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この国では隣の国がロケット開発などで打ち上げするたび「ミサイルが落ちて来るぞ!」と緊急警報を鳴らす習慣があるようだが。実際未だ一度も地上に落ちたためしがない。
実際に落ちて、死傷者まで出した外国のものは別にあり、日常頭上を飛び回っている。
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米軍機墜落を風化させない 町田市民有志ら冊子作成へ 情報提供、編集作業の協力を呼びかけ
2023年4月9日 07時03分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/243016?rct=t_news&fbclid=IwAR2yw8Q7x24CT0YFX9P4WbYYFeA38WfVVLVsphWpwzvbmfSBlng-eegevdA
*犠牲になった母子をモチーフにしたブロンズ像(右奥)について説明する岩崎さん=町田市でhttps://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/a/f/f/0/aff073b228dcb582570f883d4058857b_1.jpg
一九六四年に東京都町田市で住民四人が犠牲となった米軍機墜落事故を後世に伝えるために、地元の市民有志らが、発生から六十年の節目となる来年、事故を記録した冊子を作成する。八日、市民文学館ことばらんどで開かれた「追悼の集い」で、情報提供や編集作業への協力を呼びかけた。(宮本隆康)
事故は六四年四月五日夕、沖縄県の米軍嘉手納基地から神奈川県の米軍厚木基地に向かう途中だった米海兵隊の戦闘機が、町田市中心部の商店街に墜落し、炎上した。乗組員はパラシュートで脱出したが、生後九カ月の男児を含む住民四人が死亡。三十二人が重軽傷を負い、二十数軒の家屋が全半壊した。
事故を風化させないため、約三十人の市民有志が二〇一三年、平和像建立実行委員会を発足。ほぼ毎年、事故発生日の前後に追悼の集いを開いている。像は一七年、千人以上から約三百万円の寄付を集めて完成させたが、市に管理費の負担などを理由に公有地での設置を断られ、現場近くの民有地に仮設置している。
今回の集いには、地元住民ら約五十人が参加した。遺族や被害者の知人ら関係者の高齢化が進み、事故の記憶の風化が進んでいるとして、実行委のメンバーが冊子発行の必要性を説明。「どんなことでも構わないので、事故について知っていることや、知っている人を教えてほしい」と情報提供を呼びかけた。
実行委共同代表の岩崎俊男さん(77)は「冊子発行の詳細は決まっていないが、できれば来年の事故発生日までにまとめ、市内の図書館や小中学校に寄贈したい」と話している。
情報提供の連絡先や問い合わせなどは、実行委事務局の奥村憲雄さん=電080(3501)7237=へ。
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