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ウクライナのNATO加盟に反対と発言したサルコジは自国を米国の従属国にした
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309100000/
2023.09.10 櫻井ジャーナル
ウラジーミル・ゼレンスキー政権が6月4日に始めた「反転攻勢」は失敗した。ウクライナでは高齢者を街で拉致して戦場へ送り込んでいるが、ここに来て女性を動員の対象にしようとしているとも報道されている。
ロシアが構築した「スロビキン防衛線」を突破するためにアメリカ/NATOは「総玉砕」戦法を強要、訓練の不十分た部隊に「バンザイ突撃」させてロシアを疲弊させようとしたが、その目的を達成できそうにはない。
旧日本軍を彷彿とさせる無謀な戦法で突破口を開き、その後で精鋭部隊の第82空挺旅団を中心とする最後の戦略予備軍を投入する計画を立てていたと言われているが、早い段階で投入せざるをえなくなり、精鋭部隊はロシア軍に殲滅されてしまった。
ウクライナでの内戦はアメリカのネオコンが仕掛けたのだが、その背後にはウォール街やシティを拠点とする巨大金融資本が存在している。その金融資本は現在、ブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」を中心に動いている。
ウクライナへは膨大な兵器や資金が流入、「URB(ウクライナ復興銀行)」の設立も計画されている。国を破綻させて「民営化」、ウクライナの富を盗もうとしている。その計画の中心はブラックロックやJPモルガンだ。
ブラックロックは西側から供給される兵器や「復興資金」の使い道についてアドバイス、同社を率いるラリー・フィンクはウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領と関係が深い。JPモルガンやゴールドマン・サックスともゼレンスキー政権は協力関係にある。
2013年11月から14年2月にウクライナではクーデターが実行されたが、その後、ロシアからの支援を失ったウクライナの経済は破綻、ウクライナ国債の価格は下落する。それを買い占めていたフランクリン・テンプルトンというファンドは額面総額50億ドルの国債を買ったという。このファンドを操っているのはロスチャイルド家だ。破綻国にIMFが融資、その資金で二束三文になった国債を満額で買い取らせ、IMFが借金の取り立てるという流れができている。
しかし、約束を守らないアメリカ/NATO/ウクライナとの話し合いをロシアはしないだろう。ミンスク合意と同じように、アメリカやその従属国にとって話し合いは状況が悪い時の時間稼ぎにすぎない。
ウクライナを占領したうえでロシアを倒し、富を独占することは難しいのだが、ネオコンはウクライナ人を利用してロシアを疲弊させるという計画に執着いている。
ロシアにウクライナ攻撃を決断させた理由はNATOの東への拡大とネオ・ナチの存在。ここにきてフランスのニコラ・サルコジ元大統領はウクライナがEUやNATOへ加盟することに反対すると表明、モスクワとキエフの和解を求めた。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、ロシア政府とウクライナ政府は昨年2月末から3月初めの段階で停戦交渉、ほぼ合意に達していた。
停戦交渉を仲介したひとりはイスラエルの首相を務めていたナフタリ・ベネット。彼によると、話し合いで双方は妥協に応じ、停戦は実現しそうだった。
3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけ、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・シュルツ首相と会っている。ゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフがウクライナの治安機関SBUのメンバーに射殺されたのはその3月5日だ。
停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。
こうした停戦の動きを破壊したのがアメリカ政府とイギリス政府にほかならない。停戦を実現する上で最大の障害はこのふたつの国だ。
この2カ国の情報機関、CIAとMI6は第2次世界大戦後、NATOの内部に秘密工作機関のネットワークを築いていた。そのネットワークはフランスのシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試み、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領を暗殺したと言われている。
NATOがヨーロッパ支配の道具だと理解していたとみられるド・ゴールは、ケネディ大統領が暗殺されてから3年後の1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱させ、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出した。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年。NATOへの完全復帰は2009年にサルコジ政権が決めている。サルコジはフランスをアメリカの属国にしたわけである。
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