められていたんだよ。
中でも旭川は特に酷くてな、羽振りの良い軍が妓楼を好き放題にしてたから、奴隷に関して警察は機能していなかった。
軍と警察の隠蔽や捏造はむしろ当たり前でな、今の時代では圧力がどうのこうの程度で騒ぎになるが、当時までは正義や倫理なんてものは銭ににもならないし生きていく上で邪魔だったんだよ。軍や警察の気に入らないことがあると難癖をつけて拷問という名の半殺しは当たり前、内聞という隠蔽も当たり前、それが一般常識だったよ。
妓楼の中でも上に挙げた事柄と同じ様なもんでな、娼妓を折檻するための部屋は必ず設えてあった。
女将の虫のいどころがよくない時は折檻部屋に閉じ込められ拷問よ・・・。
それも、他の妓に聞こえるようにな。その拷問であがる悲鳴が妓の娯楽でもあったんだ。
そういう鬼畜文化が旭川成り立ちの背景には色濃くあるんだよ。
根っこから腐敗している悪弊がたったの76年で払拭できるわけがない。
- 旭川の人間は頭がおかしい _ 旭川では拷問が娯楽だった・ 旭川人によるイジメの伝統 中川隆 2023/8/03 18:20:04
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