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現代ウクライナ史の裏にある大きな嘘:なぜウクライナ政府は謎に包まれた2014年の 「マイダンの虐殺」 の適切な調査を拒否するのか?
<記事原文 寺島先生推薦>
The big lie behind modern Ukraine: Why does Kiev refuse to properly investigate the mysterious 2014 ‘Maidan massacre’? — RT Russia & Former Soviet Union
https://www.rt.com/russia/579602-big-lie-behind-modern-ukraine/
For almost ten years officials have refused to find the culprits, despite plenty of eyewitness accounts and evidence
多くの目撃証言や証拠にもかかわらず、10年近く当局は犯人の特定を拒否してきた。
筆者:クリスティーナ・シゾヴァ(Christina Sizova)
出典:RT 2023年7月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月25日
ウクライナにおける戦闘の活発な段階は500日以上続いている。この間、数万人、おそらく数十万人が死亡した。
一方、西側諸国は戦争を支援するために数十億ドルを費やしており、ロシアでは核兵器使用の可能性について活発な議論が始まっている。
ウクライナ出身のカナダ人研究者であるイワン・カチャノフスキーは、一連のドミノが最初に倒されたのは約10年前で、後に 「ユーロマイダン」 として知られる大規模な抗議運動がウクライナの首都で発生した時だと考えている。
キエフではある日、反政府デモ隊と警察を合わせて100人以上が死亡した。ウクライナ指導部、西側の政治家、メディアはベルクト特殊警察(訳注)を非難したが、多くの事実は、反政府デモ隊がその仲間によって撃たれた可能性を示唆している。
(訳注)2014年まで存在していたウクライナ内務省管轄の民警(ミリーツィヤ)に属する特殊部隊(Weblio)
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カチャノフスキーは「マイダン虐殺裁判と捜査から分かったこと:ウクライナ・ロシア戦争と関連事項への示唆」という記事の中で、10年前の犯罪を適切に捜査できなかったことが、国際関係を現在の状態に導いたことを示している。
マイダンの虐殺:調査結果
ウクライナ政府が欧州連合 (EU) との連合協定締結の準備を中断した2013年11月21日から、関連する事件が始まった。同日午後10時頃、当時の主要野党指導者の支援を受けた最初の抗議行動がキエフのメイン広場で発生した。
当初はそれほど多くの人が集まらなかった。初日には1000人から1500人の活動家が参加した。しかし、数日後、好機だと感じた急進派が、マイダンにテントの設営をした。最終的にはいくつかの行政機関の建物を占拠し、武装した「自衛軍」を組織し、警察と直接衝突することになる。
2014年の2月18日から20日にかけて、正体不明の狙撃兵がマイダンの上層階から発砲し、事件は最高潮に達した。その結果、デモ隊抗議者とウクライナ内務省管轄のベルクト特別警察隊の警官を含む100人以上が死亡した。検察庁によると、ユーロマイダンで2442人が負傷した。誰かが虐殺の責任を問われなければならず、クーデターの後に権力を握った者たちはすぐに「犯人」と思われる人物を見つけ出した。
国外逃亡したヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元大統領に対する刑事訴訟が開始された。彼は民間人の大量殺人で起訴された。また、ベルクト特殊警察部隊は、市民に対する武器の発砲を含むマイダンの犯罪で告発された。
2014年2月23日にキエフの独立広場で起きた警察との衝突で死亡した反政府デモ隊の慰霊碑に献花し、追悼する人々。
© Brendan Hoffman / Getty Images
生贄(いけにえ)
2015年2月、検察は25人のベルクト警察官とその他の身元不明の個人が反政府デモ隊の射殺に関与したと主張した。その2年後、セルゲイ・ゴルバチュク検察庁特別捜査部長も、ベルクトの隊員が反政府デモ隊に対して武力を行使したとして、3000から5000グリブナ(当時337ドルと562ドル)のボーナスを違法に受け取ったと主張した。
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元警察官の起訴が全国で始まり、多くのベルクト警察官がロシアに移住した。2014年2月のマイダン殺害がベルクトによるものであることを暗示するこの物語は、ウクライナ政府関係者や西側の支援者によって疑問視されたことはない。
しかし、現在も捜査は続いている。昨年2月、イリーナ・ヴェネディクトヴァ検事総長は、ウクライナの裁判所がマイダン事件に関連した犯罪で50人に判決を下したと述べた。また、518人が告発され、248人の起訴状が提出され、372人が有罪判決を受けたと述べた。
しかし、多くの疑問が残されている。最初のマイダン 「活動家」 の殺人事件は未解決のままである。前述の「狙撃事件」も未解決のままであり、反政府デモ隊や警察官たちを撃った者は起訴されていない。警察に対する犯罪は捜査すらされていないが、検察庁によると、ユーロマイダンの事件で721人が負傷したという。
「ウクライナや西側諸国では、反政府デモ隊のマイダンでの虐殺はヤヌコーヴィチ政権によるものだとする見方が支配的で、警察の殺害はほとんど無視されている。一部の例外を除いて、西側とウクライナのメディアもまた、マイダンでの虐殺の裁判と、マイダンが管理する建物内の狙撃兵に関する調査結果を報道しませんでした」 と、イワン・カチャノフスキーは述べている。
いったい本当は何が起こったのか
この事件においては、ベルクト警察が常に傍証を欠いていたと主張する声も上がっている。2019年、弁護士のアレクサンドル・ゴロシンスキーがロシア情報通信のRIAノーボスチ通信社に対し語ったことは、2014年2月20日の朝、39人の警察官と軍人が負傷し、四人が死亡したということだった。同日夕方までに63人が負傷した。
「誰かが整然とベルクト警察と国内軍の兵士と将校に向けて発砲した」 と彼は主張した
2014年4月、ドイツ国営放送ARD/Das Erste TVチャンネルは報道調査を行い、ウクライナ検察局が承認した内容に矛盾があると結論付けた。ジャーナリストのステファン・シュチュリクは、デモ参加者が自分の仲間によって背後から撃たれたという証拠を提示した。
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「いくつかの重要な疑問が残されている。その一つは、2月20日に本当に反政府デモ隊が背後から撃たれたのかということである。これが重要なのは、彼らのすぐ後ろに反政府デモ隊が支配するウクライナホテルがあったからだ。これは仲間から銃撃された可能性を意味する。この件について、目撃者、射撃の専門家、弾道学の専門家に話を聞いた。彼らは確かに背後から撃たれたと主張している」と記者は述べた。
BBCの調査では、反政府デモ隊が警察に発砲したことで虐殺が始まった可能性も指摘されている。セルゲイという男は、別の男と一緒に、当時デモ隊の支配下にあった建物から警察に向けて発砲したとイギリス国営放送に語った。彼によると、彼がベルクト警官に向けて撃った銃弾は警察を後退させた。
米国のSITU Researchも、「背後から銃撃されたことは法医学的証拠から明らかである」「誰かが屋上から銃撃していた」と指摘している。
これらの報告は、過激派のイワン・ブベンチックによって確認された。2016年、ウラジミール・ティヒー監督のドキュメンタリー映画 「Brantsi」(囚人)で、彼は機関銃で内務省の警察官を撃ったことを認めた。「後頭部を撃ち抜いて殺したと言われていますが、それは事実です。彼らは私に背を向けて立っていた。彼らが振り向くのを待つ機会がなかった。私は3階の柱の後ろの、マイダンから最も遠い窓から発砲した。そこからは、石碑のそばに盾を持った警官が配置されているのがはっきり見えた。」とブベンチックは述べた。
2014年2月20日にキエフでウクライナ大統領と野党指導者の間で停戦が合意されたにもかかわらず、独立広場で警察との衝突が続く中、反政府デモ隊が負傷者を運んでいる。© Jeff J Mitchell/Getty Images
1000時間のビデオ映像、数十人の目撃者
これらは、マイダン殺人事件で公に利用可能な目撃証言の一部にすぎない。カチャノフスキーは、マイダン虐殺、ヤヌコビッチ裁判、そして公式オンラインデータベースで利用可能な2500以上の判決におけるこれらの事件の調査の約1000時間の公式ビデオ映像に基づいて調査した。
カチャノフスキーは、ベルクト警察が反政府デモ隊を銃撃する映像が裁判で提示されたと述べている。しかし、映像の中の銃撃の時間と方向は、マイダンの銃撃の時間と一致していなかった。彼は、裁判中に提出された動画やその他の証拠によって、警察が到着して発砲する前に反政府デモ隊の3人が (インスティトゥツカヤ通りで) 殺されたことが確認されたと考えている。
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同時に、ベルクト警察の弁護団が指摘したのは、反政府デモ隊の一人が猟銃から撃った発砲の時間と方向 (動画と写真で見られるように) は、国家の法医学専門家によって確立された特殊部隊の警官を殺害した発砲の時間と方向と一致するということだった。
カチャノフスキーは、マイダンの銃撃犯は特定されたが、起訴されなかったと主張している。
ベルギーのテレビ局VRTが録画した未公開映像も裁判で上映された。映像には、ウクライナホテル内に配置された狙撃兵が反政府デモ隊を撃っていたため、デモ参加者が他の参加者に前進しないよう警告している様子と、彼が発砲による閃光を見ていたことが映っている。VRTの動画には、デモ隊の方向で木に命中した弾丸も映っている。彼らは振り向いて、ホテルを指差し、狙撃手に向かって「撃つな」と叫ぶ。
2月20日にベルクト警察により襲撃されたとされ、証言が公開された負傷した72人のマイダンの反政府デモ隊のうち約51人は、捜査と裁判で、マイダンの活動家が支配する建物や領域から狙撃兵に撃たれたと主張した。彼らは狙撃手を個人的に見たり、他のデモ隊の抗議者から聞いたと証言した。計31人の負傷した反政府デモ隊の者たちは、ウクライナ・ホテル、アルカダ銀行、10月宮殿、ムセイニー・レーンとゴロデツキー通りの建物から攻撃を受けたと述べたが、これらはすべて、当時は反政府デモ隊が支配していた建物と領域だった。
グルジアの狙撃兵
ある説によると、反政府デモ隊を撃ったのはウクライナ市民ではなく、ジョージア人を含む外国人の傭兵だったという。これを最初に述べたのは、グルジアの精鋭部隊 「アヴァザ」 の元司令官トリスタン・ツィテラシュヴィリ将軍で、彼はグルジア人がマイダンの事件に参加していたことを知っていたと主張した。
2014年2月19日、キエフの 「マイダン」 と呼ばれる独立広場周辺で、がれきや炎の中を歩く反政府デモ隊 © Brendan Hoffman / Getty Images
2018年2月、複数のグルジア市民がRIAノーボスチ通信社とのインタビューで、反政府デモ隊を撃ったことを認めた。ジョージア陸軍の元軍人コバ・ネルガゼ氏によると、狙撃手たちはミヘイル・サアカシュヴィリ元大統領の元顧問マムカ・マムラシヴィリの助けを借りてキエフに来たという。ネルガゼと彼の一団は、1万ドルを与えられ、キエフから戻った後、さらに5万ドルを約束された。彼らは偽造パスポートでウクライナに入国した。キエフではウシンスキー通りを拠点とし、毎日マイダンの催しに参加した。
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捜査の過程において、カチャノフスキーはこう語った。すなわち、米・伊・イスラエル・マケドニア・露の報道機関とのインタビューにおけるジョージアの狙撃手たちの主張によると、彼らはバルト諸国から来た狙撃手団や極右勢力と関係のあるウクライナの狙撃手団とともに、両側の抗議活動者を射撃するよう命令を受けていたというのだ。そしてその目的は、ヤヌコヴィチとユーロマイダンの指導者たちの間で和平協定を結ばせないことにあった。
誰も告訴されず
多数の事実、証拠の調査、ビデオ録画、目撃者の証言にもかかわらず、警察官の殺人や傷害で有罪判決を受けたり逮捕されたりした者がいないことに、カチャノフスキーはショックを受ける。
彼は、検察庁が、2013-2014年の事件に直接参加した極右政党のスボボダ党(訳注)と人民戦線党の政治家か、あるいはその後のペトル・ポロシェンコ大統領とウラジーミル・ゼレンスキー大統領の側近によって率いられていたためだと考えている。
(訳注)ウクライナのネオナチ・民族主義政党(ウィキペディア)
「スボボダと人民戦線の主要構成員が検察庁を率いるように選ばれた。他のマイダン活動家やマイダン狙撃団のジョージア人構成員の告白によって、これらの政党が虐殺に直接関与したと非難されたにもかかわらずに、である。この事実は、隠蔽と妨害を示唆している」とカチャノフスキーは言う。
また、裁判で証拠改ざんの事例が明らかになったことも彼は指摘した。死傷者が出たとされる反政府デモ参加者の銃弾は、大きさや形、包装が変わっただけでなく、何の書類もなく現れたり消えたりした。例えば、マクシム・シャイムコの検死報告書には、黄色の弾丸片が1つ、灰色の弾丸片が3つ記載されていたが、法医弾道学的検査では、灰色の弾丸片が、新しく発見されたはるかに大きなサイズの黄色の弾丸片に置き換えられた。その後、この新しい弾丸の破片はベルクト特殊警察のカラシニコフ銃と照合され、何の説明もなく、これまでの多くの法医学検査を覆した。
2014年2月22日にキエフで起きた警察との衝突で死亡した反政府デモ隊に残された花の横で悲しむ男性
© Jeff J Mitchell / Getty Images
次は何か?
カチャノフスキーによれば、これらの結論は、ウクライナにおける紛争の原因であるユーロマイダンを理解するために重要であり、ロシアとウクライナ、ロシアと西側の間の紛争についても同様である。彼の主張によると、偽旗虐殺は西側の支援を受けた事実上の暴力的なウクライナ政府の転覆を招き、その結果クリミアはロシア領となり、ウクライナにおける武力紛争と2022年2月のロシアによる攻撃を引き起こした、という。
「裁判と捜査で明らかになったことは、人気のあった 「ユーロマイダン」 の抗議行動ではなく、このヤヌコヴィチに対する演出された大量殺戮と暗殺の試みが、ヤヌコヴィチ政権の打倒において決定的であったことを示している。これらは、ウクライナと西側諸国で支配的な物語に反して、ユーロマイダンの間の政治的移行が非民主的であったことを示している。この反政府デモ隊と警察官の大量殺害は、独立したウクライナの歴史において最も重大な政治犯罪と人権侵害の一つでもあった。」とカチャノフスキーは書いている。
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彼は、ウクライナの法執行機関と司法制度がユーロマイダンの事件の適切な解決を保証できなかったことが、ウクライナ社会における法の支配と和解の見通しを損なったと考えている。ウクライナ社会は、ユーロマイダンの最中とその後の他の政治問題と同様に、マイダンの抗議行動に対する支持という点で分裂した。
いっぽう、特にロシアとウクライナの間で続いている戦闘の間は、事件が政治問題化し、ウクライナの司法制度に独立性が欠如しているため、マイダン虐殺の裁判所判決が正義をもたらす可能性は低い。
さまざまなマイダン虐殺の物語は、西側とロシアの対立だけでなく、クリミアとドンバスの状況の平和的解決を複雑にし、ロシアとウクライナの関係を悪化させた。
「ウクライナにおけるマイダン虐殺の実際の加害者を裁判にかけることは、これらの危険な紛争を解決する上で困難ではあるが必要な一歩である」と著者であるカチャノフスキーは結論付けている。
他の多くの人々と同様に、カチャノフスキーが十分に認識していることは、マイダン虐殺を利用してウクライナで民主的に選出された政府を暴力的に転覆し、そのことを西側が事実上支持したことが、クリミアやドンバスでの紛争、ロシアとウクライナの紛争、ロシアと西側の紛争につながったことである。「ユーロマイダン」 の結果、ウクライナはアメリカのお得意様国家になったとカチャノフスキーは書いている。彼はまた、これが最終的にウクライナとロシアの対立、そしてウクライナにおける西側とロシアの代理戦争につながったと指摘している。
マイダン虐殺とウクライナが公正な調査を保証しなかったことは、世界的な影響を及ぼした。最終的にNATOとロシアの直接戦争に発展し、それが核戦争に発展する可能性さえある。
クリスティーナ・シゾヴァ著 モスクワを拠点に政治・社会・国際関係を専門とする記者
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