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ネオコンのプロパガンダを真似て偽情報を流すイスラエルのネタニヤフ政権
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310130000/
2023.10.14 櫻井ジャーナル
ハマス(イスラム抵抗運動)は10月7日にイスラエルを奇襲攻撃した際、イスラエル市民に対して残虐な行為を働いたとIDF(イスラエル国防軍)やイスラエル外務省は主張した。その中には40人の「赤ん坊」を殺害し、数人の首をはねるということも含まれているという。
アメリカのジョセフ・バイデン大統領は10月10日、ホワイトハウスにおけるユダヤ教の指導者たちに対する演説で赤ん坊に対する残忍な行為を描いた写真にショックを受けたと主張したのだが、後に撤回した。IDFも「公式には確認できない」としている。バイデンは幻影を見たのだろうか?
赤ん坊をの首をはねたとする話の発信源はIDFのデイビッド・ベン・シオン。この人物が記者に語り、その偽情報をバイデンたちが広げたという。このベン・シオンはヨルダン川西岸の違法入植者の指導者で、今年初めにはヨルダン川西岸でパレスチナ人に対する暴動を扇動したと伝えられている。今年2月、彼はパレスチナのフワラ村を一掃するように呼びかけていた。「慈悲の余地はない」のだという。
ベン・シオンのような狂信的なシオニストはイスラム世界を挑発していた。たとえば今年4月1日、イスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺する。4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクに突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/今年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃、そしてユダヤ教の「仮庵の祭り」(今年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。
ユダヤ教徒の一部はアル・アクサ・モスクを破壊し、「第3神殿」を建設するべきだと主張している。こうした狂信的シオニストに対するイスラムの怒りが高まっていることは間違いないが、ハマスには別の要素も考慮する必要がある。
すでに本ブログでも書いたが、ハマスは1987年12月にシーク・アーメド・ヤシンらによって創設された。ヤシンはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物で、ガザにおける同胞団の責任者に選ばれている。シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を1973年に創設、76年にはイスラム協会を設立し、このイスラム協会の軍事部門として87年に登場してくるのがハマスである。
PLO(パレスチナ解放機構)の中心的な組織、ファタハ(パレスチナ民族解放運動)を率いるヤセル・アラファト対策のためにイスラエルはハマスを創設した。アラファトのライバルを育て、内部対立させることで運動を弱体化させようとしたわけだ。
アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名したが、クリントンはスキャンダル攻勢でホワイトハウスにおける影響力が低下、95年11月にラビンが暗殺されてしまう。
ラビン暗殺から5年後、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまう。2004年11月にアラファトが死亡、PLOの影響力は大きく低下する。アラファトが死ぬ8カ月前、ヤシンはイスラエルに暗殺されていた。
死亡直後からアラファトの死に疑問を持つ人は少なくなかった。自然死ではなく殺されたのではないかという疑惑だ。その疑惑をアル・ジャジーラが9カ月に渡って調査、アラファトが死の直前まで健康だったことを確認した。しかも彼の衣類や歯ブラシなどから放射性物質のポロニウム210が検出されたという。そこで、遺体の調査を求める声が出ている。
イスラエルの現首相であるベンヤミン・ネタニヤフはオスロ合意に反対している。ネタニヤフは1996年6月から99年7月、そして09年3月から21年6月にも首相を務めた。今回は2022年12月からだ。
シーモア・ハーシュによると、前回、つまり2009年に返り咲いた時、ネタニヤフはハマスにパレスチナを支配させようとした。そのためにカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。イスラエルが作った「フランケンシュタイン」をネタニヤフは再始動させようとしたと言えるかもしれない。
今回のハマスによる攻撃についてIDFの広報官などはISIS(ダーイッシュ)のようだと表現している。ダーイッシュは2014年8月にジェームズ・フォーリーの首を切る映像を公開、残虐さを演出していた。
バラク・オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を承認してムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させ、2011年春にはアル・カイダ系武装集団を使ってリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた。その武将集団の中心はムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)だ。
リビアでは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ本人はその際に惨殺された。その際、アル・カイダ系武装集団とNATO軍の連携が明らかになり、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられている。なお、その象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンは2011年5月、アメリカ海軍の特殊部隊によって殺害されたとされている。
この後、オバマ政権は戦闘員や兵器をシリアへ集中させるのだが、アメリカ軍の上層部にはこれを危険だと考える軍人がいた。2012年8月にはアメリカ軍の情報機関DIAがオバマ政権のシリアでの政策を危険だとする報告書をホワイトハウスへ提出している。その時のDIA局長がマイケル・フリンだ。その政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。
その警告は2014年に現実化する。ダーイッシュの登場だ。その年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧されたが、その際にトヨタ製小型トラック、ハイラックスの新車を連ねたパレードが行われている。その様子を撮影した写真が世界に伝えられたのだが、こうした戦闘集団の動きをアメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで知っていたはず。そうしたパレードは格好の攻撃目標だが、アメリカ軍は動かなかった。フォーリーの首を切る映像をダーイッシュが公開した2014年8月、フリン中将は退役させられてしまう。
フォーリーの首を切るところだとされる映像はフェイクだと指摘されている。首の前で6回ほどナイフは動いているものの、血が噴き出さず、実際に切っているようには見えないのだ。そうしたこともあり、フォーリーの斬首映像はシリア領内を空爆する口実作りだと推測する人もいる。
2015年になるとオバマ大統領はホワイトハウスを好戦的な陣容に替える。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代しているのだ。
デンプシーが議長から退いたのは2015年9月25日。その5日後にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入し、戦況は一変した。その後、ロシア軍は兵器と戦闘能力の優秀さを世界へ見せつけることになる。ここからアメリカが没落するスピードは加速していくようだ。
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