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航空兵力の支援を受けられないまま「反転攻勢」を始めたウクライナ軍の運命
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202306140000/
2023.06.14 櫻井ジャーナル
ウクライナ軍は6月4日、航空兵力の支援を受けられない状態でドンバスへの攻撃を始めたという。この戦闘で「勝利」のイメージを欲しがっているのは大統領選を控えたジョー・バイデン政権にほかならない。
1945年4月に日本軍は航空機の支援を受けられない状態で戦艦大和を含む艦隊を沖縄へ向かわせた。いわゆる「海上特攻」だが、似たようなことを行ったわけだ。結果も似たようなことになっている。攻撃が始まってから2日後にノヴァ・カホウカ・ダムは爆破され、ヘルソンのロシアが支配している地域は洪水で水浸しになった。
2014年のクーデターでビクトル・ヤヌコビッチを倒したバラク・オバマ政権はネオ・ナチ体制を作り上げた。クーデターを指揮していたのはジョー・バイデン副大統領、ビクトリア・ヌランド国務次官補、副大統領の国家安全保障補佐官を務めていたジェイク・サリバン。現在バイデンは大統領、ヌランドは国務次官、サリバンは国家安全保障問題担当の大統領補佐官だ。バイデン政権で戦争を推進しているのは、この3人とアントニー・ブリンケン国務長官だ。
ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部では住民がクーデターを拒否、クリミアはロシアの保護下に入り、ドンバスでは内戦が始まる。そこでの戦闘でクーデター軍は勝てないと判断した西側は軍事力を増強するための時間稼ぎを始めた。アンゲラ・メルケル元独首相は昨年12月7日にツァイトのインタビューで、ミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めた。その直後にフランソワ・オランド元仏大統領はメルケルの発言を事実だと語っている。
その間、アメリカ/NATOはキエフ政権に兵器を供与、兵士を訓練、そしてドンバスの周辺に要塞を築いた。ネオ・ナチを中心に編成された内務省親衛隊の中核だったアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)が拠点にしていたマリウポリ、あるいは岩塩の採掘場があるソレダルを中心に要塞線が作られたようだが、それはすでに突破された。
イギリスは長距離巡航ミサイル「ストーム・シャドー」や「チャレンジャー2」戦車、そして劣化ウラン弾を新たに供給。ドイツは「レオパルト2」戦車、アメリカは「ブラッドリー」装甲戦闘車両に続き、「M1エイブラムス」戦車を送った。すでに戦場ではレオパルト2やブラッドリーの残骸を撮影した写真が明らかにされている。
日本のマスコミは一貫してウクライナが勝っているというイメージを広めようとしてきた。「勝った、勝った」、ついで「反転攻勢」と叫んできたのだが、事実はそうした「宣伝」を破壊している。そもそも勝っている軍隊が反転攻勢するという話がおかしい。
アメリカの軍事や外交をコントロールしているネオコンは国防総省の「DPG草案」という形で1992年2月に世界制覇プランを作成した。その直前、1991年12月にソ連が消滅し、アメリカが「唯一の超大国」になったと考えたからだ。
ソ連を消滅へ導いたのはニコライ・ブハーリンを「別の選択肢」と考えていたミハイル・ゴルバチョフと西側のエージェントだったボリス・エリツィンだと言えるだろう。当時のソ連は体制が崩壊するような状況にはなく、準備ができていなかった。
ネオコンが手始めに狙ったのはユーゴスラビア。その直後、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとがショックで茫然自失になっている間にジョージ・W・ブッシュ政権は国内の収容所化を進め、国外で侵略戦争を本格化させる。そして2003年3月にイラクを戦争攻撃し、サダム・フセイン体制を倒した。ネオコンはフセイン体制を倒して新イスラエル体制を築き、シリアとイランを分断して個別撃破する予定だった。
結局、イラクへの侵略戦争は失敗、21世紀に入ってロシアが再独立に成功したことでネオコンの世界制覇プランは破綻したのだが、その妄想を捨てられない彼らはロシアを再び屈服させようとする。そうした工作の手先として想定されていたのが西側と手を組んだ「ビジネス」で巨万の富を築いていたオリガルヒ、あるいはアカデミーやメディアの人間たちだ。
こうした工作のため、イギリスは留学を利用してきた。崩壊直前の帝政ロシアを支えていたのは大地主と産業資本家。ドイツとロシアを戦争させたいイギリスはロシアの支配層にネットワークを作っていた。その中心人物が有力貴族のフェリックス・ユスポフ。
ユスポフ家が雇っていた家庭教師の中にはイギリス人もいた。その宮殿で教師の子ども、スティーブン・アリーが1876年2月に誕生しているが、のちにMI6のオフィサーになった。フェリックスが生まれたのは、その11年後だ。
フェリックスは1909年から13年にかけてオックスフォード大学で学んだ。クラスメートのオズワルド・レイナーと親しくなるが、この人物は後にイギリスの情報機関SIS(秘密情報局、通称MI6)のオフィサーになる。また在学中、フェリックスはブリングドン・クラブに入っている。
クラブのメンバーは多くがイートン校の出身、つまり富豪の子どもたちで、素行が悪いことで知られている。1980年代のメンバーにはボリス・ジョンソン、デイビッド・キャメロン、ジョージ・オズボーン、トニー・ブレアといった後の政治家、そしてナット・ロスチャイルドも含まれている。
こうした仕掛けのほか政略結婚もあり、ロシアのエリート層にはヨーロッパへの憧れを抱く人が少なくなかった。フェリックスたちはドイツとの戦争に向かうが、それに反対したのがグレゴリー・ラスプーチン。ロシアとドイツを戦争させるためにはラスプーチンを排除しなければならない。そこで1916年12月30日にラスプーチンは暗殺される。フェリックスが殺したとされているが、使われた銃弾の口径からフェリックスが真犯人だと推測する人もいる。
ロシア革命当時から最近までロシアのエリート内には「親ヨーロッパ派」とまでは言えなくとも、欧米を信じている人は少なくなかったが、状況に変化が見られる。ロシア連邦院議長を務めるワレンチナ・マトヴィエンコの発言から判断すると、欧米幻想からロシア人は抜け出しそうだ。
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